2016年04月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その1022)

 今回は、758番歌を訓む。「大伴田村家之大嬢贈妹坂上大嬢歌四首」の三首目。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  白雲之 多奈引山之 高々二 吾念妹乎 将見因毛我母

 1句「白雲之」は「白雲(しらくも)の」と訓む。この句は、668番歌3句と同句。「白雲(しらくも)」は「白い雲。白く見える雲。」をいう。「之」は漢文の助字で、格助詞「の」。
 2句「多奈引山之」は「たなびく山(やま)の」と訓む。「多奈引」は693番歌他に既出。「多」はタ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「奈」はナ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。「多奈引」で以って、カ行四段活用の自動詞「たなびく」の連体形「たなびく」を表す。「たなびく」は「雲や霞が薄く層をなして横に長く引く」ことをいう。ここの「山」は、白雲がたなびいているような高い山。「之」は1句に同じで、格助詞「の」。
 1句・2句「白雲(しらくも)の・たなびく山(やま)の」は次のタカタカを起こす序詞。
 3句「高々二」は「高々(たかたか)に」と訓む。「高々」は、古くはタカダカでなくタカタカと言った。「二」はニ音の音仮名(片仮名の字源)。「高々二」で以って、形容動詞「たかたかなり」の連用形(副詞法)の「高々(たかたか)に」を表す。この句について、木下『萬葉集全注』は「人の訪れ、または帰り来ることをしきりに待ち望む気持ちを表わす副詞。爪先立ち背伸びする動作から言う。」と注し、阿蘇『萬葉集全歌講義』に「ひたすら人を待つ意の形容。『高々に……待つ』(11・二八〇四、12・二九九七ほか)。『高々に君をいませて(待ち望んだ君をお迎えして)』(12・三〇〇五)の用例もある。」と注している。
 4句「吾念妹乎」は「吾(わ)が念(おも)ふ妹(いも)を」と訓む。「吾」は、自称で作者の大伴田村家の大嬢をさし、下に格助詞「が」を補読して「吾(わ)が」と訓む。この「が」は、「念(おも)ふ」にかかるよりも「妹(いも)」にかかるもので、「体言+が+体言」の形で連体助詞のはたらきを保っている。「念」はハ行四段活用の他動詞「おもふ」の連体形で「念(おも)ふ」。この「おもふ」は「慕わしく感じる。恋しがる。愛する。また、大切にする。」ことをいう。「妹(いも)」は作者の異母妹である坂上大嬢をさす。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、動作の対象を示す格助詞「を」。
 5句「将見因毛我母」は「見(み)む因(よし)もがも」と訓む。「将見」(745番歌他に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+推量の助動詞「む」(連体形。漢文の助字「将」で表記)で、「見(み)む」。「因」(708番歌他に既出)は「よし」と訓み、「かかわりを持つための方法。手段。てだて。すべ。」の意。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「我」はガ音の常用音仮名、「母」はモ音の常用音仮名。「毛我母」で以って、願望の終助詞「もがも」を表す。「もがも」(543番歌他に既出)は、願望の意を表す終助詞「もが」に更に詠嘆の終助詞「も」が付いたもの。「もが」については、前にも引用したが『古典基礎語辞典』に次のように解説されている。

 詠嘆の意を表す終助詞モに、疑問の意の係助詞カが付き、連濁したもの。城代でよく使われた願望の意を表す語。
このモガに、さらに詠嘆の意を表す終助詞モの加わったモガモという形(「君が行く道のながてを繰り畳(たた)ね焼きほろぼさむ天の火もがも〔毛我母〕」〈万葉三七二四〉)のほうが上代ではより多く用いられた。
このモガモは、中古に入ると終助詞のモがナに代わるのが一般的だったためすっかりモガナに転じ、モガのほうは万葉調の古風な歌にのみ時々使われるだけになって、圧倒的にモガナの例が多くなる。
モガは、他の詠嘆を表す終助詞や間投助詞が付いて、モガナ、モガモ、モガモナ、モガモヤ、モガモヨなど種々の派生した形で使われることのほうが多い。

 758番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  白雲(しらくも)の たなびく山(やま)の
  高々(たかたか)に 吾(わ)が念(おも)ふ妹(いも)を
  見(み)む因(よし)もがも

  白雲の たなびく山の高いように
  背伸びをして わたしが待ち望んでいるあなたに
  逢うすべはないものでしょうか
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 14:45| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その1021)

 今回は、757番歌を訓む。「大伴田村家之大嬢贈妹坂上大嬢歌四首」の二首目。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  遠有者 和備而毛有乎 里近 有常聞乍 不見之為便奈沙

 1句「遠有者」は「遠(とほ)く有(あ)らば」と訓む。「遠」はク活用形容詞「とほし」の連用形で「遠(とほ)く」。「とほし」は、空間・時間のへだたりが大きいことを言い、ここは「はるかに離れている所に」の意。「有者」(610番歌他に既出)は、「有(あ)れば」とも「有(あ)らば」とも訓めるが、ここは、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形に、仮定条件を示す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」で表記)が付いた形で、「有(あ)らば」と訓む。
 2句「和備而毛有乎」は「わびても有(あ)らむを」と訓む。「和」はワ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「備」はビ(乙類)音の常用音仮名で、「和備」(750番歌他に既出)は、バ行上二段活用の自動詞「わぶ」の連用形「わび」。「わぶ」は「わびしく思う。思いわずらう。気落ちする。」の意。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「も」。接続助詞「て」に係助詞「も」がついた「ても」は、「も」の意味の違いによって、妙な違いがある。「…してさえも。たとえ…してでも。たとえ…しようとも。」などの意。「有」は、1句に同じくラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「有(あ)ら」であるが、ここは推量の助動詞「む」を補読して「有(あ)らむ」と訓む。「乎」は、ヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、逆接の接続助詞「を」。
 3句「里近」は「里(さと)近(ちか)く」と訓む。「里(さと)」は「郷」に同じで、「人家のあつまっている所。人の住まない山間に対して、人の住んでいる所。ひとざと。村落。」をいう。「近」はク活用形容詞「ちかし」の連用形で「近(ちか)く」。「ちかし」は、空間・時間のへだたりがすくないさまを言い、ここは「身近な所に」の意。「近(ちか)く」は「遠(とほ)く」の対義語で、この句は1句と対応している。
 4句「有常聞乍」は「有(あ)りと聞(き)きつつ」と訓む。「有」は、1・2句と同じくラ行変格活用の自動詞「あり」で、ここは終止形「有(あ)り」。「常」は「と(乙類)」の訓仮名で、格助詞「と」。「聞」はカ行四段活用の他動詞「きく」の連用形で「聞(き)き」。「乍」は動作の反復・継続・並行を表わす接続助詞「つつ」に宛てた借訓字。「つつ」には、本来逆接の意があるわけではないが、前後の文脈から「…にもかかわらず」「…ながら」と訳される場合があり、ここはその例。
 5句「不見之為便奈沙」は「見(み)ぬがすべなさ」と訓む。「不見」(745番歌他に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」(漢文の助字「不」で表記)で「見(み)ぬ」。「之」は漢文の助字で、格助詞「が」。「為便」(707番歌他に既出)は、「為」は「す」の訓仮名、「便」はベ(甲類)音の音仮名として使われたもので「すべ」と訓み、「なすべき手だて。そうすればよいというしかた。手段。方法。」の意。「奈」はナ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「沙」はサ音の常用音仮名。「奈沙」は、ク活用形容詞「なし」の語幹に接尾語「さ」がついた「なさ」を表わす。
 この句について、阿蘇『万葉集全歌講義』は「『見ぬが』は、逢わないでいることの、の意。形容詞に接尾語『さ』が付いて体言化したものに続く『が』は、意味の上では主格をあらわす用法に近く、上代だけに見られる用法(『小学館古語大辞典』)。」と注している。
 757番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  遠(とほ)く有(あ)らば わびても有(あ)らむを
  里(さと)近(ちか)く 有(あ)りと聞(き)きつつ
  見(み)ぬがすべなさ

  遠くにいるのなら わびしくてもおられるものですが
  里近くに お住まいと聞いていながら
  逢えないのはたまらないことです
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 21:23| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月27日

『万葉集』を訓(よ)む(その1020)

 今回は、756番歌を訓む。題詞に「大伴田村家之大嬢贈妹坂上大嬢歌四首」とあって、本歌〜759番歌の四首は、「大伴田村家之(おほとものたむらのいへの)大嬢(おほいらつめ)」が異母妹である「坂上(さかのうへの)大嬢(おほいらつめ)」に贈った歌である。両名の父である大伴宿奈麻呂は田村の里に住んで居たので、姉の方は「大伴田村家之(おほとものたむらのいへの)大嬢(おほいらつめ)」といい、妹の方は母の坂上郎女が坂上の里にいたので「坂上(さかのうへの)大嬢(おほいらつめ)」といったもので、両名は異母妹である。そのことは759番歌の左注に詳しく書かれているので、759番歌のところでまた述べる。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  外居而 戀者苦 吾妹子乎 次相見六 事計為与

 1句「外居而」は「外(よそ)に居(ゐ)て」と訓む。この句は726番歌1句と同句。「外」は動作の状態を示す格助詞「に」を補読して、「外(よそ)に」と訓む。「外(よそ)」は「関係や関心がないこと。無縁な存在。」あるいは「離れた所。かけ離れていて、関係のない所。」の意。「居」はワ行上一段活用の自動詞「ゐる」の連用形で「居(ゐ)」。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。「外(よそ)に居(ゐ)て」は「離れていて」の意。木下『萬葉集全注』に「このヨソは、相手坂上大嬢から見て無縁なるべき地域としての田村の里をいう。」とある。
 2句「戀者苦」は「こ’戀ふれば苦(くる)し」と訓む。「戀者」は、ハ行上二段活用の他動詞「こふ」の已然形「こ’戀ふれ」+確定条件を示す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用して表記)で、「こ’戀ふれば」と訓む。「苦」はシク活用形容詞「くるし」の終止形で「苦(くる)し」。「くるし」は「かなわない願いや悲しみ、後悔などで心が痛む。つらい。せつない。」ことをいう。
 阿蘇『萬葉集全歌講義』は「戀者」の訓みについて、「コフルハとも訓まれる。現在恋うている情態であることは共通するが、コフルハは理性的で、コフレバの方が、情感が豊かである。」と述べている。
 3句「吾妹子乎」は「吾妹子(わぎもこ)を」と訓む。44・73番歌の1句と同句。「吾妹子」の「子(こ)」は親愛の意を表わし、「吾妹(わぎも)」は「わがいも」が変化したもの。自分の、妻や恋人である女性、または広く女性を親愛の気持をこめて呼ぶ語。ここは姉が妹に対して用いたもの。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、動作の対象を示す格助詞「を」。
 4句「次相見六」は「次(つ)[継]ぎて相見(あひみ)む」と訓む。「次」は、220番歌11句と同様、ガ行四段活用の自動詞「つぐ」の連用形の「次(つ)ぎ」で、ここは下に接続助詞「て」を補読して「次(つ)[継]ぎて」と訓む。「つぐ」は「時間の経過とともに事柄が続く。継続する。次々につづける。」ことをいう。「相見」は、マ行上一段活用の自動詞「あひみる」の未然形で「相見(あひみ)」。「あひみる」は「互いに相手を見る。顔を合わせる。対面する。また、であう。」ことをいう。「六」は「む」の常用訓仮名で、ここは推量の助動詞「む」(連体形)を表す。
 5句「事計為与」は「事計(ことはか)り為(せ)よ」と訓む。「事計」は「ことはかり」と訓み、「事のはからい。事の運び。はかりごと。計画。工夫。」の意。「為与」は、サ行変格活用の他動詞「する」の命令形で「為(せ)よ」。活用語尾の「よ」をヨ音(乙類)の常用音仮名で片仮名・平仮名の字源である「与」で表記したもの。
 木下『萬葉集全注』はこの句について、次のように注している。

〇事計りせよ 計画を立てよ。「常かくし恋ふれば苦ししましくも心安めむ事計りせよ」(12・二九〇八)にもこの一句がある。逢うための方策だが、この歌のは姉妹間の相聞という点で変わっている。

 756番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  外(よそ)に居(ゐ)て こ’戀ふれば苦(くる)し
  吾妹子(わぎもこ)を 次(つ)[継]ぎて相見(あひみ)む
  事計(ことはか)り為(せ)よ 

  よそに離れていて 恋い慕っているのは苦しいものです 
  あなたに つづけて逢えるような
  工夫をしてください
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 20:37| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする