2017年08月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1197)

 今回は893番歌を訓む。82句からなる長歌「貧窮問答歌一首」(892番歌、以下、「長歌」という。)の反歌である。なお、この歌の左注に「山上憶良頓首謹上」とあるので、本歌と「長歌」は、山上憶良が、誰かに「頓首(とんしゅ)(地面に頭を付けて最敬礼)」して「謹(つつし)みて上(たてまつ)った」ものであることがわかる。しかし、憶良の他の「謹上歌」には作歌の日付が記されているが、ここには作歌の日付がないため成立時期が定かでなく、また謹上の相手も直ちに見極めることはむずかしい。ただ、成立時期については、「山上憶良」とだけあって官職名が付されていないのは、致仕をして散位となったためと考えられることから、「筑前国守」を致仕して帰京後の作品と見て良いかと思われる。「謹上の相手」については、これまで、大伴旅人・藤原房前・多治比県守・多治比広成・麻田陽春などの名があがっているが、それぞれが有力な推測であるため、決着はつきそうにない。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母
  飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ウ音の「宇」・オ音の「於」・シ音の「之」・ネ音の「祢」・ラ音の「良」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名ではヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではア音の「安」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・サ音の「佐」・ツ音の「都」・ト(乙類)音の「等」・ド(乙類)音の「杼」・ニ音の「尓」・バ音の「婆」・ヘ(乙類)音の「倍」・モ音の「母」・ヤ音の「夜」が使われている。
 なお、「世間」「飛立」「鳥」は、正訓字である。

 1句「世間乎」は「世間(よのなか)を」と訓む。「世間(よのなか)」は、「長歌」の末句に既出で、「この世。世の中。」の意。「乎」は格助詞「を」。
 2句「宇之等夜佐之等」は「うしとやさしと」と訓む。「宇之」は、ク活用形容詞「うし(憂し)」を表す。「うし」は、「ある状態をいとわしく、不愉快に思うさま。」を言い、「いやだ。煩わしい。気に入らない。」の意。「等」は格助詞「と」。「夜佐之」は、シク活用形容詞「やさし(恥し)」を表す。「やさし」は、動詞「やせる(痩せる)」が形容詞化したもので、「人の見る目に対して身も細る思いである。」ことを言い、「きまりが悪い。肩みがせまい。みっともなくて恥ずかしい。」の意。「等」は格助詞「と」。
 3句「於母倍杼母」は「おもへども」と訓む。この句は、658番歌1句「雖念」や775番歌3句「念友」などと同句で、805番歌3句の「意母閇騰母」と同様、その仮名書き表記。「於母倍」は、ハ行四段活用の他動詞「おもふ」の已然形「おもへ」。「杼母」は、逆接の確定条件を示す接続助詞「ども」。
 4句「飛立可祢都」は「飛(と)び立(た)ちかねつ」と訓む。「飛立」は、バ行四段活用の自動詞「飛(と)ぶ」とタ行四段活用の自動詞「立(た)つ」との複合動詞であるタ行四段活用の自動詞「飛(と)び立(た)つ」の連用形「飛(と)び立(た)ち」を表す。「飛(と)び立(た)つ」は、「とんでその場を離れる。とびあがる。とびさる。」ことをいう。「可祢都」は、805番歌5句に既出で、ナ行下二段活用「かぬ」の連用形で「かね」+完了の助動詞「つ」=「かねつ」を表す。「かぬ」は、補助動詞として動詞の連用形に付いて用いられ、「…し続けることができない。…しようとしてもできない。」の意。
 5句「鳥尓之安良祢婆」は「鳥(とり)にしあらねば」と訓む。「鳥」は象形文字で、鳥の全形を象る。字音はチョウで、字訓は「とり」。「尓」は格助詞「に」。「之」は副助詞「し」。「安良祢婆」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「あら」+打消しの助動詞「ず」の已然形「ね」+接続助詞「ば」=「あらねば」を表す。「にしあらねば」という表現は、486番歌5句に「君(きみ)にし在(あ)らねば」というのがあった。
 893番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  よのなかを うしとやさしと おもへども 
  とびたちかねつ とりにしあらねば

  世間を 憂しと恥しと 思へども
  飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば

  世の中を 煩わしく身が細るものと 思うけれど 
  飛び去ることもできない 鳥ではないので
ラベル:万葉集
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2017年08月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その1196)

 前回までで、「貧窮問答歌一首」(892番歌)を訓み終えたので、今回はそのまとめとして、892番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示す。なお漢字仮名交じり文においては、原文で正訓字・戯訓字のものにはルビを振り、原文で仮名書きのものは仮名の下に(漢字表記)を付した。
 「貧窮問答歌一首」の漢字仮名交じり文を示すと、次の通り。

  風(かぜ)雜(まじ)り 雨(あめ)ふる(降る)よ(夜)の
  雨(あめ)雜(まじ)り 雪(ゆき)ふる(降る)よ(夜)は
  すべもなく 寒(さむ)くしあれば
  堅塩(かたしほ)を 取(と)りつづしろひ
  糟湯酒(かすゆざけ) うちすすろひて
  しはぶかひ 鼻(はな)びしびしに
  しかとあらぬ ひげかき(掻き)撫(な)でて
  あれ(我)をおきて 人(ひと)はあらじと
  ほころへ(誇ろへ)ど 寒(さむ)くしあれば
  麻被(あさぶすま) 引(ひ)きかがふり(被り)
  布(ぬの)かた(肩)衣(ぎぬ) ありのことごと
  きそへ(着襲へ)ども 寒(さむ)き夜(よ)すらを
  われ(我)よりも 貧(まづ)しき人(ひと)の
  父母(ちちはは)は 飢(う)ゑ寒(こ)ゆらむ
  妻子等(めこども)は 乞(こ)ふ乞(こ)ふ泣(な)くらむ
  此(こ)の時(とき)は いかにしつつか
  汝(な)が代(よ)はわたる(渡る)
  天地(あめつち)は ひろし(広し)といへど
  あ(吾)がためは 狭(さ)くやなりぬる
  日月(ひつき)は あかし(明し)といへど
  あ(吾)がためは 照(て)りやたまはぬ
  人(ひと)皆(みな)か 吾(あ)のみやしかる
  わくらばに ひと(人)とはあるを
  ひとなみ(人並)に あれ(我)も作(つく)るを
  綿(わた)もなき 布(ぬの)かた(肩)衣(ぎぬ)の
  みる(海松)のごと わわけさがれる
  かかふのみ 肩(かた)に打懸(うちか)け
  ふせいほ(伏庵)の まげいほ(曲庵)の内(うち)に
  直土(ひたつち)に 藁(わら)解(と)き敷(し)きて
  父母(ちちはは)は 枕(まくら)のかた(方)に
  妻子(めこ)どもは 足(あと)の方(かた)に
  圍(かく)み居(ゐ)て 憂(うれ)へ吟(さまよ)ひ
  かまど(竃)には 火氣(ほけ)ふきたて(吹き立て)ず
  こしき(甑)には くものす(蜘蛛の巣)かき(掛き)て
  飯(いひ)炊(かし)く 事(こと)もわすれ(忘れ)て
  ぬえ鳥(とり)の のどよひ居(を)るに
  いとのきて 短(みじか)き物(もの)を
  端(はし)きる(切る)と 云(い)へるが如(ごと)く
  楚(しもと)取(と)る 五十戸良(さとおさ)がこゑ(声)は
  寝屋(ねや)どまで 来立(きた)ち呼(よ)ばひぬ
  かくばかり すべなきものか
  世間(よのなか)の道(みち)

 次に、「貧窮問答歌一首」の口語訳を示すと、次の通り。

  風を雜えて 雨の降る夜の
  雨を雜えて 雪の降る夜は
  どうしようもなく 寒いので
  堅い塩を 取っては少しずつかじり
  酒の糟を湯にといたものを すすりすすりして
  繰り返し咳きこんでは 鼻汁をびしびし音を立てて啜り上げ
  たいしてありもしもない ひげをかき撫でて
  私をさしおいては 大した人物はおるまいと
  しきりに威張ってみるが そうはいっても寒いので
  麻布でつくった粗末な夜具を すっぽりかぶって
  布製の袖なしを あるかぎり全部
  重ねて着ても なお寒い夜を
  私より 貧しい人の
  父母は 飢えて凍えているだろう
  妻子は 食べ物をしきりに乞うて泣いているだろう
  こういう時は どのようにして
  お前は世を渡っているのか
  天と地は 広いというが
  私のためには 狭くなったのか
  日と月は 明るいというが
  私のためには 照ってくださらないのか
  すべての人か それとも私だけがこうなのか
  たまたまこうして 人となったのに
  人並みに 私も耕作しているのに
  綿も入っていない 布製の袖なしの
  海松のように 細かくちぎれてぶらさがっている
  ぼろ布だけを 肩に引っ掛けて
  つぶれたような家の 曲がって倒れかけた家の中に
  土の上にじかに 藁を解いて敷いて
  父母は 頭の方に
  妻や子は 足の方に
  私を囲んで座って 悲しんで嘆息をつき 
  かまどには 煙を吹き上がらせることもなく
  こしきには 蜘蛛が巣をつくり
  飯を炊く ことも忘れて
  ぬえ鳥のように 悲しげな声をあげていると 
  ことのほか 短いものを
  さらにその端を切る という諺のように
  木の若枝で作った鞭を手に持った 里長の声は
  寝床のそばまで やって来てわめき立てている
  これほどまでに どうしようもないものなのか
  世の中を生きていくということは 
ラベル:万葉集
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2017年08月24日

『万葉集』を訓(よ)む(その1195)

 今回は、「貧窮問答歌一首」(892番歌)の70句〜末句の82句までを訓む。
 まず、今回使われている万葉仮名について見ておこう。 

 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ク音の「久」・ナ音の「奈」・ノ(乙類)音の「乃」・ヌ音の「奴」・ヒ(甲類)音の「比」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・ス音の「須」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名ではハ音の「波」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ガ音の「我」・キ(甲類)音の「伎」・コ(乙類)音の「許」・ト(乙類)音の「等」・ド(甲類)音の「度」・ド(乙類)音の「杼」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・バ音の「婆」・マ音の「麻」・エ音の「延」・ヨ(乙類)音の「与」・リ音の「里」・ヱ音の「恵」が使われ、準常用音仮名ではテ音の「提」が使われ、音仮名では、デ音の「【人偏に弖】」・モ音の「物」が使われている。なお、「部」は片仮名ヘの字源となった、「へ(甲類)」の常用訓仮名であるが、ここでは「べ」に流用されている。
 
 70句・71句「奴延鳥乃・能杼与比居尓」は「ぬえ鳥(とり)の・のどよひ居(を)るに」と訓む。70句は、人麻呂の「明日香皇女挽歌」(196番歌)の51句「宿兄鳥之」と表記は異なるが同句で、「ぬえ鳥(とり)の」と訓む。「ぬえ鳥(とり)」は「とらつぐみ」の異名で、「ぬえ鳥の」は、ぬえ鳥の鳴き声が悲しげに聞こえるところから、「うら歎(な)く」「のどよふ」「片恋ひ」にかかる枕詞として使われた。ここは次の「のどよひ」にかかる。「能杼与比」は、ハ行四段活用の自動詞「のどよふ」の連用形「のどよひ」を表す。「のどよふ」は、「細々とした力のない声を出す。悲しげな声でなく。」ことをいう。「居」は、ラ行変格活用の自動詞「をり」の連体形「居(を)る」。「尓」は接続助詞「に」。
 72句・73句「伊等乃伎提・短物乎」は「いとのきて・短(みじか)き物(もの)を」と訓む。「伊等」は、「程度のはなはだしいさま」をいう副詞「いと」を表す。「乃伎提」は、動詞「のく(除・退)」の連用形に助詞「て」が付いた「のきて」を表す。「いとのきて」は、通常的、一般的なものから、それだけを、格別な特色があるとして区別し強調する意味で用いる。「ことのほか。いやがうえに。普通以上に。」の意。「短物」は、「短(みじか)き物(もの)」と訓む。「短(みじか)き」は、ク活用形容詞「みじかし」の連体形で、「物(もの)」は「形のある物体一般」をいう。「乎」は格助詞「を」。
 74句・75句「端伎流等・云之如」は「端(はし)きると・云(い)へるが如(ごと)く」と訓む。「端(はし)」は「細長い物の末の部分。また、平らな物などの周辺の部分。へり。ふち。さき。」の意。「伎流」は、ラ行四段活用の他動詞「きる(切る)」を表し、「刃物などで、一続きのものに力を加えて分け離す。」ことをいう。「等」は格助詞「と」。ここの「云」は、ハ行四段活用の他動詞「いふ」の已然形「いへ」(音韻上は命令形)に完了存続の助動詞「り」の連体形「る」を補読して「云(い)へる」と訓む。「之」は漢文の助字で、格助詞「が」に用いたもの。「如」(328番歌4句他に既出)は、比況の機能を持つ漢文の助字で、「…のようである」の意であることから、比況を表わす助動詞「ごとし」にあてたもの。その活用は「〇・ごとく・ごとし・ごとき・〇・〇」で、ここは連用形の「如(ごと)く」。
 73句・74句に「短(みじか)き物(もの)を端(はし)きる」とあるのは、いやが上にも窮迫することを譬える当時のことわざで、後の憶良作「沈【疒に阿】(ちんあ)自哀文(じあいぶん)」にも「短き材(き)は端を截(き)る」とある。
 76句・77句「楚取・五十戸良我許恵波」は「楚(しもと)取(と)る・五十戸良(さとおさ)がこゑは」と訓む。「楚」は「しもと」と訓み、「木の若枝でつくったむち、または杖。」をいい、刑罰の具に用いられた。「取」は、ラ行四段活用の他動詞「取(と)る」(連体形)で、「手に握って持つ。」ことをいう。「五十戸良」は、「さとをさ(里長)」と訓む。戸令(こりやう)に「凡そ戸(へ)は、五十戸を以て里とせよ。里毎に長一人置け掌(つかさど)らむこと、戸口(ごく)を検校(けむげう)し、農桑(のうさう)を課(おほ)せ殖(う)ゑしめむこと、非違(ひゐ)を禁(いさ)め察(み)む、賦役(ふやく)を催(もよほ)し駈(つか)はむこと。…以下略…」とある。「良」は「首」に通じ、「長」を意味する。以上より「さとをさ(里長)」を「五十戸良」と表記したもの。「我」は連体助詞「が」。「許恵」は、「こゑ(声)」で、「人が発音器官を使って出す音」をいう。「波」は係助詞「は」。
 78句・79句「寝屋度麻【人偏に弖】・来立呼比奴」は「寝屋(ねや)どまで・来立(きた)ち呼(よ)ばひぬ」と訓む。「寝屋(ねや)」は、「夜寝るために設けられた部屋。寝室。」の意。「度」は、他の語に付いて、ところ、場所の意を表わす語素の「と」が連濁で「ど」となったもので、「寝屋(ねや)ど」は、「寝る所」をいう。「麻【人偏に弖】」は、副助詞「まで」を表す。「来立」は、タ行四段活用の自動詞「きたつ」の連用形「来立(きた)ち」と訓む。「きたつ」は、「来て、その場所に立つ。」ことをいう。「呼比奴」は、ハ行四段活用の自動詞「よばふ」の連用形「呼(よ)ばひ」+完了の助動詞「ぬ」=「呼(よ)ばひぬ」。「よばふ」は、動詞「よぶ(呼)」の未然形に、反復・継続を表わす助動詞「ふ」の付いたもので、「呼び続ける。繰り返し叫ぶ。大声に叫び呼ぶ。」ことをいう。
 80句・81句「可久婆可里・須部奈伎物能可」は「かくばかり・すべなきものか」と訓む。80句「可久婆可里」は、723番歌13句及び752番歌1句の「如是許」と同句で、その仮名書き「かくばかり」を表し、「これほど。これほどまでに。」の意。「須部奈伎物能」は、804番歌2句の「周弊奈伎物能」と同じで「すべなきもの」を表す。「須部」は、「なすべき手だて。そうすればよいというしかた。手段。方法。」の意の「すべ」を表す。「奈伎」は、ク活用形容詞「なし」の連体形「なき」。「物能」は用言の連体形を受けて、それを一つの概念として体言化する形式名詞の「もの」を表す。「可」は詠嘆を込めた疑問の係助詞「か」。
 82句「世間乃道」は「世間(よのなか)の道(みち)」と訓む。「世間」(804番歌他に既出)は、「この世。世の中。」の意で「世間(よのなか)」と訓む。「乃」は連体助詞「の」。ここの「道(みち)」は「道理。あり方。」の意。
ラベル:万葉集
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