2018年07月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その1286)

 今回は、948番歌の5句からを訓む。
 5句・6句「山上丹・霞田名引」は「山(やま)の上(うへ)に・霞(かすみ)たなびく」と訓む。5句は、多くの注釈書が「山峡(やまかひ)に」と訓むが、澤潟『萬葉集注釋』は「山(やま)の上(うへ)に」と訓む。澤潟の説を支持して、ここは「山(やま)の上(うへ)に」と訓みたい。「丹」は「に」の常用訓仮名で、場所を示す格助詞「に」。澤潟『萬葉集注釋』に次のようにある。

 山の上に ― 「上」の字、元に「匕」とあるので前の「背匕(ソカヒ)」(九一七)と同じく、匕(カヒ)の借訓文字として新訓に「山峡(やまかひ)に」とした。それも一案であるが、ここは元以外、紀、西、その他すべて「上」とあり、元も左に赭「上」とあり、右に片カナ赭ヤマノウヘニとあり、紀、細、もヤマノウヘニ、西その他いづれもヤマノウヘニとある。「夜麻可比尓(ヤマカヒニ) 佐家流佐久良乎(サケルサクラヲ)」(十七・三九六七)の如きは認められるが、霧ならばともかく(四・五〇九参照)、霞に山峡はふさはしくなく、他に用例もなく、「上」の方は「霊寸春(タマキハル) 吾山之於尓(ワガヤマノウヘニ) 立霞(タツカスミ)」(十・一九一二)の例もあり、元一本により「山峡」とする事は從ひ難い。

「霞(かすみ)」(735番歌他に既出)は、動詞「かすむ(霞)」の連用形の名詞化したもので「空気中に広がった微細な水滴やちりが原因で、空や遠景がぼんやりする現象」をいう。「田名引」は、カ行四段活用の自動詞「たなびく」の連体形「たなびく」と訓む。「田」と「名」は、「た」「な」の常用訓仮名で、「引」は「びく」を表すための借訓字。「たなびく」は「雲や霞が薄く層をなして横に長く引く」ことをいう。
 7句・8句「高圓尓・鴬鳴沼」は「高圓(たかまと)に・鴬(うぐひす)鳴(な)きぬ」と訓む。「高圓(たかまと)」は、230番歌に既出の「高圓山(たかまとやま)」のことで、奈良市白毫寺町にある春日山の南に峠道を隔てて続く、標高462メートルの山をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「鴬(うぐひす)」は「ヒタキ科ウグイス亜科の鳥。雄は全長約一六センチメートル、雌は約一四センチメートル。雌雄とも背面は褐色を帯びた緑色で、腹部は白っぽい。早春、『ホーホケキョ』と美声でさえずるので、飼い鳥とされる。夏は平地から高山までの各地の笹やぶにすみ、地鳴き(笹鳴きともいう)は『チャッチャッ』と鳴く。冬に山地のものは平地に降りてくる。鶯の卵はホトトギスの卵とよく似ているので、鶯はしばしばホトトギスの卵を孵化(ふか)して育てる。はるどり。はるつげどり。うたよみどり。きょうよみどり。においどり。ひとくどり。ももちどり。はなみどり。あたごどり。学名はCettia diphon 《季・春》」(『日本国語大辞典』より)。「鳴沼」は、カ行四段活用の自動詞「なく」の連用形「鳴(な)き」+完了の助動詞「ぬ」(「ぬ」の常用訓仮名「沼」で表記)=「鳴きぬ」。
 9句・10句「物部乃・八十友能壮者」は「物部(もののふ)の・八十(やそ)とものをは」と訓む。9句は、928番歌の17句と同句で、10句も928番歌の18句「八十伴雄者」と表記は少し異なるが同句。「物部乃」は、「朝廷に仕える氏族の総称」の意で「物部(もののふ)の」と訓む。「もののふの」は、氏族の数の多い所から「八十伴緒」「八十氏」「八十」などにかかる枕詞として用いられることが多いが、ここでは「朝廷に仕える文武百官」という実質的な意味をもち、次の「乃」(ノ(乙類)音の常用音仮名で片仮名・平仮名の字源)は、同格の格助詞「の」で次の「八十友能壮」に続くとみられる。「八十(やそ)」は数の多いことを言ったもので「多くの」の意。「友」は「とも」を表すための借訓字、「能」はノ(乙類)音の常用音仮名、「壮」は「大きい男」の意を持つことから「男」「雄」と同じく「を」を表すのに用いたもので、「友能壮」で以って「とものを」を表す。「とものを」は、本来は「伴の緒」と書き、「伴う一連のもの」の意。『万葉集』では「伴緒」の表記例は1047番歌の一例のみで、あとは「伴男」「伴雄」などと書かれているので男子の意に解していたものと思われる。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 11句・12句「折木四哭之・来継比日」は「折木四(かり)[雁]が哭(ね)の・来継(きつ)ぐ比日(このころ)」と訓む。「折木四(かり)」は、743番歌5句の「諸伏(まにまに)」と同様、朝鮮半島の伝統的な遊戯の一つである樗蒲(ちよぼ)に由来する戯書。樗蒲は、年末から年始に行われる遊びで、木製で平たい楕円形の四つのさいころの一面を白く、他面を黒く塗り、黒い面二面に牛を、白い面二面にきじを描いて投げ、出た面の組み合わせで勝負を争う。日本では「かりうち」といったことから、「折木四」を「かり(雁)」に宛てたもの。「かり(雁)」は、ガンカモ科の大型の鳥の総称。下に連体助詞「が」を補読して次の「哭(ね)」に続く。「哭(ね)」は「虫、鳥、獣などが鳴く声」の意で、ここは「雁の鳴く声」。「之」は漢文の助字で格助詞「の」。「来継」は、ガ行四段活用の自動詞「きつぐ」の連体形「来継(きつ)ぐ」。「きつぐ」は「次々と来る。引き続いて来る。」ことを言う。「比日」は、436・648番歌に既出で、「比日(このころ)」と訓む。王羲之の書簡文『文集帖』に「此日省卿ノ文集ヲ尋ヌ」、『雑帖』に「吾レ此日極メテ不快、眠食スルコト得ズ」などと「この頃」の意で使われていることから、「このころ」にあてたもの。
 13句以降は、次回に続く。
posted by 河童老 at 14:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする