2015年12月30日

『万葉集』を訓(よ)む(その941)

 今回は、679番歌を訓む。「中臣女郎贈大伴宿祢家持歌五首」の五首目。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  不欲常云者 将強哉吾背 菅根之 念乱而 戀管母将有

 1句「不欲常云者」は「いな[否]と云(い)はば」と訓む。「不欲」(96番歌に既出)は、「欲せず」の意から「いな」を表わすのに用いたもので、義訓。「常」は訓仮名で、格助詞の「と」。「云者」(655番歌他に既出)は、ハ行四段活用の他動詞「いふ」の未然形「云(い)は」+順接の確定条件を示す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用して表記)で、「云(い)はば」。
 2句「将強哉吾背」は「強(し)ひめや吾(わ)が背(せ)」と訓む。「将強」は、ハ行上二段活用の他動詞「しふ」の未然形「強(し)ひ」+推量の助動詞「む」の已然形「め」(漢文の助字「将」で表記)で、「強(し)ひめ」と訓む。「哉」は漢文の助字で、終助詞「や」。「や」は、已然形の下に付いた場合は反語となる。「しふ」は「他人の意志を無視して、無理におしつける。無理に行なう。無理に勧める。強制する。」ことをいう。「吾背」は286番歌に既出。「吾」は、自称(ここは作者の「中臣女郎」)で、下に連体助詞「が」を補読して、「吾(わ)が」。「背(せ)」は、夫、兄弟、恋人などすべて男性を親しんでいう語で、主として女性が男性を呼ぶのに用いた。ここの「吾(わ)が背(せ)」は「大伴宿祢家持」への呼びかけで、二句切れ。
 3句「菅根之」は「菅(すが)の根(ね)の」と訓む。この句は、580番歌3句「菅根乃」と「の」の表記は異なるが同句。「菅根」は、「菅」と「根」の間に連体助詞「の」を補読して「菅(すが)の根(ね)」と訓む。「菅」は、カヤツリグサ科の植物の総称。カサスゲの葉で笠、カンスゲで蓑をつくるなど利用用途の多い植物。単独ではスゲだが、複合語を作ると母音交替でスガとなる。「根」は、「高等植物の基本的な器官の一つ。普通は地中にあって、植物体の支持および、水と栄養分の吸収を主な機能とする。」(『日本国語大辞典』より)の意。「之」は漢文の助字で、格助詞「の」。「菅(すが)の根(ね)の」は、次の「念い乱る」にかかる枕詞。
 4句「念乱而」は「念(おも)ひ乱(みだ)れて」と訓む。「念乱」は、ラ行下二段活用の自動詞「おもひみだる」の連用形「念(おも)ひ乱(みだ)れ」。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。「おもひみだる」は「あれこれと思い悩む。人を思慕したりして心が落ち着かなくなる。」ことをいう。
 5句「戀管母将有」は「戀(こ)ひつつも有(あ)らむ」と訓む。「戀管」は640番歌他に既出。「戀」はハ行上二段活用の他動詞「こふ」の連用形で「戀(こ)ひ」。「管」は、活用語の連用形に付いて動作の並行・継続を表わす接続助詞「つつ」に宛てた借訓字。「母」はモ音の常用音仮名で、係助詞「も」。「将有」(669番歌他に既出)は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「有(あ)ら」+推量の助動詞「む」(漢文の助字「将」で表記)で「有(あ)らむ」。
 679番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  いな[否]と云(い)はば 強(し)ひめや吾(わ)が背(せ)
  菅(すが)の根(ね)の 念(おも)ひ乱(みだ)れて
  戀(こ)ひつつも有(あ)らむ

  いやだとおっしゃるなら 無理強いなどしましょうか あなた
  (菅の根の)思い乱れながらも 
  いつまでも恋しく思い続けていましょう

[参考]阿蘇『萬葉集全歌講義』は「中臣女郎贈大伴宿祢家持歌五首」の【歌意】として、次のように述べている。

 中臣女郎の父は不明であるが、集中には、中臣朝臣東人(意美麻呂の子)、同清麻呂(上に同じ)、同宅守(東人の子)、同武良自(意美麻呂の孫、父は広見か)などがおり、意美麻呂の孫の世代に家持に相聞歌を贈る女性がいてもおかしくない。内容から、家持との関係は深いとも見えないが、家持が相聞歌を贈ったことがあったのであろう。枕詞が四例、序詞が二例、修辞に心を用いて詠んでいる。六七八の「命に向ふ我が恋やまめ」は、強い表現であるが、巻十二・二八八三、二九七九に同一もしくは類似の表現があり、先行歌に通じてもいたのであろう。六七九の「いなと言はば 強ひめや我が背」と言いつつ、「菅の根の 思ひ乱れて 恋ひつつもあらむ」と叙するなど、消極的のようでいて、「君には逢はむ 年は経ぬとも」と変わりない執着心の表明になっている。
 ※外目(よそめ)にも君が姿を見てばこそ我(あ)が恋止(や)まめ命死なずは(12・二八八三)
           一に云ふ、命に向ふ我(あ)が恋止(や)まめ
  まそ鏡直目(ただめ)に君を見てばこそ命に向ふ我(あ)が恋止(や)まめ(同・二九七九)

 今年はこれで終了します。来年もよろしくお願いします。
タグ:万葉集
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2015年12月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その940)

 今回は、678番歌を訓む。「中臣女郎贈大伴宿祢家持歌五首」の四首目。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  直相而 見而者耳社 霊剋 命向 吾戀止眼

 1句「直相而」は「直(ただ)に相(あ)[逢]ひて」と訓む。「直」は、形容動詞「ただなり」の連用形(副詞法)で「直(ただ)に」と訓み、「間に介在する物事がなく、直接に。」の意。「相」はハ行四段活用の他動詞「あふ」の連用形で「相(あ)[逢]ひ」。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。
 2句「見而者耳社」は「見(み)てばのみこそ」と訓む。「見」はマ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形「見(み)」。「而」は1句に既出だが、ここでは訓仮名として、完了の助動詞「つ」の未然形の「て」に用いたもの。「者」は、「は」の訓仮名だが、ここは仮定の条件を示す接続助詞「ば」に流用したもの。「耳」は、限定・強意を表わす漢文の助字で、限定を表わす副助詞「のみ」を表す。「社」(674番歌他に既出)は、強い指示を表わす係助詞「こそ」。「社」の字は、「社」(=神社)に祈願することから、願望の意の助詞コソに当てるようになったもの。
 3句「霊剋」は「たまきはる」と訓む。四番歌一句「玉尅春」と表記は異なるが同句。「霊」は「たま、たましい」の意。「剋」は「尅」と同じで、「刻む、切る」の意。「たまきはる」は枕詞で、語義及びかかり方は未詳だが、次のような言葉にかかる。
 (1)「内」にかかる。4番歌はこの例。
 (2)「命(いのち)」にかかる。本歌はこの例。
 (3)「磯(いそ)」「幾世(いくよ)」にかかる。4003番歌に「いくよ」にかかる例がある。
 (4)「世(よ)」「憂(う)き世」にかかる。2398番歌に「世」にかかる例がある。 
 (5)「吾が」「立ち帰る」「心」などにかかる。1912番歌に「吾が」にかかる例がある。 
 「たまきはる」が「命」にかかることについて、賀茂真淵『冠辞考』に「多麻(タマ)は魂(タマ)なり、岐波流(キハル)は極(キハマル)にて、人の生れしより、ながらふる涯(カギリ)を遥にかけていふ語也」とあるのが妥当な説だと思われる。
 4句「命向」は「命(いのち)に向(むか)ふ」と訓む。「命」(599番歌他に既出)は、「継続されるべき、ただし限りのある生の力。生命。また、寿命。」の意で、ここは下に格助詞「に」を補読して「命(いのち)に」と訓む。「向」は、ハ行四段活用の自動詞「むかふ」の連体形「向(むか)ふ」。ここの「むかふ」は「二つのものが肩をならべる。相当する。匹敵する。」ことをいう。「命(いのち)に向(むか)ふ」は「命がけの」と意訳する注釈書が多い。
 5句「吾戀止眼」は「吾(わ)が戀(こひ)止(や)まめ」と訓む。「吾」は格助詞「が」を補読して「吾(わ)が」。「吾(わ)」は自称でこの歌の作者「中臣女郎」をさす。「戀」は、動詞「こふ(戀)」の連用形の名詞化で「戀(こひ)」。「止」はマ行四段活用の自動詞「やむ」の未然形「止(や)ま」。「やむ」は「高まった気持や、病気などがおさまる。」ことをいう。「眼」は「め(乙類)」の訓仮名で、推量の助動詞「む」の已然形「め」。これは、2句の「のみこそ」をうけて「め」と已然形で止めたものであるが、674番歌のところでも述べたように、逆接的な余意を残す用法で、澤瀉『萬葉集注釋』は「(ぢかに逢ふ事以外にこの戀のやむ時はありません)とそこまではつきり云つてるのではないが、さうした餘情をこめて云ひさしたのである。」と述べている。
 678番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  直(ただ)に相(あ)[逢]ひて 見(み)てばのみこそ
  たまきはる 命(いのち)に向(むか)ふ
  吾(わ)が戀(こひ)止(や)まめ

  じかにお逢いして あなたを見たならばこそ
  (たまきはる) 命がけの
  わたしの恋も止むでしょうが……
タグ:万葉集
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2015年12月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その939)

 今回は、677番歌を訓む。「中臣女郎贈大伴宿祢家持歌五首」の三首目。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  春日山 朝居雲乃 欝 不知人尓毛 戀物香聞

 1句「春日山」は「春日山(かすがやま)」と訓む。この句は、584番歌1句と同句。「春日山(かすがやま)」は、奈良市街地東方の春日山・御蓋山・若草山などの総称で、最高峰は、花山(497メートル)。
 2句「朝居雲乃」は「朝(あさ)居(ゐ)る雲(くも)の」と訓む。「朝(あさ)」は、一日をアサ→ヒル→ユフの三区分とした上代の考えでは一日の最初の部分を指し、「あした」とほぼ同じ意味であるが、単独で使われることは少なく、他の語と複合して使われることが多かった。また、「朝さる・朝漕ぐ・朝立つ」など助詞を介さず動詞と直結する例が多く、ここもその一例。「居」はワ行上一段活用の自動詞「ゐる」の連体形で「居(ゐ)る」。「ゐる」は「(かすみ、雲、ちりなど動くことのあるものが)動かないである。ある物の上にとまって存在する。」ことをいう。「居(ゐ)る雲(くも)」は、雲が山にいつもかかっていることを言ったもの。「乃」はノ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、格助詞「の」。
 以上の二句は、次の「おほほしく」を起こす比喩の序詞。
 3句「欝」は「欝(おほほ)しく」と訓む。175番歌3句の「欝悒」を「欝悒(おほほ)しく」と訓んだが、ここは「欝」の一字で「欝(おほほ)しく」と訓む。「欝」は「鬱」の俗字。「おほほし」は、シク活用の形容詞で、「ぼんやりして明らかでない。」「心が悲しみに沈んで晴れない。」などの意。ここはその連用形の「欝(おほほ)しく」で、「ぼんやりとあてもなく」の意。
 4句「不知人尓毛」は「知(し)らぬ人(ひと)にも」と訓む。「不知」(675番歌他に既出)は、ラ行四段活用の他動詞「しる」の未然形「知(し)ら」+打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」(漢文の助字「不」で表記)で「知(し)らぬ」。「知(し)らぬ人(ひと)」は「直接には逢っていない人。姿を見たこともないという意味ではない。」と、阿蘇『萬葉集全歌講義』は注している。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「も」。「にも」は、場所・時・対象・比較の基準など、格助詞「に」の意味に、添加や許容などの「も」の意味が加わったもの。
 5句「戀物香聞」は「戀(こ)ふるものかも」と訓む。この句は、553番歌5句「戀流物可聞」と表記は異なるが同句。「戀」は、ハ行上二段活用の他動詞「こふ」の連体形で「戀(こ)ふる」。「物」は形式名詞「もの」。「香」「聞」は、カ音・モ音の音仮名で、「香聞(かも)」(559番歌他に既出)は、疑問の助詞「か」に詠嘆の助詞「も」を添えた複合形で、詠嘆の終助詞。
 677番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  春日山(かすがやま) 朝(あさ)居(ゐ)る雲(くも)の
  欝(おほほ)しく 知(し)らぬ人(ひと)にも
  戀(こ)ふるものかも

  春日山に 朝かかっている雲のように
  ぼんやりとあてもなく よくも知らない人にさえ
  恋をすることがあるものなのだなあ
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 13:01| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする