2017年01月12日

『万葉集』を訓(よ)む(その1122)

 今回は、833番歌を訓む。「梅花歌卅二首」の十九首目。作者は「大令史(だいりやうし)野氏宿奈麻呂(やしのすくなまろ)」。「大令史」は、大判事の書記で、「判文抄写すること」(職員令)を掌り、大初位(だいそい)上相当官である。「野氏宿奈麻呂」は、天平六年(734)八月二十日の出雲国会計帳に「正八位下目(さかん)小野臣淑奈麻呂」(寧楽遺文上巻)と見える人か、という(『全集』『全注』)。なお、『全注』は、朝臣としている。
 写本の異同は、5句二字目<努>を『西本願寺本』には「弩」とあることが挙げられるが、『類聚古集』『紀州本』に「努」とあるのを採る。原文は次の通り。

  得志能波尓 波流能伎多良婆
  可久斯己曽 烏梅乎加射之弖
  多<努>志久能麻米
              [大令史野氏宿奈麻呂]

 まず、本歌で使われている万葉仮名について見ておこう。片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・ク音の「久」・コ(乙類)音の「己」・シ音の「之」・ソ(乙類)音の「曽」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、タ音の「多」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、そして平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・キ(甲類)音の「伎」・ザ音の「射」・シ音の「斯」と「志」・テ音の「弖」・ニ音の「尓」・ノ(甲類)音の「努」・ノ(乙類)音の「能」・バ音の「婆」・マ音の「麻」・メ(乙類)音の「米」が使われ、音仮名では、ウ音の「烏」・ト音の「得」・メ(乙類)音の「梅」が使われている。

 1句「得志能波尓」は「としのはに」と訓む。「得志」は「とし(年)」。「能」は連体助詞「の」。「波」は「は(端)」。「尓」は格助詞「に」。この句については、澤潟『萬葉集注釋』が詳しく訓釋しているので、それを引用しておく。

 年のはに − 「毎年尓」(十九・四一六八)と書かれた家持の作に「毎年謂之等之乃波(トシノハ)」と自注と見るべきものが加へられてゐて、この語の解釋は明らかである。しかし「年のはに」といふ事が「年毎に」といふ意味と同じところへおちつく事は認められるが、表現は異なつてをり、「年のはに」とも「年毎に」とも云はれてゐたればこそ右の自注ともなつたのだと思はれる(六・九〇八、十八・四一二五)。「は」は「葉」「端」などの意であらう。

 2句「波流能伎多良婆」は「はるのきたらば」と訓む。「波流」は「はる(春)」。「能」は格助詞「の」。「伎多良婆」は、ラ行四段活用の自動詞「きたる(来る)」の未然形「きたら」+仮定条件を示す接続助詞「ば」=「きたらば」を表す。
 3句「可久斯己曽」は「かくしこそ」と訓む。この句は、「梅花歌卅二首」の一首目(815番歌)の3句と同句。「可久」は副詞「かく」。「斯」は副助詞「し」。「許曽」は強意の係助詞「こそ」。「かくしこそ」は「今こうしているように。」の意。
 4句「烏梅乎加射之弖」は「うめをかざして」と訓む。「烏梅」は「うめ(梅)」。「乎」は格助詞「を」。「加射之」は、サ行四段活用の他動詞「かざす」の連用形の「かざし」。「かざす」は前歌(832番歌)にも既出で、「草木や花や枝葉を飾りとして髪または冠の巾子(こじ)の根に挿(さ)す。」ことをいう。「弖」は接続助詞「て」。
 5句「多努志久能麻米」は「たのしくのまめ」と訓む。「多努志久」は、前歌にも「多努斯久」の表記で既出で、シク活用形容詞「たのし(楽し)」の連用形(副詞法)の「たのしく」。「たのし」は「精神的・身体的に満ち足りて快適である。愉快である。」の意。「能麻米」は、マ行四段活用の他動詞「のむ(飲む)」の未然形「のま」+意思・意向の助動詞「む」の已然形「め」=「のまめ」を表す。「のむ」は「口に入れて喉(のど)に下し胃に送りこむ。液体などを喉に流しこむ。」ことをいうが、ここの液体は言うまでもなく「お酒」である。已然形「め」は上の「こそ」の結び。
 833番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  としのはに はるのきたらば 
  かくしこそ うめをかざして
  たのしくのまめ

  年のはに 春の来らば
  かくしこそ 梅をかざして
  楽しく飲まめ

  年毎に 春が来たならば
  このように 梅をかざして
  楽しく飲もうよ
ラベル:万葉集
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2017年01月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その1121)

 今回は、832番歌を訓む。「梅花歌卅二首」の十八首目。作者は「神司(かむづかさ)荒氏稲布(くわうしのいなしき)」「神司(かむづかさ)」は、「主神(しゆじん)」とも称された、令制下の大宰府に置かれていた祭祀官の職名。定員一人で、正七位下相当官。中央の神祇伯にあたる。大宰府管内の九国三島の祭祀を管掌した。「荒氏」は、荒木、荒木田、荒田などの氏が考えられるが、「神官としては荒木田氏がふさわしい」と井村『萬葉集全注』はいうのが当たっていよう。「稲布」は、伝不明。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  烏梅能波奈 乎利弖加射世留 母呂比得波
  家布能阿比太波 多努斯久阿流倍斯
                    [神司荒氏稲布]

 まず例によって、本歌で使われている万葉仮名を見ておこう。片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・ク音の「久」・セ音の「世」・ナ音の「奈」・ヒ音の「比」・リ音の「利」・ロ音の「呂」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・タ音の「多」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、そして平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、ケ(甲類)音の「家」・ザ音の「射」・シ音の「斯」・ダ音の「太」・テ音の「弖」・ノ(甲類)音の「努」・ノ(乙類)音の「能」・フ音の「布」・ベ(乙類)音の「倍」・モ音の「母」が使われ、音仮名では、ウ音の「烏」・ト音の「得」・メ(乙類)音の「梅」が使われている。

 1句「烏梅能波奈」は「うめのはな」と訓む。この句は、前歌(831番歌)の3句・829番歌の1句などと同句。「烏梅」は「うめ(梅)」。「能」は、連体助詞「の」。「波奈」は「はな(花)」。
 2句「乎利弖加射世留」は「をりてかざせる」と訓む。「乎利」は、ラ行四段活用の他動詞「をる(折る)」の連用形「をり」。「弖」は接続助詞「て」。「加射世」は、サ行四段活用の他動詞「かざす」の已然形(音韻上は命令形)の「かざせ」を表す。「かざす」は「草木や花や枝葉を飾りとして髪または冠の巾子(こじ)の根に挿(さ)す。」ことをいう。「留」は完了の助動詞「り」の連体形「る」。
 3句「母呂比得波」は「もろひとは」と訓む。「母呂比得」は「もろひと(諸人)」を表し、「多くの人々」の意。「もろ」は、多く名詞の上に付いて用いられ、「全てのもの、多くのものの、」の意を表す語素。「波」は係助詞「は」。
 4句「家布能阿比太波」は「けふのあひだは」と訓む。「家布」は「けふ(今日)」。「けふ」は、356番歌他に「今日」の表記で既出、「話し手が、今身を置いている、その日。」をいう。「能」は1句に同じで、連体助詞「の」。「阿比太」は「あひだ(間)」。「あひだ」は、794番歌12句に「阿比陀」の表記で既出、794番歌・本歌ともに「時の経過におけるある範囲。期間内。うち。」の意で用いられている。「波」は3句と同じく、係助詞「は」。
 5句「多努斯久阿流倍斯」は「たのしくあるべし」と訓む。「多努斯久」はシク活用形容詞「たのし(楽し)」の連用形(副詞法)の「たのしく」。「たのし」は、「梅花歌卅二首」の一首目(815番歌)に、連体形「たのしき」で既出、「精神的・身体的に満ち足りて快適である。愉快である。」ことを言う。「阿流」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形「ある」。「倍斯」は、当然・必然・推量の助動詞「べし」。
 832番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  うめのはな をりてかざせる もろひとは 
  けふのあひだは たのしくあるべし

  梅の花 折りてかざせる 諸人は
  今日の間は 楽しくあるべし

  梅の花を 折って髪に挿している 人々は皆
  今日一日中は 楽しいに違いないよ
ラベル:万葉集
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2017年01月07日

『万葉集』を訓(よ)む(その1120)

 今回は、831番歌を訓む。「梅花歌卅二首」の十七首目。作者は「壹岐守(いきのかみ)板氏安麻呂(はんしのやすまろ)」。この作者について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「板茂(いたもち)連安麻呂か。続日本紀・天平七年(七三五)九月条に、太政官右弁官局の大史従六位下としてその名がみえる。壱岐は下国で、守は、従六位下相当官。」と注している。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  波流奈例婆 宇倍母佐枳多流 烏梅能波奈
  岐美乎於母布得 用伊母祢奈久尓
                  [壹岐守板氏安麻呂]     

 まず、本歌で使われている万葉仮名を見ておこう。片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ウ音の「宇」・オ音の「於」・ク音の「久」・ナ音の「奈」・ネ音の「祢」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・タ音の「多」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、そして平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」・ミ音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、キ(甲類)音の「岐」・サ音の「佐」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・バ音の「婆」・フ音の「布」・ベ(乙類)音の「倍」・モ音の「母」・ヨ(甲類)音の「用」が使われている。準常用音仮名としては、レ音の「例」が使われ、音仮名では、ウ音の「烏」・キ(甲類)音の「枳」・ト音の「得」・メ(乙類)音の「梅」が使われている。

 1句「波流奈例婆」は「はるなれば」と訓む。「波流」は「はる(春)」。「奈例」は、指定の助動詞「なり」の已然形「なれ」。「婆」は確定条件を示す接続助詞「ば」。
 2句「宇倍母佐枳多流」は「うべもさきたる」と訓む。「宇倍」は、平安以降には普通「むべ」とも表記される、副詞「うべ(諾)」で、あとに述べる事柄を当然だと肯定したり、満足して得心したりする意を表わす。「なるほど。まことに。もっともなことに。本当に。」の意。「母」は係助詞「も」。「佐枳」は、カ行四段活用の自動詞「さく(咲く)」の連用形「さき」。「多流」は、完了・存続の助動詞「たり」の連体形「たる」を表す。
 3句「烏梅能波奈」は「うめのはな」と訓む。この句は、前歌(830番歌)の3句などと同句。「烏梅」は「うめ(梅)」。「能」は、連体助詞「の」。「波奈」は「はな(花)」。
 4句「岐美乎於母布得」は「きみをおもふと」と訓む。「岐美」は、敬愛の意をもって相手をさす代名詞「きみ(君)」で、ここは、梅を擬人化して言ったもので、「梅の花」を指す。「乎」は格助詞「を」。「於母布」は、ハ行四段活用の他動詞「おもふ(思ふ)」(終止形)。「得」は接続助詞「と」。
 5句「用伊母祢奈久尓」は「よいもねなくに」と訓む。「用伊」は、「よい(夜眠)」を表し、「夜の睡眠」の意。「母」は係助詞「も」。「祢」はナ行下二段活用「ぬ(寐)」の未然形「ね」で、「奈久」は、打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」に形式体言の「あく」がついた「ぬあく」が約まった「なく」を表す。「尓」は格助詞の「に」であるが、「なくに」で以って、終助詞的に用いられ、詠嘆を込めた表現となる。
 831番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  はるなれば うべもさきたる うめのはな 
  きみをおもふと よいもねなくに

  春なれば うべも咲きたる 梅の花
  君を思ふと 夜眠も寝なくに

  春であるので なるほどみごとに咲いた 梅の花よ
  君を思うと 夜も眠れないことだよ

[参考]
 なお、『日本古典文学大系』はこの歌について、作者が壹岐守で、壱岐では春が遅く、梅はまだ咲かなかったのであろうとして、次のような解釈を行なっている。

 春なのだから、なるほど、まことに梅の花が咲いている。(壱岐で私は)君(梅の花)を思うとて、夜も眠れなかったことなのに。

 ただし、補注には(別解)として、他の注釈書と同様の次の解釈を載せている。

春になったので梅の花が咲いているのももっともである。君(梅の花)を賞美するあまりに、私は夜も寝られないことである。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 21:55| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする