2017年06月20日

『万葉集』を訓(よ)む(その1174)

 今回は881番歌を訓む。「敢布私懐歌三首」の二首目で、作者は山上憶良。
 写本の異同は、1句四字目<未>にあり、これを『西本願寺本』は「米(ミ)」と書いているが、ミと訓んでいることから見ても明らかに誤写と思われる。原文は次の通り。

  加久能<未>夜 伊吉豆伎遠良牟 
  阿良多麻能 吉倍由久等志乃 
  可伎利斯良受提

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・ク音の「久」・ノ(乙類)音の「乃」・ユ音の「由」・ラ音の「良」・リ音の「利」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」・タ音の「多」・ム音の「牟」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・キ(甲類)音の「伎」・シ音の「斯」と「志」・ズ音の「受」・ヅ音の「豆」・ト(乙類)音の「等」・ノ(乙類)音の「能」・ヘ(乙類)音の「倍」・マ音の「麻」・ミ(乙類)音の「未」・ヤ音の「夜」が使われ、準常用音仮名では、テ音の「提」・ヲ音の「遠」が、音仮名ではキ(甲類)音の「吉」が使われている。

 1句「加久能未夜」は「かくのみや」と訓む。「加久」は、副詞「かく」で「このように」の意。「能未」は、限定を表わす副助詞「のみ」。「夜」は係助詞「や」。澤潟『萬葉集注釋』は、「『や』は『やまの名のみや』(八六八)の『や』と同じく詠嘆の意の強い疑問。」であると注している。
 2句「伊吉豆伎遠良牟」は「いきづきをらむ」と訓む。「伊吉豆伎」は、210番歌40句「氣衝明之」の「氣衝」の仮名書きで、カ行四段活用の自動詞「いきづく」の連用形の「いきづき」を表す。「いきづく」は「ためいきをつく。嘆息する。」の意。「遠良牟」は、ラ行変格活用の自動詞「をり(居り)」の未然形「をら」+推量の助動詞「む」=「をらむ」を表す。
 3句「阿良多麻能」は「あらたまの」と訓む。この句は、443番歌43句「荒玉之」、460番歌23句・638番歌3句「荒玉乃」、587番歌3句「荒珠」、590番歌1句「荒玉」と表記は異なるが同句。「あらたまの」は「年(とし)」「月(つき)」およびこれらを含む語にかかる枕詞で、ここも次の「きへゆくとし」の枕詞として使われている。
 4句「吉倍由久等志乃」は「きへゆくとしの」と訓む。「吉倍」は、ハ行下二段活用の自動詞「きふ(来経)」の連用形「きへ」を表す。「きふ」は、「年や月が経過する」ことをいい、830番歌2句「としはきふとも」に既出。「由久」は、カ行四段活用の自動詞「ゆく(行く)」(連体形)を表す。「等志」は「とし(年)」。「乃」は連体助詞「の」。
 5句「可伎利斯良受提」は「かぎりしらずて」と訓む。「可伎利」は、動詞「かぎる(限)」の連用形の名詞化で「かぎり」。時間、空間、程度における限界、極限。また、その限界点に達するまでの範囲を表わす。「斯良」は、ラ行四段活用の他動詞「しる(知る)」の未然形「しら」。「受提」は、879番歌の「受弖」と同じく、打消の助動詞「ず」(連用形)+接続助詞「て」=「ずて」で、「…ないで」の意。

 881番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  かくのみや いきづきをらむ 
  あらたまの きへゆくとしの 
  かぎりしらずて

  かくのみや 息づき居らむ
  あらたまの 来経行く年の
  限り知らずて

  このように ため息をついてばかり過ごすことでしょうか
  (あらたまの) 来ては過ぎ行く年の
  果てを知らないで
ラベル:万葉集
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2017年06月16日

『万葉集』を訓(よ)む(その1173)

 今回は880番歌を訓む。題詞に「敢布私懐歌三首〔敢(あ)へて私の懐(おもひ)を布(の)ぶる歌三首〕」とあって、本歌〜882番歌の三首は、「思い切って個人的な思いを述べた歌三首」ということであるが、882番歌の左注に「天平二年十二月六日筑前國守山上憶良謹上」とあるので、作者は山上憶良であることがわかる。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  阿麻社迦留 比奈尓伊都等世 周麻比都々
  美夜故能提夫利 和周良延尓家利

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、セ音の「世」・ナ音の「奈」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・リ音の「利」・ワ音の「和」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ミ(甲類)音の「美」・ル音の「留」が使われている。その他の常用音仮名としては、ケ(甲類)音の「家」・ツ音の「都」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・ブ音の「夫」・マ音の「麻」・ヤ音の「夜」・エ音の「延」が使われ、準常用音仮名では、コ(甲類)音の「故」・テ音の「提」が、音仮名では、カ音の「迦」・ザ音の「社」・ス音の「周」が使われている。

 1句「阿麻社迦留」は「あまざかる」と訓む。この句は、29番歌17句・227番歌1句・255番歌1句「天離」と同句で、その仮名書き。「あまざかる」は「空遠く離れる」意であるが、枕詞として「向(むか)つ」または「鄙(ひな)」にかかる。
 2句「比奈尓伊都等世」は「ひなにいつとせ」と訓む。「比奈」は「ひな(鄙)」で「都から遠く離れた所。いなか。」の意。「尓」は場所を示す格助詞「に」。「伊都等世」は「いつとせ(五年)」。
 3句「周麻比都々」は「すまひつつ」と訓む。この句は、460番歌25句「住乍」と同句で、その仮名書き。「周麻比」は、マ行四段活用の「すむ(住む)」の未然形「すま」+継続を表す助動詞「ふ」の連用形「ひ」=「すまひ」を表す。「都々」は、同じ動作の反復や継続を表わす接続助詞「つつ」。
 4句「美夜故能提夫利」は「みやこのてぶり」と訓む。「美夜故」(876番歌3句に既出)は、「みやこ(都)」で、「奈良の都」をいう。「能」は連体助詞「の」。「提夫利」は「てぶり(手振り)」で、「手の振り方。ふるまい。習わし。風俗。風習。」の意。
 5句「和周良延尓家利」は「わすらえにけり」と訓む。「和周良延」は、ラ行四段活用の他動詞「わする(忘る)」の未然形「わすら」+自発の助動詞「ゆ」の連用形「え」=「わすらえ」を表す。「わする」は『日本国語大辞典』に下二段活用として載っているが、語誌欄で次のように述べている。

 下二段型のほかに、上代の東国語を中心に四段型が存する。この二語については、四段型を古形、下二段型を新形とみるとらえ方と、四段型は意志的行動としての記憶の消去、下二段型は自然の心理現象としての忘却とみるとらえ方とがあるが、活用の型が異なるということは、原初的には文法的意味が異なっていたもので、有坂秀世は、四段型に受動体を示す辞が加わって融合したのが下二段型であると説明する(国語音韻史の研究‐「わする」の古活用について)。「万葉集‐一四・三四九八」の「海原の根柔ら小菅あまたあれば君は和須良(ワスラ)す我れ和須流礼(ワスルレ)や〈東歌〉」は、両者の意味の違いがよくみてとれる例である。

 「尓家利」(650番歌他に既出)は、完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」+詠嘆の助動詞「けり」=「にけり」。「わすらえにけり」は、「自然に忘れてしまった」という意。
 880番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  あまざかる ひなにいつとせ すまひつつ 
  みやこのてぶり わすらえにけり

  天離る 鄙に五年 住まひつつ
  都のてぶり 忘らえにけり

  遥かな 田舎に五年 住み続けて
  都の風習も 自然に忘れてしまいました
ラベル:万葉集
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2017年06月14日

『万葉集』を訓(よ)む(その1172)

 今回は879番歌を訓む。「書殿餞酒日倭歌四首」の四首目である。
 写本の異同としては、古写本のいずれにも「度」とある5句三字目の<度>が、『西本願寺本』では脱落していることが挙げられる。但し、『西本願寺本』でも「加」と「佐」の間に○符があり、右に小文字で「度」と記している。原文は次の通り。

  余呂豆余尓 伊麻志多麻比提 
  阿米能志多 麻乎志多麻波祢 
  美加<度>佐良受弖 

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、カ音の「加」・ネ音の「祢」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」・ロ(乙類)音の「呂」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」・タ音の「多」・ヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」・ミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、サ音の「佐」・シ音の「志」・ズ音の「受」・ヅ音の「豆」・テ音の「弖」・ド(甲類)音の「度」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・マ音の「麻」・メ(乙類)音の「米」・ヨ(乙類)音の「余」が使われ、準常用音仮名ではテ音の「提」が使われている。

 1句「余呂豆余尓」は「よろづよに」と訓む。この句は、873番歌1句と同句。「余呂豆余」は、「よろづよ」で、「万世」とも「万代」とも書き、「限りなく長く続く代」の意。「尓」は格助詞「に」。
 2句「伊麻志多麻比提」は「いましたまひて」と訓む。「伊麻志」は、サ行四段活用の自動詞「います」の連用形「いまし」。「います」(前歌にも既出)は、尊敬語動詞「ます」に接頭語「い」が付いてできた語で、存在を表わす「あり(有)」「をり(居)」の、存在主を敬っていう尊敬語。「いらっしゃる。おいでになる。おわす。おわします。」の意。「多麻比」は、ハ行四段活用の他動詞「たまふ」の連用形「たまひ」。「たまふ」は補助動詞で、動作の主を尊敬する意を表す。「提」は接続助詞「て」。
 3句「阿米能志多」は「あめのした」と訓む。この句は、199番歌23句他に「天下」の表記で既出、その仮名書き。「あめのした」は、地上の世界全部を意味する漢語「天下(てんか)」を訳したもので、「高天原の下にある、この国土」の意。
 4句「麻乎志多麻波祢」は「まをしたまはね」と訓む。「麻乎志」は、サ行四段活用の他動詞「まをす」の連用形「まをし」。「まをす」は、上代語で、上代末ごろから「まうす」の形が現れ、それが後に「もうす」に変化していく。「言う」の謙譲語(言う対象を敬う)。「申しあげる。言上する。」の意であるが、ここでは、特に、「政務について奏上する」意味で用いられている。「多麻波」は、2句に既出のハ行四段活用の他動詞「たまふ」の未然形「たまは」。「まをしたまふ」は、「申賜」の表記により、199番歌に既出。そこでも述べたが、「あめのしたまをしたまふ(天の下申し賜ふ)」は、「天皇に対して天下の政を奏上する」意から「政治を執る」意に使われるようになった慣用語である。「祢」は、あつらえ望む意を表す終助詞「ね」。終助詞「ね」について、『岩波古語辞典』は次のように解説している。

 ね(希望・誂え)奈良時代に用いられ、活用語の未然形を承けて希求・誂えの意を表わす点では「な」と同様である。しかし、「ね」は、「刈らさね」「告らさね」「結ばさね」「漕がさね」など、尊敬・親愛の意を表わす助動詞「す」の未然形「さ」を承けるものが圧倒的に多く、他に「賜はね」「いまさね」「申さね」の形が多い。つまりこれは、「な」「なも」に比較して、相手を敬い、相手に親愛の意をこめた表現に用いられる語であったと認められる。

 5句「美加度佐良受弖」は「みかどさらずて」と訓む。「美加度」は「みかど(朝廷)」。「みかど」(794番歌他に既出)は、本来「御門」と書き、接頭語の「み」がついた「門」の尊敬語であり、そこから家や屋敷の尊敬語となり、特に天子・天皇の居処をいい、朝廷を表わす言葉となったもの。「佐良」は、ラ行四段活用の自動詞「さる(去る)」の未然形「さら」。「受弖」は、打消の助動詞「ず」(連用形)+接続助詞「て」=「ずて」で、「…ないで」の意。
中古以後は、和歌などを除いてはあまり用いられていない。
 879番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  よろづよに いましたまひて 
  あめのした まをしたまはね 
  みかどさらずて

  万世に いましたまひて
  天の下 申し賜はね
  朝廷去らずて

  いついつまでも ご健在で
  天下の 政事(まつりごと)をお執(と)り下さい
  朝廷をお離れなさらずに
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 11:20| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする