2017年06月22日

『万葉集』を訓(よ)む(その1175)

 今回は882番歌を訓む。「敢布私懐歌三首」の三首目。左注に「天平二年十二月六日筑前國守山上憶良謹上」とある。「謹上」は、「謹(つつし)みて上(たてまつ)る」と訓み、「謹んで申し上げます」の意。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  阿我農斯能 美多麻々々比弖 
  波流佐良婆 奈良能美夜故尓
  桃イ宜多麻波祢

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名ではナ音の「奈」・ネ音の「祢」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・タ音の「多」・ル音の「流」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」・ミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、ガ音の「我」・サ音の「佐」・シ音の「斯」・テ音の「弖」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・バ音の「婆」・マ音の「麻」・ヤ音の「夜」が使われ、準常用音仮名では、ゲ(乙類)音の「宜」・コ(甲類)音の「故」・メ(甲類)音の「刀vが、音仮名ではヌ音の「農」が使われている。

 1句「阿我農斯能」は「あがぬしの」と訓む。「阿我農斯」は、「あがぬし(吾主)」で、敬愛の意を含んだ対称の代名詞。「あなた様」の意。「能」は連体助詞「の」。
 2句「美多麻々々比弖」は「みたまたまひて」と訓む。「美多麻」は、「みたま(御霊)」。「み」は接頭語で、「神の霊」を尊んでいう語であるが、ここでは「霊威。おかげ。お心入れ。」の意で用いている。「々々比」の「々々」は「多麻」なので、「々々比」は「多麻比」を表す。「多麻比」は、ハ行四段活用の他動詞「たまふ(賜ふ)」の連用形「たまひ」。「たまふ」は、「与える」「くれる」の意の尊敬語で、その動作の主を敬う。「お与えになる。下さる。」の意。「弖」は接続助詞「て」。
 3句「波流佐良婆」は「はるさらば」と訓む。この句は、835番歌1句と同句。「波流」は「はる(春)」。「佐良婆」は、ラ行四段活用の自動詞「さる」の未然形「さら」+仮定条件を示す接続助詞「ば」=「さらば」。「春になったら」の意。
 4句「奈良能美夜故尓」は「ならのみやこに」と訓む。この句は、808番歌4句「奈良乃美夜古邇」と一部表記は異なるが同句。「奈」「良」は、ナ音・ラ音の常用音仮名(ともに片仮名・平仮名の字源)であるが、ここでは地名「奈良」を表す。「乃」は連体助詞「の」。「美夜故」は「みやこ(都)」。「尓」は場所を示す格助詞「に」。
 5句「桃イ宜多麻波祢」は「めさげたまはね」と訓む。「桃イ宜」は、ガ行下二段活用の他動詞「めさぐ(召上ぐ)」の連用形「めさげ」。「めさぐ」は「めしあぐ(召上)」の変化した語で、「めしあげる。お呼び寄せになる。召還なさる。」の意。「多麻波」は、2句に既出のハ行四段活用の他動詞「たまふ」の未然形「たまは」。ここの「たまふ」は補助動詞で、その動作を、恩恵を受ける者のためにしてくれるということを表す、「…してくださる。」の意。「祢」は、あつらえ望む意を表す終助詞「ね」。終助詞「ね」は、879番歌4句にも「まをしたまはね」として既出で、そこでも引用した『岩波古語辞典』の解説を再度ここにも記しておこう。

 ね(希望・誂え)奈良時代に用いられ、活用語の未然形を承けて希求・誂えの意を表わす点では「な」と同様である。しかし、「ね」は、「刈らさね」「告らさね」「結ばさね」「漕がさね」など、尊敬・親愛の意を表わす助動詞「す」の未然形「さ」を承けるものが圧倒的に多く、他に「賜はね」「いまさね」「申さね」の形が多い。つまりこれは、「な」「なも」に比較して、相手を敬い、相手に親愛の意をこめた表現に用いられる語であったと認められる。

 882番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  あがぬしの みたまたまひて
  はるさらば ならのみやこに 
  めさげたまはね

  吾が主の 御霊賜ひて
  春さらば 奈良の都に
  召上げたまはね

  あなた様の お心入れをお授け下さって
  春になったら 奈良の都に
  召し上げて下さいませ  
タグ:万葉集
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2017年06月20日

『万葉集』を訓(よ)む(その1174)

 今回は881番歌を訓む。「敢布私懐歌三首」の二首目で、作者は山上憶良。
 写本の異同は、1句四字目<未>にあり、これを『西本願寺本』は「米(ミ)」と書いているが、ミと訓んでいることから見ても明らかに誤写と思われる。原文は次の通り。

  加久能<未>夜 伊吉豆伎遠良牟 
  阿良多麻能 吉倍由久等志乃 
  可伎利斯良受提

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・ク音の「久」・ノ(乙類)音の「乃」・ユ音の「由」・ラ音の「良」・リ音の「利」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」・タ音の「多」・ム音の「牟」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・キ(甲類)音の「伎」・シ音の「斯」と「志」・ズ音の「受」・ヅ音の「豆」・ト(乙類)音の「等」・ノ(乙類)音の「能」・ヘ(乙類)音の「倍」・マ音の「麻」・ミ(乙類)音の「未」・ヤ音の「夜」が使われ、準常用音仮名では、テ音の「提」・ヲ音の「遠」が、音仮名ではキ(甲類)音の「吉」が使われている。

 1句「加久能未夜」は「かくのみや」と訓む。「加久」は、副詞「かく」で「このように」の意。「能未」は、限定を表わす副助詞「のみ」。「夜」は係助詞「や」。澤潟『萬葉集注釋』は、「『や』は『やまの名のみや』(八六八)の『や』と同じく詠嘆の意の強い疑問。」であると注している。
 2句「伊吉豆伎遠良牟」は「いきづきをらむ」と訓む。「伊吉豆伎」は、210番歌40句「氣衝明之」の「氣衝」の仮名書きで、カ行四段活用の自動詞「いきづく」の連用形の「いきづき」を表す。「いきづく」は「ためいきをつく。嘆息する。」の意。「遠良牟」は、ラ行変格活用の自動詞「をり(居り)」の未然形「をら」+推量の助動詞「む」=「をらむ」を表す。
 3句「阿良多麻能」は「あらたまの」と訓む。この句は、443番歌43句「荒玉之」、460番歌23句・638番歌3句「荒玉乃」、587番歌3句「荒珠」、590番歌1句「荒玉」と表記は異なるが同句。「あらたまの」は「年(とし)」「月(つき)」およびこれらを含む語にかかる枕詞で、ここも次の「きへゆくとし」の枕詞として使われている。
 4句「吉倍由久等志乃」は「きへゆくとしの」と訓む。「吉倍」は、ハ行下二段活用の自動詞「きふ(来経)」の連用形「きへ」を表す。「きふ」は、「年や月が経過する」ことをいい、830番歌2句「としはきふとも」に既出。「由久」は、カ行四段活用の自動詞「ゆく(行く)」(連体形)を表す。「等志」は「とし(年)」。「乃」は連体助詞「の」。
 5句「可伎利斯良受提」は「かぎりしらずて」と訓む。「可伎利」は、動詞「かぎる(限)」の連用形の名詞化で「かぎり」。時間、空間、程度における限界、極限。また、その限界点に達するまでの範囲を表わす。「斯良」は、ラ行四段活用の他動詞「しる(知る)」の未然形「しら」。「受提」は、879番歌の「受弖」と同じく、打消の助動詞「ず」(連用形)+接続助詞「て」=「ずて」で、「…ないで」の意。

 881番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  かくのみや いきづきをらむ 
  あらたまの きへゆくとしの 
  かぎりしらずて

  かくのみや 息づき居らむ
  あらたまの 来経行く年の
  限り知らずて

  このように ため息をついてばかり過ごすことでしょうか
  (あらたまの) 来ては過ぎ行く年の
  果てを知らないで
タグ:万葉集
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2017年06月16日

『万葉集』を訓(よ)む(その1173)

 今回は880番歌を訓む。題詞に「敢布私懐歌三首〔敢(あ)へて私の懐(おもひ)を布(の)ぶる歌三首〕」とあって、本歌〜882番歌の三首は、「思い切って個人的な思いを述べた歌三首」ということであるが、882番歌の左注に「天平二年十二月六日筑前國守山上憶良謹上」とあるので、作者は山上憶良であることがわかる。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  阿麻社迦留 比奈尓伊都等世 周麻比都々
  美夜故能提夫利 和周良延尓家利

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、セ音の「世」・ナ音の「奈」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・リ音の「利」・ワ音の「和」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ミ(甲類)音の「美」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、ケ(甲類)音の「家」・ツ音の「都」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・ブ音の「夫」・マ音の「麻」・ヤ音の「夜」・エ音の「延」が使われ、準常用音仮名では、コ(甲類)音の「故」・テ音の「提」が、音仮名では、カ音の「迦」・ザ音の「社」・ス音の「周」が使われている。

 1句「阿麻社迦留」は「あまざかる」と訓む。この句は、29番歌17句・227番歌1句・255番歌1句「天離」と同句で、その仮名書き。「あまざかる」は「空遠く離れる」意であるが、枕詞として「向(むか)つ」または「鄙(ひな)」にかかる。
 2句「比奈尓伊都等世」は「ひなにいつとせ」と訓む。「比奈」は「ひな(鄙)」で「都から遠く離れた所。いなか。」の意。「尓」は場所を示す格助詞「に」。「伊都等世」は「いつとせ(五年)」。
 3句「周麻比都々」は「すまひつつ」と訓む。この句は、460番歌25句「住乍」と同句で、その仮名書き。「周麻比」は、マ行四段活用の「すむ(住む)」の未然形「すま」+継続を表す助動詞「ふ」の連用形「ひ」=「すまひ」を表す。「都々」は、同じ動作の反復や継続を表わす接続助詞「つつ」。
 4句「美夜故能提夫利」は「みやこのてぶり」と訓む。「美夜故」(876番歌3句に既出)は、「みやこ(都)」で、「奈良の都」をいう。「能」は連体助詞「の」。「提夫利」は「てぶり(手振り)」で、「手の振り方。ふるまい。習わし。風俗。風習。」の意。
 5句「和周良延尓家利」は「わすらえにけり」と訓む。「和周良延」は、ラ行四段活用の他動詞「わする(忘る)」の未然形「わすら」+自発の助動詞「ゆ」の連用形「え」=「わすらえ」を表す。「わする」は『日本国語大辞典』に下二段活用として載っているが、語誌欄で次のように述べている。

 下二段型のほかに、上代の東国語を中心に四段型が存する。この二語については、四段型を古形、下二段型を新形とみるとらえ方と、四段型は意志的行動としての記憶の消去、下二段型は自然の心理現象としての忘却とみるとらえ方とがあるが、活用の型が異なるということは、原初的には文法的意味が異なっていたもので、有坂秀世は、四段型に受動体を示す辞が加わって融合したのが下二段型であると説明する(国語音韻史の研究‐「わする」の古活用について)。「万葉集‐一四・三四九八」の「海原の根柔ら小菅あまたあれば君は和須良(ワスラ)す我れ和須流礼(ワスルレ)や〈東歌〉」は、両者の意味の違いがよくみてとれる例である。

 「尓家利」(650番歌他に既出)は、完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」+詠嘆の助動詞「けり」=「にけり」。「わすらえにけり」は、「自然に忘れてしまった」という意。
 880番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  あまざかる ひなにいつとせ すまひつつ 
  みやこのてぶり わすらえにけり

  天離る 鄙に五年 住まひつつ
  都のてぶり 忘らえにけり

  遥かな 田舎に五年 住み続けて
  都の風習も 自然に忘れてしまいました
タグ:万葉集
posted by 河童老 at 16:41| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする