2017年01月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その1121)

 今回は、832番歌を訓む。「梅花歌卅二首」の十八首目。作者は「神司(かむづかさ)荒氏稲布(くわうしのいなしき)」「神司(かむづかさ)」は、「主神(しゆじん)」とも称された、令制下の大宰府に置かれていた祭祀官の職名。定員一人で、正七位下相当官。中央の神祇伯にあたる。大宰府管内の九国三島の祭祀を管掌した。「荒氏」は、荒木、荒木田、荒田などの氏が考えられるが、「神官としては荒木田氏がふさわしい」と井村『萬葉集全注』はいうのが当たっていよう。「稲布」は、伝不明。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  烏梅能波奈 乎利弖加射世留 母呂比得波
  家布能阿比太波 多努斯久阿流倍斯
                    [神司荒氏稲布]

 まず例によって、本歌で使われている万葉仮名を見ておこう。片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・ク音の「久」・セ音の「世」・ナ音の「奈」・ヒ音の「比」・リ音の「利」・ロ音の「呂」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・タ音の「多」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、そして平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、ケ(甲類)音の「家」・ザ音の「射」・シ音の「斯」・ダ音の「太」・テ音の「弖」・ノ(甲類)音の「努」・ノ(乙類)音の「能」・フ音の「布」・ベ(乙類)音の「倍」・モ音の「母」が使われ、音仮名では、ウ音の「烏」・ト音の「得」・メ(乙類)音の「梅」が使われている。

 1句「烏梅能波奈」は「うめのはな」と訓む。この句は、前歌(831番歌)の3句・829番歌の1句などと同句。「烏梅」は「うめ(梅)」。「能」は、連体助詞「の」。「波奈」は「はな(花)」。
 2句「乎利弖加射世留」は「をりてかざせる」と訓む。「乎利」は、ラ行四段活用の他動詞「をる(折る)」の連用形「をり」。「弖」は接続助詞「て」。「加射世」は、サ行四段活用の他動詞「かざす」の已然形(音韻上は命令形)の「かざせ」を表す。「かざす」は「草木や花や枝葉を飾りとして髪または冠の巾子(こじ)の根に挿(さ)す。」ことをいう。「留」は完了の助動詞「り」の連体形「る」。
 3句「母呂比得波」は「もろひとは」と訓む。「母呂比得」は「もろひと(諸人)」を表し、「多くの人々」の意。「もろ」は、多く名詞の上に付いて用いられ、「全てのもの、多くのものの、」の意を表す語素。「波」は係助詞「は」。
 4句「家布能阿比太波」は「けふのあひだは」と訓む。「家布」は「けふ(今日)」。「けふ」は、356番歌他に「今日」の表記で既出、「話し手が、今身を置いている、その日。」をいう。「能」は1句に同じで、連体助詞「の」。「阿比太」は「あひだ(間)」。「あひだ」は、794番歌12句に「阿比陀」の表記で既出、794番歌・本歌ともに「時の経過におけるある範囲。期間内。うち。」の意で用いられている。「波」は3句と同じく、係助詞「は」。
 5句「多努斯久阿流倍斯」は「たのしくあるべし」と訓む。「多努斯久」はシク活用形容詞「たのし(楽し)」の連用形(副詞法)の「たのしく」。「たのし」は、「梅花歌卅二首」の一首目(815番歌)に、連体形「たのしき」で既出、「精神的・身体的に満ち足りて快適である。愉快である。」ことを言う。「阿流」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形「ある」。「倍斯」は、当然・必然・推量の助動詞「べし」。
 832番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  うめのはな をりてかざせる もろひとは 
  けふのあひだは たのしくあるべし

  梅の花 折りてかざせる 諸人は
  今日の間は 楽しくあるべし

  梅の花を 折って髪に挿している 人々は皆
  今日一日中は 楽しいに違いないよ
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 11:46| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする