2018年08月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1300)

 今回は、959番歌を訓む。題詞に「豊前守宇努首男人歌一首」とあって、前歌(958番歌)に続いて、「冬(ふゆ)十一月(ぐわつ)、大宰(だざい)の官人等(くわんにんら)香椎(かしひ)の廟(みや)を拜(をろが)み奉(まつ)り訖(を)へて退(まか)り歸(かへ)る時(とき)に、馬(うま)を香椎(かしひ)の浦(うら)に駐(とど)めて各(おのおの)懐(おもひ)を述(の)べて作(つく)る歌(うた)」の三首目で、作者は「豊前守(とよのみちのくちのくにのかみ)宇努首(うののおびと)男人(をひと)」である。作者については、吉井『萬葉集全注』が「【考】宇努首の略歴」として詳しく述べているのでそれを引用しておく。

 【考】宇努首の略歴 宇努首は新撰姓氏録によれば、百済系の大和国諸蕃として編成されている。男人は八幡宇佐宮御託宣集巻五の養老四年隼人叛乱の条に「豊前守正六位上宇努首男人」とあり、政事要略廿三放生会条にも「旧記云」として、養老四年八幡大神が宇努首男人の請によって隼人を打ち破ったが、隼人殺害のために毎年二回放生会を行うことを述べている。養老四年から神亀五年まで約九年の豊前守は長期にすぎるが、何か特殊な事情があったのかもしれない。作歌によれば「明日ゆ後には見むよしもなし」とあり、転任による都への帰還の途ととれる。新垣幸得によれば(「時風再航」上代文学昭和五十一年十一月)、「香椎宮編年記」に、天平宝字四年(七六〇)以後、毎年十一月六日に大宰帥以下が香椎宮に参拝することになっており、この制度は先例によって定めたものなので、おそらく旅人の参拝も十一月六日の定例のものであったろうとする。旅人らは香椎宮参拝のために、宇努男人は都への帰還のために同道したのであろう。

 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  徃還 常尓我見之
  香椎滷 従明日後尓波
  見縁母奈思

 1句「徃還」は「徃(ゆ)き還(かへ)り」と訓む。「徃」はカ行四段活用の自動詞「ゆく」の連用形で「徃(ゆ)き」。「還」はラ行四段活用の自動詞「かへる」の連用形「還(かへ)り」。「徃(ゆ)き還(かへ)り」は「任国の豊前から大宰府への行き帰り」をいう。
 2句「常尓我見之」は「常(つね)に我(わ)が見(み)し」と訓む。「常尓」は、形容動詞「つね」の連用形(副詞法)で「常(つね)に」(「尓」はニ音の常用音仮名)。「つね」は「日常普通に見られる行為や状態であること。いつもの通りであるさま。」をいう。「我」は、自称「わ」に格助詞「が」を補読して「我(わ)が」と訓む。「見」はマ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形で「見(み)」。「之」は、シ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、回想の助動詞「き」の連体形の「し」として用いたもの。
 3句「香椎滷」は「香椎滷(かしひがた)」と訓む。この句は、前歌(958番歌)の3句と同句。「香椎滷(かしひがた)」は、「香椎の干潟」をいう。
 4句「従明日後尓波」は「明日(あす)ゆ後(のち)には」と訓む。「従」は、漢文の助字で「より。… から。」の意の格助詞「ゆ」に用いたもの。日本語の語順では「明日」の後ろに。「明日」は、779番歌に既出で、そこではアスノヒと訓んだが、ここはアスと訓む。「後(のち)」は、時間的に「ある時よりあと」をいう語で、「今後。将来。これから先。」の意。「尓波」(924番歌他に既出)は、格助詞「に」に係助詞「は」の付いた「には」を表す。「尓」はニ音の常用音仮名、「波」はハ音の常用音仮名で平仮名の字源。
 5句「見縁母奈思」は「見(み)む縁(よし)もなし」と訓む。ここの「見」は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」に推量の助動詞「む」(連体形)を補読して「見(み)む」と訓む。「縁(よし)」(775番歌他に既出)は、「かかわりを持つための方法。手段。てだて。すべ。」の意。「母」はモ音の常用音仮名で、係助詞「も」。「奈」はナ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「思」はシ音の音仮名。「奈思」は、ク活用形容詞「なし」(終止形)を表す。
 959番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  徃(ゆ)き還(かへ)り 常(つね)に我(わ)が見(み)し
  香椎滷(かしひがた) 明日(あす)ゆ後(のち)には
  見(み)む縁(よし)もなし

  大宰府への行き帰りに いつも私の見ていた
  この香椎潟も 明日からは
  見るすべもありません
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 11:25| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その1299)

 今回は、958番歌を訓む。題詞に「大貳小野老朝臣歌一首」とあって、前歌(957番歌)に続いて、「冬(ふゆ)十一月(ぐわつ)、大宰(だざい)の官人等(くわんにんら)香椎(かしひ)の廟(みや)を拜(をろが)み奉(まつ)り訖(を)へて退(まか)り歸(かへ)る時(とき)に、馬(うま)を香椎(かしひ)の浦(うら)に駐(とど)めて各(おのおの)懐(おもひ)を述(の)べて作(つく)る歌(うた)」の二首目で、作者は「大貳(だいに)小野老朝臣(をののおゆのあそみ)」である。「小野老」は、328・816番歌の作者として既出。『萬葉集全注』は、本歌の【考】に「小野老の略歴」として次のように述べている。

 天平二年(七三〇)正月の梅花宴(5・八一六)に少弐とある。ここの大弐は誤り。小野老は、養老三年(七一九)正月従五位下、翌年右少弁、神亀年中のいつかに大宰少弐となる。天平元年三月(七二九年。長屋王の政変直後)従五位上(長屋王時代の十年間昇進なしとなる)、天平三年正五位下、天平五年正五位上、天平六年正月従四位下、天平九年六月十一日卒(松崎英一「小野朝臣老の卒年」古代文化昭和五十年八月)。従四位下が大宰大弐の相当官位であるから、この題詞の記述は天平六年以後となる。なお、氏(うじ)名(な)姓(かばね)の順に書くのは敬称記述。

 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  時風 應吹成奴 
  香椎滷 潮干汭尓 
  玉藻苅而名

 1句「時風」は「時(とき)つ風(かぜ)」と訓む。この句は、220番歌の15句と同句。「時風」は、間に連体助詞「つ」を補読して、「時(とき)つ風(かぜ)」と訓み、「一定の時にきまって吹く風」のことをいう。
 2句「應吹成奴」は「吹(ふ)くべく成(な)りぬ」と訓む。「應」(439番歌他に既出)は、漢文の助字。再読文字として「まさに…べし」と訓まれるが、ここは推量・可能・当然・適当の意を持つ助動詞「べし」の表記に宛てたもので、その連用形「べく」と訓むが、語順としては「吹」の後。「吹」はカ行四段活用の自動詞「ふく」の終止形「吹(ふ)く」。「ふく」は「気体が動く。風がおこる。」ことをいう。「成」はラ行四段活用の自動詞「なる」の連用形で「成(な)り」。「なる」は、「その時刻や時期に達する。その時に至る。また、時が経過する。」の意。「奴」はヌ音を表わす常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、完了の助動詞「ぬ」。
 3句「香椎滷」は「香椎滷(かしひがた)」と訓む。「香椎滷(かしひがた)」は、前歌2句の「香椎乃滷」に同じで、「香椎の干潟」をいう。
 4句「潮干汭[浦]尓」は「潮干(しほひ)の汭(うら)に」と訓む。「潮干(しほひ)」(941番歌他に既出)は、「潮(しほ)干(ふ)」が名詞化した語で、「潮が引くこと。また、潮が引いたあとの浜。」をいう。「汭」は390番歌に既出で、そのところで、『正字通』に「水ノ曲流スルヲ汭ト為ス」とあり、『春秋左伝』閔公二年春の条「虢公、犬戎ヲ渭ノ汭(○)ニ敗ル。」の杜預注に「河水ノ隈曲ヲ汭ト曰フ」とあることを述べた。要するに川の流れが湾曲しているところをいうが、『万葉集』では「汭浪の来寄する浜に」(13・三三四三)、「貞の汭」(12・三〇二九)など海の浦に用いており、ここも「浦」に同じ。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 5句「玉藻苅而名」は「玉藻(たまも)苅(か)りてな」と訓む。この句は、121番歌5句「玉藻苅手名」と「て」の表記が異なるだけで同句。「玉藻」(943番歌他に既出)は、「美しい藻」の意で「たま」は美称。「苅」はラ行四段活用の他動詞「かる」の連用形で「苅(か)り」。「苅る」は、「むらがって生えているものを短く切り払う」意。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」として多く用いられているが、ここは完了の助動詞「つ」の未然形の「て」に用いたもの。「名」は「な」を表わす常用の訓仮名で、意志・希望を表わす終助詞「な」。「てな」は、話し手自身の行為についての強い願望を表わすのに使われた。
 958番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  時(とき)つ風(かぜ) 吹(ふ)くべく成(な)りぬ
  香椎滷(かしひがた) 潮干(しほひ)の汭(うら)に
  玉藻(たまも)苅(か)りてな

  潮時の風が 吹く時になった
  香椎潟の 潮の引いた入江で
  今のうちに玉藻を刈ってしまいたい
posted by 河童老 at 17:40| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月24日

『万葉集』を訓(よ)む(その1298)

 今回は、957番歌を訓む。題詞に「冬十一月、大宰官人等奉拜香椎廟訖退歸之時、馬駐于香椎浦各述作懐歌 / 帥大伴卿歌一首」とある。訓み下すと、「冬(ふゆ)十一月(ぐわつ)、大宰(だざい)の官人等(くわんにんら)香椎(かしひ)の廟(みや)を拜(をろが)み奉(まつ)り訖(を)へて退(まか)り歸(かへ)る時(とき)に、馬(うま)を香椎(かしひ)の浦(うら)に駐(とど)めて各(おのおの)懐(おもひ)を述(の)べて作(つく)る歌(うた) / 帥(そち)大伴卿(おほともきやう)の歌(うた)一首(しゆ)」となる。「冬十一月」とあるのは、神亀五年(728)の冬のことで、当時、大伴旅人は、正三位で、六四歳であった。「廟」は大陸の制度で、祖霊や鬼神聖賢を祀った堂宇をいう。「香椎の廟」「香椎の浦」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように注している。

 香椎の廟(みや) 仲哀天皇の行宮のあったところで、天皇崩御後山稜を営む。仲哀天皇と神功皇后を合祀。奈良時代にも、延喜式にも廟として神社と区別し、山稜として扱われた。神名帳にも載せない。平安時代になってから神社として扱われるようになる。福岡市東区香椎。
香椎の浦 香椎の廟は丘を下れば直ちに海浜。

写本に異同はなく、原文は次の通り。

  去来兒等 香椎乃滷尓 
  白妙之 袖左倍所沾而 
  朝菜採手六

 1句「去来兒等」は「去来(いざ)兒等(こども)」と訓む。この句は、280番歌1句と同句。また、63番歌1句の「去来子等」とも表記は一字違うが同句。「去来」は、義訓字で、陶淵明の「帰去来辞」中の「帰去来兮」が「かえりなん、いざ」と訓ぜられ、本来は「帰去」が動詞で「来」が語助の辞であるのを、「帰」と「去来」とに分けて、「去来」を「いざ」と理解したもので、この二字で「いざ」と訓むようになった。「いざ」は、相手を誘うとき、自分と共に行動を起こそうと誘いかけるときなどに呼びかける語。「兒等」は、部下や年下の者への呼びかけ。「ども」は、名詞・代名詞に付いて、そのものを含めて、同類の物事が数多くあることを示すが、必ずしも多数とは限らないで、同類のものの一、二をさしてもいう。人を表わす場合は「たち」に比べて敬意が低く、目下、または軽蔑すべき者たちの意を含めて用いる。「ども」に充てられた「等」は、同じような人々、ある一定の種類に属する人々を、その集団として表現する語である「ともがら」の意を持つ。
 2句「香椎乃滷尓」は「香椎(かしひ)の滷(かた)に」と訓む。「香椎(かしひ)」は題詞に既出。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「滷」は131番歌に既出。その原義は、「塩分を含む地」で同義の「潟」と共に、日本では「かた」と訓まれ、「遠浅の海岸で、潮の満干によって隠れたり現われたりする地。」をいう。ここは「干潟」の意で用いている。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 3句「白妙之」は「白妙(しろたへ)の」と訓む。この句は、230番歌15句と同句。「白妙」は「白栲」に同じで、「梶の木の皮の繊維で織った白い布」をいう。「しろたへの」は、「衣」「袖」「たもと」「たすき」「帯」「紐」「領巾」「天羽衣」などにかかる枕詞で、ここも次の「袖」にかかる。
 4句「袖左倍所沾而」は「袖(そで)さへ沾(ぬ)れて」と訓む。この句は、782番歌4句と同句。「袖(そで)」は「衣服で、身頃(みごろ)の左右にあって、腕をおおう部分。」をいう。「左」はサ音の常用音仮名(平仮名の字源)、「倍」はヘ(乙類)音の常用音仮名。「左倍」で以って副助詞「さへ」を表す。「所沾」は、ラ行下二段活用の自動詞「ぬる」の連用形で「沾(ぬ)れ」。「ぬる」は「物の表面に雨、露、涙などの水がたっぷり付く。」ことをいう。「ぬる」の場合「所」の文字を加えていることが多い(24番歌)。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。
 5句「朝菜採手六」は「朝菜(あさな)採(つ)みてむ」と訓む。「朝菜(あさな)」は、「朝食の副食物にする草」をいうが、ここは海藻をさす。「採手六」は、マ行四段活用の他動詞「つむ」の連用形「採(つ)み」+完了の助動詞「つ」の未然形「て」+意志・意向の助動詞「む」=「採(つ)みてむ」。「手」「六」は、「て」「む」の常用訓仮名。ここの「つむ」は、海藻を刈り取ることをいう。完了の助動詞「つ」は、ここでは強意の働きをしている。
 957番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  去来(いざ)兒等(こども) 香椎(かしひ)の滷(かた)に
  白妙(しろたへ)の 袖(そで)さへ沾(ぬ)れて
  朝菜(あさな)採(つ)みてむ

  さあみんな 香椎の干潟で
  (白たへの) 袖まで濡れて
  朝の菜(海藻)を摘もうよ
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 20:57| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする