2017年05月09日

『万葉集』を訓(よ)む(その1162)

 今回は869番歌を訓む。前歌(868番歌)と同じく、天平二年七月十一日に筑前国司山上憶良が詠んだ歌三首のうちの二首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。なお、3句に「一云」の異伝があるが、歌の最後に記している。

  多良志比賣 可尾能美許等能 奈都良須等 
  美多々志世利斯 伊志遠多礼美吉  [一云 阿由都流等]

 本歌(含む一云)で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、セ音の「世」・ナ音の「奈」・ヒ(甲類)音の「比」・ユ音の「由」・ラ音の「良」・リ音の「利」・レ音の「礼」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではア音の「阿」・イ音の「伊」・ス音の「須」・タ音の「多」・ル音の「流」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・コ(乙類)音の「許」・シ音の「志」と「斯」・ツ音の「都」・ト(乙類)音の「等」・ノ(乙類)音の「能」・メ(甲類)音の「賣」が使われ、準常用音仮名ではヲ音の「遠」が、音仮名では、キ(甲類)音の「吉」・ミ(乙類)音の「尾」が使われている。

 1句「多良志比賣」は「たらしひめ」と訓む。「多良志比賣」は、813番歌3句「多良志比刀vと同じく「たらしひめ(足姫)」で、「息長足日女命(おきながたらしひめのみこと)」を指し、仲哀天皇の皇后で応神天皇の母である神功皇后のことをいう。
 2句「可尾能美許等能」は「かみのみことの」と訓む。「可尾能美許等」は「かみのみこと(神の命)」で、167番歌20句に「神之命」の表記で既出。「みこと(命)」は、神や天皇などの高貴な人に対し、尊敬の意を表わして添える語で、「…のみこと」の形で用いる。次の「能」は格助詞「の」。この「の」は、4句「みたたしせりし」の主格を示すものであるが、「みたたしせりし」はその下の「いし」に続いてゆく連体形となっており、「体言+の+体言」の形を依然として保っていると言える。
 3句「奈都良須等」は「なつらすと」と訓む。「奈」は「な(魚)」。「な(肴)」と同語源で、「食用、特に、副食物とするための魚(さかな)。」をいう。「都良須」は、ラ行四段活用の他動詞「つる(釣る)」の未然形「つら」+尊敬の助動詞「す」=「つらす」を表す。「等」は、指示・指定の格助詞「と」で、「とて。として。」の意。
 4句「美多々志世利斯」は「みたたしせりし」と訓む。「美多々志」は、名詞「みたたし(立たし)」で、「お立ちになること」の意。「み」は敬語の接頭語。「たたし」は、「たつ(立つ)」の未然形に、尊敬の助動詞「す」が付いた連語「たたす」の連用形が名詞化したもの。「世利斯」は、サ行変格活用の他動詞「す」の命令形(音韻上)「せ」+完了の助動詞「り」(連用形)+回想の助動詞「き」の連体形「し」=「せりし」を表す。
 5句「伊志遠多礼美吉」は「いしをたれみき」と訓む。「伊志」は「いし(石)」。「遠」は動作の対象を示す格助詞「を」。「多礼」は、不定称の「たれ(誰)」。「美吉」は、マ行上一段活用の他動詞「みる(見る)」の連用形「み」+回想の助動詞「き」=「みき」を表わす。
 異伝 [一云 阿由都流等] は [一に云(い)ふ あゆつると]と訓む。「阿由」は、魚の「あゆ(鮎)」。「都流」は、3句に既出の、ラ行四段活用の他動詞「つる(釣る)」。「等」も3句に既出の、格助詞「と」。 
 869番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  たらしひめ かみのみことの なつらすと 
  みたたしせりし いしをたれみき [あゆつると]

  足姫 神の命の 魚釣らすと
  み立たしせりし 石を誰れ見き  [一云 鮎釣ると]

  息長足姫(おきながたらしひめ) すなわち神功皇后さまが 魚をお釣りになるとて 
  お立ちになった 石を誰が見たのでしょうか〈また「鮎を釣るとて」〉
タグ:万葉集
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2017年05月05日

『万葉集』を訓(よ)む(その1161)

 今回は868番歌を訓む。本歌〜870番歌の三首は、天平二年七月十一日に筑前国司山上憶良が詠んだ歌であり、憶良による前文がある。まずその前文から見ていこう。前文の原文は次の通り。

 憶良、誠惶頓首、謹啓。
 憶良聞、方岳諸侯、都督刺使、並依典法、巡行部下、察其風俗。
 意内多端、口外難出。謹以三首之鄙歌、欲寫五蔵之欝結。其歌曰、

これの訓読文と口訳を次に記すと、(阿蘇『萬葉集全歌講義』による)

 憶良(おくら)、誠惶頓首(せいくわうとんしゆ)、謹(つつし)みて啓(まを)す。
 憶良(おくら)聞(き)く。方岳(ほうがく)の諸侯(しよこう)と都督刺使(ととくしし)と、共(とも)に典法(てんぱう)によりて、部下(ぶか)を巡行(じゆんかう)し、
 その風俗(ふうぞく)を察(み)ると。心(こころ)のうち多端(たたん)に、口外(こうぐわい)に出(い)だしがたし。
 謹(つつし)みて三首(しゆ)の鄙(いや)しき歌(うた)を以(も)ちて、五蔵(ござう)の欝結(むすぼほり)を写(のぞ)かむと欲(おも)ふ。
 その歌(うた)にいはく、

 憶良が、恐れながら最敬礼し、謹んで申上げます。
 承れば、大宰府のお役人の方々は、法令の定めに従って、管内をめぐり、風俗を視察なさいましたとか。私の心のうちは複雑で、なんとも表現できません。
謹んで三首の拙い歌を詠んで、心の中のわだかまりをはらしたいと思います。その歌は、

 868番歌の写本の異同は、四句六字目<尾>。『西本願寺本』以下の諸本、これを「美」としているが、『類聚古集』『紀州本』『細井本』に「尾」とあるのを採る。原文は次の通り。

  麻都良我多 佐欲比賣能故何
  比列布利斯 夜麻能名乃<尾>夜
  伎々都々遠良武

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ヒ(甲類)音の「比」・ノ(乙類)音の「乃」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・リ音の「利」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではタ音の「多」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではム音の「武」が使われている。その他の常用音仮名としては、ガ音の「我」・キ(甲類)音の「伎」・サ音の「佐」・シ音の「斯」・ツ音の「都」・ノ(乙類)音の「能」・フ音の「布」・マ音の「麻」・メ(甲類)音の「賣」・ヤ音の「夜」・ヨ(甲類)音の「欲」が使われ、準常用音仮名では、コ(甲類)音の「故」・ヲ音の「遠」が、音仮名では、ガ音の「何」・ミ(乙類)音の「尾」・レ音の「列」が使われている。

 1句「麻都良我多」は「まつらがた」と訓む。「麻都良我多」は、「まつら(松浦)がた(県)」で、849番歌前「松浦河に遊ぶ序」に「松浦之縣(まつらのあがた)」として既出。阿蘇『萬葉集全歌講義』の注に「もと肥前国松浦郡で、現在は、佐賀県唐津市、伊万里市および長崎県の松浦市、佐世保市、五島市、平戸市などに分かれる。万葉集にみえる松浦は、おおむね佐賀県の唐津市を中心とした範囲になる。『県(あがた)』は、六世紀頃全国的に設けられた行政区画の名称。国の下に属し、後の国郡制の郡に相当する。」とある。
 2句「佐欲比賣能故何」は「さよひめのこが」と訓む。「佐欲比賣能故」は「さよひめ(佐用姫)のこ(子)」。「佐用姫」は、「松浦佐用姫」「松浦姫」とも呼ばれる、『万葉集』『肥前風土記』などに見える伝説・説話中の女主人公。愛人大伴狭手彦(さでひこ)の朝鮮出征に際し、その別れをひどく悲しみ、高い山の上で領巾(ひれ)を振って別れを惜しんだので、その山を「領布麾(ひれふり)の嶺(みね)」と呼ぶと伝えられる(八七一番歌の序参照)。ここの「子」は、217番歌26句の「其(そ)の嬬(つま)の子(こ)は」などの「子」同じく愛称で、佐用姫という娘子、の意であり、佐用姫の子供という意味ではない。「何」は格助詞「が」。
 3句「比列布利斯」は「ひれふりし」と訓む。「比列」は「ひれ(領布)」。「領布」は、「ひら(枚)」と同語源で、「細長く薄い布」の意。本来は「波・風を起こしまたは静め、害虫・毒蛇などを追い払うなど、呪力を持つと信じられた布。」を意味したが、「古代、主として女性が用いた、首から肩に掛けて左右へ長く垂らした装飾用の白い布」を言うようになった。「布利斯」は、ラ行四段活用の他動詞「ふる(振る)」の連用形「ふり」+回想の助動詞「き」の連体形「し」=「ふりし」を表す。
 4句「夜麻能名乃尾夜」は「やまの名(な)のみや」と訓む。「夜麻」は、「やま(山)」。「能」は連体助詞「の」。「名(な)」は「物事の名称。呼び方。」の意。「乃尾」は、副助詞「のみ」で、ある事物を取り立てて限定するのに用い、強調表現を伴う。「…だけ。…ばかり。」の意。「夜」は係助詞「や」。この「や」は、862番歌4句の「みずてやわれは」の「や」と同じで、「疑問であるが、詠嘆の意がこもり、かすかに反語の氣持がある」と澤潟『萬葉集注釋』と指摘している。
 5句「伎々都々遠良武」は「ききつつをらむ」と訓む。「伎々都々」は、カ行四段活用の他動詞「きく(聞く)」の連用形「きき」+接続助詞「つつ」=「ききつつ」を表す。「遠良武」は、ラ行変格活用の自動詞「をり(居り)」の未然形「をら」+推量の助動詞「む」(連体形)=「をらむ」を表す。
 868番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  まつらがた さよひめのこが 
  ひれふりし やまのなのみや 
  ききつつをらむ

  松浦県 佐用姫の子が 
  領巾振りし 山の名のみや
  聞きつつ居らむ

  松浦県の 佐用姫という娘子が
  領布を振った 山の名だけを
  聞きつつ過ごすのであろうか(一度は行って見てみたい)
タグ:万葉集
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2017年05月03日

『万葉集』を訓(よ)む(その1160)

 今回は867番歌を訓む。「吉田宜(きちだのよろし)の書状」に添えられた歌四首の四首目。前歌(866番歌)と同じく「あなた(旅人)を思う気持ちがまだ尽きなくて、さらに(宜が)詠んだ歌」である。本歌の左注に「天平二年七月十日」があるので、「吉田宜(きちだのよろし)の書状」とそれに添えられた歌四首は、その日に送られたものであることがわかる。
 写本の異同は、2句三字目<我>と5句の末字<里>にある。『西本願寺本』以下の諸本に2句三字目を「家」、5句の末字を「理」としているが、『類聚古集』『紀州本』『細井本』にそれぞれ「我」、「里」とあるのを採る。原文は次の通り。

  枳美可由伎 氣那久奈理奴
  奈良遅那留 志満乃己太知母
  可牟佐飛仁家<里>

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、コ(乙類)音の「己」・ク音の「久」・ナ音の「奈」・ヌ音の「奴」・ノ(乙類)音の「乃」・ユ音の「由」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではム音の「牟」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、チ音の「知」・ニ音の「仁」・ミ(甲類)音の「美」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ガ音の「我」・キ(甲類)音の「伎」・ケ(甲類)音の「家」・ケ(乙類)音の「氣」・サ音の「佐」・シ音の「志」・ダ音の「太」・ヂ音の「遅」・ナ音の「那」・モ音の「母」・リ音の「理」と「里」が使われ、音仮名では、ガ音の「可」・キ(甲類)音の「枳」・ビ音の「飛」・マ音の「満」が使われている。

 1句「枳美可由伎」は「きみがゆき」と訓む。この句は、85番歌及び90番歌の1句「君之行」と同句で、その仮名書き。「枳美」は「きみ(君)」でここ大伴旅人を指す。「可」はカ音の常用音仮名であるが、ここはガ音の音仮名として用いたもので、連体助詞「が」を表す。「由伎」は、動詞「ゆく(行く)の連用形の名詞化した「ゆき(行き)」で、「旅に出ること。旅行。」の意。 ここは、旅人の大宰帥赴任のことを言う。
 2句「氣那我久奈理奴」は「けながくなりぬ」と訓む。この句も、85番歌2句「氣長成奴」及び90番歌2句「氣長久成奴」と同句で、その仮名書き。
「氣」は、ケ(乙類)音の常用音仮名で、日数の意の「日(け)」を表わす。「日(け)」は、日(ひ)の複数で、二日以上にわたる場合に用いる。「那我久」は、ク活用形容詞「ながし(長し)」の連用形「ながく」を表す。「奈理奴」は、ラ行四段活用の自動詞「なる(成る)」の連用形「なり」+完了の助動詞「ぬ」=「なりぬ」を表す。「なる」は、「その時刻や時期に達する。その時に至る。また、時が経過する。」ことをいう。
 3句「奈良遅那留」は「ならぢなる」と訓む。「奈良遅」は、「ならぢ(奈良路)」で、「奈良に通じる道。また、奈良地方を通っている道。」をいう。「那留」は、指定の助動詞「なり」の連体形「なる」。
 4句「志満乃己太知母」は「しまのこだちも」と訓む。「志満」は「しま(山斎)」。「山斎(しま)」は、旅人作の452番歌に既出で、「築山や池のある庭園」の意。「乃」は連体助詞「の」。「己太知」は「こだち(木立)」で、「生い茂っている木。むらがり立っている木。立木。」の意。「母」は係助詞「も」。
 なお、3句・4句について、井村『萬葉集全注』の【考】に詳しく述べられている。後ろに[参考]として引用しておいたので参照されたい。 
 5句「可牟佐飛仁家里」は「かむさびにけり」と訓む。「可牟佐飛」は、バ行上二段活用の自動詞「かむさぶ(神さぶ)」の連用形「かみさび」。「かむさぶ」は、「神々(こうごう)しい様子を呈する。古色を帯びて神秘的な様子である。古めかしくおごそかである。」ことをいう。「仁家里」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」+過去の助動詞「けり」=「にけり」で、すでに完了している事柄について、その事実にあらたに気づいた気持を表わし、詠嘆の気持を伴うことが多い。「…してしまった(ことよ)。…してしまっている(ことだなあ)。」の意。
 867番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  きみがゆき けながくなりぬ
  ならぢなる しまのこだちも
  かむさびにけり

  君が行き 日長くなりぬ
  奈良路なる 山斎の木立も
  神さびにけり

  あなたが筑紫へ行かれてから 随分久しくなりました
  奈良路にある 御庭の木立も
  古色蒼然となり神さびた様子です

[参考]井村『萬葉集全注』の【考】より

 奈良路なる山斎の木立 大伴邸は佐保(さほ)にあった。旅人の父安麻呂は佐保に住んで佐保大納言と呼ばれ(4・五二八左注他)、長子の旅人またその子家持も佐保の宅に居住した。少弐石川が旅人に呈した歌に、
  さす竹の大宮人の家と住む佐保の山をば思ふやも君(6・九五五)
もある。旅人の妹坂上郎女(さかのうえのいらつめ)が佐保の宅に在って作ったという歌に、「あしひきの山にし居れば」(4・七二一)ともあって佐保山に接していたらしい。大井重二郎氏(「佐保丘陵の権門」『万葉集歌枕の解疑』)は、「旧条里の一条四里辺で、長屋王宅より幾許か東に位置し、これに接して橘氏も居宅を構えた。現在の地形に即して云えば、常陸神社所在の丘陵地が考えられる。左京一条三坊の条坊区外で、南は一条南大路、即ち佐保大路が東西に通じて外京七坊の東京極に至る」と推定している。川口常孝氏(「奈良朝歌人の住宅考」『万葉集研究』第六集)に、法蓮山添東町、春日野荘と育英第二校舎の間というこまかい推定もある。
 大伴邸の庭園の結構は人の知るところであったようで、この宜の歌もあるのであろう。後年帰京して家に入った旅人は次のように歌っている。
  妹として二人作りしわが山斎(しま)は木高く繁くなりにけるかも(3・四五二)
  我妹子(わぎもこ)が植ゑし梅の木見るごとに心咽せつつ涙し流る(3・四五三)
そうして旅人の造園趣味は、とりどりの植物を愛した家持はもちろん、その家持が、「この人、ひととなり花草花樹を愛(め)でて多く寝院の庭に植う」(19・三九五七自注)と評した弟書持(ふみもち)にも受け継がれたようである。
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 21:18| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする