2016年12月21日

『万葉集』を訓(よ)む(その1118)

 今回は、829番歌を訓む。「梅花歌卅二首」の十五首目。作者は「藥師(くすりし)張氏福子(ちやうしのふくし)」。作者について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように述べている。

 薬師張氏福子 薬師は、大宰府所属の医師。定員二名。正八位上相当官。張氏福子は、武智麻呂伝に見える方士張福子であろう。方士は、不老不死の術や占い・医術などを行う人。

写本の異同としては、3句の四字目・五字目<婆那>を『西本願寺本』では「波奈」としていることが挙げられる。『類聚古集』『紀州本』『細井本』に「婆那」とあるのを採る。原文は次の通り。

  烏梅能波奈 佐企弖知理奈波
  佐久良<婆那> 都伎弖佐久倍久 
  奈利尓弖阿良受也        [藥師張氏福子]  

 まず、本歌で使われている万葉仮名を見ておこう。片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ク音の「久」・ナ音の「奈」・ヤ音の「也」・ラ音の「良」・リ音の「利」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」が、そして平仮名の字源となった常用音仮名では、チ音の「知」・ハ音の「波」が使われている。その他の常用音仮名としては、ギ(甲類)音の「伎」・サ音の「佐」・ズ音の「受」・ツ音の「都」・テ音の「弖」・ナ音の「那」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・バ音の「婆」・ベ(乙類)音の「倍」・リ音の「理」が使われ、音仮名では、ウ音の「烏」・キ(甲類)音の「企」・メ(乙類)音の「梅」が使われている。

 1句「烏梅能波奈」は「うめのはな」と訓む。この句は、825番歌の1句などと同句。「烏梅」は「うめ(梅)」。「能」は、連体助詞「の」。「波奈」は「はな(花)」。
 2句「佐企弖知理奈波」は「さきてちりなば」と訓む。「佐企」は、カ行四段活用の自動詞「さく(咲く)」の連用形「さき」。「弖」は接続助詞「て」。「知理」は、ラ行四段活用の自動詞「ちる(散る)」の連用形「ちり」。「奈」は完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」。「波」はハ音の常用仮名であるが、ここではバ音の音仮名として、仮定の条件を示す接続助詞「ば」を表すのに用いている。「ちりなば」は「散ってしまったら」の意。
 3句「佐久良婆那」は「さくらばな」と訓む。「佐久良」は「さくら(桜)」。「婆那」は、「はな(花)」が連濁して「ばな」となったもの。
 4句「都伎弖佐久倍久」は「つぎてさくべく」と訓む。「都伎」は、ガ行四段活用の自動詞「つぐ(継ぐ)」の連用形「つぎ」。「つぐ」は「前にあるものの後に続く」ことを言う。「弖」は2句に同じで、接続助詞「て」。「佐久」は、2句に既出のカ行四段活用の自動詞「さく(咲く)」(終止形)。「倍久」は、当然・必然の意を示す助動詞「べし」の連用形「べく」を表す。
 5句「奈利尓弖阿良受也」は「なりにてあらずや」と訓む。「奈利」は、ラ行四段活用の自動詞「なる」の連用形「なり」。「なる」は「ある状態から他の状態に移り変わる。また、ある状態に達する。」ことをいう。「尓」は完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」。「弖」は2句・4句に同じで、接続助詞「て」。「阿良」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「あら」。「受」は打消の助動詞「ず」(終止形)。「也」は質問・問いかけの終助詞「や」。「や」について、『岩波古語辞典』は次のように解説している。

「や」は終止形の下につき文の叙述の終りに加えられた場合には、相手に質問し、問いかける気持を表わす。この場合、話し手は、単に不明・不審だから相手に疑問を投げかけるものであるよりも、自分に一つの見込ないしは予断があることが多い。「雨に降りきや」と問うとき、「降ったか降らなかったか分らない」のではなく、「降ったにちがいない」という見込・予断を持ちながら、それを相手に提示して反応を待つのである。それが「か」の不明・不審・判断不能とする表現との相違である。

 829番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  うめのはな さきてちりなば
  さくらばな つぎてさくべく 
  なりにてあらずや

  梅の花 咲きて散りなば
  桜花 継ぎて咲くべく
  なりにてあらずや

  梅の花が 咲いて散ってしまったら
  桜の花が 続いて咲くように
  なっているではありませんか
ラベル:万葉集
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2016年12月15日

『万葉集』を訓(よ)む(その1117)

 今回は、828番歌を訓む。「梅花歌卅二首」の十四首目。作者は「大判事(だいはんじ)丹氏麻呂(たんしのまろ)」。作者について、井村『萬葉集全注』は次のように注している。

○ 丹氏麻呂 大判事は司法官。大宰府の大判事は従六位下相当。掌るところは、「犯状を案覆(あんぷく)し、刑名を断(ことわ)り定め、諸(もろもろ)の争訟(さうしよう)を判(ことわ)ること」(職員令)。丹氏は、丹治比、丹波、また丹生氏とも考えられる。麻呂は伝不明。

 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  比等期等尓 乎理加射之都々 阿蘇倍等母
  伊夜米豆良之岐 烏梅能波奈加母    [大判事丹氏麻呂]

 まず、本歌で使われている万葉仮名を見ておこう。片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・シ音の「之」・ナ音の「奈」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」・ヲ音の「乎」が、そして平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・キ(甲類)音の「岐」・ゴ(乙類)音の「期」・ザ音の「射」・ソ(甲類)音の「蘇」・ツ音の「都」・ヅ音の「豆」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・ベ(乙類)音の「倍」・メ(乙類)音の「米」・モ音の「母」・ヤ音の「夜」・リ音の「理」が使われ、音仮名では、ウ音の「烏」・メ(乙類)音の「梅」が使われている。

 1句「比等期等尓」は「ひとごとに」と訓む。「比等」は「ひと(人)」で、ここは梅花の宴に出席している人々をさす。「期等」は、接尾語「ごと」を表す。「尓」は格助詞「に」。接尾語「ごと」は、名詞や動詞の連体形などに付いて、連用修飾語となる。助詞「に」を伴うことも多く、ここもその例で、「…はみな。どの…も。…するたびに。」の意。
 2句「乎理加射之都々」は「をりかざしつつ」と訓む。「乎理加射之」は、821番歌3句の「遠理可射之」と同じで、サ行四段活用の他動詞「をり(折り)かざす」の連用形「をりかざし」。「をりかざす」は「木の枝や、花などを折って頭髪の飾りとする」ことを言う。「都々」は、接続助詞「つつ」。
 3句「阿蘇倍等母」は「あそべども」と訓む。「阿蘇倍」は、バ行四段活用の自動詞「あそぶ(遊ぶ)」の已然形「あそべ」。ここの「あそぶ」は「宴で飲み歌を詠み奏楽を楽しむ」ことを言う。「等母」は、逆接の既定条件を示す接続助詞「ども」。
 4句「伊夜米豆良之岐」は「いやめづらしき」と訓む。この句は、239番歌24句「益目頬四寸」と表記は異なるが同句。「伊夜」は、接頭語「い」が、物事のたくさん重なる意の副詞「や」に付いたてできた副詞「いや」を表し、「いよいよ。ますます。」の意。「米豆良之岐」は、シク活用形容詞「めづらし」の連体形「めづらしき」。「めづらし」は、動詞「めでる(愛でる)」から派生したもので、「賞美する価値がある。珍重に価する。好ましい。すばらしい。」ことを言う。
 5句「烏梅能波奈加母」は「うめのはなかも」と訓む。「烏梅能波奈」は、「うめのはな(梅の花)」。「加母」は、詠嘆の終助詞「かも」。
 828番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  ひとごとに をりかざしつつ あそべども
  いやめづらしき うめのはなかも

  人ごとに 折りかざしつつ 遊べども
  いやめづらしき 梅の花かも

  めいめいに 折って髪に挿して 遊んでいるけれども
  ますます心ひかれる 梅の花であるよ
ラベル:万葉集
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2016年12月12日

『万葉集』を訓(よ)む(その1116)

 今回は、827番歌を訓む。「梅花歌卅二首」の十三首目。作者は「小典(せうてん)山氏若麻呂(さんしのわかまろ)」。「小典(せうてん)」は、大宰府の「大典(だいてん)」に次ぐ第四等官の下位で、正八位相当官。定員は二名で、掌るところは大典に同じ。「山氏若麻呂(さんしのわかまろ)」は、山口忌寸若麻呂で、567番歌の作者として既出。
 写本の異同は、2句の六字目<利>。『類聚古集』『紀州本』には「礼」とあるが、多くの注釈書が底本としている『西本願寺本』に「利」とあるのを採る。原文は次の通り。

  波流佐礼婆 許奴礼我久<利>弖
  宇具比須曽 奈岐弖伊奴奈流
  烏梅我志豆延尓       [小典山氏若麻呂] 

 まず、本歌で使われている万葉仮名を見ておこう。片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ウ音の「宇」・ク音の「久」・ソ(乙類)音の「曽」・ナ音の「奈」・ヌ音の「奴」・ヒ(甲類)音の「比」・リ音の「利」・レ音の「礼」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・ス音の「須」・ル音の「流」が、そして平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」が使われている。その他の常用音仮名としては、ガ音の「我」・キ(甲類)音の「岐」・グ音の「具」・コ(乙類)音の「許」・サ音の「佐」・シ音の「志」・ヅ音の「豆」・テ音の「弖」・ニ音の「尓」・バ音の「婆」・エ音の「延」が使われ、音仮名では、ウ音の「烏」・メ(乙類)音の「梅」が使われている。
 1句「波流佐礼婆」は「はるされば」と訓む。この句は、818番歌1句と同句で、表記も全く同じ。「波流」は「はる(春)」。「佐礼婆」は、ラ行四段活用の自動詞「さる」の已然形「され」+確定条件を示す接続助詞「ば」=「されば」。「春になったので」の意。
 2句「許奴礼我久利弖」は「こぬれがくりて」と訓む。「許奴礼」は「こぬれ(木末)」、267番歌2句に「木末」の表記で既出。「木末(こぬれ)」は、「こ(木)のうれ(末)」の約まったもので、「樹木の先端の部分。こずえ。」の意。「我久利」は、ラ行四段活用の自動詞「かくる(隠る)」の連用形「かくり」が連濁した「がくり」を表す。「弖」は接続助詞「て」。この句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように述べている。

 木末(こぬれ)隠(がく)りて 「木末」は、木のウレ、すなわち、梢のこと。「隠りて」は、原文「我久利弖」とあり、四段活用の動詞カクルの連用形+助詞テ。類聚古集・紀州本に「我久礼弖」とあり、底本にも、「利」の左に「礼イ」、右に「レイ」
とあることから、本文を「礼」に改めてガクレテと訓む説(大系・注釈)もあるが、万葉集では東歌に下二段活用の例はあるものの、第四期にも四段活用例(15・三六一三)が見られることから、底本本文の方が正しいと思われる。類聚古集・紀州本は後の下二段活用の用例の影響を受けて誤写したものであろう。

 3句「宇具比須曽」は「うぐひすそ」と訓む。「宇具比須」は「うぐひす(鶯)」。「曽」は強く指示・指定する意を表す係助詞「そ」(のちに濁音化して「ぞ」となる)。
 4句「奈岐弖伊奴奈流」は「なきていぬなる」と訓む。「奈岐」は、カ行四段活用の自動詞「なく(鳴く)」の連用形「なき」。「弖」は2句に同じく、接続助詞「て」。「伊奴」は、ナ行変格活用の自動詞「いぬ(去ぬ)」。「奈流」は、伝聞推定の助動詞「なり」の連体形「なる」。係助詞「そ」の結び。
 5句「烏梅我志豆延尓」は「うめがしづえに」と訓む。「烏梅」は「うめ(梅)」。「我」は連体助詞「が」。「志豆延」は、「しづえ(下枝)」で、「下の方の枝。したえだ。」の意。「尓」は場所を示す格助詞「に」。
 阿蘇『萬葉集全歌講義』は4句・5句を「鳴きて去(い)ぬなる梅が下枝(しづえ)に」と訓んで、「鳴く声から、梅の下枝に移っているようだと想像したもの。『梅が』の『が』は、所属をあらわす助詞『の』に同じ。」と注している。 
 827番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  はるされば こぬれがくりて
  うぐひすそ なきていぬなる
  うめがしづえに

  春されば 木末隠りて 
  鴬そ 鳴きて去ぬなる
  梅が下枝に

  春になったので 梢に隠れて
  うぐいすが 鳴きながら飛び移っていくようだ
  梅の下の枝に
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 20:33| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする