写本の異同は、1句二字目<文>と4句五字目<何>。『西本願寺本』には、それぞれ「父」「可」とあるが、『類聚古集』に「文」「何」とあるのを採る。原文は次の通り。
倭<文>手纒 數母不在 身尓波在等
千年尓母<何>等 意母保由留加母
[去神龜二年作之 但以類故更載於茲]
1句「倭文手纒」は「倭文(しつ)手纒(たまき)」と訓む。この句は672番歌1句と同句。「倭文(しつ)」は「古代の織物の一種で、梶木(かじのき)、麻などで筋や格子を織り出したもの。」をいう。「手纒(たまき)」は、手に巻くものの意で、「上代の装身具。玉・貝・鈴などを紐(ひも)で貫き、臂(ひじ)のあたりに巻いて装飾としたもの。」をいう。「倭文(しつ)手纒(たまき)」は、「日本古来の織り模様の織物で作った腕輪」(『萬葉集全歌講義』)であるが、腕輪としては玉で作ったものが高級品で、布製は粗末なものとされていたところから、ここでは次の「数にもあらぬ」にかかる枕詞としたもの。
2句「數母不在」は「數(かず)にも在(あ)らぬ」と訓む。この句も672番歌の2句「數二毛不有」と表記は異なるが同句。「數」は「数」の旧字で、会意文字。『名義抄』に「數 カズ・カゾフ・アマタ・コトワリ・コトワル・シバシバ・シルシ・マホル・アマタタビ」の訓みがあるが、ここはカズを採り、下に格助詞「に」を補読して「數(かず)に」と訓む。「母」はモ音の常用音仮名で、係助詞の「も」。「不在」は、ラ行変格活用動詞「あり」の未然形「在(あ)ら」+打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」(漢文の助字「不」で表記)で、「在(あ)らぬ」。
3句「身尓波在等」は「身(み)には在(あ)れど」と訓む。「身(み)」は900番歌に既出で、そこでは「人間のからだ。身体。肉体。」の意であったが、ここの「身(み)」は、「長歌」18句「我(わ)が身(み)の上(うへ)に」とあったのと同じで、「その人自身の有様、または位置。その人の立場。身の上。身のさま。」の意。「尓波」(「長歌」10句に既出)は、格助詞「に」に係助詞「は」の付いた「には」を表す。「尓」はニ音の常用音仮名、「波」はハ音の常用音仮名で平仮名の字源。「在等」は、ラ行変格活用動詞「あり」の已然形「在(あ)れ」+逆接の既定条件を示す接続助詞「ど」=「在(あ)れど」。「等」はト(乙類)音の常用音仮名であるが、ここはド(乙類)音の音仮名として用いたもの。
4句「千年尓母何等」は「千年(ちとせ)にもがと」と訓む。この句は、前歌(902番歌)4句「千尋尓母何等」の「千尋」を「千年」に置き換えたもの。「千年(ちとせ)」は、「千の年。せんねん。転じて、ながい年月。また、永遠の年。」をいう。「尓」は3句に既出で、格助詞「に」。「母何」は、上代特有の願望の終助詞「もが」を表す。「母」は2句に既出のモ音の常用音仮名、「何」はガ音の音仮名。ここの「等」はト(乙類)音の常用音仮名で、格助詞「と」。
5句「意母保由留加母」は「おもほゆるかも」と訓む。この句は、569番歌5句「所念鴨」と同句で、その仮名書き。同じ仮名書き例として表記は違うが、866番歌2句の「於忘方由流可母」があった。「意」「母」「保」「由」「留」は、各々、オ音・モ音・ホ音・ユ音・ル音の常用音仮名で、「保」「由」は片仮名・平仮名の字源、「留」は平仮名の字源。「意母保由留」は、ハ行四段活用の他動詞「おもふ(思ふ)」の未然形「おもは」+自発の助動詞「ゆ」の連体形「ゆる」 =「おもはゆる」の「は」が前の母音に引かれて「ほ」に転じた「おもほゆる」を表す。「加母」は、詠嘆の終助詞「かも」。「加」はカ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。
注の「去神龜二年作之 但以類故更載於茲」は、「去(い)にし神龜(じんき)二年、之(これ)を作(つく)る。但し、類(たぐひ)を以(もち)ての故(ゆゑ)に、更(さら)に茲(ここ)に載(の)す」と訓み、「この一首は、去る神亀(じんき)二年に作ったものである。ただし、同類の内容なので、またここに載(の)せた」という意。
903番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。
倭文(しつ)手纒(たまき) 數(かず)にも在(あ)らぬ 身(み)には在(あ)れど
千年(ちとせ)にもがと おも(思)ほゆるかも
(倭文たまき) とるに足りない 身ではあるが
千年も生きたいと 思われることだよ
ラベル:万葉集