2018年09月21日

『万葉集』を訓(よ)む(その1305)

 今回は、964番歌を訓む。題詞に「同坂上郎女向京海路見濱貝作歌一首」とある。これを訓み下すと、「同(おな)じき坂上郎女(さかのうへのいらつめ)京(みやこ)に向(むか)ふ海路(うみつぢ)に濱(はま)の貝(かひ)を見(み)て作(つく)る歌(うた)一首(しゆ)」となる。本歌は、前の963番歌と同様、天平二年冬に、旅人が大納言になって上京するのに先立って、坂上郎女が京に向かった折の作である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  吾背子尓 戀者苦 
  暇有者 拾而将去 
  戀忘貝

 1句「吾背子尓」は「吾(わ)が背子(せこ)に」と訓む。この句は、540番歌1句と同句。「吾」は自称で、坂上郎女をさす。「背子(せこ)」は、女性が自分の夫、あるいは恋人である男性に対して用いる呼称。旅人をさすとする説もあるが、「特定の人があるわけではない」とする『私注』に従うのが良いと思う。本歌は、「浜の貝」に想を得て詠んだものと考えられる。「尓」はニ音の常用音仮名で、動作・感情の対象を示す格助詞「に」。
 2句「戀者苦」は「戀(こ)ふれば苦(くる)し」と訓む。この句は、756番歌の2句と同句。「戀者」は、ハ行上二段活用の他動詞「こふ」の已然形「こ’戀ふれ」+確定条件を示す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用して表記)で、「こ’戀ふれば」と訓む。「苦」はシク活用形容詞「くるし」の終止形で「苦(くる)し」。「くるし」は「かなわない願いや悲しみ、後悔などで心が痛む。つらい。せつない。」ことをいう。
 3句「暇有者」は「暇(いとま)有(あ)らば」と訓む。「暇」は『名義抄』に「暇 イトマ・アク」とあり、ここは562番歌同様、「暇(いとま)」と訓む。「仕事と仕事の間の、何もしないとき。絶え間。有閑期。」の意。「有者」(757番歌他に既出)は、「有(あ)れば」とも「有(あ)らば」とも訓めるが、ここは、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形に、仮定条件を示す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」で表記)が付いた形で、「有(あ)らば」と訓む。
 4句「拾而将去」は「拾(ひり)ひて去(ゆ)かむ」と訓む。「拾」はハ行四段活用の他動詞「ひりふ」の連用形「拾(ひり)ひ」。「ひりふ」は、「ひろふ」の古形で、「地上などにある物を、取り上げる。落ちている物や捨ててある物などを取り上げて手にする。」ことをいう。「将去」(953番歌他に既出)は、カ行四段活用の自動詞「ゆく」の未然形「去(ゆ)[行]か」+意志・意向の助動詞「む」(終止形。漢文の助字「将」で表記。)=「去(ゆ)[行] かむ」。
 5句「戀忘貝」は「戀忘(こひわす)れ貝(がひ)」と訓む。この句について、吉井『萬葉集全注』は「恋忘れ貝」として次のように述べている。

 ○恋忘れ貝 7・一一四七、一一四九、一一九七、15・三七一一。忘貝(1・六八、11・二七九五、12・三〇八四、三一七五、15・三六二九)。「美しき貝」(万葉集管見)、「波のよせ来て残り忘れたるよしの名」(攷証、万葉集美夫君志)、「貝の名」(古義、万葉集講義、佐佐木評釈)、「二枚貝の一片」(古典大系)、「あわびをもいう」(古典全集)などの説があるが、萱草(わすれぐさ)(3・三三四、4・七二七、12・三〇六〇、三〇六二)、恋忘草(11・二四七五)が、中国の萱草(毛詩、衛風の白兮(はくけい)中の一章に「いづくにか諼草を得(え)て、われは之を背(はい)に植ゑむ」とあり、その「伝」に「諼草は人をして憂(うれ)ひを忘れしむ」とあり、「釈文」に「諼、本(もと)又萱に作る」とある。)に由来をもつとすれば、これに基づいて作られた歌語であろう。拾フ、岸ニ寄ルなどの打ち上げられたものが多く詠まれているところから云えば、おそらく貝殻であり、また、海人が潜(かず)きとるものを忘れ貝と歌っている作が一首(12・三〇八四)あるところを見れば、アハビも含まれるようであり、結局アハビを含め、二枚貝の一片を忘れ貝といったと考えるのが妥当なようである(東光治『万葉動物考』)。

 964番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  吾(わ)が背子(せこ)に 戀(こ)ふれば苦(くる)し
  暇(いとま)有(あ)らば 拾(ひり)ひて去(ゆ)かむ
  戀忘(こひわす)れ貝(がひ)

  わがいとしい人に 恋していると苦しい
  暇があったら 拾って行こう 
  恋を忘れさせるというあの忘れ貝を
ラベル:万葉集
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2018年09月19日

『万葉集』を訓(よ)む(その1304)

 今回は、963番歌を訓む。題詞に「冬十一月大伴坂上郎女發帥家上道超筑前國宗形郡名兒山之時作歌一首」とある。これを訓み下すと、「冬(ふゆ)十一月(ぐわつ)大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の、帥(そち)の家(いへ)を發(た)ちて道(みち)に上(のぼ)り、筑前國(つくしのみちのくちのくに)宗形郡(むなかたのこほり)名兒山(なごやま)を超(こ)ゆる時(とき)に作(つく)る歌(うた)一首(しゆ)」となる。作者の大伴坂上郎女について、吉井『萬葉集全注』本歌の【考】欄で次のように述べている。少し長くなるが引用しておく。

【考】坂上郎女 坂上郎女については史書に記述がなく、集中の題詞、左注によってその動静が知られるのみである。4・五二八の左注に「右郎女は佐保大納言卿の女なり。はじめ一品穂積皇子に嫁ぎ、寵をかがふること類ひなし。しかして皇子薨ぜし後に、藤原麻呂大夫、郎女を娉ふ。郎女、坂上の里に家居す。よりて坂上郎女といふ。」とある。郎女は、異母兄・大伴宿奈麻呂との間に、坂上大嬢(後の家持の妻)、二嬢の二人の女をなしているが、藤原麻呂との交渉が先であり、その後、宿奈麻呂と結ばれたものと考えられる。宿奈麻呂とはおそらく養老の末年に死別したものと思われる。旅人は、大宰府帥として赴任する際、妻の大伴女郎を伴ったが、赴任後間もなく死亡した。いつ頃坂上郎女が大宰府に下向したかはあきらかでないが、大伴女郎なきあと、氏上のそばにあって家刀自の役目を果たすために下向したものと考えてよい。万葉集に長歌六首、短歌七十七首、旋頭歌一首を残す。女流歌人として作歌の数が多いばかりでなく、作歌の場、主題、素材が多種にわたっており、作風も言葉の知的な構成によるものが多く、万葉集から古今集へと移向する時期を考える上で、注目すべき歌人である。万葉集編纂の資料となったものにも、郎女の記述になるものが大きな役割を果たしたものと推定されている。

 本歌は、九句からなる長歌で、次の964番歌と共に、天平二年冬に、旅人が大納言になって上京するのに先立ち、坂上郎女が京に向かった折の作である。
 写本の異同は、末句の三字目<佐>を『西本願寺本』他が「作」としていることが挙げられるが、『元暦校本』『紀州本』『細井本』に「佐」とあるのを採った。原文は次の通り。

  大汝 小彦名能
  神社者 名著始鷄目
  名耳乎 名兒山跡負而
  吾戀之 干重之一重裳
  奈具<佐>米七國

 1句「大汝」は「大汝(おほなむち)」と訓む。「大汝(おほなむち)」は、大国主神の別名で、出雲大社の祭神。
 2句「小彦名能」は「大汝(おほなむち)」と訓む。「小彦名(すくなひこな)」は、「大汝(おほなむち)」と共に国作りをした体の小さな神で、国作りをした後、常世の国に渡ったと記紀神話に見える。「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で、連体助詞「の」。
 3句「神社者」は「神(かみ)こそば」と訓む。ここの「神(かみ)」は、1句・2句を受けて、「大汝(おほなむち)小彦名(すくなひこな)の神」の二神をいう。「社」(749番歌他に既出)は、強い指示を表わす係助詞「こそ」。「社」の字は、「社」(=神社)に祈願することから、願望の意の助詞コソに当てるようになったもの。「者」は漢文の助字で、格助詞「は」に用いられたものだが、係助詞「こそ」に続く場合は、「こそば」と濁るのが普通(『古典全集』)。
 吉井『萬葉集全注』は、「大汝少彦名の神」として、次のように述べている。

 集中では、二神は必ず一対の存在として歌われる。「〜の神代」(18・四一〇六)、「〜の作らしし」(7・一二四七)、「〜のいましけむ(3・三五五)。大汝神は種々の複合的な性質をもっているが、大地神、国作りの神としての性格が根本であり、少彦名神は常世神、穀霊としての性格を根本とする。この二神の一体化、国作り神としての信仰が、集中に確固として残っているのは、政治神話として形成された記紀の神々の物語とは異なった神話伝承の展開が、民族のなかで独自におこなわれていたことを立証する。名前をつけるというのも、それを認識して一定の組織のなかに置くということで、国作りの一端を示すものにほかならない。

 4句「名著始鷄目」は「名著(なづ)け始(そ)めけめ」と訓む。「名著」は、カ行下二段活用の他動詞「なづく」の連用形「名著(なづ)け」と訓む。「著」は「着」と同じで、『名義抄』に「著 キル・ツク・ハク・アラハス・シルス・クル・ワタイル」と「つく」の訓が見える。「なづく」は、「名をつける。命名する。」意。「始」はマ行下二段活用の補助動詞「そむ」の連用形「始(そ)め」。「そむ」は、「その行為がはじまる意、また、はじめられた行為や動作の結果が長くあとに残る意。」を表す。「鷄」はケ(甲類)音の音仮名、「目」は「め(乙類)」の常用訓仮名で、「鷄目」で以て、推量の助動詞「けむ」の已然形「けめ」を表す。
 5句「名耳乎」は「名(な)のみを」と訓む。「名(な)」は「物事の名称。呼び方。」の意。「耳」(740番歌他に既出)は、限定・強意を表わす漢文の助字で、限定を表わす副助詞「のみ」に宛てたもの。「乎」は、ヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞の「を」。
 六句「名兒山跡負而」は「名兒山(なごやま)と負(お)ひて」と訓む。「名兒山(なごやま)」は、「福岡県福津市勝浦に位置する通称ナチゴ山。高さ一六四メートル。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』)。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。「負」はハ行四段活用の他動詞「おふ」の連用形で「負(お)ひ」。ここの「おふ」は、「名をもつ。その名をなのる。」意。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。
 7句「吾戀之」は「吾(わ)が戀(こひ)の」と訓む。「吾」は格助詞「が」を補読して「吾(あ)が」。「吾(あ)」は自称でこの歌の作者「坂上郎女」をさす。「戀」は、動詞「こふ(戀)」の連用形の名詞化で「戀(こひ)」。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 8句「干重之一重裳」は「干重(ちへ)の一重(ひとへ)も」と訓む。この句は、509番歌14句「干重乃一隔母」と一部表記は異なるが同句。「千重」は「ちへ」と訓み、「数多くかさなること」をいう。「之」は七句に同じで、連体助詞「の」。「一重」は、「そのものだけで、重なっていないこと。また、そのもの。ひとひら。一枚。」の意。「千重の一重」は、幾重もの中の一重で、「千に一つ。千分の一。」を言う。「裳」は「も」の常用訓仮名で、係助詞「も」。
 9句「奈具佐米七國」は「なぐさめなくに」と訓む。「奈」「具」「佐」「米」は、各々、ナ音・グ音・サ音・メ(乙類)音の常用音仮名で、「奈」は片仮名・平仮名の字源。「奈具佐米」は、マ行下二段活用の他動詞「なぐさむ」の未然形「なぐさめ」を表す。「なぐさむ」は「心をなごやかに静まらせる。心を晴らす。」ことをいう。「七國」(506番歌他に既出)は、「なくに」と訓む。「七」は「な」の訓仮名、「國」は「くに」を表すための借訓字。「なく」は、打消の助動詞「ず」のク語法で、「ず」の連体形「ぬ」に形式体言のアクがついた「ぬあく」が約まって「なく」となったもの。「に」は格助詞。
 963番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  大汝(おほなむち) 小彦名(すくなひこな)の
  神(かみ)こそば 名著(なづ)け始(そ)めけめ
  名(な)のみを 名兒山(なごやま)と負(お)ひて
  吾(わ)が戀(こひ)の 干重(ちへ)の一重(ひとへ)も
  なぐさめなくに

  大汝 少彦名の
  神こそが はじめて名づけられたというが
  名だけを 名児山(心がなごむ)と名のるばかりで
  わが恋の 千分の一も
  慰めてくれないことだ 
posted by 河童老 at 19:39| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月12日

『万葉集』を訓(よ)む(その1303)

 今回は、962番歌を訓む。題詞に「天平二年庚午勅遣擢駿馬使大伴道足宿祢時歌一首」とあり、訓み下すと「天平(てんぴやう)二年(ねん)庚午(かうご)、勅(みことのり)して擢駿馬使(てきしゆんめし)大伴道足宿祢(おほとものみちたりのすくね)を遣(つか)はす時(とき)の歌(うた)一首(しゆ)」となる。「擢駿馬使」については、吉井『萬葉集全注』が詳しく注しているのでそれを見ておこう。

 ○擢駿馬使 すぐれた馬を選抜するために派遣される使。直木孝次郎(「騎兵隊の成立と馬の飼育の発展」『日本古代兵制史の研究』)によれば、九州と馬との関係について、次の三点が挙げられている。「雄略紀」二十三年是歳条に、「筑紫安致臣、馬飼臣等、船師を率ゐて以て高麗を撃つ」とあり、安致臣は日本に馬をもたらした阿直吉師の後裔・阿直史と関係ある氏族であり、「筑紫」が「安致臣」「馬飼臣」にかかるならば、筑紫と馬との関係がここに見出せる。第二に、「推古紀」歌謡(紀・一〇三)に「馬ならば日向の駒太刀ならば呉の真鋤」の表現がある。第三に、「兵部省式諸国馬牛牧」条に、九州では、肥前国に三ヶ所、肥後国に二ヶ所、日向国に三ヶ所の馬牧が挙げられており、これらの牧の馬が五、六歳になると、大宰府に送られる規定になっている。

 「大伴道足宿祢」については、阿蘇『萬葉集全歌講義』に「馬来田の子。大宝四年(七〇四)正月、従五位下。讃岐守・弾正尹・民部大輔・右大弁など歴任、天平三年(七三一)八月、参議、時に正四位下。天平七年九月、訴人の事を裁理しなかった罪に坐したが、詔があって許された。時に、右大弁、正四位下。大伴系図には、『天平十三年薨』とある。旅人没後、一時大伴氏の氏上であったと思われる。」とある。
 なお、この歌には作歌事情を述べた左注があるので、その原文と訓読文および口語訳を次に記しておく。訓読文は吉井『萬葉集全注』に、口語訳は阿蘇『萬葉集全歌講義』によった。

 [原文] 右、勅使大伴道足宿祢饗于帥家。此日、會集衆諸、相誘驛使葛井連廣成言須作歌詞。登時廣成應聲、即吟此歌。

 [訓読文] 右、勅使大伴道足宿祢を帥(そち)の家に饗(あへ)す。この日に、会(あ)ひ集(つど)ふ衆諸(もろもろ)、駅使(はゆまづかひ)葛井連広成(ふじゐのむらじひろなり)を相誘(あひさそ)ひて、歌詞を作るべし、と言ふ。登時(すなはち)広成声に応(こた)へて、即(すなは)ちこの歌を吟(うた)ふ。

 [口訳] 右は、勅使大伴道足宿祢を大宰帥旅人卿の家で馳走しもてなした。この日集まった人々が、駅使の葛井連広成に勧めて、歌を作るように言った。即座に、広成はその言葉に応えて、この歌をくちずさんだ。

 写本の異同はなく、原文は次の通り。

  奥山之 磐尓蘿生 
  恐毛 問賜鴨 
  念不堪國

 1句「奥山之」は「奥山(おくやま)の」と訓む。この句は、299・397・791番歌1句と同句。「奥山(おくやま)」は「人里離れた奥深い山。山の奥深いところ。」の意。「之」は連体助詞「の」。
 2句「磐尓蘿生」は「磐(いは)に蘿生(こけむ)し」と訓む。「磐(いは)」(791番歌他に既出)は、平らかで円く大きな形状の岩石」をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「蘿生」(228番歌に既出)は、サ行四段活用の自動詞「こけむす」の連用形で「蘿生(こけむ)し」と訓む。「こけむす」は「苔が生える。苔で一面におおわれる。」の意であるが、多くは「古くなる、古めかしくなる、永久である。」ことのたとえに用いられる。
 1句・2句「奥山(おくやま)の・磐(いは)に蘿生(こけむ)し」は、「奥山の岩に苔が生えて神々しいように」の意で、3句の「かしこく」を起こす比喩の序詞になっている。
 3句「恐毛」は「恐(かしこ)くも」と訓む。この句は、199番歌の9句「懼母」と表記は異なるが同句。「恐」(600番歌他に既出)は、ク活用形容詞「かしこし」の連用形で「恐(かしこ)く」。「かしこし」は「おそるべき霊力、威力のあるさま。また、それに対して脅威を感ずる気持を表わす。おそろしい。」の意。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「も」。「恐(かしこ)くも」は「おそれおおくも。もったいなくも。もったいないことに。」の意。
 4句「問賜鴨」は「問(と)ひ賜(たま)ふかも」と訓む。「問」はハ行四段活用の他動詞「とふ」の連用形で「問(と)ひ」。「賜」はハ行四段活用の他動詞「たまふ」の終止形で「賜(たま)ふ」。「問(と)ひ賜(たま)ふ」は「お求めになる」の意。「鴨」は借訓字で、詠嘆の終助詞「かも」を表す。
 5句「念不堪國」は「念(おも)ひあヘなくに」と訓む。この句は、671番歌の5句「不堪念」と表記は一部異なるが同句。「念」はハ行四段活用の他動詞「おもふ」の連用形「念(おも)ひ」。「不堪國」は、ハ行下二段活用の自動詞「あふ」の未然形「あへ」+打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」のク語法「なく」+格助詞「に」=「あへなくに」。「あふ」は「たふ(堪)」と同意で、「堪える。我慢する。抵抗し負けまいとする。」ことをいう。『万葉集』には「あふ」の仮名書き例は見られるが、「たふ」の仮名書き例は見られないことから、集内の「敢・勝・堪」は「たふ」でなく「あふ」と訓むことが定着している。ここの「あふ」は、他の動詞(この場合は「念(おも)ひ」)の下に付いて、補助動詞的に用いているので仮名書きとしたもので、「十分にそうする。完全にそうする。押し切ってそうする。」の意。「あふ」を補助動詞的に用いる場合は、下に打ち消しを伴う「あへず」の形で用いられることが多く、ここもその例。「不」は打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」のク語法「なく」の「な」の表記として用いたもの。「國」はク語法「なく」の「く」と格助詞「に」の「くに」を表すための借訓字。
 962番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  奥山(おくやま)の 磐(いは)に蘿生(こけむ)し
  恐(かしこ)くも 問(と)ひ賜(たま)ふかも
  念(おも)ひあヘなくに

  奥山の 岩に苔が生えて神々しいように
  恐れ多くも お求めになるのですね
 (歌を作るなど)思いもよりませんのに
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 18:53| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする