2019年01月18日

『万葉集』を訓(よ)む(その1333)

 今回は、988番歌を訓む。題詞に「市原王宴祷父安貴王歌一首」とあり、これを訓み下すと「市原王(いちはらのおほきみ)の、宴(うたげ)に父(ちち)の安貴王(あきのおほきみ)を祷(ほ)く歌(うた)一首(しゆ)」となる。
 写本の異同は、2句二字目<波>にあり、これを『西本願寺本』に「者」とするが、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「波」とあるのを採る。原文は次の通り。

  春草者 後<波>落易 
  巌成 常磐尓座 
  貴吾君

 1句「春草者」は「春草(はるくさ)は」と訓む。「春草(はるくさ)」(29・239番歌に既出)は、「春になって萌え出る草。若草。」をいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 2句「後波落易」は「後(のち)は落易(うつろ)ふ」と訓む。「後(のち)」は「それが行われたあと」の意。「波」はハ音の常用音仮名(平仮名の字源)で、係助詞「は」。「落易」は、ハ行四段活用の自動詞「うつろふ」にあてた義訓。「うつろふ」は「栄えていたものが衰えていく」ことをいう。吉井『萬葉集全注』は、1句・2句の注として、次のように記している。

 ○春草は後はうつろふ 旧訓は「枯る」系の訓(西本願寺本カレヤスシ)であったが、代匠記がチリヤスシと訓み、これに従う説が多かった。ウツロフと訓んだ略解の訓は、新考、口訳、豊田新釈、新講、金子評釈に採用されていたが、この訓の論拠を明確に与えたのは伊藤博(「落易の訓など」万葉昭和三十四年四月)であろう。草について散るの語は不適切。春草だけが散りやすいというのも不分明、「落」には衰える意があり、易は安の意味で用いられるのは一例(9・一八〇四)だけで、他はすべて変の意で用いられる(一〇四七、一〇五三、一〇六一など)。以後は諸注すべてウツロフと訓読。口訳が、まず春草のようにさかんにと祝いたいが、という意があるとして、この作にはそのような曲折がある、と述べたのは親切な注であろう。

 3句「巌成」は「巌(いはほ)なす」と訓む。「巌(いはほ)」の「ほ」は「秀(ほ)」の意で、「巌(いはほ)」は「大きな岩」をいう。「成」(928番歌他に既出)は、接尾語「なす」を表す借訓字。接尾語「なす」は、名詞、時には動詞の連体形に付いて、「…のように、…のような、…のごとく、…のごとき」などの意。
 4句「常磐尓座」は「常磐(ときは)に座(いま)せ」と訓む。「常磐」(308番歌に既出)は、「とこいは」が約まった「ときは」と訓み、「常に変わらない岩。転じて、永久に続くこと。また、そのさま。」をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。「座」(79番歌に既出)は、サ行四段活用の自動詞「います」の命令形で「座(いま)せ」。「います」は、尊敬語動詞「ます」に接頭語「い」の付いたもので、「いらっしゃる。おいでになる。」の意。澤瀉『萬葉集注釋』の注に「この常磐は前(九二二、三・三〇八)にあつた磐そのものをさすのでなしに今日も用ゐるやうに譬喩に用ゐたので、上に『巌なす』とあるのだからいつまでも變らずにいらつしやいの意にとるべきである。右に引用した『常盤なる松のさ枝』(廿・四五〇一)も同じ用ゐ方である。」とある。
 5句「貴吾君」は「貴(たふと)き吾(わ)が君(きみ)」と訓む。「貴」(342番歌他に既出)は、ク活用形容詞「たふとし」の連体形で「貴(たふと)き」。「吾君」は、376番歌5句・641番歌5句などと同じく、「吾(あ)が君(きみ)」と訓み、「吾(あ)」は作者の「市原王」を、「君(きみ)」は作者の父である「安貴王」をさす。
 988番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  春草(はるくさ)は 後(のち)は落易(うつろ)ふ
  巌(いはほ)なす 常磐(ときは)に座(いま)せ
  貴(たふと)き吾(わ)が君(きみ)

  春草は(どんなに茂っても) 後には枯れ果ててしまいます
  どうか巌のように いつまでも変わらずにいて下さい
  貴い吾が父君よ
ラベル:万葉集
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2019年01月16日

『万葉集』を訓(よ)む(その1332)

 今回は、987番歌を訓む。題詞に「藤原八束朝臣月歌一首」とあり、「藤原八束朝臣(ふぢはらのやつかのあそみ)」が「月(つき)」を詠んだ歌である。「藤原朝臣八束」は、978番歌の左注に既出で、阿蘇『萬葉集全歌講義』に「藤原不比等の孫。房前の第三子。母は、美努王の娘牟漏女王。天平十二年(七四〇)に、従五位下。治部卿・参議・中務卿・大宰帥・中納言を経て、天平神護二年(七六六)、大納言。同年三月十二日薨。五十二歳。度量広く公輔の才があったと評された。」とある。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  待難尓 余為月者 
  妹之著 三笠山尓 
  隠而有来

 1句「待難尓」は「待(ま)ちがてに」と訓む。「待」はタ行四段活用の他動詞「まつ」の連用形「待(ま)ち」。「まつ」は「人、時、物事などの到来や働きかけを予期し、期待して、その場にとどまってじっとしている。」ことをいう。「難尓」は、485・901番歌に既出で、「がてに」と訓み、「困難で。〜できないで。」の意。「かてに」と訓む説もあるが、『日本古典文学大系』の補注の説により「がてに」とした。(後ろに[参考]として補注を再度引用しておく。)
 2句「余為月者」は「余(わ)が為(す)る月(つき)は」と訓む。「余」は、「我」「吾」と同じく自称の「わ」で、格助詞の「が」を補読して「余(わ)が」と訓む。「為」はサ行変格活用の他動詞「す」の連体形で「為(す)る」。この「す」は「(形容詞の連用形、助詞「に」「と」などのあとに付けて)ある状態だと見る。そう考える、感じる。」ことをいう。「月(つき)」は「天体の月」。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 3句「妹之著」は「妹(いも)が著(き)[着]る」と訓む。「妹(いも)」は「男性から結婚の対象となる女性、または、結婚をした相手の女性をさす称」。「之」は漢文の助字で、格助詞「が」。「著」は「着」と同字で、カ行上一段活用の他動詞「きる」の連体形「著(き)る」。「妹(いも)が著(き)[着]る」は、枕詞。『日本国語大辞典』に「妹がかぶる御笠という意で、『みかさ』と同音の地名『三笠山』にかかる。笠を身に付けることも『着る』といった。」とある。
 4句「三笠山尓」は「三笠(みかさ)の山(やま)に」と訓む。「三笠山」は、980番歌に「三笠乃山」として既出で、ここも「の」の表記はないが、「三笠(みかさ)の山(やま)」と訓み、232番歌の「御笠山」に同じで、奈良市東部(春日野町)の山(標高293メートル)である。笠の形をした円錐形の形の良い山で、奈良公園の背後にあり、ふもとに春日大社や春日若宮がある。東側の花山・芳山(はやま)とともに春日山と総称され、原生林におおわれている。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 5句「隠而有来」は「隠(こも)りて有(あ)りけり」と訓む。「隠」は「かくる」とも「こもる」とも訓まれるが、ここは、ラ行四段活用の自動詞「こもる」の連用形「隠(こも)り」と訓む。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。「有来」(573番歌他に既出)は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の連用形「有(あ)り」+回想(気づき)の助動詞「けり」(「来」で表記)で、「有(あ)りけり」。

 987番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  待(ま)ちがてに 余(わ)が為(す)る月(つき)は
  妹(いも)が著(き)[着]る 三笠(みかさ)の山(やま)に
  隠(こも)りて有(あ)りけり

  待ちきれないと 私が感じている月は
  (妹が着る) 三笠の山に
  まだ隠れていたのだなあ

[参考]『日本古典文学大系』四八五番歌の補注
 カテニは普通、耐える意のカツ(下二段活用)の未然形に、否定のズの古形ニが接続して成立した語と説かれている。語源的な説明としてはそれで正しいものと考えられるが、注意すべきことは、奈良時代の人々が、一般に果たしてそのような意識、つまり、ニは否定のズの連用形なのだという意識をもっていたかどうかということである。否定のズとかヌとかは、万葉集の訓仮名表記の部分では(字音仮名ばかりで書いてあるところは別として)不、莫の文字で書くのが通例で、不や莫を用いないのは、願望のヌカ、ヌカモの場合である。これは、ヌカ、ヌカモという助詞全体で一語と意識されていて、それを語源にさかのぼって、否定のズの連体形ヌにカモの接続した形という意識が無かった結果、不や莫をその部分にあてなかったものと考えられる。それと同様のことが、カテニの場合にも起こっている。すなわち、行過勝尓(ユキスギカテニ)(二五三)、待勝尓(マチカテニ)(一六八四)というような例があるのは、ニが否定のズの連用形であることを忘れた(あるいは知らない)表記と見られるのである。さらに、表意的な文字として勝の他に、難が用いられている。得難尓為(エガテニス)(九五)、待難尓為(マチガテニスレ)(六二九)などの例がそれである。難尓という表記は、カタシという形容詞の語幹カタに助詞ニがついたもので、一種の混淆(コンタミネーション)の結果である。これを何と訓んだかについては、恐らくガテニと訓んだのではないか。「君待ち我弖尓(ガテニ)」(八五九・三四七〇)の二例の存在が、その証となる。
 つまりカテニという言葉は、元来はカツの未然形にズの連用形がついて成立したが、奈良時代ではその語源意識は失われカテニはガテニに移行しつつあり、ガテニで一まとまりとして意識されていた。その意識の形成は、否定のニの一般的衰退、「難し」という意味・語形の類似する語の存在という事情が密接な関係をもっていたということである。
ラベル:万葉集
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2019年01月11日

『万葉集』を訓(よ)む(その1331)

 今回は、986番歌を訓む。前歌に続いて「湯原王月歌二首」の二首目で、「湯原王(ゆはらのおほきみ)」が「月(つき)」を詠んだ歌である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  愛也思 不遠里乃 
  君来跡 大能備尓鴨 
  月之照有

 1句「愛也思」は「愛(は)しきやし」と訓む。この句は、454番歌1句・466番歌5句・787番歌3句の「愛八師」と「やし」の表記は異なるが、同句。「愛」はシク活用形容詞「はし」の連体形で「愛(は)しき」。「はし」は「いとおしい。かわいらしい。慕わしい。」の意。「也」はヤ音の準常用音仮名、「思」はシ音の音仮名で、間投助詞「や」と「し」を表わす。この句は、3句の「君」を修飾する。この句について、吉井『萬葉集全注』は次のように注している。

○はしきやし ハシは愛恋や親愛の詠嘆的表現。その連体形ハシキに間投助詞ヤシがついたもの。愛(は)し妻(8・一五二一)。愛しき(2・二二〇、3・四七四、18・四一三四)。またハシキヨシ(5・七九六、17・三九六四)やハシケヤシ(4・六四〇、6・一〇五九)の形としても用いられる。なお、第一句を独立句とする説(私注)、君を修飾するが、独立句への傾向があるとする全註釈説、里にかかるとする注釈説がある。君を修飾すると見るのが妥当であろう。

 2句「不遠里乃」は「不遠(まちか)[間近]き里(さと)の」と訓む。「不遠」は、「遠からず」の義から、ク活用形容詞「まちかし」の連体形「間近(まちか)き」の表記にあてたもので、義訓。「里(さと)」(952番歌他に既出)は、「人家のあつまっている所。人の住んでいる所。村落。」をいう。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 3句「君来跡」は「君(きみ)来(こ)むと」と訓む。「君(きみ)」は「敬愛する人」をさしていう語で、女から見て男をいうことが普通だが、稀に男性同士、女性同士にも用いられた。「来」カ行変格活用の自動詞「く」の未然形「こ」に推量の助動詞「む」を訓み添えて「来(こ)む」と訓む。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、接続助詞「と」。
 4句「大能備尓鴨」は「大(おほ)のび[大野辺]にかも」と訓む。「大能備尓」の訓みについては、「大野辺(び)に」とする『萬葉考』と、「大伸(の)びに」とする『萬葉集全註釈』の二説があるが、澤瀉『萬葉集注釋』の論説(後ろに[参考]として引用しておく)を支持して、前説を採ることとする。前説の欠点は、「能」がノ(乙類)音の常用音仮名であり、一方「野」を表す仮名は「努」「弩」などの甲類であることであるが、この甲乙の混同は早くから見られるのでここもその例と見てよい。「備」はビ(乙類)音の常用音仮名で、「辺(び)」を表す。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「鴨」は疑問の係助詞「か」+詠嘆の係助詞「も」=「かも」を表すための借訓字。
 5句「月之照有」は「月(つき)の照(て)りたる」と訓む。「月(つき)」は710番歌他に既出で「天体の月」。「之」は漢文の助字で、格助詞の「の」。「照有」は、ラ行四段活用の自動詞「てる」の連用形「照(て)り」+完了・存続の助動詞「たり」の連体形「たる」(「有」で表記)=「照(て)りたる」。「たる」と連体形となっているのは4句の係助詞「か」の結び。「たり」を「有」で表記しているのは、「たり」が「てあり」の約であることによる。
 986番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  愛(は)しきやし 不遠(まちか)[間近]き里(さと)の
  君(きみ)来(こ)むと 大(おほ)の[大野]びにかも
  月(つき)の照(て)りたる

  愛おしい 遠からぬ里の
  あのお方がいらっしゃるというので 大野の辺りに
  月が照っているのでしょうか

[参考] 澤瀉『萬葉集注釋』の4句の注に次のようにある。

 大野びにかも ― 袖中小(十六)に「或書云おほのひにとはゆたかにしつかなりといふ也是江都督説也」とあるを代匠記に引いて「カヽレバ大キニノビノビニト云意ニテ極テ長キ夜ノ月ノ行トモ見エズシテ照ヲ云ナリ」といひ、考に「備(ビ)は倍(ベ)に通て大野べにかも歟海邊(ウナビ)といふに同じければ」といひ、大野邊説が行はれてゐるが、「野」は努、弩などの假名であり、「能」ではないので、全註釋には「大伸びで、月の大きく照り渡る状態を説明し、また月も君の來るのを待つとする心を含んでゐるのであらう」とあるが、どうも「大伸び」といふ言葉はをかしい。新考には「野」を「能」と書いた例として「波流能能尓」(五・八三九)があげられてゐるがこれは附訓本以下の誤であつて、類以下無まで諸本に「努」とあつて例にはならない。巻十八には助詞「の」に「野」を用ゐた例(四〇四七、その他)があるが、これは大野晋氏が「萬葉集巻十八の本文に就いて」(國語と國文學 第廿二卷第三號、昭和廿年三・四月)で述べられた如く、萬葉の原文に手を加へたものとして見るべきものである。その他に、「信濃奈流(シナヌナル) 須我能安良能尓(スガノアラノニ)」(十四・三三五二)が東歌ながらあり、又、正倉院文書(十三巻三一〇頁)に「不野里(フノリ)」の例があつて、野を「能」と同様に扱つた事もないとは云へず、篠(甲類)を「四能(シノ)」(一・四五)と書いた例もあつてノの甲乙の混同は比較的早いやうに思はれるのであるから、この「大能」も大野と見てよいと考へる。「備(ビ)」は「乎加肥(ヲカビ)」(五・八三八)、「濱備(ハマビ)」(一〇〇一、五・八九四)などの「び」と同じく「邊」の意に解してよい。「か」の疑問は結句の「照りたる」にかかる。新考に「カモは元來キミコムトの下におくべきを言數に制せられて大ノビの下におけるなり」とある。
  島かげに我が船泊てて告げやらむ使を無みや戀ひつゝ行かむ(廿・四四一二)
の「や」が「戀ひつゝ」の下にあるべきであると同様である。「も」は詠嘆。
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