2018年11月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その1323)

 今回は、978番歌を訓む。題詞に「山上臣憶良沈痾之時歌一首」とあって、「山上臣憶良(やまのうへのおみおくら)」が「沈痾(ちんあ)の時(とき)」に作った歌である。「沈痾(ちんあ)」は、896番歌の次に載せられていた憶良作の「沈痾自哀文」のところでも述べたように、「いつまでも全快の見込みのない病気。ながわずらい。痼疾。宿病。宿痾。」をいう。この歌には左注があり、作歌事情が述べられているので、まずそれを見ておこう。原文、訓読、口訳は次の通り。なお、訓読は吉井『萬葉集全注』、口訳は阿蘇『萬葉集全歌講義』によった。

[原文] 右一首、山上憶良臣沈痾之時、藤原朝臣八束、使河邊朝臣東人、令問所疾之状。於是憶良臣、報語已畢、有須拭涕悲嘆、口吟此歌。
[訓読] 右の一首、山上憶良臣の沈痾の時に、藤原朝臣八束、河辺朝臣東人を使(つか)はして疾(や)める状(さま)を問(と)はしむ。ここに、憶良臣、報(こた)ふる語(ことば)已畢(をは)る。須(しまら)くありて、涕(なみた)を拭(のご)ひ悲(かな)しび嘆(なげ)きて、この歌を口吟(うた)ふ。
[口訳] 右の一首は、山上憶良臣が重い病気にかかっていたとき、藤原朝臣八束が河辺朝臣東人を派遣して病の様子を尋ねさせた。そこで憶良臣は、返事をし終わった。しばらくして、涙を拭い、悲しみ嘆いて、この歌を口ずさんだ。

「藤原朝臣八束」「河辺朝臣東人」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』が詳しく注しているので、それも引用しておこう。

藤原朝臣八束 藤原不比等の孫。房前の第三子。母は、美努王の娘牟漏女王。天平十二年(七四〇)に、従五位下。治部卿・参議・中務卿・大宰帥・中納言を経て、天平神護二年(七六六)、大納言。同年三月十二日薨。五十二歳。度量広く公輔の才があったと評された。天平宝字四年(七六〇)に任ぜられた大宰帥時代に名を真楯と改めたといわれる。天平五年当時、八束は、十九歳。十九歳の八束が七十四歳の憶良に使者を送って見舞ったことから、両人の間に師弟関係があったことを推測する説もある。
河辺朝臣東人 八束の父房前の家令だったか。正三位の家令は、従七位上相当の官。神護景雲元年(七六七)正月に、正六位上から従五位下。宝亀元年(七七〇)十月、石見守。集中作歌はないが、聖武天皇の皇后光明子の宮で催された維摩講で唱歌された巻八・一五九四の歌人として記録され、また天平勝宝二年(七五〇)十月、光明皇后の旧作(19・四二二四)を伝誦したことが伝えられる。

写本に異同はなく、原文は次の通り。

  士也母 空應有 
  萬代尓 語續可 
  名者不立之而

 1句「士也母」は「士(をのこ)やも」と訓む。「士(をのこ)」は、「成人の男子。壮士。おとこ。」の意。369・577番歌に既出の「壮士」は、ヲトコと訓んだので、ここもヲトコと訓む説もある。「也」はヤ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「母」はモ音の常用音仮名で、「也母」は、反語の係助詞「や」+詠嘆の終助詞「も」=「やも」を表す。この句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』が詳しく注しているので、これも見ておこう。

士やも 男子たるもの。ヤモは、係助詞ヤ+詠嘆の係助詞モ。@疑問に詠嘆を添えた意をあらわす、A反語に詠嘆を添えた意をあらわす。ここは、A。「空しくあるべき」にかかる。なお、士をヲトコと訓む説もある。金井清一氏は、ヲトコは、結婚適齢期の男性をさすのが原義で、男性一般を表現する例もあるが、なお、雌雄の性としての男性のニュアンスが残存し、ヲノコは、男性一般の称というより、男性のうちの男性、雄々しき男性の称で、この歌の場合、ヲノコの方により適切性があると思われる、とした(「山上憶良 沈痾の歌」『万葉集を学ぶ』第四集)。なお、士は、卿・大夫の下位にある者の称で、村山出氏は、卿と結合しやすく、みやび(風流)の世界が目の前に開かれている大夫に対して、より現実に目を向けようとする憶良の生活態度が、より庶民の語と連称されやすい士の語を選ばせたという(『山上憶良の研究』)。但し、村山氏は、ヲトコと訓むべき、とする。

 2句「空應有」は「空(むな)しく有(あ)るべき」と訓む。「空」はシク活用形容詞「むなし」の連用形で「空(むな)しく」。「むなし」は「いたずらに経過する。ある行為や事柄の効果が現われない。かいがない。」ことをいう。「應」(958番歌他に既出)は、漢文の助字。再読文字として「まさに…べし」と訓まれるが、ここは推量・可能・当然・適当の意を持つ助動詞「べし」の表記に宛てたもので、その連体形「べき」と訓むが、語順としては「有」の後。「有」はラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形「有(あ)る」。「空(むな)しく有(あ)るべき」は、1句「士(をのこ)やも」を承けて、「空しいまま終わってよいものか、よいはずはない。」の意となる。
 3句「萬代尓」は「萬代(よろづよ)に」と訓む。この句は、920番歌19句他と同句。「萬代(よろづよ)」は、「限りなく長く続く代」を意味し、御代が永久に続くことを祝っていう語。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。
 4句「語續可」は「語(かた)り續(つ)ぐべき」と訓む。「語續」は、ガ行四段活用の他動詞「かたりつぐ」の終止形「語(かた)り續(つ)ぐ」。「續」は「続」の旧字で、『名義抄』に「續 ツグ・ツラヌ・ツムグ・ツグノフ」とある。「かたりつぐ」は、「人から人へ、世代から世代へと次々に語り伝える。」ことをいう。「可」は2句の「應」と同様、推量・可能・当然・適当の意を持つ助動詞「べし」の連体形「べき」と訓む。
 5句「名者不立之而」は「名(な)は立(た)てずして」と訓む。ここの「名(な)」は「よい評判。名声。また、名誉。」の意。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。「不立」は、タ行下二段活用の他動詞「たつ」の未然形「立(た)て」+打消の助動詞「ず」(連用形。漢文の助字「不」で表記。)=「立(た)てず」。ここの「たつ」は、「人に知れ渡るようにする」ことをいう。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、サ行変格活用の他動詞「す」の連用形「し」。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。「して」は、連語として、格助詞的用法・接続助詞的用法があり、ここは接続助詞的用法で、「名(な)は立(た)てずして」は、「後の世まで語り伝えられるような功績を残さないまま」の意で、2句の「空(むな)しく有(あ)るべき」を修飾する。
 978番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  士(をのこ)やも 空(むな)しく有(あ)るべき
  萬代(よろづよ)に 語(かた)り續(つ)ぐべき
  名(な)は立(た)てずして

  男子たるものが 空しく命終わってよいものか
  万代までに 語り伝えるべき
  名は立てないまま
ラベル:万葉集
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2018年11月24日

『万葉集』を訓(よ)む(その1322)

 今回は、977番歌を訓む。前歌(976番歌)と同じく、「五年癸酉(きいう)」の年に「神社忌寸老麻呂(かみこそのいみきおゆまろ)」が「草香山(くさかやま)」を越える時に作った歌である。
 写本の異同としては、2句の四・五字目<弖師>を『西本願寺本』以下の諸本に「師弖」とあること、4句四字目<海>が『西本願寺本』には無いこと、5句の末字<蒙>を『西本願寺本』以下の諸本に「裳」とあることが挙げられるが、いずれも『元暦校本』などの古写本に従った。原文は次の通り。

  直超乃 此徑尓<弖師>
  押照哉 難波乃<海>跡 
  名附家良思<蒙>

 1句「直超乃」は「直超(ただこ)[越]えの」と訓む。「直超」は、「直超(ただこ)え」と訓む。副詞の「直(ただ)」に、ヤ行下二段の自動詞「こゆ」の連用形「超(こ)え」が付いて名詞化したもので、「まっすぐに越えて行くこと」の意。「特に、大和の平群郡から生駒山の南を越えて難波に至る道にいう」と『日本国語大辞典』にある。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。
 2句「此徑尓弖師」は「此(こ)の徑(みち)にてし」と訓む。「此」(973番歌他に既出)は、近称の代名詞「こ」で、それに連体助詞「の」を補読して「此(こ)の」と訓む。「徑」は「径」の旧字で、道路の近道をいう。『名義抄』に「徑 ワタリ・ツラヌ・ミチ・タダチ・アト・トホル」の訓があり、ここはミチと訓む。一句からここまでを「直越えのこの道」として、阿蘇『萬葉集全歌講義』は、次のように注している。

 直越えのこの道  日下の直越え(雄略記 大后若日下部王は、もと日下に住んでおり、雄略天皇は、日下の直越えの道を通って訪ねたと伝える)。奈良からまっすぐ越える近道。けわしい山道で、山の西側の河内平野は、昔、草香江などの大きな入江で、万葉の頃も、沼沢の多い湿潤の地であったから、一般には迂回路の竜田越えの道がとられていた。沼沢地が陸地化していったのは、宝永元年(一七〇四)に大和川の川筋を堺の方につけかえてから後のことであるという。今は、山頂から大阪湾はほとんど見えない。枚岡市日下町の春日社の善根寺越えの登り口に「孔舎衙坂直越登り口」の標石が立っている。

 「尓」「弖」は、ニ音・テ音の常用音仮名で、「尓弖」は格助詞「にて」を表す。「にて」は格助詞「に」に接続助詞「て」が付いてできた語で、口語の「で」に当たり、場所を指示する。「師」はシ音の音仮名で、副助詞「し」を表す。
 3句「押照哉」は「押(お)し照(て)るや」と訓む。「押照」は、619番歌1句に既出で、「押(お)し照(て)る」と訓み、「難波(なには)」にかかる枕詞。「哉」は漢文の助字で、間投助詞「や」。
 4句「難波乃海跡」は「難波(なには)の海(うみ)と」と訓む。「難波(なには)」は、大阪市の上町台地以東の地域の古称で、孝徳天皇の難波長柄豊碕宮、天武天皇の難波宮、聖武天皇の難波宮などが営まれたところ。「乃」は1句に同じで、連体助詞「の」。「難波(なには)の海(うみ)」は、前歌一句の「難波方(なにはがた)[潟]」と同じく、大阪湾、特に旧淀川河口付近の海をいう。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。
 5句「名附家良思蒙」は「名附(なづ)けけらしも」と訓む。「名附」は、カ行下二段活用の他動詞「なづく」の連用形で「名附(なづ)け」。「なづく」は、「名をつける。命名する。」ことをいう。「家」はケ(甲類)音の常用音仮名、「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「思」はシ音の音仮名で、「家良思」で以って、回想の助動詞「けり」に推定の助動詞「らし」の付いた「けるらし」の約まった「けらし」を表す。「蒙」はモ音の音仮名で、詠嘆の終助詞「も」。
 977番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  直超(ただこ)[越]えの 此(こ)の徑(みち)にてし
  押(お)し照(て)るや 難波(なには)の海(うみ)と 
  名附(なづ)けけらしも

  まっすぐに難波へ越える この道においてこそ
  (おしてるや) 難波の海 と
  名付けたのであるらしい
ラベル:万葉集
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2018年11月20日

『万葉集』を訓(よ)む(その1321)

 今回は、976番歌を訓む。題詞に「五年癸酉超草香山時神社忌寸老麻呂作歌二首」とあり、本歌と次の977番歌の二首は、「五年癸酉(きいう)」の年に、「神社忌寸老麻呂(かみこそのいみきおゆまろ)」が、「草香山(くさかやま)」を越える時に、作った歌である。「五年癸酉(きいう)」は、天平五年、七三三年。この後、995番歌まで、天平五年の歌が続く。「神社忌寸老麻呂(かみこそのいみきおゆまろ)」は、伝未詳で、この二首のみ。「草香山(くさかやま)」は、生駒山の西部の称。大阪府枚岡市に日下(くさか)町の名があり、草香の遺称地といわれる。
写本に異同はなく、原文は次の通り。

  難波方 潮干乃奈凝 委曲見
  在家妹之 待将問多米

 1句「難波方」は「難波方(なにはがた)[潟]」と訓む。この句は、229番歌および533番歌の1句と同句。「難波(なには)」は、大阪市の上町台地以東の地域の古称。「方」は象形文字(横にわたした木に、人を架した形)。「これを境界の呪禁とするので、外方・辺境の意となった。」と『字通』にある。和語の「かた」「へ」に宛てられ、方向や場所を示す。ここは「潟(かた)」の意に用いたもの。「潟(かた)」は「遠浅の海岸で、潮の満干によって隠れたり現われたりする地。」の意。「難波方(なにはがた)[潟]」は、「難波江」と同じく、大阪湾、特に旧淀川河口付近の海の古称で、淀川河口の付近では入江が深く入りこみ、潟湖となって葦が繁茂していたという。
 2句「潮干乃奈凝」は「潮干(しほひ)のな凝(ご)り」と訓む。この句も、533番歌の2句「塩干之名凝」と表記は異なるが同句。「潮干(しほひ)」は「潮が引くこと。ひき潮。潮がれ。また、潮が引いたあとの浜。干潟になった海岸。」をいう。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「奈凝」は「な凝(ご)[名残]り」。「なごり」は「波残(なみのこり)」の変化したものといわれ、もともとは「浜、磯などに打ち寄せた波が引いたあと、まだ、あちこちに残っている海水。また、あとに残された小魚や海藻類もいう。」の意で、ふつう「余波」と書かかれる。それが転じて「ある事柄が起こり、その事がすでに過ぎ去ってしまったあと、なおその気配・影響が残っていること。余韻。余情。」となり、現代ではこちらの意で使われることが多く、「名残」と書かれる。『万葉集』には「なごり」の用例は五例あり、その表記は「名凝」が三例、「奈凝」が二例となっている。いずれも「ごり」には「凝」の字を用いており、「のこる」よりも「こる」という意味あいを持っていた言葉かも知れないと思い、「な凝(ご)り」と「凝」の字を残した。
 なお、1句・2句は、難波潟の潮が引いた後の海浜は、当時の都人には珍しく、美しく感じられたことから、「よく見ていたい」ことの譬喩として、次の「よく見(み)てむ」の序詞としたもの。
 3句「委曲見」は「よく見(み)てむ」と訓む。「委曲」は、17歌9句に既出でそこでは、漢語の「委曲(ゐきょく)」の意を踏まえて、「くわしいさま」を意味する和語の形容動詞「つばら」の連用形「委曲(つばら)に」と訓んだ。ここも「委曲(つばら)に見(み)む」と訓む説もあるが、六音となって音調が整わない。ここは、「十分に。念を入れて。」の意を表す副詞の「よく」と訓む。そしてここの「見」は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形「見(み)」に、完了の助動詞「つ」の未然形「て」と意志・意向の助動詞「む」を訓み添えて「見(み)てむ」と訓む。
 4句「在家妹之」は「家(いへ)なる妹(いも)が」と訓む。「在家」は漢文表記で、間に返り点をつけて「家(いへ)なる」と訓む。「家(いへ)」は「我が家」。「在」は指定の助動詞「なり」の連体形「なる」を表す。指定の助動詞「なり」は「にあり」が音韻変化して成立した語であり、ここでは「…にいる」という「なり」のもとの意味を表している。「妹(いも)」は、男性から結婚の対象となる女性、または、結婚をした相手の女性をさす称で、ここは「妻」。
 5句「待将問多米」は「待(ま)ち問(と)はむため」と訓む。「待」はタ行四段活用の他動詞「まつ」の連用形で「待(ま)ち」。「将問」は、ハ行四段活用の他動詞「とふ」の未然形「問(と)は」+推量の助動詞「む」(連体形。漢文の助字「将」で表記)で、「問(と)はむ」。「とふ」は「質問する。問いたずねる。」の意。「多」はタ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「米」はメ(乙類)音の常用音仮名。「多米」は、名詞「ため」を表す。ここの「ため」は、上の語が、理由や原因になっていることを示す。
 976番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。
 
  難波方(なにはがた)[潟] 潮干(しほひ)のな凝(ご)り よく見(み)てむ
  家(いへ)なる妹(いも)が 待(ま)ち問(と)はむため 

  難波潟の 潮の引いたあとの様子を よく見ておこう
  家にいる妻が 私の帰りを待っていて尋ねるだろうから
posted by 河童老 at 15:36| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする