2020年09月21日

『万葉集』を訓(よ)む(その1524)

 今回は、一一六五番歌を訓む。「覊旅(きりよ)にして作(つく)る」歌の五首目。
 本歌の写本に異同はなく、原文は次の通り。

  暮名寸尓 求食為鶴 
  塩満者 奥浪高三 
  己妻喚

 一句「暮名寸尓」は「暮(ゆふ)なぎ[夕凪]に」と訓む。この句は、五〇九番歌三一句「暮名寸二」と「に」の表記が異なるだけで同句。また、九三一番歌七句「夕菜寸二」および九三五番歌七句「暮菜寸二」とも表記は異なるが同句。「暮名寸」は「暮(ゆふ)なぎ[夕凪]」。「名」「寸」は、「な」「き(甲類)」の常用訓仮名。ここでは「寸」を「ぎ」に流用したもの。「夕凪」は「海岸地方で、夕方、海風と陸風と交替するとき、一時海上や沿岸部が無風状態となること。」をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、時間を指定する格助詞「に」。
 二句「求食為鶴」は「求食(あさり)為(す)る鶴(たづ)」と訓む。「求食」は義訓で、動詞「あさる(漁)」の名詞化した「あさり」と訓む。「為」はサ行変格活用の他動詞「す」の連体形「為(す)る」。「求食(あさり)為(す)る」は「餌を探し求める」意。「鶴(たづ)」は前歌(一一六四番歌)にも既出で、ツル科の鳥の総称だが、『萬葉集』では、鳥名「鶴」はすべて「たづ」と訓ぜられており、上代すでに「たづ」は歌語として定着していたようだ。
 三句「塩満者」は「塩(しほ)[潮]満(み)てば」と訓む。「塩」は前歌(一一六四番歌)一句「塩(しほ)干(ふ)れば」の「塩」と同じく、「潮」の意。「満者」は、タ行四段活用の自動詞「みつ」の已然形「満(み)て」+順接の接続助詞の「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用)=「満(み)てば」。「みつ」は「潮が増していっぱいになる。満潮になる。」ことをいう。
 四句「奥浪高三」は「奥(おき)[沖]浪(なみ)高(たか)み」と訓む。「奥浪」は、「奥(おき)[沖]浪(なみ)」で、「沖に立つ波」の意。「高三」(九〇九番歌他に既出)は、ク活用形容詞「たかし」の語幹「高(たか)」+原因・理由を示す接続助詞「み」(甲類の常用訓仮名「三」で表記) =「高(たか)み」。「奥(おき)[沖]浪(なみ)高(たか)み」は「沖に立つ波が高いので」の意。
 五句「己妻喚」は「己妻(おのづま)喚(よ)ばふ」と訓む。「己妻(おのづま)」は、「自分の配偶者。自分の夫または妻。」をいう。「喚」は、『名義抄』に「喚 サケブ・メス・ヨバフ・ヨブ」とあり、二〇七番歌ではバ行四段活用の他動詞「よぶ」に使われていたが、ここは、二五七番歌一〇句の「鴨妻喚」と同じく、ハ行四段活用の自動詞「よばふ」に用いたもので、その終止形「喚(よ)ばふ」と訓む。「よばふ」は「呼び続ける」の意。
なお、この句の訓みには諸説があるが、ここでは澤瀉『萬葉集注釋』の説に従ったので、その説を引用しておく。

おの妻呼ばふ ― 舊訓オノガツマヨブとあり、代匠記「今按オノヅマヲヨブト讀ベキカ」といひ、古義に、この先の「自妻(オノヅマ)喚毛(ヨブモ)」(一一九八)を例にし、「於能豆麻(オノヅマ)」(十四・三五七一)の例をあげてオノヅマヨブモとしたが、詠歎の助詞の「も」の訓添は例なく、「喚」に繼續の「ふ」を訓添へたと思はれる例は「雖喚(ヨバヘドモ)」(一一三八)「鴨妻喚(カモツマヨバヒ)」(三・二五七)などあるので新訓にオノヅマヨバフと訓んだに從ふべきかと思ふ。しきりに鳴く聲が聞こえるやうでオノガツマヨブよりもよいであらう。

 一一六五番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  暮(ゆふ)なぎに 求食(あさり)為(す)る鶴(たづ)
  塩(しほ)[潮]満(み)てば 奥(おき)[沖]浪(なみ)高(たか)み
  己妻(おのづま)喚(よ)ばふ

  夕凪の時に 餌をあさっている鶴
  潮が満ちてきて 沖の波が高いので
  自分の妻を呼んでしきりに鳴いているよ
ラベル:万葉集
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2020年09月18日

『万葉集』を訓(よ)む(その1523)

 今回は、一一六四番歌を訓む。「覊旅(きりよ)にして作(つく)る」歌の四首目。
 本歌の写本に異同はなく、原文は次の通り。

  塩干者 共滷尓出 
  鳴鶴之 音遠放 
  礒廻為等霜

 一句「塩干者」は「塩(しほ)干(ふ)れば」と訓む。この句は、一〇六四番歌一句と同句。「塩」の字は、『萬葉集』では、「潮」「汐」の意で用いられることが多く、ここも「潮」の意。「干者」は、ハ行上二段活用の自動詞「ふ」の已然形「干(ふ)れ」+順接の接続助詞の「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用)=「干(ふ)れば」。「ふ」は「かわく。干(ひ)る。また、潮が引く。」ことをいう。
 二句「共滷尓出」は「共(とも)に滷(かた)に出(い)で」と訓む。「共」は「共(とも)に」と訓み、「あるものが、他のものと同じ状態であるさま、また、他に伴って同じ行為をするさまを表わす。」言葉で、ここは「(鶴が)連れ立って」の意。「滷」は九五七番歌他に既出。その原義は、「塩分を含む地」で同義の「潟」と共に、日本では「かた」と訓まれ、「遠浅の海岸で、潮の満干によって隠れたり現われたりする地。」をいう。ここは「干潟」の意で用いている。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「出」はダ行下二段活用の自動詞「いづ」の連用形「出(い)で」。「いづ」は「(ある限られた場所から)その外へ進み動いて行く。また、外のある場所に位置を変える。」ことをいう。
 三句「鳴鶴之」は「鳴(な)く鶴(たづ)の」と訓む。この句は、七六〇番歌三句と同句。「鳴」はカ行四段活用の自動詞「なく」の連体形で「鳴(な)く」。「なく」は、「ね(音)」と同語源の「な」が動詞化したもので、生物が種々の刺激によって声を発することをいう。「鶴(たづ)」は鳥の「つる」であるが、『萬葉集』では、鳥名「鶴」はすべて「たづ」と訓ぜられており、上代すでに「たづ」は歌語として定着していたことがうかがえる。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 四句「音遠放」は「音(こゑ)遠放(とほざか)る」と訓む。「音」は「おと」とも「こゑ」とも訓むことは前にも述べたが、ここは一〇六四番歌と同じく「鶴の声」なので「こゑ」と訓む。現代では「こゑ」は「声」と表記し、「音」は「おと」として使い分けている。「遠放」は、ラ行四段活用の自動詞「とほざかる」の終止形「遠放(とほざか)る」。「とほざかる」は「遠くに離れる。ある場所から離れて遠くなる。とおのく。」ことをいう。
 五句「礒廻為等霜」は「礒廻(いそみ)為(す)らしも」と訓む。「礒廻」は三六八番歌に既出。「礒」は、『字通』に「声符は義(ぎ)。字は碕・と近く、石のごろごろするさまをいう。国語では磯と通用する。」とあり、「磯」の意で用いられている。「廻」は、既出の「嶋廻(しまみ)」(四二番歌)や「隈廻(くまみ)」(一七五番歌)と同じように、「廻(み)る」という動詞の連用形「廻(み)」を名詞化して接尾語的に用いたもの。「礒廻(いそみ)」は「磯に沿って行き廻ること」をいう。「為」はサ行変格活用の他動詞「す」の終止形「為(す)」。「等」は「ら」の常用訓仮名で、「霜」は「しも」にあてた借訓字。シ音の音仮名で、「等霜」で以って、推量の助動詞「らし」+詠嘆の終助詞「も」。
 ここでは通説に従って「礒廻」は「いそみ」と訓んだが、「澤瀉『萬葉集注釋』は、これを「あさり」の義訓としている。傾聴に値する論なので、ここに引用しておく。

 あさりすらしも ― 「礒迴」をイソミと訓むべき事を前(三・三六八)に述べた。しかし「島迴」(一一一七、六・九四三)のところで述べたやうに、アサリと訓むべきではないかと思はれる例があり、水禽の場合にはシマミとかイソミとか云つた假名書の例なく、前(六・九四三)にあげたやうにアサリの例のみである事を見ると、舊訓の如くアサリと訓むべきではなからうか。代匠記書入に「イソワスラシモトヨムベキ歟」といひ、古義にイソミと改めてより現代の諸家いづれもそれに從つて疑つてゐないが、上に既に「潟に出で」とあるのに對してまた「礒廻(いそみ)」と場所をもち出すもやゝこしく、次の作の「求食」と同じくアサリと義訓したものと見るべきではなからうか。

 なお、「いそみ」と訓む諸注も、その目的が「餌を求めて」であるとして口語訳を行なっている。
 一一六四番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  塩(しほ)干(ふ)れば 共(とも)に滷(かた)に出(い)で
  鳴(な)く鶴(たづ)の 音(こゑ)遠放(とほざか)る
  礒廻(いそみ)為(す)らしも

  潮が引くと 連れ立って干潟に出て
  鳴く鶴の 声が遠ざかって行く
  餌を求めて磯を巡っているらしいよ
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 12:18| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月16日

『万葉集』を訓(よ)む(その1522)

 今回は、一一六三番歌を訓む。「覊旅(きりよ)にして作(つく)る」歌の三首目。
 本歌の写本に異同はなく、原文は次の通り。

  年魚市方 塩干家良思 
  知多乃浦尓 朝榜舟毛 
  奥尓依所見

 一句「年魚市方」は「年魚市方(あゆちがた)[潟]」と訓む。この句は、二七一番歌三句と同句。「年魚」は、「鮎(あゆ)」のことで、鮎が一年で生を終えることに基づくが、ここは「あゆ」を表すための借訓字。「市」は「いち」だが、「跡(あと)」を「と」の仮名に用いたのと同じように、ここは「い」を省略して「ち」に用いたもの。「方」は同じ音の「潟」に宛てたもので、「潮が引けばあらわれ、潮が満ちれば隠れる地」を意味する。「年魚市方(あゆちがた)[潟]」は、名古屋市南区の低地帯の名称で、「笠寺台地が半島状に南に向って突き出した東側と西側の海面をも含んだ半島の周辺だろう」(加藤静雄『万葉の歌 人と風土』12)という。
 二句「塩干家良思」は「塩干(しほひ)[潮干]にけらし」と訓む。この句も、二七一番歌四句の「塩干二家良之」と表記は少し異なるが、同句。「塩干(しほひ)[潮干]」は「潮が引くこと。ひき潮。また、潮が引いたあとの浜。」の意の名詞だが、ここの「干」はハ行上二段活用「ふ」の連用形の「干(ひ)」。「ふ」は「潮がひく。干潮となる。」ことをいう。ここには表記がないが、下に完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」を二七一番歌に準じて補読する。「家」はケ(甲類)音の常用音仮名、「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「思」はシ音の音仮名。「家良思」は、過去の助動詞「けり」の連体形「ける」+推定の助動詞「らし」(連体形)=「けるらし」が約まった「けらし」を表わす。
 三句「知多乃浦尓」は「知多(ちた)の浦(うら)に」と訓む。「知多(ちた)」は、愛知県名古屋市南方、伊勢湾に突出する南北に細長い半島、すなわち「知多半島」のこと。「乃」は、ノ(乙類)音を表わす常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「浦(うら)」は「海、湖などの湾曲して、陸地に入り込んだ所。」の意。「知多(ちた)の浦(うら)」は「愛知県知多半島の伊勢湾に面した入海。」をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 四句「朝榜舟毛」は「朝(あさ)榜(こ)ぐ舟(ふね)も」と訓む。「朝(あさ)」は「夜が明けてからしばらくの間。古代にあっては夜の終わりの時間をさす『あした』とほぼ同じ意味であるが、単独で使われることは少なく、他の語と複合して使われることが多かった。また、『朝さる・朝漕ぐ・朝立つ』など助詞を介さず動詞と直結する例が多い。」と『日本国語大辞典』にある。ここも助詞を介さず動詞と直結する例である。「榜」はガ行四段活用の他動詞「こぐ」の連体形「榜(こ)ぐ」。「こぐ」は「櫓(ろ)や櫂(かい)などを用いて船を進める」ことをいう。なお、現在「こぐ」に普通使われる「漕」の字は『萬葉集』には見られない。「舟(ふね)」は「水の上に浮かべ、人や荷物をのせて水上を渡航する交通機関。」をいう。
 五句「奥尓依所見」は「奥(おき)[沖]に依(よ)[寄]る見(み)ゆ」と訓む。「奥」を「おき[沖]」と訓む例は、一一五〇番歌他に既出で、「奥」「沖」とも字義に「深い」の意があることも前に述べた。「尓」は三句に同じで、場所を示す格助詞「に」。「依」はラ行四段活用の自動詞「よる」の終止形「依(よ)[寄]る」。「よる」は、「ある物やある所、また、ある側に近づいて行く。」ことをいう。「所見」(一一六〇番歌他に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+受身・可能・自発の助動詞「ゆ」(漢文の助字「所」で表記)で「見(み)ゆ」。
 一一六三番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  年魚市方(あゆちがた)[潟]  塩干(しほひ)[潮干]にけらし
  知多(ちた)の浦(うら)に 朝(あさ)榜(こ)ぐ舟(ふね)も
  奥(おき)[沖]に依(よ)[寄]る見(み)ゆ

  年魚市潟は 潮が引いたらしい 
  知多の入海で 朝のうち漕いでいた舟も
  今は沖の方に寄っているのが見える
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 11:08| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする