2016年03月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1001)

今回は、737番歌を訓む。題詞に「同大嬢贈家持歌二首」とあって、本歌と次歌の738番歌の二首は、大嬢が家持に贈った歌である。「同大嬢」とあるのは、735番歌の題詞に「同坂上大嬢」とあったものを略したもので、その735番歌の「同坂上大嬢」が、729番歌の題詞「大伴坂上大嬢」を略したものであったのと同じ。
 写本に異同はないが、5句の四字目<會>は、諸本には「念」とあるのを『萬葉考』に「會」としたのに従う。このことについて、木下『萬葉集全注』は次のように述べている。 

 アハムの原文は諸本とも「将念」とあるが、これを受けた家持の返歌〔七四〇〕に「言のみを後も相(あはむ)とねもころに我を頼めて」とあり、これに合わせて代匠記は「将合」の誤りとし、考は「将會」の誤りかとした。字形が幾分近い点を採って後者に従う。

 以上により、原文は次の通りとする。

  云々 人者雖云 若狭道乃 後瀬山之 後毛将<會>君

 1句「云々」は「云々(かにかく)に」と訓む。この句は、619番歌13句と同句。「云々」は「かくかくしかじか」という意を持つ漢語で、それを和語の「かにかくに」に転用したもの。「かにかくに」は、副詞「か」「かく」のそれぞれに助詞「に」を付けて重ねた連語で、あり得る事態を観念的、包含的にとらえて、それを指示する。「あれこれと。いろいろと。」の意。
 2句「人者雖云」は「人(ひと)は云(い)ふとも」と訓む。この句と同じ表記が400番歌3句にあり、そこでは「人(ひと)は云(い)へど」と訓んだが、ここは「人(ひと)は云(い)ふとも」と訓む。「人(ひと)」は「世間の人々」の意。「者」は訓仮名で、係助詞「は」。「雖云」は、ハ行四段活用の他動詞「いふ」の終止形「云(い)ふ」+仮定条件を示す接続助詞「とも」(漢文の助字「雖」で表記)で、「云(い)ふとも」。
 3句「若狭道乃」は「若狭道(わかさぢ)の」と訓む。「若狭道(わかさぢ)」は「若狭へ行く道」をいう。「若狭(わかさ)」は「北陸道七か国の一国。大化改新で一国となる。鎌倉時代、津々見忠季らのあとを受けて北条氏が守護となり、南北朝時代は足利氏が統一。江戸初期京極氏が、のち酒井氏が支配。廃藩置県で小浜県となり、敦賀・滋賀県を経て明治一四年(一八八一)福井県南西部となる。若州(じゃくしゅう)。」と『日本国語大辞典』にある。「乃」はノ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 4句「後瀬山之」は「後瀬(のちせ)の山(やま)の」と訓む。「後瀬(のちせ)の山(やま)」は、福井県小浜市中央部の小山で、中世末期、武田氏が山頂に後瀬山城を築いたところから、今は、城山(160メートル)と呼ばれている。「之」は漢文の助字で格助詞「の」。
 3句・4句「若狭道(わかさぢ)の・後瀬(のちせ)の山(やま)の」は、次の「後(のち)にも」を起こす序詞で、同音反復で接続する。
 5句「後毛将會君」は「後(のち)にも會(あ)はむ君(きみ)」と訓む。「後毛」は、699番歌に既出で、格助詞「に」を補読して、「後(のち)にも」と訓む。「後(のち)」は時間的に「ある時よりあと」をいう語で、「今後。将来。これから先。」の意。「毛」は、モ音の常用音仮名で係助詞「も」。「将會」は、ハ行四段活用の自動詞「あふ」の未然形「會(あ)は」+意志・意向の意の助動詞「む」 (「将」で表記)で「會(あ)はむ」。
ここの「君(きみ)」は家持をさす。
 737番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  云々(かにかく)に 人(ひと)は云(い)ふとも
  若狭道(わかさぢ)の 後瀬(のちせ)の山(やま)の 
  後(のち)にも會(あ)はむ君(きみ)

  あれこれと 人は言うでしょうが
  若狭道の 後瀬の山ではないが
  後にも逢いましょうあなた
ラベル:万葉集
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2016年03月30日

『万葉集』を訓(よ)む(その1000)

 今回は、736番歌を訓む。題詞に「又家持和坂上大嬢歌一首」とあって、坂上大嬢から贈られた前歌(735番歌)に対する家持の返歌である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  月夜尓波 門尓出立 夕占問 足卜乎曽為之 行乎欲焉

 1句「月夜尓波」は「月夜(つくよ)には」と訓む。前歌の4句「照(て)れる月夜(つくよ)に」を承けたもの。「月夜(つくよ)」は「月の照りわたった夜」をいう。「尓」はニ音の常用音仮名、「波」はハ音の常用音仮名(平仮名の字源)。「尓波(には)」(541番歌他に既出)は、格助詞「に」に係助詞「は」の付いたもので、場所・時・対象・比較の基準など、格助詞「に」の意味を強調または取りたてて示す。ここの格助詞「に」は時を示す。
 2句「門尓出立」は「門(かど)に出(い)で立(た)ち」と訓む。「門(かど)」は「家の周囲に巡らした、かこいの出入り口。また、家の出入り口。もん。」をいうが、ここは「門の前。また、門に近い庭。門のあたり。門の付近。」の意で用いている。「尓」は1句と同じく格助詞「に」だが、ここは場所を示す。「出立」は、213番歌5句では「出(い)で立(た)ち」という名詞として使われていたが、ここは420番歌の41句や481番歌の32句と同じく、タ行四段活用の自動詞「いでたつ」の連用形で「出(い)で立(た)ち」。「いでたつ」は「ある場所に出て立つ」ことをいう。
 3句「夕占問」は「夕占(ゆふけ)問(と)ひ」と訓む。この句は、420番歌25句「夕衢占問」と表記は異なるが同句。「夕占」は「夕衢占」と同じく「ゆふけ」と訓む。「ゆふけ」は、『萬葉集童蒙抄』に「夕ぐれにちまたに出て、往來の人の言葉につきて吉凶を考ふること」とある意で、後世の「辻うら」という言葉もそういう意味から出たものと思われる。「問」はハ行四段活用の他動詞「とふ」の連用形「問(と)ひ」。「とふ」は、「占(うら)を問ふ」などの形で、「占ってみる。占いの結果をもとめる。」ことをいう。
 4句「足卜乎曽為之」は「足卜(あしうら)をそ為(せ)し」と訓む。「足卜(あしうら)」は、420番歌26句の「石卜(いしうら)」と同様、古代の占い方の一つ。目標を定め、吉凶のことばを交互に繰り返し、目標に達した時のことばで吉凶を占う方法(『正卜考』)とも、一定の距離を歩く歩数が奇数か偶数かで占う、あるいは足音の響きの強弱によって占うともいう(『万葉集辞典』)。なお、「足卜」は「あうら」と訓む注釈書もある。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞の「を」。「曽」ソ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、強い指示を示す係助詞の「そ」。「為」はサ行変格活用の他動詞「す」の未然形で「為(せ)」。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、回想の助動詞「き」の連体形「し」。上の係助詞「そ」の係り結び。
 5句「行乎欲焉」は「行(ゆ)かまくを欲(ほ)り」と訓む。「行」は、カ行四段活用の自動詞「ゆく」の未然形「行(ゆ)か」に推量の助動詞「む」のク語法の「まく」を補読して「行(ゆ)かまく」と訓む。助動詞「む」のク語法の「まく」を補読する既出例としては、704番歌の5句「欲見」を「見(み)まく欲(ほ)り」と訓んだ例などがある。「乎」は四句に同じで、格助詞「を」。「欲」はラ行四段活用の他動詞「ほる」の連用形「欲(ほ)り」。「焉」は漢文の助字で訓まず、詠嘆の心を込めた形である。「行(ゆ)かまくを欲(ほ)り」は「行きたいと思って」の意。
 736番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  月夜(つくよ)には 門(かど)に出(い)で立(た)ち
  夕占(ゆふけ)問(と)ひ 足卜(あしうら)をそ為(せ)し
  行(ゆ)かまくを欲(ほ)り

  月夜には 門口に出て
  夕占を問うたり 足占をしたりしてみました
  あなたの所へ行きたく思って

[参考]阿蘇『萬葉集全歌講義』は、七三五・七三六番歌の贈答歌について次のように述べている。

 七三六に「月夜には」とあるから、月夜でない夜をも含み何日か訪ねない夜が続いた時の贈答歌であろう。おぼろに春霞のたなびく夜、ひとり寝をする辛さを訴えた大嬢の歌に、家持は、月の明るい夜には訪ねたく思っていろいろ占いをしたのだと弁明する。占いの結果がよくなかったので、やむなく訪ねられなかったのだというのだが、単に弁解のために占いを持ち出したので実際に占いをしたわけではない。
 ※言霊(ことだま)の八十(やそ)の衢(ちまた)に夕占問ふ占(うら)まさに告(の)る妹は相寄らむ(11・二五〇六 人麻呂集略体歌)
  玉桙の道行き占(うら)に占へば妹は逢はむと我に告りつも(11・二五〇七 同右)
  月夜よみ門に出て立ち足占して行く時さへや妹に逢はずあらむ(12・三〇〇六 作者不明)
ラベル:万葉集
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2016年03月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その999)

 今回は、735番歌を訓む。題詞に「同坂上大嬢贈家持歌一首」とあり、前の「大伴(おほともの)坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)」の歌三首(729〜731番歌)と同じく、本歌も坂上大嬢が、家持に贈った歌である。「同坂上」の「同」は前の「大伴坂上」の「大伴」を略して「同じ」としたもの。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  春日山 霞多奈引 情具久 照月夜尓 獨鴨念

 1句「春日山」は「春日山(かすがやま)」と訓む。この句は、584・677番歌1句と同句。「春日山(かすがやま)」は、奈良市街地東方の春日山・御蓋山・若草山などの総称で、最高峰は、花山(497メートル)。
 2句「霞多奈引」は「霞(かすみ)たなびき」と訓む。473番歌2句に「多奈引霞[たなびく霞(かすみ)]」とあったが、ここでは「霞(かすみ)」が頭にきており、「多奈引」は、カ行四段活用の自動詞「たなびく」の連用形「たなびき」を表す。「霞(かすみ)」は、動詞「かすむ(霞)」の連用形の名詞化したもので「空気中に広がった微細な水滴やちりが原因で、空や遠景がぼんやりする現象」をいう。「たなびく」は「雲や霞が薄く層をなして横に長く引く」ことをいう。「多」はタ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「奈」はナ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。「引」は「ひき」にあてた借訓字。「たなびく」の語構成を「たな─ひく(引)」と考えると、「引」は正訓字ということになるが、語構成を「た─なびく(靡)」とする説もあるので、借訓字扱いとした。
 3句「情具久」は「情(こころ)ぐく」と訓む。「情」(725番歌他に既出)は、『万葉集』では全て「こころ」と訓まれていること前にも述べた。「具」はグ音の常用音仮名、「久」はク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。「情具久」は、ク活用形容詞「こころぐし」の連用形で「情(こころ)ぐく」と訓む。「こころぐし」は「心が晴れないで悩ましい。せつない。」意。次の「照れる」を修飾するとともに、結句の「獨(ひと)りかもねむ」の心情を修飾している。
 4句「照月夜尓」は「照(て)れる月夜(つくよ)に」と訓む。この句は、565番歌4句「照有月夜尓」と「有」の字は無いが同句。「照」は、ラ行四段活用の自動詞「てる」の已然形(音韻上は命令形)「照(て)れ」に完了の助動詞「り」の連体形「る」(無表記)を補読して「照(て)れる」と訓む。「月夜」は、「由吉能宇倍尓(ユキノウヘニ)天礼流都久欲尓(テレルツクヨニ)」(4134)、「伎欲伎都久欲仁(キヨキツクヨニ)」(4453)などの仮名書き例により、「月夜(つくよ)」と訓む。なお「月夜(つくよ)」には「月や月の光」の意と「月の照りわたった夜」の意とがあるが、ここは後者。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。
 5句「獨鴨念」は「獨(ひと)りかもねむ」と訓む。「獨(ひと)り」(733番歌他に既出)は、男女二人の関係に置いての一人をいう場合が多く、ここもその例。「鴨」は例によって疑問の係助詞「かも」を表すための借訓字。「念」は二音仮名で、ナ行下二段活用の自動詞「ぬ」の未然形「ね[寝]」+意志・意向の助動詞「む」(連体形)=「ねむ」を表す。

 735番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  春日山(かすがやま) 霞(かすみ)たなびき
  情(こころ)ぐく 照(て)れる月夜(つくよ)に
  獨(ひと)りかもねむ

  春日山に 霞がたなびいて 
  晴れやらぬ おぼろ月夜に
  ひとり寝ることでしょうか
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 19:44| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする