2017年01月20日

『万葉集』を訓(よ)む(その1125)

 今回は、836番歌を訓む。「梅花歌卅二首」の二十二首目。作者は「陰陽師(おんやうし)礒氏法麻呂(きしののりまろ)」。作者について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「陰陽師は、天文・気象・暦・時刻・卜占などをつかさどる官。大宰府の陰陽師は、正八位上相当官。占筮して地相を択ぶことをした(令)。礒氏(きし)は、磯部氏か。法麻呂は、伝不明。」と注している。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  烏梅能波奈 多乎利加射志弖 阿蘇倍等母
  阿岐太良奴比波 家布尓志阿利家利
                  [陰陽師礒氏法麻呂]

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・ナ音の「奈」・ヌ音の「奴」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・リ音の「利」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・タ音の「多」・ヲ音の「乎」が、そして平仮名の字源となった常用音仮名では、タ音の「太」・ハ音の「波」が使われている。その他の常用音仮名としては、キ(甲類)音の「岐」・ケ(甲類)音の「家」・ザ音の「射」・シ音の「志」・ソ(甲類)音の「蘇」・テ音の「弖」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・フ音の「布」・ベ音の「倍」・モ音の「母」が使われ、音仮名では、ウ音の「烏」・メ(乙類)音の「梅」が使われている。

 1句「烏梅能波奈」は「うめのはな」と訓む。この句は、834番歌の1句などと同句。「烏梅」は「うめ(梅)」。「能」は、連体助詞「の」。「波奈」は「はな(花)」。
 2句「多乎利加射志弖」は「たをりかざして」と訓む。「多乎利」は、ラ行四段活用の他動詞「たをる(手折る)」の連用形「たをり」。「加射志」は、サ行四段活用の他動詞「かざす」の連用形の「かざし」。「かざす」は、833番歌他にも既出で、「草木や花や枝葉を飾りとして髪または冠の巾子(こじ)の根に挿(さ)す。」ことをいう。「弖」は接続助詞「て」。
 3句「阿蘇倍等母」は「あそべども」と訓む。この句は、828番歌の3句と同句。「阿蘇倍」は、バ行四段活用の自動詞「あそぶ(遊ぶ)」の已然形「あそべ」。ここの「あそぶ」は「宴で飲み歌を詠み奏楽を楽しむ」ことを言う。「等母」は、逆接の既定条件を示す接続助詞「ども」。
 4句「阿岐太良奴比波」は「あきたらぬひは」と訓む。「阿岐太」は、ラ行四段活用の自動詞「あきたる」の未然形「あきたら」。「奴」は打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」。「あきたる」は十分満たされたという気持ちになる。満足する。」ことを言うが、多くは下に打消しを伴い、ここもその例。なお、「太」は濁音「だ」に訓むのが通例だとして「あきだら」と訓む注釈書も多く、「あきたる」は、古くは「あきだる」と言ったともされる。しかし、「太」は、平仮名「た」の字源でもあるので、『萬葉集注釋』に従って「あきたら」とした。「比」は「ひ(日)」。「波」は係助詞「は」。
 5句「家布尓志阿利家利」は「けふにしありけり」と訓む。「家布」は「けふ(今日)」。「けふ」は前歌(835番歌)にも既出で、「話し手が、今身を置いている、その日。」をいう。「尓志」は、格助詞または断定の助動詞「なり」の連用形「に」に副助詞「し」の付いた「にし」を表す。「阿利」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」(連用形)。「家利」は、詠嘆(気づき)の助動詞「けり」。「けり」の意味について、『岩波古語辞典』は次のように述べている。

「けり」は、「そういう事態なんだと気がついた」という意味である。気づいていないこと、記憶にないことが目前に現われたり、あるいは耳に入ったときに感じる、一種の驚きをこめて表現する場合が少なくない。それ故「けり」が詠嘆の助動詞だといわれることもある。しかし「けり」は、見逃していた事実を発見した場合や、事柄からうける印象を新たにした時に用いるもので、真偽は問わず、知らなかった話、伝説・伝承を、伝聞として表現する時にも用いる。

 836番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  うめのはな たをりかざして あそべども
  あきたらぬひは けふにしありけり

  梅の花 手折りかざして 遊べども
  飽き足らぬ日は 今日にしありけり

  梅の花を 手折って髪に挿して いくら遊んでも
  なお満ち足りることがない日とは 今日のこの日であったのだなあ
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 21:10| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする