2018年01月12日

『万葉集』を訓(よ)む(その1231)

 今回より、巻第六に進む。巻第六は、総歌数百六十首で、その全てが雑歌である。歌体による内訳は、長歌二十七首、短歌百三十二首、旋頭歌一首である。養老七年(七二三)五月の吉野離宮行幸の折の笠金村の作から天平十六年(七四四)正月の大伴家持の作までが、ほぼ年代順に配列されている。巻末に平城京の荒廃を嘆く作者不明の歌三首と「田辺福麻呂歌集」の歌二十一首を載せる。
 今回は、題詞に「養老七年癸亥夏五月幸于芳野離宮時笠朝臣金村作歌一首[并短歌]」とある907番歌を訓む。十八句からなる長歌で、反歌二首(908・909番歌)を伴う。なお、その後に反歌の異伝として三首(910・911・912番歌)を載せる。
 907番歌の写本の異同は、4句四字目<生>、8句四字目<二>の二箇所にある。4句四字目は、『西本願寺本』に「主」とあるが、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「生」とあるのを採る(『西本願寺本』も、右に小字で「生」と書く)。8句四字目は、『西本願寺本』に「三」とあり、『紀州本』にも「三」とあるが、『元暦校本』『類聚古集』に「二」とあるのを採る。原文は次の通り。

  瀧上之 御舟乃山尓
  水枝指 四時尓<生>有
  刀我乃樹能 弥継嗣尓
  萬代 如是二<二>知三
  三芳野之 蜻蛉乃宮者
  神柄香 貴将有
  國柄鹿 見欲将有
  山川乎 清々
  諾之神代従 定家良思母

 1句・2句「瀧上之・御舟乃山尓」は「瀧(たき)の上(うへ)の・御舟(みふね)の山(やま)に」と訓む。この1句・2句は、242番歌(「弓削皇子遊吉野時御歌一首」)の1句・2句と地名「みふね」の表記が異なるだけで、同句。「瀧」は「滝」の旧字。「瀧(たき)」は、「急な斜面を激しい勢いで下っている水の流れ。急流。奔流。激湍。早瀬。」の意。ここは吉野川の激流をさす。上代、動詞「たぎつ」の語幹に「瀧」をあてているものもあり、あるいは「き」を濁音でいったこともあったかと思われる。また、現在では、懸崖から激しく流れ落ちる水の流れを「滝」というが、上代では、それは「たるみ」と言った。「上(うへ)」は、「あるものの付近。辺り。ほとり。」の意。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「御舟乃山」(242番歌では「三船乃山」)は、「御舟(みふね)の山(やま)」と訓む。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「御舟(みふね)の山(やま)」は、奈良県吉野郡吉野町宮滝と吉野川をはさんで東南に位置する487メートルの「三船山」を指す。「船岡山」ともいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 3句・4句「水枝指・四時尓生有」は「水枝(みづえ)指(さ)し・しじに生(お)ひたる」と訓む。「水枝(みづえ)」は、「瑞枝」とも書き、「みずみずしい木の枝。」をいう。「指」はサ行四段活用の自動詞「さす」の連用形「指(さ)し」。「さす」は、「草木がもえ出る。また、枝が伸び出る。」ことをいう。4句「四時尓生有」は、324番歌4句の「繁生有」と表記は異なるが同句。「四時尓」は、副詞「しじに(繁に)」を表し、「こんもりと。ぎっしりと。」の意で、草木の生い茂っているさまをいう。「四」「時」は、シ音・ジ音の音仮名、「尓」は、2句に既出のニ音の常用音仮名。「生有」は、ハ行上二段活用の自動詞「おふ」の連用形「生(お)ひ」+完了・存続の助動詞「たり」の連体形「たる」(「有」で表記)で、「生(お)ひたる」と訓む。「おふ」は「(草木などが)はえる。生じる。」ことをいう。「たり」を「有」で表記するのは、「たり」が、完了の助動詞ツの連用形テにラ変活用動詞アリ(有り)が付いたテアリが約まってできた語であることによる。
 5句・6句「刀我乃樹能・弥継嗣尓」は「とがの樹(き)の・弥(いや)継(つ)ぎ嗣(つ)ぎに」と訓む。「刀」はト(甲類)音の常用音仮名、「我」はガ音の常用音仮名。「刀我」は「とが(栂)」で、マツ科の常緑高木である「栂(つが)」に同じ。「栂」は国字で、当時この字はなかった。「乃」は、2句に同じで、連体助詞「の」。「樹」は形声文字で、〔説文〕六上に『木の生植するものの總名なり』(段注本)とあり、樹木をいう。次の「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で、連用修飾の格助詞「の」。「〜のように」の意。6句は、324番歌6句と同句。「弥」は「ひさしい」が本義だが、「いよいよ、ますます」の意として「いや」と訓む。「いや」は、接頭語「い」が物事のたくさん重なる意の副詞「や」に付いたもの。「継」は「糸をつぐ」、「嗣」は「後をつぐ、位につく」が本義。ここでは共に「つぎつぎ」を表わすのに用いられている。「尓」は2句・4句に既出。「つぎつぎに」で「次から次へと、順々に」の意。
 7句・8句「萬代・如是二二知三」は「萬代(よろづよ)に・如是(かく)し知(し)らさむ」と訓む。7句「萬代」は、475番歌7句・480番歌3句の「萬代尓」と同句で、格助詞「に」の表記はないが補読して、「萬代(よろづよ)に」と訓む。「萬代(よろづよ)」は「萬世」とも書き、「限りなく長く続く代(世)」の意で、御代が永久に続くことを祝っていう語。「如是」(762番歌他に既出)は、コノゴトクの義で、副詞「かく」に用いたもの。「二二」は「四」で副助詞「し」にあてたもの。「知三」(561番歌5句に既出)は、サ行四段活用の他動詞「しらす」の未然形「知(し)らさ」+推量の助動詞「む」で「知(し)らさむ」。「三」は、「しらす」の活用語尾「さ」と推量の助動詞「む」の「さむ」を表すための借訓字。上の「二二」と共に数字を用いた戯書的な表記。「しらす」は、四段動詞「知る」の未然形+上代の尊敬の助動詞「す」が付いてできた語で「知る」の尊敬語。「しらす」は「統治する」ことをいう。
 9句・10句「三芳野之・蜻蛉乃宮者」は「み芳野(よしの)の・蜻蛉(あきづ)の宮(みや)は」と訓む。9句は、26番歌1句と同句。「三」は「み(甲類)」を表わす常用の訓仮名で、「み」は美称。地名に美称の「み」を冠するのは、古代では「吉野」「熊野」「越」に限られ、いずれも、格別の異境と意識され、霊威の地と見なされていた。「吉野」の字が「芳野」になっているが、当時は、同じ地名や人名の表記に違う字をあてることは良く見られる。「芳」は形声文字で声符は方(ほう)。『説文解字』に「香草なり」とあり、花の芬香あるものをいう。吉野が美しいところである意を込めたものと思う。「吉野」は、吉野山地を占める吉野郡一帯の地域の総称で、古くから大和朝廷の聖地とされた。「之」は1句に同じで、連体助詞「の」。「蜻蛉乃宮」は、「蜻蛉(あきづ)の宮(みや)」と訓み、「秋津の宮」即ち「吉野離宮」のこと。「乃」は2句・5句に同じで、連体助詞「の」。「秋津」(36番歌12句に既出)は、奈良県吉野郡吉野町宮滝付近から対岸の同町御園にかけての地をいう。この地名は蜻蛉の古名の「あきつ」に由来したものと思われ、昆虫の蜻蛉は、記紀の仮名書きの例から上代においては「あきづ」と濁音であったのが後に清音となり「あきつ」となったとされているので、ここは「あきづ」と濁音で訓む。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」に用いたもの。
 11句・12句「神柄香・貴将有」は「神柄(かむから)か・貴(たふと)く有(あ)るらむ」と訓む。11句「神柄香」は、220番歌5句「神柄加」と「か」の表記が異なるだけで同句。「神柄(かむから)」は「神が本来備えている性質」の意。名詞カラ(族・柄)は、上代では、「親族(うがら)」「同胞(はらから)」などの複合名詞として使われることが多く、血縁関係のある一族であることの意であった。その「血筋」という意の名詞カラが、やがて「国柄」「神柄」「山柄」「川柄」などと使われるようになると、そのカラは国・神・山・川の本来の性質を意味するとともに、それらの社会的な品格をも意味するようになった。すなわち「素性・血筋・生まれつき・質」の意となったのである。そして、それが更に抽象化して「自然のつながり、自然の成り行き」の意に発展し、そこから格助詞「から」が生じることになったと考えられている。「香」はカ音の音仮名で、疑問の係助詞「か」。「貴」はク活用形容詞「たふとし」の連用形「貴(たふと)く」。「将有」(717番歌ほかに既出)は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形「有(あ)る」+現在推量の助動詞「らむ」(漢文の助字「将」で表記)=「有(あ)るらむ」。
 13句・14句「國柄鹿・見欲将有」は「國柄(くにから)か・見(み)が欲(ほ)しからむ」と訓む。13句「國柄鹿」も、220番歌3句「國柄加」と「か」の表記が異なるだけで同句。「國柄(くにから)」は「國が本来備えている性質」の意。「鹿」は「か」の常用訓仮名で、疑問の係助詞「か」。「見」は、動詞「みる」の連用形の名詞化した「見(み)」に格助詞「が」を補読して「見(み)が」と訓む。「欲将有」は、シク活用形容詞「ほし」の連用形「欲(ほ)しく」+ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「あら」+推量の助動詞「む」=「欲(ほ)しくあらむ」を約めた「欲(ほ)しからむ」と訓む。なお、「見がほし」は、324番歌16句に既出。
 15句・16句「山川乎・清々」は「山川(やまかは)を・清(きよ)み清(さや)けみ」と訓む。「山川(やまかは)」は「山と川」。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。「清々」は、ク活用形容詞「きよし」の語幹に接続助詞「み」の付いた「清(きよ)み」+ク活用形容詞「さやけし」の語幹に接続助詞「み」の付いた「清(さや)けみ」=「清(きよ)み清(さや)けみ」と訓み、「澄明で、はっきりして鮮やかなので。」の意。
 17句・18句「諾之神代従・定家良思母」は「諾(うべ)し神代(かみよ)ゆ・定(さだ)めけらしも」と訓む。「諾(うべ)」は副詞で、あとに述べる事柄を当然だと肯定したり、満足して得心したりする意を表わす。「なるほど。まことに。もっともなことに。本当に。」の意。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、副助詞「し」。「神代(かみよ)」とは、神が統治し、活動していたという、人の世に先立つ時代のことで、記紀の神話では、天地開闢(かいびゃく)から神武天皇以前、草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)までの神々の時代をいう。「従」は漢文の助字で、「より。… から。」の意があり、時間・場所の起点を表わす格助詞「ゆ」に用いたもの。「定」はマ行下二段活用の他動詞「さだむ」の連用形「定(さだ)め」。「さだむ」は「決める。決定する。」ことをいう。「家」はケ(甲類)音の常用音仮名、「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「思」はシ音の音仮名で、「家良思」で以って、回想の助動詞「けり」に推定の助動詞「らし」の付いた「けるらし」の約まった「けらし」を表す。「母」はモ音の常用音仮名で、詠嘆の終助詞「も」。
 907番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  瀧(たき)の上(うへ)の 御舟(みふね)の山(やま)に
  水枝(みづえ)指(さ)し しじに生(お)ひたる
  とがの樹(き)の 弥(いや)継(つ)ぎ嗣(つ)ぎに
  萬代(よろづよ)に 如是(かく)し知(し)らさむ
  み芳野(よしの)の 蜻蛉(あきづ)の宮(みや)は
  神柄(かむから)か 貴(たふと)く有(あ)るらむ
  國柄(くにから)か 見(み)が欲(ほ)しからむ
  山川(やまかは)を 清(きよ)み清(さや)けみ
  諾(うべ)し神代(かみよ)ゆ 定(さだ)めけらしも

  吉野川の激流のほとりの 三船の山に
  みずみずしい枝を広げて伸ばして びっしり生い茂っている
  とがの木のように つぎつぎ重ねて
  万代に このように絶えることなくお治めになるであろ 
  み吉野の 秋津の宮は
  神そのものなので こうも貴いのだろうか
  土地柄で こうも見飽きないのだろうか
  山も川も 清く鮮やかであるので
  道理で神代以来 ここに宮を定められたのだなあ
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 14:59| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする