2017年10月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1212)

 今回は、前回の続きで、「悲歎俗道假合即離易去難留詩一首[并序]」とある詩一首を訓むが、その前に序の口訳を記しておこう。

  世の道理の、仮に合っているだけで、たちまち分離し、はかなく常ない
  ことを悲しみ嘆く詩 [序を併せる]

 ひそかに思うに、釈・慈の教えは、 [釈・慈とは、釈迦如来と弥勒菩薩とをいう。] 先に三帰 [仏・法・僧を深く信じ、その教えに従うことをいう。] 五戒を広く説いて全世界を教化し、 [五戒とは、一に殺さない、二に盗まない、三に姦淫をしない、四に嘘をつかない、五に酒を飲まない、ことをいう。] 周公と孔子の教訓は、まず、三綱 [君臣、父子、夫婦の道をいう。] 五教によって国家を整えようとした。[五教とは、父は義、母は慈、兄は友、弟は順、子は孝であることをいう。] そこで、仏教と儒教と二つ、教導の手段こそ違っているが、悟りを開く要諦はただ一つであることがわかる。ただ、考えてみと、この世には恒久不変という性質がない。だから、丘は谷となり、谷は丘となる。人間にも定まった寿命はなく、それで長生きする者も若死にする者もある。瞬きをする間に、百年はたちまち尽きてしまうし、肘を伸ばす間に千年が過ぎてしまう。朝、宴席の主人であった者が、夕方には冥土の客となっている。白馬がいかに早く走ろうとも、迫ってくる死の早さにどうして及ぼうか。徐君の墓の青松に掛けた季札の信義の剣も空しく、野の白楊はただ悲しい風に吹かれているばかりである。こうして、この世にはもともと死を逃れて隠れ住む家はなく、原野にはただ永遠の眠りのための墓だけがあるということを思い知るのである。昔の聖人たちはとっくに世を去り、後に続いた賢人たちもまたこの世に留まってはいない。もし金を出して死から逃れられるなら、古人の誰しもがそのための金を用意しただろう。ただ一人生きながらえてこの世の終わりを見た者があったとは、これまで聞いたことがない。それゆえ、維摩大士は病気になって尊いお身体を一丈四方の部屋に横たえられ、釈迦如来は貴いお姿を沙羅双樹に覆われて亡くなられたのである。仏典には、「黒闇天女が後から来ることを望まないなら、功徳大天の先立って訪れることを受け入れるな」とある。[功徳大天は生、黒闇天女は死である。] それ故、生まれてきた以上、必ず死ぬということがわかるのである。もしも死ぬのがいやなら、生まれてこない方がよい。だが、たとえ始めがあれば終わりがあるという世の道理を覚ったとしても、どうして生死の大いなる定めに思慮が及ぼうか。

 それでは次に詩一首に進もう。詩の原文は次の通り。

  俗道變化猶撃目
  人事經紀如申臂
  空与浮雲行大虚
  心力共盡無所寄

 この訓読文を記すと、次の通り。

  俗道(ぞくだう)の變化(へんくわ)は猶(なほ)撃目(げきもく)のごとく、
  人事(じんじ)の經紀(けいき)は申臂(しんぴ)の如(ごと)し。
  空(むな)しく浮雲(ふうん)と大虚(たいきよ)を行(ゆ)き、
  心力(しんりよく)共(とも)に盡(つ)きて寄(よ)る所(ところ)無(な)し。

 「俗道(ぞくだう)の變化(へんくわ)」は、「この世の移りかわること。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
 「人事(じんじ)の經紀(けいき)」は、「人生の忽ち過ぎ去り滅びに至る筋道。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
 「空(むな)しく浮雲(ふうん)と大虚(たいきよ)を行(ゆ)き」について、井村『萬葉集全注』は「大虚は、大空。『是ノ身ハ浮雲ノ如ク、須臾ニシテ変滅ス』(維摩経方便品)。『空中ノ雲ノ如シ。……衆生ヲ観ズルコトカクノゴトシトナス』(同上、観衆生品)。」と注している。

 この詩一首を口訳すると、

  この世の移り変わりは瞬きをする間の短さであり
  人生の滅びに至る筋道はひじを伸ばすほどの短い間である
  その虚しさは浮雲とともに大空を行くようで
  心も力も共に尽き果て頼る所とてない
ラベル:万葉集
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2017年10月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その1211)

 今回は、「沈痾(ちんあ)自哀文(じあいぶん)」に続く、憶良の作で、題詞に「悲歎俗道假合即離易去難留詩一首[并序]」とある詩一首の序を訓む。
 原文は次の通り。なお、写本で二行書きで書かれている注の部分は、ここでは[一行]で記す。

 悲歎俗道假合即離易去難留詩一首 [并序]

竊以 釋慈之示教 [謂釋氏慈氏] 先開三歸 [謂歸依佛法僧] 五戒而化法界 [謂一不【殺】生二不偸盗三不邪婬四不妄語五不飲酒] 周孔之垂訓前張三綱 [謂君臣父子夫婦] 五教以濟邦國 [謂父義母慈兄友弟順子孝] 故知 引導雖二 得悟惟一也 但以世無恒質 所以陵谷更變 人無定期所以壽夭不同 撃目之間百齡已盡 申臂之頃 千代亦空 旦作席上之主夕為泉下之客白馬走来 黄泉何及 隴上青松空懸信劔 野中白楊但吹悲風是知 世俗本無隠遁之室 原野唯有長夜之臺 先聖已去 後賢不留 如有贖而可免者 古人誰無價金乎 未聞獨存遂見世終者 所以維摩大士疾玉體于方丈 釋迦能仁掩金容于雙樹 内教曰 不欲黒闇之後来 莫入徳天之先至 [徳天者生也 黒闇者死也] 故知生必有死 々若不欲不如不生 况乎縦覺始終之恒數 何慮存亡之大期者也

 注:【殺】とあるのは、写本では、パソコンにない【敏の「母」の部分が「ヨ」の下に「一」】という字であるが、「殺」の俗字なので【殺】で代用した。

 この訓読文を記すと、次の通り。

 俗道(ぞくだう)の假(かり)に合(あ)ひ即(すなは)ち離(はな)れ、去(さ)り易(やす)く留(とど)まり難(かた)きことを悲(かな)しび歎(なげ)く詩(し)一首(しゆ) [并(あは)せて序(じよ)]

竊(ひそ)かに以(おもひ)みるに、釋慈(しやくじ)の示教(じけう)は [釋氏(しやくし)と慈氏(じし)とを謂(い)ふ。] 先(さき)に三歸(き) [佛法僧(ぶつぽふそう)に歸依(きえ)するを謂(い)ふ。] 五戒(かい)を開(ひら)きて法界(ほふかい)を化(おもむ)け、 [一に不殺生(ふせつしやう)、二に不偸盗(ふとうたう)、三に不邪婬(ふじやいん)、四に不妄語(ふまうご)、五に不飲酒(ふおんじゆ)なるを謂(い)ふ。] 周孔(しうこう)の垂訓(すいくん)は前(さき)に三綱(かう) [君臣(くんしん)、父子(ふし)、夫婦(ふうふ)を謂(い)ふ] 五教(けう)を以(もち)て邦國(はうこく)を濟(すく)ふ。[父(ちち)は義(ぎ)。母(はは)は慈(じ)。兄(けい)は友(いう)。弟(てい)は順(じゆん)。子(こ)は孝(かう)なるを謂(い)ふ]  故(ゆゑ)に知(し)る。引導(いんだう)は二(ふた)つなりと雖(いへど)も、悟(さとり)を得(う)るは惟(こ)れ一(ひと)つ也(なり)。但(ただ)以(おもひ)みるに世(よ)に恒質(こうしつ)無(な)し。所以(このゆゑ)に陵谷(りようこく)更(さら)に變(へん)じ、人(ひと)に定期(ぢやうご)無(な)く、所以(このゆゑ)に壽夭(じゆえう)同(おな)じからず。撃目(げきもく)の間(あひだ)に、百齡(ひやくれい)已(すで)に盡(つ)き、申臂(しんぴ)の頃(あひだ)に、千代(せんだい)も亦(また)空(むな)し。旦(あした)には席上(せきじやう)の主(あるじ)と作(な)り、夕(ゆうへ)には泉下(せんか)の客(かく)と為(な)る。白馬(はくば)走(はし)り来(きた)るとも、黄泉(くわうせん)何(いか)にか及(し)かむ。隴上(ろうじやう)の青松(せいしよう)は空(むな)しく信劔(しんけん)を懸(か)け、野中(やちう)の白楊(はくやう)は但(ただ)悲風(ひふう)に吹(ふ)かる。是(ここ)に知(し)る、世俗(せぞく)本(もと)より隠遁(いんとん)の室(むろ)なく、原野(げんや)には唯(ただ)長夜(ちやうや)の臺(うてな)のみ有(あ)りといふことを。先聖(せんせい)已(すで)に去(さ)り、後賢(こうけん)留(とど)まらず。如(も)し贖(あがな)ひて免(まぬか)る可(べ)きこと有(あ)らば、古人(こじん)誰(たれ)か價(あたひ)の金(くがね)無(な)からむや。未(いま)だ獨(ひと)り存(ながら)へて遂(つひ)に世(よ)の終(をはり)を見(み)る者(ひと)を聞(き)かず。所以(このゆゑ)に維摩大士(ゆいまだいし)は玉體(ぎよくたい)を方丈(はうぢやう)に疾(や)ましめ、釋迦能仁(しやかのうにん)は金容(こんよう)を雙樹(さうじゆ)に掩(かく)したまへり。内教(ないけう)に曰(いは)く、黒闇(こくあん)の後(のち)に来(こ)むことを欲(ねが)はずは、徳天(とくてん)の先(さき)に至(いた)るを入(い)るること莫(な)かれ。[徳天(とくてん)は生(せい)なり。黒闇(こくあん)は死(し)なり] 故(ゆゑ)に知(し)る、生(う)まるれば必(かな)らず死(し)有(あ)り。死(し)を若(も)し欲(ねが)はずは、生(う)まれざるに如(し)かず。况(いは)んや縦(たと)ひ始終(しじゆう)の恒數(こうすう)を覺(さと)るとも、何(いか)にぞ存亡(そんばう)の大期(だいご)を慮(おもひはか)らむ。

「俗道(ぞくだう)」は、「俗世間における道理。世の中の道。」をいう。
「假(かり)に合(あ)ひ即(すなは)ち離(はな)れ」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「八八六の序に、『仮合の身』とあった。人体を構成する要素である地水火風が早くも分離してゆくこと。」と注し、井村『萬葉集全注』は「衆多の縁が一時的に和合現象し、すみやかに離散すること(八八六序〔注〕参照)。」と注している。
「釋慈(しやくじ)の示教(じけう)」は、「釈迦如来と弥勒菩薩の教え。弥勒菩薩は、慈悲の心で衆生を済度するというので、慈氏と称される。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「三歸(き)」は、「仏・法・僧の三宝に帰依すること。三宝に一切をなげだしてこれにすべてをまかせ、救いを請うこと。」をいう。
「五戒(かい)」は、「在家の人の守るべき五種の戒。不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒。」をいう。
「法界(ほふかい)を化(おもむ)け」は、「全世界を教化し。法界は、仏法世界ともされるが、全世界の方がよい。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「周孔(しうこう)」は、「周の礼楽を整えた周公と、儒家の祖孔子と。」(井村『萬葉集全注』より)。
「三綱(かう)」は、「儒教倫理説の一つで、君臣・父子・夫婦の3種類の関係において、尊者に対する服従を道徳の大綱であるとする。一般に後漢(ごかん)の『白虎通義(びゃっこつうぎ)』の定義によるが、すでに『韓非子(かんぴし)』忠孝篇(へん)に、「天下の常道」として「臣は君に事(つか)へ、子は父に事へ、妻は夫に事ふ」と述べ、『春秋繁露(しゅんじゅうはんろ)』基義篇には「王道の三綱」として君臣・夫婦・父子の関係を論じているように、古代中央集権体制の成立に伴って生まれたものである。」(『日本大百科全書』より)。
「五教(けう)」は、「儒教で、人が守らなければならないとする五つの教え。『書経‐舜典』に『汝作司徒、敬敷五教、在寛』とあるのによる語で、『孟子‐滕文公上』では『父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信』とし、『春秋左伝‐文公一八年』では『父義、母慈、兄友、弟恭、子孝』の五つとする。」(『日本国語大辞典』より)。
「引導(いんだう)」は、「先に立って導くこと。案内すること。教え導くこと。」をいう。
「恒質(こうしつ)」は、「永遠に変わらない性質。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「陵谷(りようこく)更(さら)に變(へん)じ」は「丘が谷に、谷が丘に入れ替わり。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「定期(ぢやうご)」は、「定まった命数。長生きする者も居れば若死にする者も居る。」(井村『萬葉集全注』より)。
「撃目(げきもく)の間(あひだ)」は、「まばたきする間。」をいい、「申臂(しんぴ)の頃(あひだ)」は、「肘を伸ばす間」をいう。いずれも短時間をいう譬喩的常套語。
「旦(あした)には席上(せきじやう)の主(あるじ)と作(な)り、夕(ゆうへ)には泉下(せんか)の客(かく)と為(な)る。」は、「朝、宴席の主人であった人が、夕方には、はやくも黄泉の客となる」として、短い間に死が訪れることを表現したもの。
「白馬(はくば)走(はし)り来(きた)るとも、黄泉(くわうせん)何(いか)にか及(し)かむ」は、「白馬がいかに早く走って来ようとも、死の訪れの早さには及ばない。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「隴上(ろうじやう)」の「隴」は、「小高い丘」をいうが、ここは「墳墓」の意。
「空(むな)しく信劔(しんけん)を懸(か)け」について、井村『萬葉集全注』は次のように注している。
 
 史記呉太伯世家(ごのたいはくせいか)に見える故事。呉の季札(きさつ)(呉王寿夢の第四子)が使の旅途、徐国に立ち寄った。徐君は季札の帯剣を見て内心欲しいと思った。季札はそれを察したが使の途次であるから献呈せず、帰途再び立ち寄って献じようと思った。帰途訪れてみると徐君はすでに死んでいた。季札はその墓の樹に体験を懸けて去った。死者に与えることはあるまいといぶかる従者に答えて季札は、先に心に決めていたことだから徐君の死によっても心を変えないと言った。信剣は信義をあらわす剣。

「野中(やちう)の白楊(はくやう)は但(ただ)悲風(ひふう)に吹(ふ)かる」については、阿蘇『萬葉集全歌講義』が次のように注している。

 野の白楊はいたずらに悲しい風に吹かれているのみ。「隴上(ろうじやう)」と「野中」、「青松」と「白楊」を、それぞれ対応させている。なお、「白楊」「悲風」は、『文選』古詩の十四参照。
 世を去る者は日々に忘れ去られ
 世に在る者は日々に親しさを増す
 城門を出てかなたに目を注げば
 見えるのはただ墓地の塚ばかり
 古い墓は鋤かれて畑となり
 松(*)や柏(ひのき)も砕かれて薪となる
 白楊にはいつも悲しみを誘う風が
 ひゅうひゅうと愁いの底に人をひきこむ
 旅人は故郷の村に思いをはせるが、
 帰ろうにも 道はあてどなし
 (中国古典文学大系『漢・魏・六朝詩集』より)
 *松・柏・白楊は、墓の目印として植えられる。

「長夜(ちやうや)の臺(うてな)」の「臺(うてな)」は「四方を眺めわたすために土を積み重ねて作った壇」をいうが、「長夜(ちやうや)の臺(うてな)」は、人の死を長い夜の眠りにたとえたもので、
墓の意。
「維摩大士(ゆいまだいし)」(七九四の詩序に既出)は、古代インドの毘舎離(びしゃり)城に住んだとされる大富豪で、学識に富み、在家(ざいけ)のまま菩薩の道を行じ、釈迦の弟子としてその教化を助けたといわれる。「維摩」が「維摩詰(ゆいまきつ)」をさし、「大士」は仏・菩薩の尊称。
「釋迦能仁(しやかのうにん)」(七九四の詩序に既出)は、釈迦牟尼(むに)の漢訳名の一つ。牟尼は、出家して修行する者の尊称。
「金容(こんよう)」は、「仏または仏像などの金色に輝く姿。尊い御身。」をいう。
「雙樹(さうじゆ)」は、「雙林(さうりん)」(七九四の詩序に既出)に同じ。釈迦が入滅した沙羅双樹の林をさす。釈迦が入滅した時、四方二本の計八本の沙羅の木のうち、四本は枯れ四本は花を咲かせたため、四枯四栄樹(しこしえいじゅ)とも言われ、悲しみのために林が白色に変じて白鶴の群れのように見えたところから鶴林とも言う。
「内教(ないけう)」は、「仏典」(ここは涅槃経)をいう。
「黒闇(こくあん)」は、「黒闇天女。死の女神。」をいう。
「徳天(とくてん)」は、「功徳大天。生の女神。」をいう。
「始終(しじゆう)の恒數(こうすう)」は、「はじめがあれば終わりがあるという定まった法則。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「存亡(そんばう)の大期(だいご)」は、「大切な臨終の時期」をいう。「存亡(そんばう)」は「生死」、「大期(だいご)」は「大事な時間」の意。

 序の口訳と詩一首については次回に続く。
ラベル:万葉集
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2017年10月25日

『万葉集』を訓(よ)む(その1210)

 今回は、山上憶良作の「沈痾(ちんあ)自哀文(じあいぶん)」の第六段目を訓む。
 第六段の原文は次の通り。なお、写本で二行書きで書かれている注の部分は、ここでは[一行]で記す。

惟以人無賢愚 世無古今 咸悉嗟歎 歳月競流晝夜不息 [曽子曰 徃而不反者年也 宣尼臨川之歎亦是矣也] 老疾相催朝夕侵動 一代懽樂未盡席前 [魏文惜時賢詩曰 未盡西苑夜劇作北邙塵也] 千年愁苦更継坐後 [古詩云 人生不満百何懐千年憂矣]若夫群生品類 莫不皆以有盡之身並求無窮之命 所以道人方士 自負丹經入於名山而合藥之者 養性怡神以求長生 抱朴子曰 神農云 百病不愈安得長生 帛公又曰 生好物也 死悪物也 若不幸而不得長生者 猶以生涯無病患者為福大哉 今吾為病見悩不得臥坐 向東向西莫知所為 無福至甚惣集于我 人願天従 如有實者 仰願 頓除此病頼得如平 以鼠為喩豈不愧乎 [已見上也]

 この訓読文を記すと、次の通り。

惟以(おもひ)みれば、人(ひと)賢愚(けんぐ)と無(な)く、世(よ)古今(ここん)と無(な)く、咸悉(ことごと)に嗟歎(なげ)く。歳月(さいげつ)競(きほ)ひ流(なが)れて、晝夜(ちうや)息(や)まず。[曽子(そうし)曰(いは)く、「徃(ゆ)きて反(かへ)らぬものは年(とし)也(なり) 」と。宣尼(せんぢ)の川(かは)に臨(のぞ)む歎(なげ)きも亦(また)是(これ)也(なり)。] 老疾(らうしつ)相催(あひうなが)して朝夕(てうせき)に侵(をか)し動(さわ)く。一代(だい)の懽樂(くわんらく)、未(いま)だ席前(せきぜん)に盡(つ)きずして、[魏文(ぎぶん)の時賢(じけん)を惜(を)しむ詩(し)に曰(いは)く、「未(いま)だ西苑(せいゑん)の夜(よ)を盡(つ)くさず、劇(たちまち)に北邙(ほくぼう)の塵(ちり)と作(な)る」と。] 千年(せんねん)の愁苦(しうく)は更(さら)に坐後(ざご)に継(つ)ぐ。[古詩(こし)に云(いは)く、「人生(じんせい)百(ひやく)に満(み)たず、何(いか)にぞ千年(せんねん)の憂(うれひ)を懐(いだ)かむ」と。] 若(も)し夫(そ)れ、群生品類(ぐんじやうほんるい)、皆(みな)盡(つ)くること有(あ)る身(み)を以(もち)て、並(なら)びに窮(きはま)り無(な)き命(いのち)を求(もと)めずといふこと莫(な)し。所以(このゆゑ)に、道人方士(だうじんはうし)の、自(みづか)ら丹經(たんきやう)を負(お)ひ、名山(めいざん)に入(い)りて藥(くすり)を合(あ)はする者(ひと)は、性(せい)を養(やしな)ひ神(しん)を怡(よろこ)びしめて、以(もち)て長生(ちやうせい)を求(もと)む。抱朴子(はうぼくし)に曰(いは)く、「神農(しんのう)云(いは)く、『百病(ひやくびやう)愈(い)えずは、安(いかに)そ長生(ちやうせい)を得(え)む』」と。帛公(はくこう)又(また)曰(いは)く、「生(せい)は好(よ)き物(もの)也(なり) 死(し)は悪(あ)しき物(もの)也(なり)」と。若(も)し不幸(ふかう)にして長生(ちやうせい)得(え)ずは、猶(なほ)生涯(しやうがい)病患(やまひ)無(な)き者(ひと)を以(もち)て、福(さきはひ)大(おほ)しと為(せ)むか。今(いま)吾(われ)病(やまひ)の為(ため)に悩(なや)まされて、臥坐(ぐわざ)すること得(え)ず。向東向西(かにかくに)、為(な)す所(ところ)を知(し)ること莫(な)し。福(さきはひ)無(な)きことの至(いた)りて甚(はなはだ)しき、惣(すべ)て我(われ)に集(あつ)まる。人(ひと)願(ねが)へば天(てん)従(したが)ふ。如(も)し實(まこと)有(あ)らば、仰(あふ)ぎ願(ねが)はくは、頓(たちまち)に此(こ)の病(やまひ)を除(のぞ)き、頼(さきはひ)に平(つね)の如(ごと)きを得(え)むと。鼠(ねずみ)を以(もち)て喩(たとへ)と為(な)す、豈(あに)愧(は)ぢざらむや。 [已(すで)に上(うへ)に見(み)ゆ。]

「歳月(さいげつ)競(きほ)ひ流(なが)れて」は、「年月が速やかに流れ去る形容。先を争うようにすみやかに流れ去り。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「曽子(そうし)」について、『世界大百科全書』は、次のように記している。
 中国,周代の思想家。名は参(しん),字は子輿(しよ),南武城(山東省)の人。《論語》には〈参や魯鈍〉と評されているが,孔子が〈参や,わが道は一以て之を貫く〉と告げると〈唯(はい)〉と答えている。孔子の道の真髄は〈忠恕〉であることを把握していたのである。孝道に通じ,《孝経》を著したと伝えられる。《曾子》18編もあったというが,早く亡失し,《大戴礼(だたいれい)》の中の10編はその残存とされる。

「宣尼(せんぢ)の川(かは)に臨(のぞ)む歎(なげ)き」について、井村『萬葉集全注』は「宣尼は孔子。諡(おくりな)の文宣王と字(あざな)の仲尼(ちゆうじ)の二字をとって略称したもの。『子、川ノ上(ほとり)ニ在リテ曰ク、逝(ゆ)ク者ハ斯クノ如キカ。昼夜ヲ舎(お)カズ』(論語子罕篇)。逝水の嘆き。」と注している。
「魏文(ぎぶん)」は、「魏の文帝。曹丕(そうひ)(一八七〜二二六)。魏の武帝(曹操)の次男。曹植の兄。『時賢を惜しむ詩』は伝わらない。時賢は、時の賢人。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「西苑(せいゑん)」は、「魏の都、鄴都の西にあった名園。『西苑の夜』は、その園での歓楽の夜をいう。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「北邙(ほくぼう)の塵(ちり)」は、「死んで、土に帰ること。」をいう。「北邙(ほくぼう)」は、河南省洛陽県の東北にある邙山。漢以来、墓地として名高い。
「古詩(こし)」について、井村『萬葉集全注』は、「文選古詩十九首中、第十五首に、『生年百ニ満タズ、常ニ千載ノ憂ヘヲ懐ク』とある。『何にぞ〜懐かむ』は自分の作文の文脈に引きつけた憶良の改変。」と注している。
「群生品類(ぐんじやうほんるい)」は、「群生は諸々の生物。品類はその品分け。『一切世間天人群生類(ぐんじやうるい)』(法華経方便品(ほけきようほうべんほん))。『天地ヲ図画シ、群生ヲ品類ス』(文選巻一一王文考「魯霊光殿賦(ろのれいこうでんのふ)」)。」(井村『萬葉集全注』より)。
「道人方士(だうじんはうし)」は、「道人も方士も同じで、神仙術を会得した者。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。
「丹經(たんきやう)」は、「不老不死の薬の種類や処方を記した書物。」(井村『萬葉集全注』より)。
「神農(しんのう)」は、「中国古伝説中の帝王。三皇の一人。敬称を付して神農氏ともいう。人身牛首で、人民に耕作を教えたところからいう。五行の火の徳によって王となったので炎帝ともいう。諸草をなめて初めて医薬を作ったと伝えられ、医学、薬学の祖として崇敬された。また、五弦の瑟を作り、八卦を重ねて六四爻(こう)を作ったという。在位一二〇年、子孫八代、五二〇年で黄帝の世となったという。」(『日本国語大辞典』より)。
「向東向西(かにかくに)」は、「東を向いても西を向いても、の意で、カニカクニと訓む。『不許東西(かにかくにすること)』(日本書紀斉明天皇五年)。」(井村『萬葉集全注』より)。
「人(ひと)願(ねが)へば天(てん)従(したが)ふ」は、「周書泰誓篇上『天民ヲ矜ム。民ノ欲スル所ハ、天必ズ之ニ従フ』とある(代匠記)。文選巻二九王仲宣『雑詩』に『人欲天不違』、その李善注に『尚書ニ曰ク、人ノ欲スルトコロ天必ズコレニ従フ』とある。」((井村『萬葉集全注』より)。
「鼠(ねずみ)を以(もち)て喩(たとへ)と為(な)す」は、「死者は生きた鼠に劣ると言ったことをさす。」(阿蘇『萬葉集全歌講義』より)。


 以上の口訳を記すと、次の通り。

考えてみれば、人は賢愚に関わらず、昔の人も今の人も、皆んな嘆いている。年月は先を争うように流れ去り、昼も夜もとどまることがない。 [曽子は、「行ったまま戻ってこないものは、年である。」と言い、孔子が川の辺りで嘆いたのもこのことであった。]  老と病とがこもごもに、朝に夕に身体を侵してくる。一世限りの歓楽もまだその場に尽くしていないのに、 [魏の文帝の「時の賢人を惜しむ詩」に、「まだ西苑の歓楽の夜を尽くさないのに、たちまち北邙の塵となる」とある。] 千年の愁苦は後から押し寄せてくる。 [古詩に、「人生は百年に満たないのに、どうして千年も後のことを憂うる必要があろうか。」とある。] そもそも生きとし生きる者は、皆有限の身でありながら、無限の命を求めない者はいない。こういうわけで、道人や方士たちが自ら丹経を背負って名山に入り、薬を調合するのは養生し心を和らげて長生を求めるためである。抱朴子に、「神農が『百病も治らないのに、どうして長生きすることができよう』と言った」とある。帛公もまた、「生は好もしきものだ。死は悪いものだ。」と言っている。もし不幸にして長生きできないならば、やはり生きている間は病気にならない人こそ、最高の幸福者というべきであろう。ところが、今私は病気に悩まされて寝起きもままならず、なんともしようがない。最もひどい不幸がすべて私の身に集まっている。人が願えば天は聞き届けてくれるという。もしそれが本当なら、どうか、すみやかにこの病気を取り除き、なんとか平安を得たいものだ。鼠をたとえにしたりして、恥ずかしいことであった。 [すでに上に述べた。]
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 14:23| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする