2017年01月07日

『万葉集』を訓(よ)む(その1120)

 今回は、831番歌を訓む。「梅花歌卅二首」の十七首目。作者は「壹岐守(いきのかみ)板氏安麻呂(はんしのやすまろ)」。この作者について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「板茂(いたもち)連安麻呂か。続日本紀・天平七年(七三五)九月条に、太政官右弁官局の大史従六位下としてその名がみえる。壱岐は下国で、守は、従六位下相当官。」と注している。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  波流奈例婆 宇倍母佐枳多流 烏梅能波奈
  岐美乎於母布得 用伊母祢奈久尓
                  [壹岐守板氏安麻呂]     

 まず、本歌で使われている万葉仮名を見ておこう。片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ウ音の「宇」・オ音の「於」・ク音の「久」・ナ音の「奈」・ネ音の「祢」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・タ音の「多」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、そして平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」・ミ音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、キ(甲類)音の「岐」・サ音の「佐」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・バ音の「婆」・フ音の「布」・ベ(乙類)音の「倍」・モ音の「母」・ヨ(甲類)音の「用」が使われている。準常用音仮名としては、レ音の「例」が使われ、音仮名では、ウ音の「烏」・キ(甲類)音の「枳」・ト音の「得」・メ(乙類)音の「梅」が使われている。

 1句「波流奈例婆」は「はるなれば」と訓む。「波流」は「はる(春)」。「奈例」は、指定の助動詞「なり」の已然形「なれ」。「婆」は確定条件を示す接続助詞「ば」。
 2句「宇倍母佐枳多流」は「うべもさきたる」と訓む。「宇倍」は、平安以降には普通「むべ」とも表記される、副詞「うべ(諾)」で、あとに述べる事柄を当然だと肯定したり、満足して得心したりする意を表わす。「なるほど。まことに。もっともなことに。本当に。」の意。「母」は係助詞「も」。「佐枳」は、カ行四段活用の自動詞「さく(咲く)」の連用形「さき」。「多流」は、完了・存続の助動詞「たり」の連体形「たる」を表す。
 3句「烏梅能波奈」は「うめのはな」と訓む。この句は、前歌(830番歌)の3句などと同句。「烏梅」は「うめ(梅)」。「能」は、連体助詞「の」。「波奈」は「はな(花)」。
 4句「岐美乎於母布得」は「きみをおもふと」と訓む。「岐美」は、敬愛の意をもって相手をさす代名詞「きみ(君)」で、ここは、梅を擬人化して言ったもので、「梅の花」を指す。「乎」は格助詞「を」。「於母布」は、ハ行四段活用の他動詞「おもふ(思ふ)」(終止形)。「得」は接続助詞「と」。
 5句「用伊母祢奈久尓」は「よいもねなくに」と訓む。「用伊」は、「よい(夜眠)」を表し、「夜の睡眠」の意。「母」は係助詞「も」。「祢」はナ行下二段活用「ぬ(寐)」の未然形「ね」で、「奈久」は、打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」に形式体言の「あく」がついた「ぬあく」が約まった「なく」を表す。「尓」は格助詞の「に」であるが、「なくに」で以って、終助詞的に用いられ、詠嘆を込めた表現となる。
 831番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  はるなれば うべもさきたる うめのはな 
  きみをおもふと よいもねなくに

  春なれば うべも咲きたる 梅の花
  君を思ふと 夜眠も寝なくに

  春であるので なるほどみごとに咲いた 梅の花よ
  君を思うと 夜も眠れないことだよ

[参考]
 なお、『日本古典文学大系』はこの歌について、作者が壹岐守で、壱岐では春が遅く、梅はまだ咲かなかったのであろうとして、次のような解釈を行なっている。

 春なのだから、なるほど、まことに梅の花が咲いている。(壱岐で私は)君(梅の花)を思うとて、夜も眠れなかったことなのに。

 ただし、補注には(別解)として、他の注釈書と同様の次の解釈を載せている。

春になったので梅の花が咲いているのももっともである。君(梅の花)を賞美するあまりに、私は夜も寝られないことである。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 21:55| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする