2018年07月19日

『万葉集』を訓(よ)む(その1289)

 今回は、948番歌の35句からを訓む。
 35句・36句「天皇之・御命恐」は「天皇(おほきみ)の・御命(みこと)恐(かしこ)み」と訓む。35句は、543番歌1句と同句。「天皇」は29番歌では「すめろき」と訓んだが、ここは543番歌と同じく「天皇(おほきみ)」と訓み、聖武天皇をさす。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。36句は、368番歌の4句と同句。「御命(みこと)」は「御言」の意で、「み」は接頭語。「こと(言)」を敬っていったもので、神、天皇のお言葉。「恐」は、形容詞「かしこし」の語幹の「恐(かしこ)」で、「恐ろしいこと。恐れ多いこと。」の意。下に接尾語(機能的には接続助詞とみられる)「み」を補読する。ここの「み」は「恐れ多いので」という理由表現ではなく、「恐れ謹んで」「畏み承って」の意。
 37句・38句「百礒城之・大宮人之」は「百礒城(ももしき)の・大宮人(おほみやひと)の」と訓む。37句は、29番歌35句・257番歌13句・691番歌1句と同句。「ももしきの」は、「大宮」にかかる枕詞として用いられたが、「大宮」を「多くの石で築いた城(き)」の意で称えたものとされ、「百の礒で築いた城」ということで「百礒城(ももしき)」の字があてられたと考えられる。「之」は35句に同じで、連体助詞「の」。「大宮人(おほみやひと)」(691番歌他に既出)は、「宮中に仕える人。宮廷に奉仕する官人。」のことで、男性にも女性にも使われる。「之」は37句に同じ。
 39句・40句「玉桙之・道毛不出」は「玉桙(たまほこ)の・道(みち)にも出(い)でず」と訓む。39句「玉桙之」は、220番歌41句・230番歌11句・534番歌3句と同句で、「たまほこの」と訓み、次の「道」にかかる枕詞。「道(みち)」は「人の行き来するところ」。下に場所を示す格助詞「に」を補読する。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「も」。「不出」は、ダ行下二段活用の自動詞「いづ」の未然形「出(い)で」+打消しの助動詞「ず」(連用形。漢文の助字「不」で表記)=「出(い)でず」。「いづ」は、「(ある限られた場所から)その外へ進み動いて行く。」ことをいう。
 41句「戀比日」は「戀(こ)ふる比日(このころ)」と訓む。「戀」はハ行上二段活用の他動詞「こふ」の連体形で「戀(こ)ふる」。ここの「こふ」対象は、「春の野山」であるに違いない。「比日」は、12句に既出で、「比日(このころ)」と訓み、「この頃」の意。
 948番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  ま葛(くず)延(は)ふ 春日(かすが)の山(やま)は
  打(う)ち靡(なび)く 春(はる)去(さ)り徃(ゆ)くと
  山(やま)の上(うへ)に 霞(かすみ)たなびく
  高圓(たかまと)に 鴬(うぐひす)鳴(な)きぬ
  物部(もののふ)の 八十(やそ)とものをは
  折木四(かり)[雁]が哭(ね)の・来継(きつ)ぐ比日(このころ)
  如此(かく)續(つ)ぎて 常(つね)に有(あ)りせば
  友(とも)なめ[並め]て 遊(あそ)ばむものを
  馬(うま)なめて 徃(ゆ)かまし里(さと)を
  待(ま)ち難(がて)に 吾(わ)が為(せ)し春(はる)を
  かけまくも あやに恐(かしこ)く
  言(い)はまくも ゆゆしく有(あ)らむと
  豫(あらかじめ) 兼(か)ねて知(し)りせば
  千鳥(ちどり)鳴(な)く 其(そ)の佐保川(さほかは)に
  石(いは)に生(お)ふる 菅(すが)の根(ね)取(と)りて
  しのふくさ 解除(はら)へてましを
  徃(ゆ)く水(みづ)に 潔(みそ)ぎてましを
  天皇(おほきみ)の 御命(みこと)恐(かしこ)み
  百礒城(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)の
  玉桙(たまほこ)の 道(みち)にも出(い)でず
  戀(こ)ふる比日(このころ)

  葛が一面にのび広がっている 春日の山は
  (うちなびく) 春がやってくると
  山の上に 霞がたなびき
  高円山では うぐいすが鳴いている
  宮廷に仕える 宮人たちは
  雁の鳴く声が 次々とやってくるこの頃
  このようにして 普段であったら
  友だちと一緒に 遊んでいるはずなのに
  馬を並べて 里をたずねているはずなのに
  それほど待ちかねて 私たちがいた春であるのに
  心にかけて思うのも 恐れ多く
  口に出して言うのも 憚られるけれども
  前もって こうなると分かっていたら
  千鳥の鳴く あの佐保川で
  岩に生えている 菅の根を取って
  心惹かれる種を 祓い除いておくのだったのに
  流れゆく水で みそぎをするだったのに
  大君のお言葉を 恐れ謹んで
  (ももしきの) 大宮人たちは
  (玉桙の) 道にすら出ずに
 [春の野山を]恋い慕っているこの頃である
ラベル:万葉集
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2018年07月17日

『万葉集』を訓(よ)む(その1288)

 今回は、948番歌の23句からを訓む。
 23句・24句「言巻毛・湯々敷有跡」は「言(い)はまくも・ゆゆしく有(あ)らむと」と訓む。23句は、475番歌の3句と同句。「言巻」は、21句の「かけまく」と同じク語法、ハ行四段活用の他動詞「いふ」の未然形「言(い)は」+意志・推量の助動詞「む」(連体形) +形式体言「あく」の「言(い)はむあく」が約まったもので、「言(い)はまく」と訓む。「巻」は、21句と同じで「まく」を表わすための借訓字。「毛」は、モ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞の「も」。「湯々敷」は、シク活用の形容詞「ゆゆし」の連用形「ゆゆしく」を表す。「湯」は「ゆ」の常用訓仮名で、「敷」は「しく」を表すための借訓字。「ゆゆし」は「忌み憚り慎まれる」ことをいう。ここの「有」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「有(あ)ら」に推量の助動詞「む」を補読して「有(あ)らむ」と訓む。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。
 25句・26句「豫・兼而知者」は「豫(あらかじめ)・兼(か)ねて知(し)りせば」と訓む。25句は、468番歌3句・556番歌3句・659番歌1句と同句で、「豫」の一字で「あらかじめ」と訓む。「あらかじめ」は「前々から。前もって。かねて。」の意。26句は、151番歌の2句「懐知勢婆」と表記は異なるが同句で、「兼(か)ねて知(し)りせば」と訓む。「かねて」は、動詞「かねる(兼)」の連用形「兼(か)ね」に接続助詞「て」(漢文の助字「而」で表記)が付いたものが一語化して副詞となったもので、「事前に。前もって。」の意。「知者」は、ラ行四段活用の自動詞「しる」の連用形「知(し)り」+回想の助動詞「き」の未然形「せ」(無表記だが補読)+仮定条件を示す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用)=「知(し)りせば」。「しる」には、自動詞と他動詞があるが、ここは「物事のなりゆきがわかる」という意の自動詞と考えられる。「せば」は、現実に反する事態を仮定条件として表わす語で、多く推量の助動詞「まし」と呼応して用いられる。ここも32句・34句の「まし」と呼応している。
 27句・28句「千鳥鳴・其佐保川丹」は「千鳥(ちどり)鳴(な)く・其(そ)の佐保川(さほかは)に」と訓む。27句は、526・528・715・915番歌の1句と同句。「千鳥(ちどり)」は、多数で群をなして飛ぶところから呼ばれたもので、チドリ科の鳥の総称。「鳴」はカ行四段活用の自動詞「なく」の連体形で「鳴(な)く」。「千鳥(ちどり)鳴(な)く」の句は、『万葉集』に本歌を含めて五例あり、915番歌のみ「吉野川」を修飾しているが、他は全て「佐保川」にかかっており、「佐保川」の慣用的修飾語と言える。「其(そ)の」は、中称の代名詞「そ」に連体助詞「の」が付いたもので、前に述べたことや聞き手が了解していることをさし示す。「佐保川(さほかは)」は、奈良市、春日山の東側に発し、若草山北方を西流、さらに南流し、諸川や泊瀬川と合流して大和川となる川。「丹」は「に」の常用訓仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 29句・30句「石二生・菅根取而」は「石(いは)に生(お)ふる・菅(すが)の根(ね)取(と)りて」と訓む。ここの「石」は、743番歌2句の「千引乃石」を「千引(ちびき)の石(いは)」と訓んだのと同様、「いし」ではなく「いは」と訓む。「二」はニ音の音仮名(片仮名の字源)で、場所を示す格助詞「に」。「生」はハ行上二段活用の自動詞「おふ」の連体形で「生(お)ふる」。「おふ」は「(草木・毛などが)はえる。生じる。」ことをいう。「菅根」(791番歌に既出)は、「菅」と「根」の間に連体助詞「の」を補読して「菅(すが)の根(ね)」と訓む。「菅」は、カヤツリグサ科の植物の総称。カサスゲの葉で笠、カンスゲで蓑をつくるなど利用用途の多い植物。単独ではスゲだが、複合語を作ると母音交替でスガとなる。「根」は、「高等植物の基本的な器官の一つ。普通は地中にあって、植物体の支持および、水と栄養分の吸収を主な機能とする。」と『日本国語大辞典』にある。「取」はラ行四段活用の他動詞「とる」の連用形「取(と)り」。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。
 31句・32句「之努布草・解除而益乎」は「しのふくさ・解除(はら)へてましを」と訓む。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「努」はノ(甲類)音の常用音仮名、「布」はフ音の常用音仮名で、「之努布」で以ってハ行四段活用の他動詞「しのふ」(連体形)を表す。「しのふ」は「思い慕う」の意であるが、何らかの物を媒介として思い遣ることをいう。「草」は「くさ」を表すための借訓字で、「くさ」は「物事を生ずるもと。種。」の意。「しのふくさ」は、「偲種」の意で、「思い慕う原因となるもの。心ひかれる思いのたね。」をいう。「解除」は、ハ行下二段活用の他動詞「はらふ」の連用形で「解除(はら)へ」。「而」は30句に同じで、接続助詞「て」。「解除(はら)へて」について、吉井『萬葉集全注』は「祓へて」として「罪や穢(けが)れを、祓具(はらえつもの)を出して解除することで、他から課せられる行為である。」と注している。「益」は借訓字で、反実仮想の助動詞「まし(連体形)」に宛てたもの。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、詠嘆の間投助詞「を」。
 33句・34句「徃水丹・潔而益乎」は「徃(ゆ)く水(みづ)に・潔(みそ)ぎてましを」と訓む。「徃」はカ行四段活用の自動詞「ゆく」の連体形「徃(ゆ)く」。「徃(ゆ)く水(みづ)」は「佐保川の流れ」をさす。「丹」は28句に既出で、格助詞「に」。34句は、420番歌の42句「潔身而麻之乎」と表記は異なるが同句。「潔」はガ行四段活用の自動詞「みそぐ」の連用形で「潔(みそ)ぎ」。「みそぐ」は「川原などで、水で身を洗い清め穢れを落とす。斎戒沐浴する。」ことをいう。「而」は30句・32句に同じで、接続助詞「て」。「益乎」は、32句に同じく、反実仮想の助動詞「まし」+詠嘆の間投助詞「を」=「ましを」。
 35句以降は、次回に続く。
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2018年07月13日

『万葉集』を訓(よ)む(その1287)

 今回は、948番歌の13句からを訓む。
 13句・14句「如此續・常丹有脊者」は「如此(かく)續(つ)ぎて・常(つね)に有(あ)りせば」と訓む。「如此」(748番歌他に既出)は、コノゴトクの義で、副詞「かく」に用いたもの。「續」は「続」の旧字で、『名義抄』に「續 ツグ・ツラヌ・ツムグ・ツグノフ」とある。ここは、ガ行四段活用の自動詞「つぐ」の連用形「續(つ)ぎ」と訓み、下に接続助詞「て」を補読する。「つぐ」は「並んで連なる。物事がひき続いて起こる。」ことをいう。「常丹」は、形容動詞「つね」の連用形(副詞法)で「常(つね)に」。連用形であることを明示するために活用語尾「に」を常用訓仮名「丹」で表記したもの。「つね」は「日常普通に見られる行為や状態であること。いつもの通りであるさま。」をいう。「有脊者」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の連用形「有(あ)り」+過去の助動詞「き」の未然形「せ」+順接の仮定条件を表わす接続助詞「ば」=「有(あ)りせば」「脊」は「せ」の訓仮名、「者」は「は」の訓仮名であるが、「ば」に流用したもの。
 15句・16句「友名目而・遊物尾」は「友(とも)なめ[並め]て・遊(あそ)ばむものを」と訓む。「友(とも)」は「同じ仲間の人々。ともがら。」の意。「名」「目」は、「な」「め(乙類)」の常用訓仮名。「名目」は、マ行下二段活用の他動詞「なむ」の連用形「なめ[並め]」を表す。「なむ」は「ならべる、つらねる」ことをいう。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。ここの「遊」は、バ行四段活用の自動詞「あそぶ」の未然形「遊(あそ)ば」に、意思・意向の助動詞「む」(連体形)を補読して「遊(あそ)ばむ」と訓む。「あそぶ」は「思うことをして心を慰める。遊戯、酒宴、舟遊びなどをする。」ことをいう。「物」は、個々の具体物から離れて抽象化された事柄、概念をいう語で、現在では通常「もの」と仮名書きされる。「尾」は「を」の常用訓仮名で、格助詞(間投助詞)「を」。「ものを」で以て、逆接の接続助詞となる。
 17句・18句「馬名目而・徃益里乎」は「馬(うま)なめて・徃(ゆ)かまし里(さと)を」と訓む。17句は、4番歌3句「馬數而」、49番歌3句「馬副而」、239番歌5句・926番歌13句「馬並而」と「なめて」の表記は異なるが、同句で、「馬(うま)なめて」と訓み、「馬を並べて」の意。「名目而」の表記は、15句に同じ。「徃」は「往」の俗字で、カ行四段活用の自動詞「ゆく」の未然形「徃(ゆ)か」。「ゆく」は「目的の場所に向って進む。」ことをいう。「益」は借訓字で、反実仮想の助動詞「まし(連体形)」に宛てたもの。「里(さと)」(929番歌他に既出)は、「人家のあつまっている所。人の住んでいる所。村落。」をいう。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、接続助詞「を」。
 15句・16句と17句・18句は、二句対をなしている。
 19句・20句「待難丹・吾為春乎」は「待(ま)ち難(がて)に・吾(わ)が為(せ)し春(はる)を」と訓む。「待」はタ行四段活用の他動詞「まつ」の連用形で「待(ま)ち」。「難」は、95・485・629番歌に既出で、「がてに」と訓み、「困難で」の意。(ここでは「に」を常用訓仮名の「丹」で表記。)「かてに」と訓む説もあるが、『日本古典文学大系』の485番歌の補注の説に従い「がてに」とした( [参考]として補注を再掲しておく)。「吾」は格助詞「が」を補読して「吾(わ)が」と訓む。「為」はサ行変格活用の他動詞「す」の未然形「為(せ)」で、下に回想の助動詞「き」の連体形「し」を補読して「為(せ)し」と訓む。回想の助動詞「き」は、助動詞・動詞の連用形に接続するのが普通であるが、「カ変・サ変の動詞につく場合には、接続上特殊な変化があり、カ変は『こし』『こしか』『きし』『きしか』、サ変は『せし』『せしか』『しき』となる。」(『岩波古語辞典』より)ので注意が必要。「春(はる)」は四季のひとつで、厳しい「冬」のあとに来ることから、「春を待つ」「春待つ」という表現があり、冬の季語である。「乎」は18句に同じで、接続助詞「を」。
 21句・22句「决巻毛・綾尓恐」は「かけまくも・あやに恐(かしこ)く」と訓む。21句「决巻毛」は、199番歌一句「挂文」、475番歌1句「挂巻母」、478番歌1句「挂巻毛」と表記は異なるが同句で、「かけまくも」と訓む。「决」は「決」の俗字で、「缺」の通用文字であることから「かけ」を表すのに借りたもの。「かけ」は、カ行下二段活用の他動詞「かく」の未然形。「かく」には、「言葉にかける、言葉に出す。」または「心にかける、心に思う。」の意があるが、ここは「心にかける」意。「巻」も「まく」を表わすための借訓字。「まく」は「むあく」の約まったもので、意志・推量の助動詞「む」のク語法。ク語法(既出)は、活用語を体言化する語法で、活用語の連体形に形式体言のアクが付いた形。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「も」。「綾尓」(199番歌他に既出)は、「あやに」と訓み、感動詞「あや」に助詞「に」がついてできた語で、言葉に表わせないほど、また、理解できないほどの感動をいう。「なんとも不思議に。わけもわからず。いいようもなく。」の意。「綾」は「あや」に宛てた借訓字。「尓」はニ音の常用音仮名。「恐」は、ク活用形容詞「かしこし」の連用形で「恐(かしこ)く」。「かしこし」は、第一義的には「おそるべき霊力、威力のあるさま。また、それに対して脅威を感ずる気持を表わす。」が、ここは「尊い者、権威のある者に対して、おそれ敬う気持を表わす。おそれ多い。」の意。
 23句以降は、次回に続く。

[参考]『日本古典文学大系』四八五番歌の補注
 カテニは普通、耐える意のカツ(下二段活用)の未然形に、否定のズの古形ニが接続して成立した語と説かれている。語源的な説明としてはそれで正しいものと考えられるが、注意すべきことは、奈良時代の人々が、一般に果たしてそのような意識、つまり、ニは否定のズの連用形なのだという意識をもっていたかどうかということである。否定のズとかヌとかは、万葉集の訓仮名表記の部分では(字音仮名ばかりで書いてあるところは別として)不、莫の文字で書くのが通例で、不や莫を用いないのは、願望のヌカ、ヌカモの場合である。これは、ヌカ、ヌカモという助詞全体で一語と意識されていて、それを語源にさかのぼって、否定のズの連体形ヌにカモの接続した形という意識が無かった結果、不や莫をその部分にあてなかったものと考えられる。それと同様のことが、カテニの場合にも起こっている。すなわち、行過勝尓(ユキスギカテニ)(二五三)、待勝尓(マチカテニ)(一六八四)というような例があるのは、ニが否定のズの連用形であることを忘れた(あるいは知らない)表記と見られるのである。さらに、表意的な文字として勝の他に、難が用いられている。得難尓為(エガテニス)(九五)、待難尓為(マチガテニスレ)(六二九)などの例がそれである。難尓という表記は、カタシという形容詞の語幹カタに助詞ニがついたもので、一種の混淆(コンタミネーション)の結果である。これを何と訓んだかについては、恐らくガテニと訓んだのではないか。「君待ち我弖尓(ガテニ)」(八五九・三四七〇)の二例の存在が、その証となる。
 つまりカテニという言葉は、元来はカツの未然形にズの連用形がついて成立したが、奈良時代ではその語源意識は失われカテニはガテニに移行しつつあり、ガテニで一まとまりとして意識されていた。その意識の形成は、否定のニの一般的衰退、「難し」という意味・語形の類似する語の存在という事情が密接な関係をもっていたということである。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 14:04| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする