2018年10月09日

『万葉集』を訓(よ)む(その1310)

 今回は、969番歌を訓む。題詞に「三年辛未大納言大伴卿在寧樂家思故郷歌二首」とあり、「天平三年、大納言大伴卿が奈良の家にいて故郷を思う歌二首」ということで、本歌と次の970番歌は、大伴旅人が故郷の飛鳥の地を偲んで詠んだ歌である。旅人は天平三年七月二十五日に没しているから、この歌を詠んだ頃にはすでに病床にあったと思われる。
写本の異同としては、2句四字目<壮> があり、これを『西本願寺本』以下の諸本に「牡」とするが、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「壮」とあるのを採る。原文は次の通り。

  須臾 去而見<壮>鹿
  神名火乃 淵者淺而
  瀬二香成良武

 1句「須臾」は「しましくも」と訓む。この句は、119番歌3句・904番歌52句の「須臾毛」と同句で、ここでは係助詞「も」の表記はないが訓み添えて「しましくも」と訓む。「しまし」は「しばし」の古形で、限定された少時間内の意を表わす語。「わずかの間。少時。当分。」の意。それに副詞語尾「く」が付いたのが「しましく」で多く下に助詞「も」を伴って用いられる。「須臾(しゅゆ)」は、「暫くの間」を意味する仏教語で、その意から「しましく」に充てられたもの。
 2句「去而見壮鹿」は「去(ゆ)きて見(み)てしか」と訓む。「去」はカ行四段活用の自動詞「ゆく」の連用形で「去(ゆ)き」。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。「見壮鹿」(908番歌に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形「見(み)」+完了の助動詞「つ」の連用形「て」(補読)+回想の助動詞「き」の已然形「しか」(表記に「壮鹿」を借訓字として用いている)=「見(み)てしか」と訓む。「てしか」は、不可能と思いつつも、「できれば……したいものだ」という願望の意を表す。
 3句「神名火乃」は「神名火(かむなび)[神奈備]の」と訓む。「神名火」は、「かむなび」と訓み、「かむ」は「神」、「な」は「の」の意、「び」は「辺」と同じく「あたり」の意かとされ、「神のいらっしゃる場所」をいう。『日本国語大辞典』に「古代信仰では神は山や森に天降(あまくだ)るとされたので、降神、祭祀の場所である神聖な山や森をいう。特に、龍田、飛鳥、三輪などのそれが有名。」とある。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 4句「淵者淺而」は「淵(ふち)は淺(あ)せにて」と訓む。「淵(ふち)」は、5句の「瀬(せ)」に対する語で、「川の流れが滞って、深く水をたたえたところ。」をいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」に用いたもの。「淺而」は、サ行下二段活用の自動詞「あす」の連用形「淺(あ)せ」+完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」(無表記、訓み添え。)+接続助詞「て」(2句に既出の漢文の助字「而」で表記。)=「淺(あ)せにて」と訓み、「浅くなってしまって」の意。
 5句「瀬二香成良武」は「瀬(せ)にか成(な)るらむ」と訓む。「瀬(せ)」は、4句の「淵(ふち)」に対する語で、「歩いて渡れる程度の浅い流れ。また、急流。」をいう。「二」はニ音の音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「に」。「香」はカ音の音仮名で、疑問の係助詞「か」。「成」はラ行四段活用の自動詞「なる」の終止形「成(な)る」。「なる」は「あるものから他のものに変化する。」ことをいう。「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「武」はム音の常用音仮名(平仮名の字源)で、「良武」は、現在の事態を推量する助動詞「らむ」を表す。ここは、上の係助詞「か」の結びで連体形。
 969番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  しましくも 去(ゆ)きて見(み)てしか
  神名火(かむなび)[神奈備]の 淵(ふち)は淺(あ)せにて
  瀬(せ)にか成(な)るらむ

  ほんの少しの間だけでも 行って見たいものだ 
  神奈備の 淵は浅くなってしまって
  瀬になっているのではなかろうか
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 11:18| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする