2017年05月18日

『万葉集』を訓(よ)む(その1165)

 今回は872番歌を訓む。「松浦佐用姫の歌」五首のうちの二首目である。題詞に「後人追和」とあって、前歌(871番歌)に「後の人が追和した」歌である。
 写本の異同は、5句の末字<牟>にある。『西本願寺本』以下の諸本に「無」とあるが、『類聚古集』『紀州本』『細井本』に「牟」とあるのを採る。原文は次の通り。

  夜麻能奈等 伊賓都夏等可母
  佐用比賣何 許能野麻能閇仁
  必例遠布利家<牟>

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ナ音の「奈」・ヒ(甲類)音の「比」・リ音の「利」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・ム音の「牟」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではニ音の「仁」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ケ(甲類)音の「家」・コ(乙類)音の「許」・サ音の「佐」・ツ音の「都」・ト(乙類)音の「等」・ノ(乙類)音の「能」・フ音の「布」・ヘ(乙類)音の「閇」・マ音の「麻」・メ(甲類)音の「賣」・モ音の「母」・ヤ音の「夜」・ヨ(甲類)音の「用」が使われ、準常用音仮名では、レ音の「例」・ヲ音の「遠」が、音仮名では、ガ音の「何」・ゲ(甲類)音の「夏」・ヒ(甲類)音の「必」と「賓」・ヤ音の「野」が使われている。

 1句「夜麻能奈等」は「やまのなと」と訓む。「夜麻」は「やま(山)」。「能」は連体助詞「の」。「奈」は「な(名)」。「等」は格助詞の「と」で、ここは「として」の意。この句は、前歌の5句「於返流夜麻能奈(おへるやまのな)」を承けて、詠い出しとしたもの。
 2句「伊賓都夏等可母」は「いひつげとかも」と訓む。「伊賓都夏」は、ガ行四段活用の他動詞「いひつぐ(言ひ継ぐ)」(813番歌16句に既出)の命令形「いひつげ」を表す。「いひつぐ」は、「言い伝える。語り続ける。語り伝える。」ことをいう。「等」は一句と同じ格助詞「と」で、ここは内容を提示・指示する役目の「と」。「可」は疑問の係助詞「か」。「母」は詠嘆の係助詞「も」。この「かも」は結句にかかり、過去推量の助動詞「けむ」(連体形)で結ぶ。
 3句「佐用比賣何」は「さよひめが」と訓む。「佐用比賣」は「さよひめ(佐用姫)」。前歌の2句「麻通良佐用比米(まつらさよひめ)」に同じ。「何」は格助詞「が」。
 4句「許能野麻能閇仁」は「このやまのへに」と訓む。「許能野麻」は、「このやま(山)」で、佐用姫が領巾を振ったと伝えられる山を指す。現在の佐賀県唐津市鏡と浜玉町との境に位置する鏡山(284メートル)。犬養孝『万葉の旅』に、「好風の虹ノ松原は中世寺沢志摩守の植樹によるものといわれ、当時はなかった。鏡山は松原の後方に鉢を伏せたような形の山で、松原の中央虹ノ松原駅付近かららくに登れ、こんにちはバス道路もでき、山頂にはテレビ塔も立って観光地となっている。土地では鏡山、観光にはヒレフル山とよぶ。遠く万葉の狛島(こましま)(神集(かしわ)島)をはじめ高島・大島などを浮かべた唐津湾の大景はまさに声をのむ趣きがあり、この好風にしてこそこの伝説のあることが知られる」とある。「能」は一句に同じく連体助詞「の」。「閇」は「へ(上)」。『日本国語大辞典』の「へ(上)」の補注に「『…のへ』という形だけが見られ、『うへ(上)』の変化したものと考えられるが、逆に語頭母音音節のない『へ』の形の方が『うへ』の原型だという説もある。」とある。「仁」は場所を示す格助詞「に」。
 5句「必例遠布利家牟」は「ひれをふりけむ」と訓む。「必例」は前歌の「比列」に同じで、「ひれ(領布)」を表す。「遠」は動作の対象を示す格助詞「を」。「布利家牟」は、ラ行四段活用の他動詞「ふる(振る)」の連用形「ふり」+過去推量の助動詞「けむ」(連体形)=「ふりけむ」を表す。
 872番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  やまのなと いひつげとかも 
  さよひめが このやまのへに 
  ひれをふりけむ

  山の名と 言ひ継げとかも
  佐用姫が この山の上に
  領巾を振りけむ

  山の名として 言い伝えよというつもりで
  佐用姫は この山の上で
  領巾を振ったのだろうかなあ
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2017年05月16日

『万葉集』を訓(よ)む(その1164)

 今回から、松浦佐用姫を詠んだ五首(871〜875番歌)を訓む。前に山上憶良が天平二年七月に詠んだ歌三首(868〜870番歌)があったが、「本歌群は、それに端を発してほとばしり出た、松浦佐用比売に対する思いを歌に綴ったものであろう。」と阿蘇『萬葉集全歌講義』はいう。この歌群(以下「松浦佐用姫の歌」と称する)の前には、871番歌の序として、松浦佐用姫の伝説が漢文で記述されているので、それをまず見ておこう。
 原文とその訓読文及び口訳を記すと、次の通り。(訓読文及び口訳は、『新日本古典文学大系』による。

原文
 大伴佐提比古郎子、特被朝命、奉使藩國、艤棹言歸、稍赴蒼波。妾也松浦 [佐用嬪面]、嗟此別易、歎彼會難。即登高山之嶺、遥望離去之船、悵然断肝、黯然銷魂。遂脱領巾麾之。傍者莫不流涕。因号此山、曰領巾麾之嶺也。乃作歌曰、

訓読文
 大伴佐提比古郎子(おほとものさでひこのいらつこ)、特(こと)に朝命(てうめい)を被(かがふ)り、使(つかひ)を藩国(はんこく)に奉(うけたまは)り、艤棹(ふなよそひ)して言(こと)に帰(ゆ)き、稍(やうや)くに蒼波(さうは)に赴(おもむ)く。妾(おむなめ)松浦(まつら) [佐用姫(さよひめ)]、この別(わか)るることの易(やす)きを嗟(なげ)き、彼(か)の会(あ)ふことの難(かた)きを歎(なげ)く。即(すなは)ち高山(たかやま)の嶺(みね)に登(のぼ)り、遥(はる)かに離(はな)れ去る船を望み、悵然(ちやうぜん)として肝(きも)を断(た)ち、黯然(あんぜん)として魂(たましひ)を銷(け)つ。遂(つひ)に領巾(ひれ)を脱(と)きて麾(ふ)る。傍(かたはら)の者(ひと)、涕(なみだ)を流さずといふこと莫(な)かりき。因(よ)りてこの山を号(なづ)けて、領巾麾嶺(ひれふりのみね)と曰(い)ふ。乃(すなは)ち歌を作りて曰(いは)く、

口訳
 大伴佐提比古は、天皇の特命を受けて臣従する任那に遣わされた。船出の用意を整えて出航し、徐々に青海原に向かおうとした。愛人松浦佐用姫は、別離はたやすく再会の難しいことを嘆き、ただちに高い山の頂に登り、遠ざかる船を遥かに望み見た。悲しみに胸はつぶれ、心も暗く魂も消えるばかりであった。そして領巾をとって振った。側にいた人で涙を流さない者はなかった。よって、この山を名付けて「領巾振りの嶺」と言う。そこで次のような歌を作った。

 それでは、「松浦佐用姫の歌」の一首目の871番歌から訓んで行こう。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  得保都必等 麻通良佐用比米
  都麻胡非尓 比例布利之用利
  於返流夜麻能奈

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、オ音の「於」・シ音の「之」・ナ音の「奈」・ヒ(甲類)音の「比」・ホ音の「保」・ラ音の「良」・リ音の「利」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではル音の「流」が、その他の常用音仮名としては、ゴ(甲類)音の「胡」・サ音の「佐」・ツ音の「都」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・ヒ(乙類)音の「非」・フ音の「布」・マ音の「麻」・メ(乙類)音の「米」・ヤ音の「夜」・ヨ(甲類)音の「用」が使われ、準常用音仮名ではレ音の「例」が、音仮名では、ツ音の「通」・ト(乙類)音の「得」・ヒ(甲類)音の「必」・ヘ(甲類)音の「返」が使われている。

 1句「得保都必等」は「とほつひと」と訓む。この句は、857番歌1句「等富都比等」と同じく「とほつひと(遠つ人)」で、地名「松浦(まつら)」にかかる枕詞。「まつ」に「待つ」の意がかけられており、遠方にいる人(ここでは大伴佐提比古)を待つ意が込められている。
 2句「麻通良佐用比米」は「まつらさよひめ」と訓む。「まつらさよひめ(松浦佐用姫)」は、序にある通り、大伴佐提比古(大伴金村の三男)の愛人。伝説上の人物で、『肥前国風土記』には、篠原の村の弟日姫子(おとひひめこ)とある。
 なお、「『姫』のメは、女・賣など甲類の假名であるべきが、ここに乙類の『米』の文字が書かれてゐる事は不審である。メの假名の混同は珍しく、或いは後の誤寫かと考へられる。」と、澤潟『萬葉集注釋』は述べている。
 3句「都麻胡非尓」は「つまごひに」と訓む。この句は、84番歌3句「妻戀尓」と同句で、その仮名書き。「都麻胡非」は、名詞「つまごひ」で、「夫婦または雌雄が互いに相手を恋い慕うこと」をいう。ここの「つま」は「夫」の意。「尓」は動作の目的を示す格助詞「に」。
 4句「比例布利之用利」は「ひれふりしより」と訓む。「比例布利之」は、868番歌の3句「比列布利斯」と一字「し」の表記が違うだけで同じ。「比列」は「ひれ(領布)」。「領布」は、「ひら(枚)」と同語源で、「細長く薄い布」の意。本来は「波・風を起こしまたは静め、害虫・毒蛇などを追い払うなど、呪力を持つと信じられた布。」を意味したが、「古代、主として女性が用いた、首から肩に掛けて左右へ長く垂らした装飾用の白い布」を言うようになった。「布利之」は、ラ行四段活用の他動詞「ふる(振る)」の連用形「ふり」+回想の助動詞「き」の連体形「し」=「ふりし」を表す。「用利」は、時間的な起点を示す格助詞「より」。「領布を振った時以来」の意。
 5句「於返流夜麻能奈」は「おへるやまのな」と訓む。「於返流」は、ハ行四段活用の他動詞「おふ(負ふ)」の已然形(音韻上は命令形)「おへ」+存続の助動詞「り」の連体形「る」=「おへる」。「おふ」は「名をもつ。その名を名のる」ことをいう。「夜麻」は「やま(山)」。「能」は連体助詞「の」。「奈」は「な(名)」。
 871番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  とほつひと まつらさよひめ
  つまごひに ひれふりしより
  おへるやまのな

  遠つ人 松浦佐用姫
  夫恋ひに 領巾振りしより
  負へる山の名

  遠くにいる人を待つ 松浦佐用姫が
  夫を恋い慕って 領布を振った時以来
  名づけられた山の名だ(「領巾振りの嶺」という名は)
タグ:万葉集
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2017年05月11日

『万葉集』を訓(よ)む(その1163)

 今回は870番歌を訓む。前々歌及び前歌(868・869番歌)に続いて、天平二年七月十一日に筑前国司山上憶良が詠んだ歌三首のうちの三首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。なお、左注に「天平二年七月十一日 筑前國司山上憶良謹上」とある。

  毛々可斯母 由加奴麻都良遅 
  家布由伎弖 阿須波吉奈武遠
  奈尓可佐夜礼留

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・ナ音の「奈」・ヌ音の「奴」・モ音の「毛」・ユ音の「由」・ラ音の「良」・レ音の「礼」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・ス音の「須」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」・ム音の「武」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・キ(甲類)音の「伎」・ケ(甲類)音の「家」・サ音の「佐」・シ音の「斯」・ヂ音の「遅」・ツ音の「都」・テ音の「弖」・ニ音の「尓」・フ音の「布」・マ音の「麻」・モ音の「母」・ヤ音の「夜」が使われ、準常用音仮名ではヲ音の「遠」が、音仮名ではキ(甲類)音の「吉」が使われている。

 1句「毛々可斯母」は「ももかしも」と訓む。「毛々可」は、「ももか(百日)」。「ももか」は、「日の数の100。ひゃくにち。また、100日間。」の意で、多くの日数についてもいう。「斯母」は、副助詞「し」に係助詞「も」の重なったもので、体言・体言と同資格の語句・活用語の連用形・助詞・副詞等を受け、受ける語句を特定強調する。
 2句「由加奴麻都良遅」は「ゆかぬまつらぢ」と訓む。「由加奴」は、カ行四段活用の自動詞「ゆく(行く)」の未然形「ゆか」+打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」=「ゆかぬ」を表す。「麻都良遅」は、「まつらぢ(松浦路)」。
 1句・2句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「百日しも行かぬ松浦路 筑前国府から玉島まで、直線距離で約四十キロ。大宰府のあった二日市から浜崎まで、JR沿いで約六十キロ、一日半の道のりである。」と注している。
 3句「家布由伎弖」は「けふゆきて」と訓む。「家布」は「けふ(今日)」。「けふ」は、511番歌他に「今日」の表記で既出、「話し手が、今身を置いている、その日。」をいう。「由伎」は、カ行四段活用の自動詞「ゆく(行く)」の連用形。「弖」は接続助詞「て」。
 4句「阿須波吉奈武遠」は「あすはきなむを」と訓む。「阿須」は「あす(明日)」。「あす」は、198番歌他に「明日」の表記で既出、「現在を基点として、次の日。」をいう。「吉奈武」は、カ行変格活用の自動詞「く(来)」の未然形「き」+完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」+推量の助動詞「む」(連体形)=「きなむ」を表す。「遠」は逆接の接続助詞「を」で、「…のに」の意。
 5句「奈尓可佐夜礼留」は「なにかさやれる」と訓む。「奈尓可」は、「なにか(何か)」。「なにか」は、代名詞「なに」に係助詞「か」が付いたもので、不特定のものを指示し、疑問・反語表現に用いる。「どのようなものが(…するだろうか)。どんなことを(…することがあろうか)。」の意。「佐夜礼留」は、ラ行四段活用の自動詞「さやる(障る)」の已然形(音韻上は命令形)+完了の助動詞「り」の連体形「る」=「さやれる」を表す。「さやる」は「立ちふさがる。さしつかえる。」ことをいう。
 井村『萬葉集全注』は、この句の注として「小旅行にも出られぬ健康上の不如意を訴えているらしい。この歌があるので、憶良はこの時期に松浦道を訪れていなかったと知られ、代匠記の言うように先の松浦河の作品の作者は憶良でなくて、やはり旅人であり、吉田宜の書簡の宛先も旅人であろうと考えられることになる。」と述べている。
 870番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  ももかしも ゆかぬまつらぢ 
  けふゆきて あすはきなむを 
  なにかさやれる

  百日しも 行かぬ松浦路
  今日行きて 明日は来なむを
  何か障れる

  百日などは かからない松浦への道
  今日行って 明日は帰って来ることができるのに
  どんな差支えがあるというのでしょうか

〔参考〕先に、井村『萬葉集全注』の5句の注を引用したが、5句については阿蘇『萬葉集全歌講義』が詳しい注をつけているので、参考までに紹介しておく。

何か障(さや)れる 何が妨げているのか。憶良自身のことであるから、当然何が妨げているか、憶良はわかっているはずである。中西進氏『山上憶良』が、代匠記に「憶良ハ筑前守ニテ、輒ク境ヲ越テ、他国ニ赴ク事ヲ得へカラス」といったのを支持して、中国の規定「故唐律疏議」(巻九、四ウ)に、「刺史県令、折衝果毅、私自出 界者杖一百経坐乃宿」とあり、その疏に、「議曰、州県有境界、折衝府有地団、不因公事、私自出境界者杖一百。注云、経宿乃坐、既不云、経日即非百刻之限、但、是経宿即合此坐」とあるのを引いて、憶良は、やはり玉島までの四、五十キロの距離は日帰りできず、たとえ馬を駈って疾風のように往復したとしても「杖一百」はまぬがれることはできないから、憶良はいけなかったのだとしている。注釈は、代匠記の説に反対して、「今の人も景勝の地などへ行きたいと願ひ、それがまたいつでも行けるとかねがね思つてをりながら、その日その日の雑務などにとりまぎれて、なかなかその折が無く、自分ながら腹立たしくなるやうな気持ちで、何でこんなに行けないのだらうとつぶやく事がある、さうした気持ちに近いものがこの『何かさやれる』であると考へられる」と云っている。「なにかさやれる」のみを見ればそのような場合もあるかもしれないと思うが、国府の官人が、公務以外で任国を離れて行きたいところに行けるかどうか、甚だ疑問である。官人の規律がたもてないに相違ない。特に、この書簡には、憤りがあって、歴史的に重要な息長帯日売にまつわる伝説の場所にも注目せず、ただ風光明媚な所で遊んで来ただけではないかという公憤にも近い感情を抱いているようである。大宰帥旅人が誘ってくれれば、憶良は公務として行けたはずであった。その恨みもいささか混じっているようである。
タグ:万葉集
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