2019年04月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その1357)

 今回は、1011番歌を訓む。題詞に「冬十二月十二日歌儛所之諸王臣子等集葛井連廣成家宴歌二首」とあり、本歌と次の1012番歌の二首は、(天平八年の)「冬(ふゆ)十二月(ぐわつ)十二日(にち)に、歌儛所(うたまひどころ)の諸(もろもろ)の王(おほきみ)・臣(おみ)の子等(こたち)、葛井連(ふぢゐのむらじ)廣成(ひろなり)の家(いへ)に集(つど)ひて宴(うたげ)する」時に詠まれたものである。題詞に続いて、次のような序文があるので、その原文・訓読文・口訳(阿蘇『萬葉集全歌講義』による)を記しておこう。

[原文] 比来、古儛盛興、古歳漸晩。理宜共盡古情、同唱古歌。故擬此趣輙獻古曲二節。風流意氣之士、儻有此集之中、争發念心々和古體。

[訓読文] 比来(このころ)古儛(こぶ)盛(さか)りに興(おこ)り、古歳(こさい)漸(やくやく)に晩(く)れぬ。理(ことわり)に、共(とも)に古情(こじやう)を盡(つ)くし、同(おな)じく古歌(こか)を唱(うた)ふべし。故(ゆゑ)に、この趣(おもむき)に擬(なぞら)へて、すなはち古曲(こきよく)二節(せつ)を獻(たてまつ)る。風流(ふうりう)意氣(いき)の士(し)、もしこの集(つどひ)の中(うち)にあらば、争(あらそ)ひて念(おもひ)を發(おこ)し、心(こころ)々に古體(こたい)に和(わ)せよ。

[口訳] 近頃、古い舞が盛んに興り、古い歳も次第に暮れてきました。当然のことながら、共に古い情を出し尽くして、同じく共に古歌を唱ふべきです。それ故、この趣旨に従って、古風な歌二首を献ります。みやびな心をお持ちの方が、もしこの集いの中においでなら、競い合って思いを述べ、それぞれに私の古風な歌に唱和してください。

 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  我屋戸之 梅咲有跡 
  告遣者 来云似有 
  散去十方吉

 1句「我屋戸之」は「我(わ)が屋戸(やど)の」と訓む。「我」は自称で、連体助詞の「が」を補読して「我(わ)が」。「屋戸(やど)」は、126・127番歌および384番歌に既出で、126・127番歌では「宿、旅先などで寝る所」の意で使われていたが、ここは384番歌と同じく、「家の庭先」の意で用いている。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 2句「梅咲有跡」は「梅(うめ)咲(さ)きたりと」と訓む。「梅(うめ)」について、『世界大百科事典』は、「中国原産の落葉小高木で,バラ科サクラ属のウメ亜属に分類される。ムメともいう。中国文化とともに薬木として渡来したもので,奈良時代以前にはすでに植栽され,《万葉集》には多く詠まれていたし,紫宸殿(ししんでん)の前庭に植えられていたが,947年(天暦1)のころにはサクラと替わった。また《万葉集》にウメが詠まれた歌が,鎌倉時代の《新古今和歌集》では,本歌取りでサクラに替えた例があり,ウメからサクラへと日本人の好みの変化が起こったらしい。」と述べている。新元号「令和」の出典となったのは、「梅花歌卅二首」の序であるが、その「卅二首」のウメの表記は、「烏梅」二十八例、「宇米」二例、「宇梅」「汙米」各一例となっており、何れも二字表記だが、ここは788番歌と同じく、「梅」一字での表記。「咲有」は、カ行四段活用の自動詞「さく」の連用形「咲(さ)き」+完了の助動詞「たり」(「有」で表記)=「咲(さ)きたり」。「たり」を「有」で表記しているのは、「たり」が、助詞「て」と「あり」との複合でできた語であるからである。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。
 3句「告遣者」は「告(つ)げ遣(や)らば」と訓む。「告」はガ行下二段活用の他動詞「つぐ」の連用形「告(つ)げ」。「つぐ」は「伝え知らせる」ことをいう。「遣」はラ行四段活用の他動詞「やる」の未然形「遣(や)ら」。ここの「やる」は補助動詞として用いたもので、動詞の連用形に付けて、その動作が遠くへ向かってなされる意を表す。「者」は「は」の訓仮名であるが、仮定の条件を示す接続助詞「ば」に流用したもの。
 4句「来云似有」は「来(こ)と云(い)ふに似(に)たり」と訓む。「来」はカ行変格活用の自動詞「く」の命令形「来(こ)」で、格助詞「と」を訓み添えて「来(こ)と」と訓む。。「云」はハ行四段活用の他動詞「いふ」の連体形「云(い)ふ」で、格助詞「に」を補読して「云(い)ふに」と訓む。「似有」は、ナ行上一段活用の自動詞「にる」の連用形「似(に)」+完了の助動詞「たり」(「有」で表記)=「似(に)たり」。「たり」を「有」で表記したのは2句に同じ。「にる」は「そのことと匹敵する。相応する。」ことをいう。
 5句「散去十方吉」は「散(ち)りぬとも吉(よ)し」と訓む。この句は、821番歌5句に仮名書きで「知利奴得母與斯」とあったのと同句。「散去」は、ラ行四段活用の自動詞「ちる」の連用形「散(ち)り」+完了の助動詞「ぬ」(「去」で表記)=「散(ち)りぬ」。「去」を完了の助動詞「ぬ」に用いた例は460番歌他に既出。「十」「方」は、「と(乙類)」「も」の訓仮名で、「十方」で以って、仮定条件を示す接続助詞「とも」を表す。「吉」はク活用形容詞「よし」の終止形「吉(よ)し」。ここの「よし」は「許される。差しつかえがない。許可できる。かまわない。」の意。

 1011番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  我(わ)が屋戸(やど)の 梅(うめ)咲(さ)きたりと
  告(つ)げ遣(や)らば 来(こ)と云(い)ふに似(に)たり
  散(ち)りぬとも吉(よ)し

  わが家の庭先の 梅が咲いたと
  告げてやったならば 来いというのと同じである
  だからもう散ってしまおうともかまわない
ラベル:万葉集
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2019年04月22日

『万葉集』を訓(よ)む(その1356)

 今回は、1010番歌を訓む。題詞に「橘宿祢奈良麻呂應詔歌一首」とあり、「橘宿祢(たちばなのすくね)奈良麻呂(ならまろ)の詔(みことのり)に應(こた)ふる歌(うた)一首(しゆ)」ということで、前歌に応じて橘宿祢奈良麻呂が詠った歌である。橘宿祢奈良麻呂について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は次のように注している。

 橘宿祢奈良麻呂 諸兄の子。母は、不比等の娘多比能。天平十二年(七四〇)五月、無位から従五位下。同十一月、従五位上。同十三年七月大学頭。同十五年五月正五位上。同十七年九月摂津大夫。同十八年三月民部大輔。同十九年一月、従四位下。天平勝宝元年(七四九)四月従四位上。同閏五月侍従。同七月参議。同四年十一月但馬・因幡按察使。天平宝字元年(七五七)六月右大弁。六月二十八日と七月二日、奈良麻呂謀反の密告があり、捕らえられ、大伴古麻呂・黄文王・道祖王らと共に獄中に死ぬ。天平八年は、十五、六歳か。

 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  奥山之 真木葉凌 
  零雪乃 零者雖益 
  地尓落目八方

 1句「奥山之」は「奥山(おくやま)の」と訓む。この句は、299・397・791・962番歌の1句と同句。「奥山(おくやま)」は「人里離れた奥深い山。山の奥深いところ。」の意。「之」は連体助詞「の」。
 2句「真木葉凌」は「真木(まき)の葉(は)凌(しの)ぎ」と訓む。299番歌2句「菅葉凌」と同様の表現で、「真木葉」は、「真木(まき)の葉(は)」と訓む。「真木(まき)」(45・50番歌に既出)は、すぐれた木の意で、建築材料となる杉や檜などの総称。「葉(は)」は「茎に側生する扁平な構造で、光合成・水分の蒸散・呼吸作用を営む器官」をいう。「凌」はガ行四段活用の他動詞「しのぐ」の連用形「凌(しの)ぎ」。「しのぐ」は押しふせる。下に押えるようにする。おおいかぶせる。なびかす。」ことをいう。
 3句「零雪乃」は「零(ふ)る雪(ゆき)の」と訓む。この句も299番歌3句と同句。「零雪乃」は「零(ふ)る雪(ゆき)の」と訓む。「零」は、ラ行四段活用の自動詞「ふる」の連体形で「零(ふ)る」。「雪」は、古来より「花」「月」とともに代表的景物とされ、『萬葉集』にも「雪」を詠んだ歌は百二十七首あるが、「花」の三百三十一首、「月」の二百八十四首には及ばない。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、格助詞「の」。
 4句「零者雖益」は「零(ふ)りは益(ま)すとも」と訓む。「零」は3句に既出のラ行四段活用の自動詞「ふる」で、ここは連用形「零(ふ)り」。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。「雖益」は、間に返り点(レ点)を付けて、サ行四段活用の自動詞「ます」の終止形「益(ま)す」+仮定条件を示す接続助詞「とも」(漢文の助字「雖」で表記)=「益(ま)すとも」。
 吉井『萬葉集全注』は、この句について、次のように注している。

○ふりはますとも フリを、「年は経(ふ)るとも」(略解)と雪が降るとの意をかけたものとして、上三句をフリにかかる序とする説がある(古典全書)。しかし、マスは数量の増加すること(11・二六七〇、18・四一三五)、優越する意(3・三四五)に用いるが、時間が経過することには用いられていないようである。従って、古(ふ)リマスや経(ふ)リマスは無理な用法ではあるまいか。雪がどんどん降る意の降リマスと考えておきたい。今の場合「古びる」という語など不似合である。フリマスの間にハが入る例は、咲きはますとも(20・四四五〇)にみえる。

「降り」に「古り」の意を掛けているとする注釈書も多いが、ここは吉井説を支持したい。
 5句「地尓落目八方」は「地(つち)に落(お)ちめやも」と訓む。「地」は「つち」と訓み、「地面」の意。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「落」はタ行上二段活用の自動詞「おつ」の未然形「落(お)ち」。「おつ」は「花、葉などが散る」ことをいう。この主語は、本歌が前歌の応答歌であることから、「橘の葉」と考えられる。「目八方」(931番歌他に既出)は、推量の助動詞「む」の已然形「め」+反語の意を表す係助詞「や」+詠嘆の終助詞の「も」=「めやも」。「目」「八」は、「め」「や」を表わす常用訓仮名。「方」は「おも」と訓むことから「も」に用いたもので、「跡(あと)」を「と(乙類)」の常用訓仮名として用いたのと同じ。

  奥山(おくやま)の 真木(まき)の葉(は)凌(しの)ぎ
  零(ふ)る雪(ゆき)の 零(ふ)りは益(ま)すとも
  地(つち)に落(お)ちめやも

  奥山の 真木の葉におおいかぶさり
  降る雪が いくら降りしきろうと
  橘の葉が地に落ちることなどありましょうか(ありません)
ラベル:万葉集
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2019年04月16日

『万葉集』を訓(よ)む(その1355)

 今回は、1009番歌を訓む。題詞に「冬十一月左大辨葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首」とあり、これを訓読すると「冬(ふゆ)十一月(ぐわつ)、左大辨(さだいべん)葛城王(かづらきのおほきみ)等(たち)、姓(せい)橘(たちばな)の氏(うぢ)を賜(たま)はる時(とき)の御製歌(おほみうた)一首(しゆ)」となる。この歌には、作歌事情について詳しい左注があるので、それを先に見ておこう(訓読文・口訳は、阿蘇『萬葉集全歌講義』による)。

 原文:右、冬十一月九日、従三位葛城王従四位上佐為王等、辞皇族之高名、 賜外家之橘姓已訖。於時太上天皇、天皇、皇后、共在于皇后宮、以為肆宴而即御製賀橘之歌、并賜御酒宿祢等也。或云、此歌一首太上天皇御歌、但天皇皇后御歌各有一首者。其歌遺落未得探求焉。今檢案内、八年十一月九日葛城王等、願橘宿祢之姓上表。以十七日、依表乞賜橘宿祢。

 訓読文:右(みぎ)、冬(ふゆ)十一月(ぐわつ)九日(か)、従(じゆ)三位(ゐ)葛城王(かづらきのおほきみ)・従(じゆ)四位(ゐ)上(じやう)佐為王(さゐのおほきみ)等(たち)、皇族(くわうぞく)の高名(かうめい)を辞(じ)し、 外家(ぐわいか)の橘(たちばな)の姓(せい)を賜(たま)はること已訖(をは)りぬ。時(とき)に太上天皇(おほきすめらみこと)・天皇(すめらみこと)・皇后(おほきさき)、共(とも)に皇后(おほきさき)の宮(みや)に在(いま)して、肆宴(とよのあかり)をなし、即(すなは)ち橘(たちばな)を賀(ほ)く歌(うた)を御製(つく)らし、并(あは)せて御酒(みき)を宿祢(すくね)等(たち)に賜(たま)ふ。或(ある)いは云(い)はく、この歌(うた)一首(しゆ)は太上天皇(おほきすめらみこと)の御歌(みうた)なり、といふ、ただし、天皇(すめらみこと)・皇后(おほきさき)の御歌(みうた)各(おのおの)一首(しゆ)ありといふ。その歌、遺落(ゐらく)していまだ探(さぐ)り求(もと)むること得(え)ず。今(いま)、案内(あんない)を検(ただ)すに、八年(ねん)十一月(ぐわつ)九日(か)に、葛城王(かづらきのおほきみ)等(たち)、橘(たちばな)宿祢(すくね)の姓(せい)を願(ねが)ひて表(へう)を上(たてまつ)る。十七日(にち)を以(も)ちて表(へう)の乞(ねがひ)に依(よ)りて、橘(たちばな)宿祢(すくね)を賜(たま)ふ、といふ。

 口訳:右は、冬十一月九日に、従三位葛城王・従四位上佐為王等が、皇族の高い地位を辞して、母方の橘の姓を賜ることが終わった。時に、太上天皇・天皇・皇后は、共に皇后の宮においでになって、宴を開かれ、橘を祝う歌をお作りになり、また御酒を宿祢等に賜った。あるいは、この歌一首は、太上天皇の御歌であるという。ただし、天皇・皇后の御歌もそれぞれあった、という。その歌はなくなって、まだ探り出せない。今記録を調べてみると、八年十一月九日に、葛城王等は、橘宿祢の姓を願って上表した。十七日に表の願いによって、橘宿祢を賜った、とある。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  橘者 實左倍花左倍 
  其葉左倍 枝尓霜雖降 
  益常葉之樹

 1句「橘者」は「橘(たちばな)は」と訓む。「橘」(125・410・411番歌に既出)は、生食されたミカンの古名。キシュウミカンやコウジに類する。京都御所の紫宸殿(ししんでん)の南階下の西側にある「右近(うこん)の橘(たちばな)」はこれである。『萬葉集』では、「橘」は六十八首の歌に詠まれている。平城京の大路に街路樹が植えられてあったことは知られているが、その街路樹に「橘」が使われていたと思われる。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 2句「實左倍花左倍」は「實(み)さへ花(はな)さへ」と訓む。「實」は「実」の旧字。「實(み)」は「草木にみのったもの。植物の果実。」をいう。「左」「倍」は、サ音・へ(乙類)音の常用音仮名で、「左」は平仮名の字源。「左倍」で以って、副助詞「さへ」を表す。「さへ」は、「その上…まで」と現在ある作用・状態の程度が加わったり、範囲が広まったりする意を表す。「花(はな)」は「植物の器官の一つで、一定の時期に美しい色彩を帯びて形づくるもの。」をいう。「左倍」は上に同じ。
 3句「其葉左倍」は「其(そ)の葉(は)さへ」と訓む。「其(そ)」は代名詞で、『日本国語大辞典』の「語誌」に「上代ではまだ名詞相当の用法を持ち、格助詞『が』『の』『を』や係助詞『は』『も』等を伴って、事物・人、話題等をさすのに用いられた。」とある。ここも「の」を補読する。「葉(は)」は「茎に側生する扁平な構造で、光合成・水分の蒸散・呼吸作用を営む器官」をいう。「左倍」は2句に同じ。
 4句「枝尓霜雖降」は「枝(え)に霜(しも)降(ふ)れど」と訓む。「枝(え)」は「草木の芽や茎から分かれて成長した部分」をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「霜(しも)」は「秋の末から冬にかけて寒い朝、地上や地上の物体を一面におおって白くみせる氷のこまかい結晶。大気中の水蒸気が、主として昇華によって地面や草木に白色の氷の結晶を生じたもの。」をいう。晴天で無風に近い冬の夜など、気温が氷点以下に下がるとき生ずる。「雖降」は、漢文表記になっているので、間に返り点(レ)を打って、「降(ふ)れど」と訓む。「降」はラ行四段活用の自動詞「ふる」の已然形で「降(ふ)れ」。「雖」は漢文の助字で、逆接の確定条件を表す接続助詞「ど」。
 5句「益常葉之樹」は「益(いや)常葉(とこは)の樹(き)」と訓む。「益」(931番歌他に既出)は、「ますます」の字義から、同じ意の副詞「いや」と訓む。「常葉(とこは)」は、「冬も枯れない木の葉。常緑の木の葉。」をいう。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。「樹(き)」は『説文解字』に「木の生食するものの總名なり」とあり、樹木をいう。
 1009番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  橘(たちばな)は 實(み)さへ花(はな)さへ
  其(そ)の葉(は)さへ 枝(え)に霜(しも)降(ふ)れど
  いや常葉(とこは)の樹(き) 

  橘は 実さえも花さえも
  その葉までも 枝に霜が降っても
  ますます栄える木であるよ
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 14:04| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする