2016年08月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1078)

 今回は802番歌の7句からを訓む。
 7句「麻奈迦比尓」は「まなかひに」と訓む。「麻奈迦比」は、「眼(ま)な交(か)い」の意で、「目と目の間。転じて、目の前。まのあたり。」をいう。「尓」は格助詞「に」。
 8句「母等奈可可利提」は「もとなかかりて」と訓む。「母等奈」は、723番歌他に「本名」の表記で既出の副詞「もとな」。「もとな」の「もと」は、根元・根拠の意、「な」は形容詞「無し」の語幹で、「もとな」は「やたらに。むやみに。無性に。」の意。「可可利」は、ラ行四段活用の自動詞「かかる(懸かる)」の連用形「かかり」。「かかる」は「人の心や目などにとまる」ことをいう。「提」は接続助詞「て」。
 9句「夜周伊斯奈佐農」は「やすいしなさぬ」と訓む。「夜周伊」は「やすい(安眠)」で、「心安らかに眠ること。落ち着いて眠ること。安眠。」の意。「斯」は副助詞「し」。「奈佐農」は、サ行四段活用の自動詞「なす(寝す)」の未然形「なさ」+打消の助動詞「ぬ」=「なさぬ」。この句についても、井村『萬葉集全注』の注が詳しいので引用しておく。

〇安眠(やすい)し寝(な)さぬ 原文「夜周伊斯奈佐農」とある。全註釈は、寝(な)スは、「遠登売能那須夜伊多斗遠(ヲトメノナスヤイタドヲ)」(記・二)と同じ、寝ルの敬語として、子どもの動作と見ている。ただし子どもの動作に敬語を使うのは何と言っても変であるとして、一案として、ナサヌは成サヌで、安眠をしない、子どもが安らかに眠らないの義とも解している。しかし、安眠しないのはやはり子供を思う親の方であろう。注釈は、有坂秀世説(『国語音韻史の研究』)を引いて、クル(暮)に対するクラス、ヌル(濡)に対するヌラスなどと同様に、ヌ(寝)という自動下二段動詞に対して他動四段の「寝(な)す」という動詞があったと考えられるとしている。子供のことが気に懸かって、安らかな眠りを眠らせてくれないの意である。寝ヌのヌは、注釈に打消の助動詞ズの「な、に、ぬ、ぬ、ね」と活用した終止形が滅んで用いられなくなったのを用いたのではないかとしている。詠歎強調的な連体止めとも考えられる。「モシ能ク永ク、一切ノ諸(もろもろ)ノ煩悩ヲ断ジ、染三界(ぜんさんがい)ヲ貪(むさぼ)ラザル有ラバ、及(すなは)チ安穏(あんおん)ニ眠ルコトヲ得ム」(涅槃経梵行品(ぼんぎようほん))。「子有リ財(たから)有リトテ愚ハ惟汲汲タリ。我(が)ハ且(かつ)我ニ非ズ。如(いか)ンガ子ト財トヲ憂ヘンヤ」(法句経(ほつぐぎよう)愚闇品(ぐあんぼん))。

 802番歌ひらかな文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  うりはめば こどもおもほゆ
  くりはめば ましてしぬはゆ
  いづくより きたりしものそ 
  まかなひに もとなかかりて
  やすいしなさぬ

  瓜食めば 子ども思ほゆ
  栗食めば まして偲はゆ
  何処より 来りしものそ
  眼交に もとな懸かりて
  安眠し寝さぬ 

  瓜を食べると 子どものことが思われる 
  栗を食べると なおさらに偲ばれる
  子どもはどういう宿縁でどこから 生まれて来たのか
  その面影が目の前に むやみにちらついて
  安らかに眠らせてくれない
ラベル:万葉集
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2016年08月30日

『万葉集』を訓(よ)む(その1077)

 前回、802番歌に使われている万葉仮名について説明したところで終わったので、今回はそれを踏まえて、802番歌の1句からを訓む。

 1句「宇利波米婆」は「うりはめば」と訓む。「宇利」は「うり(瓜)」。『日本大百科全書』は「瓜」の文化史として次のように述べている。

アフリカやインドが原産とされるウリは、古代エジプトの寺院の壁画に供物として描かれ、紀元前10世紀以前から食用にされていた。中国には漢以前に伝わり、『詩経』や『礼記(らいき)』に瓜の名がみえる。長沙馬王堆(ちょうさまおうたい)の漢墓の女性のミイラ(前175〜前143年埋葬)の腹からは、種子が発見されている。日本には紀元前に渡来し、弥生(やよい)時代前期の遺跡からやはり種子が出土している。ウリの種類は多いが、『古事記』や『日本書紀』『万葉集』に出るのはマクワウリである。
[湯浅浩史]

「波米」は、マ行四段活用の他動詞「はむ(食)」の已然形「はめ」を表す。「はむ」は「食物などを口に入れてかむ。かんで飲みこむ。くう。たべる。」ことをいう。「婆」は確定条件を示す接続助詞「ば」。
 2句「胡藤母意母保由」は「こどもおもほゆ」と訓む。「胡藤母」は「こども(子ども)」。「ども」は複数を表す接尾語。「意母保由」は、795番歌5句の「於母保由」と同じで、ハ行四段活用の他動詞「おもふ」の未然形「おもは」+自発の助動詞「ゆ」=「おもはゆ」の「は」が前の母音に引かれてホ「ほ」に転じて、「おもほゆ(思ほゆ)」となったもの。漢字表記では「所念」の表記で、433番歌他に既出。
 3句「久利波米婆」は「くりはめば」と訓む。「久利」は「くり(栗)」。「波米婆」は1句に同じ。なお、「栗」について、阿蘇『万葉集全歌講義』の注が興味深いので引用しておく。

 栗 当時、一升(今日の約四合)が約八文(米は五文)で、果物中最高価格の部類に属する。正倉院文書十三「二百四十文 生栗 三斗直」。栗は、縄文遺跡からの出土例もあり、食習は古く、弥生遺跡でも唐古、千種、登呂、韮山などから、また平出からも出土しており、平城宮跡からも果実とその破片が発掘され、盛んに食用とした跡がみられる、という。(関根真隆『奈良朝食生活の研究』)。大日本古文書にも、「栗(栗子)」「生栗(生栗子)」「干栗(干栗子)」の用例は多く、「搗栗(搗栗子)」の例もある。東茂美氏『山上憶良の研究』は、本歌の栗について、中国でかなりの広域にわたって、「栗と棗が婚儀と子孕みの風俗の中でしきりに用いられていること」に関連しており、「子どもが顕ってきた原点にたちもどりつつ発想されたにほかならない」としているが、日本国内で古くから食用とされているのであれば、特に中国の婚儀に用いる栗に発想の由来を求めるまでもないのではないかと思われる。陶淵明の九歳になるのに間もないという通が梨と栗とを欲しがってばかりいるのと同じように、大人になっても美味と思われる栗が、子供に好物であって不思議ではない。持統七年(六九三)三月十七日の詔では、「桑・紵(からむし)・梨・栗・蕪青(かぶらな)など」を植えることを奨励している。五穀の助けとするためという。

 4句「麻斯提斯農波由」は「ましてしぬはゆ」と訓む。「麻斯提」は、副詞の「まして」を表す。「まして」は、動詞「ます(増)」の連用形に助詞「て」が付いてできたもので、先行する状態よりも程度のはなはだしいさまを表わす語。「それ以上に。他のものよりもひどく。今までよりも強く。いっそう。」の意。「斯農波由」は、動詞「しぬふ(偲)」の未然形に、助動詞「ゆ」の付いたもので、「しぬはゆ」。井村『萬葉集全注』に次のようにある。

 〇偲(しぬ)はゆ シヌフはシノフの古語かと言われる。注釈に、「結句の『奈佐農(ナサヌ)』と共にこの作者の古語使用癖の一つと見られようか」とある。

 5句「伊豆久欲利」は「いづくより」と訓む。「伊豆久」は、場所に関する不定称の「いづく」。漢字表記では、695番歌他に「何處」として既出。「欲利」は、動作の経由地・起点を表す格助詞「より」。
 6句「枳多利斯物能曽」は「きたりしものそ」と訓む。「枳多利」は、ラ行四段活用の自動詞「きた(来)る」の連用形「きたり」。「きたる」は「き(来)いた(至)る」の変化した語という。「斯」は回想の助動詞「き」の連体形「し」。「物能」は、用言の連体形を受けて、それを一つの概念として体言化する形式名詞の「もの」。「曽」は強く指示・指定する意を表す終助詞「そ」(のちに「ぞ」と濁音化する)。
 5句・6句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「いづくより来りしものそ どのような宿縁で私の子どもとしてこの世に生れてきたのだろう。」と注している。なお、この5句・6句については井村『萬葉集全注』が詳しい注をつけているので後に[参考]として引用しておく。
 7句以降は、次回に続く。

[参考]井村『萬葉集全注』より

 〇何処(いづく)より来りしものぞ 代匠記初稿本に、「これにふたつの心あるべし。一には、いかなる過去の宿縁にて、わが子とむまれしものぞといふ心なり。二には筑紫にて、都に留めをける子どもを、瓜をはみ栗をはむにも、さらぬ時もおもかげにみゆるをいへり」と両解を示して以来、諸注はいずれかによるが、前者の宿縁説によるべきであろう。子の存在、また親子の縁の不思議をいぶかる言葉である。「身ト命ト自在ノ作ナリヤ……父母ノ作ナリヤ……何処(いづく)ヨリ来(きた)ルヤ、去リテ何処ニ至ルヤ……是(かく)ノ如キノ疑見、無量ノ煩悩、衆生心ヲ覆フ」(涅槃経(ねはんぎよう)高貴徳王(こうきとくおう)菩薩品(ぼさつほん))、続遍照発揮性霊集補闕抄に、「知ラズ何(いづれ)ノ処ヨリカ忽チニ来去(らいこ)スル、此ハ是レ因縁所生ノ状(かたち)ナリ」、方丈記に「知らず、生れ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る」とあるのも同じ考え。この疑見によって「我が子なり、わが持てる宝なり」と有相(うそう)に執着する煩悩も生ずる。一方この無知を脱することによって、無所有無所得の安心も生れるわけである。芳賀紀雄氏(「憶良―死と愛―」国文学昭和四九年五月)もまた、十住(じゆうじゆう)毘婆沙(びばしや)論知家過患品(ろんちけかげんぼん)の言葉、「子余処ヨリ来ル。我亦余処ヨリ来ル。子異処ニ至ル。我異処ニ去ル。我彼ノ去ル処ヲ知ラズ。彼我ノ去ル処ヲ知ラズ。彼我ノ来ル処ヲ知ラズ。我彼ノ来ル処ヲ知ラズ。是子我所有ニ非ズ。何スレゾ故無クシテ横(ほしいまま)ニ愛縛(あいばく)ヲ生ゼン。……」という適切な例文を示している。
ラベル:万葉集
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2016年08月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その1076)

 今回は、802番歌を訓む。題詞に「思子等歌一首[并序]」乃ち「子等(こら)を思(おも)ふ歌一首[并(あは)せて序(じょ)]」とあって、次の序が記されている。

 釋迦如来、金口正説、等思衆生、如羅睺羅。又説、愛無過子。至極大聖、尚有愛子之心。況乎世間蒼生、誰不愛子乎。

『新編日本古典文学全集』による、この序の訓み下し文と口語訳は次の通り。

 釋迦(しやか)如来(によらい)、金口(こんく)に正(まさ)しく説(と)きたまはく、「衆生(しゆじやう)を等(ひと)しく思ふこと、羅睺羅(らごら)のごとし」と。また説きたまはく、「愛するは子に過ぎたりといふことなし」と。至極(しごく)の大聖すらに、なほし子を愛したまふ心あり。況(いはむ)や、世間(よのなか)の蒼生(あをひとくさ)、誰(たれ)か子を愛せざらめや。

 釋迦(しやか)如来(によらい)が正(まさ)に金口(きんこう)でお説きになったことには、「衆生(しゆじやう)を平等(びようどう)に思うことは、わが子羅睺羅(らごら)を思うのと同じだ」と。また、お説きになったことには、「愛故の迷いは子に優(まさ)るものはない」と。釈迦のような無上の大聖人でさえ、やはり子に愛着する心がおありなのだ。まして、世間一般の人々で、誰が子故の闇に迷わずにいられようか。

なお、『新編日本古典文学全集』のこの序の語句についての頭注を参考までに記しておくと、
 一.如来(によらい) 仏の称号。『文選』頭陀寺碑文の李善注に「如来ハ仏号」とある。
 二.金口(こんく) 仏には三十二相と称する特殊な瑞相が具っているといわれ、その一つに身金色相というのがある。金身である釈迦はその口も金色であったとしてこういった。
 三.羅睺羅(らごら) 釈迦が在俗当時にもうけた一子の名。『金光明最勝王経』如来寿量品に「衆生ヲ普ク観、愛ノ偏党ナキコト羅怙羅(らごら)ノ如シ」とあり、また『大涅槃経』寿命品にも「衆生ヲ等シク視ルコト羅睺羅(らごら)ノ如シ」などと見える。
 四.「愛するは子に過ぎたりといふことなし」 『雑阿含経(ぞうあごんきよう)』巻三十六に見える某王の言「愛スル所子ニ過ギタリトイフコト無シ」による。憶良はそれを釈迦の言と曲解している。なお、愛は仏教思想では執着、対象への惑溺を意味し、愛欲をはじめとしてそれ自体罪悪であり、煩悩の一つと考えられていた。
 五.蒼生(あをひとくさ) 人民の繁殖力が盛んなことを青草にたとえた。「神代紀」に「顕見蒼生」(訓注「ウツシキアヲヒクサ」)。

 以上の序を持つ802番歌は、九句からなる短い長歌で、反歌一首(803番歌)を伴っている。
 写本の異同としては、『西本願寺本』が、1句三字目<波>を「婆」とし、四・五字目<米婆>を脱字していることが挙げられる。『紀州本』『細井本』『温故堂本』によって、1句は「宇利<波><米婆>」とした。なお、『西本願寺本』も「婆」の下に◯をつけて、右に「米婆」と書いている。原文は次の通り。

  宇利<波><米婆> 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由
  伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提
  夜周伊斯奈佐農

 この歌も、一字一音の仮名書きで書かれているので、まず使われている万葉仮名をアイウエオ順に見ておこう。
 「伊」はイ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「宇」はウ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「意」はオ音の常用音仮名、「迦」はカ音の音仮名、「可」はカ音の常用音仮名、「枳」はキ(甲類)音の音仮名、「久」はク音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「胡」はコ(甲類)音の音仮名、「佐」はサ音の常用音仮名、「斯」はシ音の常用音仮名、「周」はス音の音仮名、「曽」はソ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「多」はタ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「豆」はヅ音の常用音仮名、「提」はテ音の準常用音仮名、「等」はト(乙類)音の常用音仮名、「藤」はド(乙類)音の音仮名、「奈」はナ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「尓」はニ音の常用音仮名、「農」はヌ音の音仮名、「能」はノ(乙類)音の常用音仮名、「波」はハ音の常用音仮名(平仮名の字源)、「婆」はバ音の常用音仮名、「比」はヒ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「保」はホ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「麻」はマ音の常用音仮名、「米」はメ(乙類)音の常用音仮名、「母」はモ音の常用音仮名、「物」はモ音の音仮名、「夜」はヤ音の常用音仮名、「由」はユ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「欲」はヨ(甲類)音の常用音仮名、「利」はリ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。
 次回に続く。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 11:58| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする