2019年07月20日

『万葉集』を訓(よ)む(その1382)

 今回は、1036番歌を訓む。題詞に「不破行宮大伴宿祢家持作歌一首」とあって、天平十二年の聖武天皇伊勢国行幸のおりに、「不破(ふは)の行宮(かりみや)」で「大伴宿祢(おほとものすくね)家持(やかもち)」の作った歌である。「不破(ふは)の行宮(かりみや)」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は、「岐阜県不破郡垂井町府中あたりか。そこは、不破の関跡の東北約八キロ。不破の関は、愛発(あらち)(越前)・鈴鹿(伊勢)と共に、三関の一。平城京まで片道一二〇キロ。約五日の旅程。」と注している。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  關無者 還尓谷藻 
  打行而 妹之手枕 
  巻手宿益乎

 1句「關無者」は「關(せき)無(な)くは」と訓む。「關(せき)」は「不破の関」をさす。「無者」は、ク活用形容詞「なし」の連用形「無(な)く」+係助詞「は」(漢文の助字「者」で表記)=「無(な)くは」で、仮定条件を表す。「關(せき)無(な)くは」は「関がなかったら」の意。
 2句「還尓谷藻」は「還(かへ)りにだにも」と訓む。「還」はラ行四段活用の自動詞「かへる」の連用形「還(かへ)り」。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。「谷」は、副助詞「だに」に宛てた借訓字。「だに」は、最小限の一事をあげて「せめて〜だけでも」と強調する働きをするが、転じて「〜までも」「〜すら」の意としても使われる。「藻」は「も」の訓仮名で、係助詞の「も」。
 3句「打行而」は「うち行(ゆ)きて」と訓む。「打」は、接頭語「うち」を表す。接頭語「うち」は、下の動詞の意味を強めたり、単に語調を整えたりする。「行」はカ行四段活用の自動詞「ゆく」の連用形「行(ゆ)き」。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。
 2句・3句について、諸注いずれもこれを続けて注しているのでそれらを見ておこう。
 まず、澤瀉『萬葉集注釋』には、「かへりにだにもうち行きて ― 代匠記に『カヘリニダニモトハ、俗ニ立皈リニ行テ來ムナド云詞ナリ』とある。ついちよつとたちがへりにでも行つて來て、の意。同じ作者が越中守になつて都に殘した妻を思ふ長歌でも「近在者(チカカラバ) 加弊利尓太仁母(カヘリニダニモ) 宇知由吉底(ウチユキテ) 妹我多麻久良(イモガタマクラ) 佐之加倍底(サシカヘテ) 袮天蒙許萬思乎(ネテモコマシヲ)」(十七・三九七八)と云つてゐる。」とある。
 次に吉井『萬葉集全注』には、「○帰りにだにもうち行きて 帰リニユクは今の『日帰りに行く』と似た言い方か。ダニはセメテ…ダケデモの意。せめて日帰りにでも行って。*類歌 4・五一〇、17・三九七八。」とあり、阿蘇『萬葉集全歌講義』には、「帰りにだにもうち行きて 行ってすぐ帰ってくるだけのためにでも、ちょっと行って。」とある。
 4句「妹之手枕」は「妹(いも)が手枕(たまくら)」と訓む。「妹(いも)」は、男性から結婚の対象となる女性、または、結婚をした相手の女性をさす称「恋人。妻。」。「之」は漢文の助字で、連体助詞「が」。連体助詞「が」と「の」の違いについては、1032番歌のところで述べたので、そちらを参照方。「手枕(たまくら)」(1032番歌他に既出)は、「腕を枕とすること」をいう。
 5句「巻手宿益乎」は「巻(ま)きて宿(ね)[寝]ましを」と訓む。「巻」はカ行四段活用の他動詞「まく」の連用形「巻(ま)き」。「まく」は「枕にする。枕にして寝る。」意。「手」は「て」の常用訓仮名で、接続助詞「て」。「宿」はナ行下二段活用の自動詞「ぬ」の未然形「宿(ね)」。「ぬ」は、現在の「寝る」。「益」は、反実仮想の助動詞「まし」を表すための借訓字。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、間投助詞「を」。
 1036番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  關(せき)無(な)くは 還(かへ)りにだにも
  打(う)ち行(ゆ)きて 妹(いも)が手枕(たまくら)
  巻(ま)きて宿(ね)[寝]ましを

  関がなければ せめてとんぼ帰りででも
  行って 妹の手枕を
  枕にして寝たいものを
ラベル:万葉集
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2019年07月17日

『万葉集』を訓(よ)む(その1381)

 今回は、1035番歌を訓む。題詞に「大伴宿祢家持作歌一首」とあって、本歌は、天平十二年の聖武天皇伊勢国行幸のおりに、「大伴宿祢(おほとものすくね)家持(やかもち)」が作った歌である。
 写本の異同は、4句一字目<官>で、これを『紀州本』『西本願寺本』他諸本が「宮」とするが、『元暦校本』『類聚古集』『古葉略類聚鈔』に「官」とあるのを採る。なお、澤瀉『萬葉集注釋』は「宮」の字を採り、『元暦校本』『類聚古集』などに「官」とあるのは誤りとする。原文は次の通り。

  田跡河之 瀧乎清美香 
  従古 <官>仕兼 
  多藝乃野之上尓

 1句「田跡河之」は「田跡河(たどかは)の」と訓む。「田跡河(たどかは)」は、「養老の滝に発し、養老町西部、海津(かいづ)市南濃町(なんのうちょう)北部を流れて揖斐川に注ぐ。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』)川の名である。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名であるが、ここは諸注が「ど」と訓んでいるのでそれに従う。前回、「多度山の美泉」の話を述べたが、その「多度(たど)」を踏まえたものと思われる。しかし、『日本古典文学全集』の頭注に「田跡川の滝―『跡』はト乙の訓仮名で、『続日本紀』の『多度』の『度』がド甲の仮名であるのと仮名遣いが違う。」とあることに注意する必要がある。あるいは「田跡河(たとかは)」と訓んだのかも知れない。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 2句「瀧乎清美香」は「瀧(たき)を清(きよ)みか」と訓む。この「瀧(たき)」は、前歌(1034番歌)同様、「養老の瀧」を指したものであろう。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。「清美」は、ク活用形容詞「きよし」の語幹に原因・理由を示す接続助詞「み」(甲類の常用音仮名で平仮名の字源である「美」で表記)の付いた「清(きよ)み」を表す。「瀧(たき)を清(きよ)み」は、「瀧が清らかなので」の意。「香」は「か」の準常用訓仮名で、疑問の係助詞「か」。
 3句「従古」は「古(いにしへ)ゆ」と訓む。この句は、前歌の1句と同句。「従」は、漢文の助字で、動作の起点を示す格助詞「ゆ」。漢文式に書かれているので先にきているが、日本語の語順では「古(いにしへ)」の後に来る。「古(いにしへ)」は「往(い)にし方(へ)」の意で、現在と遮断された遠く久しい過去を漠然という言葉。「古(いにしへ)ゆ」は「昔より」の意。
 4句「官仕兼」は「官仕(みやつか)へけむ」と訓む。「官」の字は、『名義抄』に「官 ツカサ・オホヤケ・キミ・ミヤツカサ・ミヤツカヘ」とあり、一字でもミヤツカヘと訓まれたことがわかるが、ここは「官仕」の二字で以って、「官仕(みやつか)へ」と訓む。「みや」は、接頭語「み」+「や(屋)」で、「大王・天皇の住む御殿。御所。」の意。「つかふ」は、ハ行下二段活用の自動詞で、「官などの、公的な地位について、その職に奉仕する。」ことをいう。ここは連用形の「つかへ」。「兼」(750番歌他に既出)は、有韻尾の音仮名で二合仮名と呼ばれるものでケムの音を表わし、過去の事実を推量する助動詞「けむ」に用いたもの。
 5句「多藝乃野之上尓」は「多藝(たぎ)の野(の)の上(へ)に」と訓む。「多藝(たぎ)」は地名で、現在の岐阜県養老郡養老町多岐。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「野(の)」は「山」に対する語で、「平らな地」をいう。「之」は1句に同じで、連体助詞「の」。「上」は、指示文字で、空間的に高い位置をいう語で、既出例は「うへ」と訓んだが、ここは「へ」と訓む。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「多藝(たぎ)の野(の)の上(へ)に」は、前歌の題詞にあった「多藝(たぎ)の行宮(かりみや)」を建てた場所をさす。
 1035番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  田跡河(たどかは)の 瀧(たき)を清(きよ)みか
  古(いにしへ)ゆ 官仕(みやつか)へけむ
  多藝(たぎ)の野(の)の上(へ)に

  田跡川の 滝が清らかなので
  昔から 宮仕えしてきたのだろうか 
  この多芸の野の上に(宮を建てて)
ラベル:万葉集
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2019年07月11日

『万葉集』を訓(よ)む(その1380)

 今回は、1034番歌を訓む。 題詞に「美濃國多藝行宮大伴宿祢東人作歌一首」とある。訓読すると「美濃國(みののくに)の多藝(たぎ)の行宮(かりみや)にして大伴宿祢東人(おほとものすくねあづまひと)の作(つく)る歌(うた)一首(しゆ)」となり、本歌は、天平十二年の聖武天皇伊勢国行幸のおりに、「多藝の行宮」で「大伴宿祢東人」が作った歌である。「多藝の行宮」は、岐阜県養老郡養老町多岐のあたりに設けられたものと思われる。
 写本の異同は、4句一字目<變>を『西本願寺本』『広瀬本』に「戀」とあることが挙げられるが、『西本願寺本』は「戀」を消して左に変と書かれており、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』いずれにも「變(変)」とあるのでこれを採る。原文は次の通り。

  従古 人之言来流 
  老人之 <變>若云水曽 
  名尓負瀧之瀬

 1句「従古」は「古(いにしへ)ゆ」と訓む。「従」は、漢文の助字で、動作の起点を示す格助詞「ゆ」。漢文式に書かれているので先にきているが、日本語の語順では「古(いにしへ)」の後に来る。「古(いにしへ)」は「往(い)にし方(へ)」の意で、現在と遮断された遠く久しい過去を漠然という言葉。「古(いにしへ)ゆ」は「昔より」の意。
 2句「人之言来流」は「人(ひと)の言(い)ひ来(け)る」と訓む。「人(ひと)」は「世の人々」の意。「之」は漢文の助字で、格助詞「の」。「来流」(1028番歌に既出)は、カ行変格活用の自動詞「く」の連用形「来(き)」にラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形「ある」が付いた「来(き)ある」の約で「来(け)る」。活用語尾「る」をル音の常用音仮名で片仮名の字源である「流」で表記している。「来(け)る」は、助動詞「ける」ではなく、カ変動詞「来」に完了の助動詞「り」の連体形「る」が付いたものである。『岩波古語辞典』は、その「基本助動詞解説」において、「完了の助動詞『り』は、四段・サ変・カ変・上一段活用の動詞の連用形と、それを承ける『あり』との音韻の融合によって奈良時代に生じた形である。」として、それぞれの接続について詳しく説明しているが、カ変の接続については次のように述べている。

 カ変動詞「来(く)」については、連用形「き」に「あり」が加わり「けり」(kiari → keri)という形が生じた。この場合の「け」という音節は「来(く)」の活用「こ・き・く・くる・くれ・こ」の中には見出されない。従って「来(け)り」はふつう、独立した別個の動詞とされその活用形は「ラ変」なのだとされている。しかし本来は、「ひさかたの雨の降る日をわが門に蓑笠着ずて来有(ける)人や誰」(万三一二五)のように、ケルはまさに来アルの約で、このように奈良時代には、カ変動詞の「来(く)」の連用形「き」にも、「あり」が接続した。しかし、ここに生じた「けり」という形は奈良時代以後は亡びて、平安時代になると「来(く)」には「たり」が接続し、「きたり」というようになった。

 3句「老人之」は「老人(おいひと)の」と訓む。「老人(おいひと)」は、「年老いた人。としより。ろうじん。」の意。「之」は2句に同じで、格助詞「の」。これらの「の」は、主格を示し用言が下に来るが、その用言の下に必ず体言を要するもので「体言+の+体言」の形を厳重に保っており、共に4句の「水」にかかっていく。
 4句「變若云水曽」は「變若(をつ)と云(い)ふ水(みづ)そ」と訓む。「變若」(650番歌に既出)は、タ行上二段活用の自動詞「をつ」の終止形で、下に格助詞「と」を訓み添えて「變若(をつ)と」と訓む。「をつ」は「もとへもどる。若返る。」ことをいう。「云」はハ行四段活用の他動詞「いふ」の連体形「云(い)ふ」。ここの「いふ」は、「世間の人が口にする。伝聞する。」ことをいう。ここの「水(みづ)」は、養老元年(七一七)九月に、元正天皇が美濃国に行幸したときに訪れた「多度山の美泉」をさす。阿蘇『萬葉集全歌講義』に「帰京後の勅に、多度山の美泉は、これを飲めば病をなおし若返る効果があるとし、美泉は大瑞と古書に記すとの理由で、年号を養老と改めた。」とある。「曽」はソ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、強意の係助詞「そ」。
 5句「名尓負瀧之瀬」は「名(な)に負(お)ふ瀧(たき)の瀬(せ)」と訓む。「名(な)」は「個、または集合としての事柄や物を、他から区別するために、対応する言語でいい表わしたもの。なまえ。」の意。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。「負」はハ行四段活用の自動詞「おふ」の連体形「負(お)ふ」。「おふ」は、「名におふ」の形で、「名前に適合する。その名にふさわしくする。」ことをいう。「瀧之瀬」は、「瀧(たき)の瀬(せ)」と訓み、「川の水の激しく流れるところ」をいう。「之」は2句・3句に既出だが、ここは連体助詞「の」。
 1034番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  古(いにしへ)ゆ 人(ひと)の言(い)ひ来(け)る
  老人(おいひと)の 變若(をつ)と云(い)ふ水(みづ)そ
  名(な)に負(お)ふ瀧(たき)の瀬(せ)

  昔から 人々が言い伝えてきた
  老人が 若返るという水であるぞ
  その名にふさわしいこの滝の瀬の水は
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 17:13| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする