2016年07月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その1071)

今回から、数回かけて800番歌を訓むことになる。題詞に「令反或情歌一首[并序] 」乃ち「惑(まと)へる情(こころ)を反(かへ)さしむる歌一首[并(あは)せて序(じょ)]」とあって、次の序が記されている。

或有人、知敬父母、忘於侍養、不顧妻子、軽於脱屣、自称倍俗先生。意氣雖揚青雲之上、身體猶在塵俗之中。未驗修行得道之聖、蓋是亡命山澤之民。所以指示三綱、更開五教、遣之以歌、令反其或。歌曰、

 『新編日本古典文学全集』による、この序の訓み下し文と口語訳は次の通り。

 或(ある)人、父母を敬(うやま)ふことを知りて、侍養(じやう)することを忘れ、妻子を顧(かへり)みずして、脱屣(だつし)よりも軽(いるかせ)にし、 自(みづか)ら倍俗先生(ばいぞくせんせい)と称(なづ)く。意気は青雲の上に揚(あ)がれども、身体は猶(なほ)し塵俗(ぢんぞく)の中(うち)に在り。未(いま)だ得道(とくだう)に修行(しゆぎやう)せる聖(ひじり)に験(しるし)あらず、蓋(けだ)しこれ山沢(さんたく)に亡命(ばうめい)する民ならむか。所以(このゆゑ)に三綱(さんかう)を指示(およびさ)し、五教(ごけう)を更(あらた)め開(と)き、遣(おく)るに歌を以(もち)てし、その惑(まと)ひを反(かへ)さしむ。歌に曰(いは)く、
  
 ある人がいて、父母を尊敬することは知っているが、孝養(こうよう)を尽くそうとせず、妻子のことは考えないで、あたかも脱ぎ捨てた履物(はきもの)よりもこれを軽(かろ)んじ、倍俗先生(ばいぞくせんせい)と自称している。盛んな意気は空の青雲の上にも上(のぼ)らんばかりだが、自分自身は相変らず世の塵(ちり)の中にいる。仏道修行を積んだ聖者(しようじや)というべき証拠(しょうこ)もなく、山沢(さんたく)に亡命(ぼうめい)した民とはこんな人のことか。そこで三綱(さんこう)を示し、五教(ごきよう)をさらに説くべく、こんな歌を遣(おく)り、その迷いを直させることにする。その歌というのは、

 なお、「倍俗先生(ばいぞくせんせい)」「山沢(さんたく)に亡命する」「三綱(さんこう)」「五教(ごきよう)」については、頭注で次のように解説している。
「倍俗先生(ばいぞくせんせい)」 世俗に背を向けた隠遁者。「倍」は背く意。この「先生」は敬称だが、皮肉をこめた表現。
「山沢(さんたく)に亡命する」 「亡命」は「亡名」に同じく、名籍(戸籍)を脱すること。「亡命山沢」の語は「賊盗律」四条に見え、課役を忌避して人気のない深山沼沢に逃れ、国司の召喚にも応じない者は謀反の罪に当て、絞首刑に処する、とある。
「三綱(さんこう)」 君臣・父子・夫婦の道。「綱」は綱常。
「五教(ごきよう)」 「五常」とも。父は義、母は慈、兄は友、弟は順、子は孝、という人間の実践すべき五つの道をいう。「戸令」に国守の任務を列挙し、その中の一つに、部内の民衆に五教を説き聞かせるべきことが記されている。

 以上の序を受けて詠われた800番歌は、三十一句からなる長歌で、反歌一首(801番歌)を伴う。
 写本の異同としては、7句の二字目<智>が『西本願寺本』には無いことが挙げられるが、ただ『西本願寺本』も、一字目「母」の下に○印をつけ、その右に「智」を記している。原文は次の通り。

 父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 
 余能奈迦波 加久叙許等和理 母<智>騰利乃 可可良波志母与
 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 
 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢
 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周
 許能提羅周 日月能斯多波 阿麻久毛能 牟迦夫周伎波美
 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙
 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦

 1句・2句「父母乎・美礼婆多布斗斯」は「父母(ちちはは)を・みればたふとし」と訓む。「父母」は「ちちはは」で「男親と女親。両親。」をいう。「ちちはわ」と言った時代もあった。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。「美礼婆」は、上一段活用の他動詞「みる」の已然形「みれ(見れ)」+順接の確定条件を示す接続助詞「ば」の「みれば(見れば)」を表す。「美」はミ(甲類)音の常用音仮名(平仮名の字源)、「礼」はレ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「婆」はバ音の常用音仮名。「多布斗斯」は、ク活用形容詞「たふとし(尊し)」を表し、「高貴である。品位が高くすぐれている。すぐれて価値がある。あがめ重んずべきである。大切である。」ことをいう。「多」はタ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「布」ははフ音の常用音仮名、「斗」はト(甲類)音の音仮名、「斯」はシ音の常用音仮名。
 3句・4句「妻子見礼婆・米具斯宇都久志」は「妻子(めこ)見(み)れば・めぐしうつくし」と訓む。「妻子」は「めこ」と訓み、「妻と子」をいう。「見礼婆」は2句の「美礼婆」と同意で、上一段活用の他動詞「みる」の已然形「見(み)れ」+順接の確定条件を示す接続助詞「ば」の「見(み)れば」。「米具斯」は、ク活用形容詞「めぐし」で、「いとおしい。かわいい。かわいらしい。」の意。「米」はメ(乙類)音の常用音仮名、「具」はグ音の常用音仮名、「斯」は2句にも既出のシ音の常用音仮名。「宇都久志」はシク活用形容詞「うつくし」で、「めぐし」とほぼ同意で「かわいい。いとしい。愛らしい。」(古くは、妻、子、孫、老母などの肉親に対するいつくしみをこめた愛情についていったが、次第に意味が広がって、一般に慈愛の心についていう)。「宇」はウ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「都」はツ音の常用音仮名、「久」はク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「志」はシ音の常用音仮名。
 5句以降は次回に続く。
タグ:万葉集
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2016年07月25日

『万葉集』を訓(よ)む(その1070)

 今回は、799番歌を訓む。先の長歌「日本挽歌」(794四番歌)の反歌五首目である。
 写本の異同としては、2句の五字目<和>が『西本願寺本』には無いことが挙げられるが、ただ『西本願寺本』も、四字目「知」の下に○印をつけ、その右に「和」を小文字で記している。原文は次の通り。

  大野山 紀利多知<和>多流 和何那宜久 於伎蘇乃可是尓 紀利多知和多流

 この歌は、地名の「大野山」を除き、他は全て一字一音の仮名書きで表記されているので、まず使われている万葉仮名について順に見ておこう。
 「紀」はキ(乙類)音の常用音仮名、「利」はリ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「多」はタ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「知」はチ音の常用音仮名(平仮名の字源)、「和」はワ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「流」はル音の常用音仮名(片仮名の字源)、「何」はガ音の音仮名、「那」はナ音の常用音仮名、「宜」はゲ(乙類)音の音仮名、「久」はク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「於」はオ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「伎」はキ(甲類)音の常用音仮名、「蘇」はソ(甲類)音の常用音仮名、「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「可」はカ音の常用音仮名、「是」はゼ音の常用音仮名、「尓」はニ音の常用音仮名。

 1句「大野山」は「大野山(おほのやま)」と訓む。「大野山」は福岡県大野城市・糟屋郡宇美町・太宰府市にまたがる四王寺山(410メートル)をいう。大宰府の北方に位置し、大宰府防備のための山城が築かれたことが、『日本書紀』天智四年(665年)秋八月の条に「達率憶禮福留(だちそちおくらいふくる)・達率四比福夫(だちそちしひふくぶ)を筑紫國に遣して大野及椽の二城を築かしむ。」と記されている。大城山(おおきのやま)とも呼ばれた(1474番歌他)。
 2句「紀利多知和多流」は「きりたちわたる」と訓む。「紀利」は「きり(霧)」。「霧(きり)」(429番歌他に既出)は、動詞「きる」の連用形の名詞化した語で、「空気中の水蒸気が凝結して細かい水滴となり、地表近くの大気中に煙のようになっている自然現象」をいう。「多知和多流」は、ラ行四段活用の自動詞「たちわたる(立渡)」で、「雲、霧などが立って一面におおう。一面にかかる。」ことをいう。
 3句「和何那宜久」は「わがなげく」と訓む。「和」は自称の「わ(吾)」「何」は格助詞「が」。「那宜久」はカ行四段活用の自動詞「なげく(嘆)」(連体形)で、「気持が満たされないで、ため息をつく。嘆息する。」ことをいう。
 4句「於伎蘇乃可是尓」は「おきそのかぜに」と訓む。「於伎蘇」は「おきそ(息嘯)」。「おきそ」の「おき」は息で、「そ」は口をすぼめて息を出す意の「うそ(嘯)」の「そ」と同語源と言われ、「おきそ」は「ため息をつくこと」の意。「乃」は連体助詞「の」。「可是」は「かぜ(風)」。「尓」は格助詞「に」。
 5句「紀利多知和多流」は「きりたちわたる」と訓む。2句の繰り返し。
 4句・5句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように述べている。

 おきその風に霧立ちわたる オキソは、息吹(いぶき)。オキウソの約。オキは、息(いき)に同じ。ウソは、「うそぶく(口をつぼめて息を吐くこと)」の「うそ」といわれる。ここは、嘆いて長く吐く息を「おきその風」といったもの。「息吹(いぶき)」を霧や風にあらわす例は少なくない。
 乃ち吹き撥(はら)ふ気(いき)、神に化為(な)る。号(なづ)けて級長戸辺命(しなとべのみこと)と曰(まを)す。亦は級長津彦命(しなつひこのみこと)と曰(まを)す。是(これ)風神(かぜのかみ)なり。(神代紀第五段一書第六)。
 吹き棄(う)つるいぶきの狭霧(さぎり)に生(な)りませる神、号(なづ)けて正哉吾勝勝速日(まさかあかつかちはやひ)天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)とまをす(神代紀第六段本文)。
 君が行く海辺の宿に霧立たばあが立ち嘆く息と知りませ  (15・三五八〇)
 秋さらば相見むものを何しかも霧に立つべく嘆きしまさむ (15・三五八一)
 わが故に妹嘆くらし風早の浦の沖辺に霧たなびけり    (15・三六一五)
 沖つ風いたく吹きせば吾妹子が嘆きの霧に飽かましものを (15・三六一六)
  
 799番歌のひらかな文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  おほのやま きりたちわたる
  わがなげく おきそのかぜに
  きりたちわたる

  大野山 霧立ち渡る
  吾が嘆く 息嘯の風に
  霧立ちわたる
 
  大野山に 霧が一面に立ちこめている
  私の嘆きの 吐息の風で
  霧が一面に立ちこめている
タグ:万葉集
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2016年07月22日

『万葉集』を訓(よ)む(その1069)

 今回は、798番歌を訓む。先の長歌「日本挽歌」(794番歌、以下「長歌」という)の反歌四首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯
  和何那久那美多 伊摩陀飛那久尓

 この歌も前の反歌三首(795・796・797番歌)と同様、全て一字一音の仮名書きで表記されているので、まず使われている万葉仮名について、順に見ておく。
 「伊」はイ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「何」はガ音の音仮名、「美」はミ(甲類)音の常用音仮名(平仮名の字源)、「斯」はシ音の常用音仮名、「阿」はア音の常用音仮名(片仮名の字源)、「布」はフ音の常用音仮名、「知」はチ音の常用音仮名(平仮名の字源)、「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「波」はハ音の常用音仮名(平仮名の字源)、「那」はナ音の常用音仮名、「利」はリ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「奴」はヌ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「倍」はベ(乙類)音の常用音仮名、「和」はワ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「久」はク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「多」はタ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「摩」はマ音の音仮名、「陀」はダ音の常用音仮名、「飛」はヒ(乙類)音の音仮名、「尓」はニ音の常用音仮名。
 1句「伊毛何美斯」は「いもがみし」と訓む。この句は家持作の469番歌1句「妹之見師」と表記は異なるが同句。「伊毛」は「長歌」22句及び反歌二首目(796番歌)4句と同じく「いも(妹)」を表す。「何」は格助詞「が」。「美斯」は、マ行上一段活用の他動詞「みる(見)」の連用形「み」+回想の助動詞「き」の連体形「し」で、「み(見)し」。
 2句「阿布知乃波那波」は「あふちのはなは」と訓む。「阿布知」は、植物「栴檀(せんだん)」の古名「あふち(おうち)【楝】」で、センダン科の落葉高木。初夏に淡紫色の花をつける。「乃」は連体助詞「の」。「波那」は「はな(花)」。「波」は係助詞「は」。
 3句「知利奴倍斯」は「ちりぬべし」と訓む。「知利奴」は、ラ行四段活用の自動詞「ちる(散)」の連用形で、「ち(散)り」+完了の助動詞「ぬ」で、「ち(散)りぬ」。「倍斯」は、反歌一首目(795番歌)5句に既出で、推量・可能・当然の助動詞「べし」。
 4句「和何那久那美多」は「わがなくなみた」と訓む。この句も1句と同じく、家持作の469番歌4句「吾泣涙」と表記は異なるが同句。「和」は自称の「わ(吾)」「何」は1句と同じく、格助詞「が」。「那久」はカ行四段活用の自動詞「なく(泣)」の連体形で「な(泣)く」。「なく」は「人が、精神や肉体への刺激にたえかねて、声を出し、また涙を流す。」ことをいう。「那美多」は「なみた(涙)」。現代と違い、上代で「なみた」とタが清音であったことが、ここの仮名書きによってわかる。
 5句「伊摩陀飛那久尓」は「いまだひなくに」と訓む。この句もまた、469番歌5句「未干尓」と表記は異なるが同句。「伊摩陀」は「長歌」8句に既出で、副詞「いまだ」を表す。「飛那久」は、ハ行上二段活用の自動詞「ふ(干)」の未然形「ひ(干)」+打消しの助動詞「ず」のク語法すなわち連体形「ぬ」に形式体言「あく」が付いた「ぬあく」の約まった「なく」で、「ひ(干)なく」。「ふ(干)」は「水分が蒸発してなくなる。かわく。からびる。ひあがる。」ことをいう。なお「ふ(干)」は後に活用が上一段化して「干る」になる。「尓」はニ音の常用音仮名で格助詞「に」。ク語法に「に」を添えたものを結句としている場合は、詠嘆や何らかの余情を添える効果を意図しているものが多く、ここもその例。
 798番歌のひらかな文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  いもがみし あふちのはなは ちりぬべし
  わがなくなみた いまだひなくに

  妹が見し 楝の花は 散りぬべし
  吾が泣く涙 いまだ干なくに

  妻が見た 楝の花は もう散ってしまうに違いない
  私の涙は まだ乾かないのに
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 08:38| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする