2018年01月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1237)

 今回は、913番歌を訓む。題詞に「車持朝臣千年作歌一首[并短歌]」とあり、「車持(くるまもち)の朝臣(あそみ)千年(ちとせ)」という人が作った十七句からなる長歌であり、反歌一首(914九番歌)を伴う。更に続けて、反歌の異伝として、915・916番歌が載せられている。これらの歌群が作られた年月について、916番歌に左注がつけられているが、それについては916番歌のところで述べることとする。「車持朝臣千年」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように注している。

 車持朝臣千年 生没年未詳。養老七年(七二三)の吉野行幸、および神亀二年(七二五)と神亀五年の難波行幸に従駕している。車持氏は、もと「乗輿」のことにかかわる氏族で、もと姓は公。天武十三年(六八四)十一月に、朝臣の姓を賜る。歌は、六首。いずれも行幸従駕の歌であるが、恋歌的発想のものが多い。女性説もある。

 写本の異同は、12句の末字<拝>。『西本願寺本』以下の諸本に「辨詳」とあるが、『金沢本』『元暦校本』『紀州本』に「拝」とあるのを採る。原文は次の通り。

  味凍 綾丹乏敷
  鳴神乃 音耳聞師
  三芳野之 真木立山湯
  見降者 川之瀬毎
  開来者 朝霧立
  夕去者 川津鳴奈<拝>
  紐不解 客尓之有者
  吾耳為而 清川原乎
  見良久之惜蒙

 1句・2句「味凍・綾丹乏敷」は「うまこり・あやに乏(とも)しく」と訓む。この句は、162番歌17句・18句の「味凝・文尓乏寸」と表記は異なるがほぼ同句。「うまこり」は、美しい織物の意で、同じ意の「綾(あや)」と同音を持つ「あやに」にかかる枕詞。「うま」は「立派な。良い。」意で、「こり」は「綾」の朝鮮語と同源という。「味」「凍」は共に「うま」「こり」を表すための借訓字。「綾」は「あや」と訓み、「ななめに線が交錯している綾織りの模様。斜線模様。」の意であるが、ここは下に「に」の常用訓仮名「丹」を伴って、副詞「あやに」を表わすための借訓字として用いたもの。「あやに」は、「なんとも不思議に。わけもわからず。むやみに。」の意。「乏敷」は、シク活用形容詞「ともし」の連用形の「乏(とも)しく」と訓む。(162番歌18句「乏寸」は、連体形「乏(とも)しき」であった。)「敷」は「しく」を表すための借訓字。「ともし」は、「珍しくて心がひかれる。」の意。
 3句・4句「鳴神乃・音耳聞師」は「鳴神(なるかみ)の・音(おと)のみ聞(き)きし」と訓む。「鳴神(なるかみ)」は、雷を神格化した表現。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「鳴神(なるかみ)の」は、次の「音」にかかる枕詞。鳴神(雷)は、姿は見えないでその音を聞くだけであるところから、「音(おと)」または「音」と同音を含む地名「音羽」にかかる。ここの「音(おと)」は、「評判。うわさ。風聞。」の意である。「耳」は、限定・強意を表わす漢文の助字であるが、限定を表わす副助詞「のみ」に宛てたもの(157番歌他に既出)。「聞師」は、カ行四段活用の他動詞「きく」の連用形「聞(き)き」+回想の助動詞「き」の連体形「し」=「聞(き)きし」。「師」はシ音の音仮名(「し」の常用訓仮名とも)。
 5句・6句「三芳野之・真木立山湯」は「み芳野(よしの)の・真木(まき)立(た)つ山(やま)ゆ」と訓む。5句「三芳野之」は、直近では911番歌1句に同じ。「三」は「み(甲類)」を表わす常用の訓仮名で、「み」は美称。地名に美称の「み」を冠するのは、古代では「吉野」「熊野」「越」に限られ、いずれも、格別の異境と意識され、霊威の地と見なされていた。「吉野」の字が「芳野」になっているのは、吉野が美しいところである意を込めたものであろう。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「真木立」は45番歌11句・199番歌17句に既出。「真木」は、すぐれた木の意で、建築材料となる杉や檜などの総称。檜などの生い茂っている山のことを「真木立つ山」と言った。「湯」は「ゆ」の常用訓仮名で、ここは動作の起点を示す格助詞「ゆ」に用いたもの。
 7句・8句「見降者・川之瀬毎」は「見降(みおろ)せば・川(かは)の瀬(せ)毎(ごと)に」と訓む。「見降」は、サ行四段活用の他動詞「みおろす」の已然形「見降(みおろ)せ」。「みおろす」は、「上の位置から下の方を見る。俯瞰する。」ことをいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」に用いられたことから、「は」の訓仮名としても使われるようになったが、ここはそれを接続助詞「ば」に流用したもの。ここの已然形+「ば」の形は、仮定条件を表わす一般的な語法で、「…すると」の意。「川(かは)」は、吉野川をさす。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「瀬(せ)」は「歩いて渡れる程度の浅い流れ。あさせ。また、急流。はやせ。」の意。「毎」は、接尾語「ごと」で、名詞や動詞の連体形などに付いて、連用修飾語となる。助詞「に」を伴うことも多く、ここもその例。その物、またはその動作をするたびに、そのいずれもが、の意を表わす。「…はみな。どの…も。…するたびに。」
 9句以降は、次回に続く。
ラベル:万葉集
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2018年01月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その1236)

 今回は、912番歌を訓む。910番歌と同じく、907番歌(以下、「長歌」という。)の反歌二首目の909番歌の異伝である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  泊瀬女 造木綿花 
  三吉野 瀧乃水沫
  開来受屋

 1句「泊瀬女」は「泊瀬女(はつせめ)の」と訓む。「泊瀬(はつせ)」は、「北の三輪(みわ)山、南の忍坂(おつさか)、朝倉(あさくら)の山々の間を流れる初瀬川流域の谷あいの地。」(吉井『萬葉集全注』より)をいう。「泊瀬女(はつせめ)」は、「泊瀬地方の女」の意。同様の表現として、「河内女(かふちめ)」(1316番歌)、「大和女(やまとめ)」(3457番歌)がある。「泊瀬女」の下に「の」の表記はないが、格助詞「の」を補読する。
 2句「造木綿花」は「造(つく)る木綿花(ゆふはな)」と訓む。「造」はラ行四段活用の他動詞「つくる」の連体形「造(つく)る」。「新しくものをこしらえる。製造する。製作する。組み立てる。」ことをいう。「木綿花(ゆふはな)」は、909番歌2句の「白木綿花」と同じで、「楮の皮の繊維を蒸して水にさらし白くして糸状に細く裂いたのを花と称したもの。」をいう。
 3句「三吉野」は「み吉野(よしの)の」と訓む。この句は、「の」の表記はないが、910番歌3句の「三吉野乃」と同句とみて、連体助詞「の」を補読する。「三」は「み(甲類)」を表わす常用の訓仮名で、「み」は美称。地名に美称の「み」を冠するのは、古代では「吉野」「熊野」「越」に限られ、いずれも、格別の異境と意識され、霊威の地と見なされていた。「吉野」は、吉野山地を占める吉野郡一帯の地域の総称で、古くから大和朝廷の聖地とされた。
 4句「瀧乃水沫」は「瀧(たき)の水沫(みなわ)に」と訓む。「瀧(たき)」は、「急な斜面を激しい勢いで下っている水の流れ。急流。奔流。激湍。早瀬。」の意で、ここは910番歌と同じく、吉野川の激流をさす。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「水沫(みなわ)」は、「みなあわ(水泡)」が約まった語で、902番歌に既出で、そこでは「この世など儚いものの例え」に用いられていたが、ここは文字通り「水の泡」の意で用いている。下に格助詞「に」を訓み添える。
 5句「開来受屋」は「開(さ)[咲]きにけらずや」と訓む。「開」は、カ行四段活用動詞「さく」の連用形「開(さ)き」+完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」(無表記だが補読=「開(さ)きに」と訓む。「開」を「さく」と訓む例は、399番歌他に既出。「さく」は「花のつぼみがひらく」ことをいうので「ひらく」の「開」の字があてられたもの。「来受屋」は、過去の助動詞「けり」の未然形「けら」(「来」で表記)+打消しの助動詞「ず」(常用音仮名「受」で表記)+疑問の助詞「や」(凖常用訓仮名「屋」で表記)=「けらずや」。この句について、『日本古典文学大系』の頭注に「○咲きにけらずやー見れば咲いているではないか。ケリは、ハッと気付いた気持を表わす助動詞。」とある。なお、『岩波古語辞典』の基本助動詞解説に、助動詞「けり」の〔語源〕について次のようにある。

「来有り」の転であるという説がおそらく正しいであろう。「事態の成り行きがここまで来ている」と今の時点で認識するという意味が「けり」の基本であり、また「来(き)」と「あり」との複合の音変化 kiari→keri も極めて無理なく説明できるからである。

以上の〔語源〕説から、過去の助動詞「けり」の未然形「けら」の表記に「来」を用いている事がうなづける。 
912番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  泊瀬女(はつせめ)の 造(つく)る木綿花(ゆふはな)
  み吉野(よしの)の 瀧(たき)の水沫(みなわ)に
  開(さ)きにけらずや

  泊瀬女が 作る白い木綿花
  み吉野の 激流の水の泡となって
  咲いているではないか
ラベル:万葉集
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2018年01月25日

『万葉集』を訓(よ)む(その1235)

 今回は、911番歌を訓む。前歌の題詞「或本反歌曰」が本歌にもかかっており、本歌は、907番歌(以下、「長歌」という。)の反歌一首目の908番歌の異伝である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  三芳野之 秋津乃川之
  万世尓 断事無
  又還将見

 1句「三芳野之」は「み芳野(よしの)の」と訓む。この句は、「長歌」の9句と同句。「三」は「み(甲類)」を表わす常用の訓仮名で、「み」は美称。地名に美称の「み」を冠するのは、古代では「吉野」「熊野」「越」に限られ、いずれも、格別の異境と意識され、霊威の地と見なされていた。「吉野」の字が「芳野」になっているが、当時は、同じ地名や人名の表記に違う字をあてることは良く見られる。「芳」は形声文字で声符は方(ほう)。『説文解字』に「香草なり」とあり、花の芬香あるものをいう。吉野が美しいところである意を込めたものと思う。「吉野」は、吉野山地を占める吉野郡一帯の地域の総称で、古くから大和朝廷の聖地とされた。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 2句「秋津乃川之」は「秋津(あきづ)の川(かは)の」と訓む。「秋津(あきづ)」(36番歌12句に既出)は、奈良県吉野郡吉野町宮滝付近から対岸の同町御園にかけての地をいう。「長歌」の10句の「蜻蛉(あきづ)の宮(みや)」は「秋津の宮」に同じで、「吉野離宮」のこと。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「秋津(あきづ)の川(かは)」は「吉野川」のことをいう。「之」は1句に既出の漢文の助字で、ここは格助詞「の」。
 3句「万世尓」は「万世(よろづよ)に」と訓む。この句は「長歌」7句「萬代」と表記は異なるが同句。「万世(よろづよ)」は「萬(万)代」とも書き、「限りなく長く続く世(代)」の意で、御代が永久に続くことを祝っていう語。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。
 4句「断事無」は「断(た)ゆる事(こと)無(な)く」と訓む。この句は、人麻呂の「吉野讃歌」の長歌(36番歌)の22句「絶事奈久」および反歌(37番歌)の4句「絶事無久」と表記は異なるが同句で、人麻呂が創造した表現。「断(た)ゆる」は、下二段動詞「たゆ」の連体形。「たゆ」は「続いているもの(糸)が途中で切れる」ことを意味する。「事(こと)」は、用言の連体形を受けて、これを名詞化し、その語句の表わす行為や事態や具体的な内容などを体言化する形式名詞。「無(な)く」はク活用形容詞「なし」の連用形。
 5句「又還将見」は「又(また)還(かへ)り見(み)む」と訓む。この句も、人麻呂の「吉野讃歌」の反歌(37番歌)の5句「復還見牟」と表記は異なるが同句。「又」「復」はともに、同じ行為、状態がもう一度出現するさまを表わす副詞「また」で、「再び。もう一度。」の意。「還」はラ行四段活用の自動詞「かへる」の連用形「還(かへ)り」。「かへる」は「事物や事柄が、もとの場所、状態などにもどる。」ことをいう。「将見」(709番歌他に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+意思・意向の助動詞「む」(漢文の助字「将」で表記)で、「見(み)む」。
 911番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  み芳野(よしの)の 秋津(あきづ)の川(かは)の
  万世(よろづよ)に 断(た)ゆる事(こと)無(な)く
  又(また)還(かへ)り見(み)む

  み吉野の 秋津の川が 
  いついつまでも 絶えないように
  絶えずにまた見に来よう
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 09:04| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする