2017年06月12日

『万葉集』を訓(よ)む(その1171)

 今回は878番歌を訓む。「書殿餞酒日倭歌四首」の三首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  伊比都々母 能知許曽斯良米
  等乃斯久母 佐夫志計米夜母
  吉美伊麻佐受斯弖

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ク音の「久」・ソ(乙類)音の「曽」・ノ(乙類)音の「乃」・ヒ(甲類)音の「比」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではイ音の「伊」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ケ(甲類)音の「計」・チ音の「知」・ミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、コ(乙類)音の「許」・サ音の「佐」・シ音の「志」と「斯」・ズ音の「受」・ツ音の「都」・テ音の「弖」・ト(乙類)音の「等」・ノ(乙類)音の「能」・ブ音の「夫」・マ音の「麻」・メ(乙類)音の「米」・モ音の「母」・ヤ音の「夜」が使われ、音仮名ではキ(甲類)音の「吉」が使われている。

 1句「伊比都々母」は「いひつつも」と訓む。「伊比都々」は、ハ行四段活用の他動詞「いふ」の連用形「いひ」+活用語の連用形に付いて動作の並行・継続を表わす接続助詞「つつ」=「いひつつ」。「母」は係助詞「も」。これだけでは、「いひつつも」の内容はわからない。諸注の大方は、その内容を「別れのさびしさ」と解釈しているが、井村『萬葉集全注』は「今はこうやって賑やかに集まって、旅人卿の栄転帰京をめでたがり、名残りを惜しみ、とやかく言い言いしているけれども、というような意味であるらしい。」としている。
 2句「能知許曽斯良米」は「のちこそしらめ」と訓む。「能知」は、「のち(後)」で、「時間的に、それよりあと。ある時よりあと。」の意。「許曽」は、強い指示を表わす係助詞「こそ」。「斯良米」は、ラ行四段活用の他動詞「しる(知る)」の未然形「しら」+推量の助動詞「む」の已然形「め」=「しらめ」を表す。北村季吟『萬葉集拾穂抄』に「さびしからんといひつつも君いまさで後こそ実に思ひしらめと也」とある。
 1句・2句「いひつつも・のちこそしらめ」は、「今はいろいろ言っているけれども、本当のさびしさは、後になってこそわかるでしょう。」の意。 
3句「等乃斯久母」は「とのしくも」と訓む。「等乃斯久」は、シク活用形容詞「ともし(乏し)」の方言「とのし」の連用形「とのしく」。「母」は1句に同じで、係助詞「も」。
 この句については、井村『萬葉集全注』が詳しく注しているので、それを見ておこう。

○ とのしくも 難解で諸説がある。仙覚抄「殿シキリニ、サビシカランカモ
トヨメル也。トノトハ、ハシツクリニカケル書殿ナルベシ」は、シキリニの意の副詞シクモが認められるだろうか。代匠記初稿本「殿しくといふ詞にや。殿めきたる君がましまさずはさびしからむとなり」は、殿シクという語が認め難い。攷証「等乃は殿にて、太宰帥の館をいひ、斯久は助辞にて、殿もといへるならん」は、シクという助辞も認めがたい。全註釈「トノシクが形容詞で、シクはその活用語尾だろうということは推量しがたくないが、トノは不明である。強いて求めれば、トノ曇ルなどいう場合、トノは全体的であることを意味するものと考えられるから、このトノシクもそれで、全体的にの意味をなすものでもあろうか」として、「かように申しながらも、後になって知ることでしょう。総じてつまらないことはないでしょう、あなたがおいでにならないでもと。」という訳を示すが、これでは旅人卿に対して失礼な言いぐさになると思われる。拾穂抄が「一説とのしくもは乏しくも也」を示し、童蒙抄、考以下それによるものが多い。管見は「ノトモ同韻ナリ」とし、略解は「乃は母の誤ならむか」とし、攷証(頭書)は「これも法言にて、乏しくなるべし」と言う。注釈はこれらを支持して、「憶良は古語(八〇二)や仏語(九〇六)や俗語(八九二)を歌の中へ好んでとり入れてゐるらしく思はれるので、地方の方言をもとり入れるといふ事は十分考へ得るからである」と言う。今は方言説を取り、「ともしくも」の訛と考えておくほかないと思う。

 4句「佐夫志計米夜母」は「さぶしけめやも」と訓む。「佐夫志計」は、シク活用形容詞「さぶし」の未然形「「さぶしけ」。「さぶし」は「さびし(寂し)」に同じ。「米」は2句に同じで、推量の助動詞「む」の已然形「め」。「夜母」は、係助詞「や」に終助詞「も」の添った「やも」を表し、活用語の已然形を承けて反語に使う。「『寂しけめやも』の反語は、『とのしく』を否定する。」と、阿蘇「萬葉集全歌講義」にある。「とのしくも さぶしけめやも」は、「少しばかりの寂しさであろうはずはない」の意。
 5句「吉美伊麻佐受斯弖」は「きみいまさずして」と訓む。「吉美」は、「きみ(君)」で、大伴旅人を指す。「伊麻佐受」は、サ行四段活用の自動詞「います」の未然形「いまさ」+打消の助動詞「ず」(連用形)=「いまさず」。「います」は、尊敬語動詞「ます」に接頭語「い」が付いてできた語で、存在を表わす「あり(有)」「をり(居)」の、存在主を敬っていう尊敬語。「いらっしゃる。おいでになる。おわす。おわします。」の意。「斯弖」は、サ変動詞「す」の連用形「し」に接続助詞「て」が付いた「して」で、助詞のように用いられる。格助詞的用法と接続助詞的用法があるが、ここは後者。
 878番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  いひつつも のちこそしらめ
  とのしくも さぶしけめやも 
  きみいまさずして

  言ひつつも 後こそ知らめ
  とのしくも 寂しけめやも
  君いまさずして

  今はいろいろ言っているが 別れて後にこそ知るでしょう
  少しばかりの 寂しさであろうはずはないことを
  あなたがいらっしゃらなくなったら
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 16:12| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする