2019年05月21日

『万葉集』を訓(よ)む(その1365)

 今回は、1019番歌を訓む。題詞に「石上乙麻呂卿配土左國之時歌三首[并短歌]」とあり、訓読すると「石上乙麻呂卿(いそのかみのおとまろきやう)の土左國(とさのくに)に配(なが)さゆる時(とき)の歌(うた)三首(しゆ)[并(あは)せて短歌(たんか)]」となる。本歌群は、天平十一年三月に、石上乙麻呂が、故藤原朝臣宇合の妻久米連若売を姦したという罪で土佐国に配流された事件を歌語りとして詠んだもので、作者は不明。本歌から1022番歌までの長歌三首(歌番号では四首のようだが、1020・1021の歌番号は長歌一首に付された異例のものである。)と、それに続く1023番歌の「反歌一首」とからなり、長歌一首目が第三者の立場から、二首目が妻の立場から、そして三首目が乙麻呂本人の立場で歌われたものとなっている。
 本歌は十五句からなる長歌である。写本に異同はなく、原文は次の通り。

  石上 振乃尊者 弱女乃 或尓縁而 
  馬自物 縄取附 肉自物 弓笶圍而 
  王 命恐 天離 夷部尓退 
  古衣 又打山従 還来奴香聞

 1句・2句「石上・振乃尊者」は「石上(いそのかみ)・振(ふる)の尊(みこと)[布留の命]は」と訓む。「石上(いそのかみ)」(664番歌1句に既出)は、「奈良県天理市石上・布留(ふる)付近の地域名。『日本書紀』によれば、安康天皇の石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)、仁賢天皇の石上広高宮があった。石上神宮、布留遺跡がある。歌枕。」と『日本国語大辞典』にある。また、吉井『萬葉集全注』には「集中『石上』は枕詞として『降(ふ)る』にかかる(4・六六四)以外、すべて地名のフルにつづく(3・四二二、6・一〇一九、7・一三五三、9・一七六八、10・一九二七、11・二四一七、12・二九九七、12・三〇一三)。石上はすべて、音の上ではフルに結びつくわけである。これはフツノミタマを祭る石上振神宮(履中即位前紀)や石上振之神榲(ふるのかむすぎ)(顕宗即位前紀、3・四二二、10・一九二七、11・二四一七)が著名であったからであろう。フルは石上神宮の広大な樹林によりつく神霊から出た地名。」とある。「振(ふる)」は地名の「布留」。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「尊(みこと)」は、一般に、身分の高い人や目上の人に対して敬称として添え、または身分の高い人や目上の人をさす語であり、「…のみこと」の形で固有名詞に添えて接尾語的にも用いる。「石上(いそのかみ)振(ふる)の尊(みこと)[布留の命]」は、石上乙麻呂のことをいう。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 3句・4句「弱女乃・或尓縁而」は「弱女(たわやめ)の・或(まと)ひに縁(よ)りて」と訓む。3句は、935番歌15句「手弱女乃」と同句。「弱女」は「手弱女」と同じく、「たわやめ」と訓み、「撓(たわ)や女(め)」すなわち「なよなよとした女。たおやかな女。たおやめ。」の意。「や」は間投助詞。「乃」は2句に既出で、連体助詞「の」。「或」は「惑」の省文(字画を省略した字)で、ハ行四段活用の自動詞「まとふ」の連用形が名詞化した「或(まと)ひ」。「尓」はニ音の常用音仮名で、原因を示す格助詞「に」。「縁而」は、ラ行四段活用の自動詞「よる」の連用形「縁(よ)り」+接続助詞「て」(漢文の助字「而」で表記)=「縁(よ)りて」。「よりて」は、接続詞で、前の事柄が原因・理由になって、後の事柄が起こることを示す。「だから。故に。」の意。吉井『萬葉集全注』は、「○たわやめの惑ひによりて 宇合の室・若売との密通をさす。かよわい女の魅力に分別を失って。歌い手は第三者の立場に立っているのであるが、乙麻呂を通して事件を受けとめている姿勢が、この表現で明確である。」と注している。
 5句・6句「馬自物・縄取附」は「馬(うま)じもの・縄(なは)取(と)り附(つ)け」と訓む。「馬自物」は、509番歌の「鳥自物」と同じ表現。「自」はジ音を表わす常用の音仮名、「物」は「もの」を表わす借訓字で、「自物」で以て接尾語「じもの」を表す。「じもの」は、接尾語で、形容詞語尾「じ」に形式名詞「もの」が付いたもの。名詞に付いて、「…のようなもの、…であるもの(として)」の意で、比喩的に連用修飾句を作ることが多い。「馬(うま)じもの」は「馬のように」の意。「縄(なは)」は「植物の茎や繊維、紙、化学繊維などをより合わせて細長くしたもの。」をいい、物を縛ったりつないだりするのに用いる。用途によって太い細いがあり、普通、太いものは綱、細いものは紐という。「取附」は、カ行下二段活用の他動詞「とりつく」の連用形「取(と)り附(つ)け」。「縄(なは)取(と)り附(つ)け」は、「縄をかけて」の意。
 7句・8句「肉自物・弓笶圍而」は「肉(しし)じもの・弓笶(ゆみや)圍(かく)みて」と訓む。7句「肉自物」は、199番歌101句「鹿自物」や379番歌13句「十六自物」などと表記は異なるが、同句。「しし」は食肉として用いる獣の総称で、特に、鹿又は猪をいう。「自物」は、5句に同じ。「弓笶(ゆみや)」は「弓矢」に同じで、「弓と矢」。「圍」は「囲」の旧字でマ行四段活用の他動詞「かくむ」の連用形「圍(かく)み」。「かくむ」は「まわりを取り巻く。かこむ。」ことをいう。「而」は4句に既出で、接続助詞「て」。
 9句・10句「王・命恐」は「王(おほきみ)の・命(みこと)恐(かしこ)み」と訓む。9句・10句は、443番歌の39句・40句「王之・命恐」と、連体助詞「の」の表記がないだけで、同句。「王」は下に連体助詞「の」を補読して「王(おほきみ)の」と訓み、「王(おほきみ)」は時の天皇である聖武天皇をさす。「命(みこと)」は「天皇のお言葉」の意で、「み」は接頭語、「こと(言)」を敬っていったもの。「恐」は、形容詞「かしこし」の語幹の「恐(かしこ)」で、「恐れ多いこと。」の意。下に接尾語(機能的には接続助詞とみられる)「み」を補読する。ここの「み」は「恐れ多いので」という理由表現ではなく、「恐れ謹んで」「畏み承って」の意。
 11句・12句「天離・夷部尓退」は「天(あま)離(ざか)る・夷(ひな)へに退(まか)る」と訓む。11句は、255番歌1句と同句。「天(あま)」は、「あめ」の母音交替形で、アマ…、アマノ…、アマツ…などの形で複合語を作ることが多い。上代では、アマ…はアマカケル・アマギラフ・アマクダル・アマザカル・アマテル・アマトブなど動詞の例がめだつ。「離」は形声文字、その字義に「かかる、はなす、はなれる」などがあることから、「はなれる、遠ざかる」を意味する和語「さかる」にこの字をあてた。「あまざかる」は「空遠く離れる」意であるが、枕詞として「向(むか)つ」または「鄙(ひな)」にかかる。ここも次の「夷(ひな)」にかかる枕詞に用いたもの。なお、この語の清濁は、時代によって異なり、『日本書紀』の歌謡例では、アマサカルとよめるし、『万葉集』のかな書きの例では、アマサガルが一例、アマザカルが十六例である。『日葡辞書』では、アマサガルとアマサカルの両形があり、謡曲ではアマサガルといっていたらしい。ここでは『万葉集』で用例が多い「あまざかる」を採った。「夷」は象形文字で、人が腰を屈めて坐る形で、夷人の坐り方を示す。「えびす、東方の族」が本義。これを「ひな」と訓むのは、4353番歌の左注に「朝夷郡」とあり、『和名類聚抄』の郡名一覧で調べると、これは安房国朝夷郡のことで、その記載郡名訓が「阿左比奈(あさひな)」であることによる。「ひな」は「都から遠く離れた所。いなか。」の意。「部」は「へ(甲類)」の常用訓仮名で、「あたり。ほとり。そば。」を意味する名詞「へ(辺)」を表す。「夷(ひな)へ」は、題詞にある「土佐国」をさす。「尓」は4句に既出の格助詞「に」で、ここは場所を示す。「退」はラ行四段活用の自動詞「まかる」の終止形「退(まか)る」。「まかる」は、動詞「まく(任)」に対する自動詞で、上位者の命によって行く、あるいは、支配者の許しを得て行動するというのが原義と言われる。ここは「土佐国への配流の命によって下る」ことをいう。
 13句・14句「古衣・又打山従」は「古衣(ふるころも)・又打(まつち)[真土]の山(やま)ゆ」と訓む。「古衣(ふるころも)」は、「古い衣類をほどき、その布をまた打ちかえして柔らかくして作りなおす意で、『また打ち』の変化した『まつち』と同音の地名『真土(まつち)山』にかかる。」枕詞としたもの。「又打山」は、「又打(まつち)[真土]の山(やま)」で、上の枕詞との関係を明示するための表記となっている。「真土山」(543番歌に既出)は、「奈良県五條市と和歌山県橋本市との境にある真土峠の古称」で、歌枕の一つ。『万葉集』中、「まつちやま」が出てくる六例の用例のうち三例までが「亦打山」と書かれており、あとは「又打山」「真土山」「信土山」が各一例である。「従」(959番歌他に既出) は、漢文の助字で、動作の起点を示す格助詞「ゆ」に用いたもの。
 15句「還来奴香聞」は「還(かへ)り来(こ)ぬかも」と訓む。「還来」は、ラ行四段活用の自動詞「かへる」の連用形「還(かへ)り」+カ行変格活用の自動詞「く」の未然形「来(こ)」=「還(かへ)り来(こ)」。「奴」はヌ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、「香」「聞」は、カ音・モ音の音仮名。「奴香聞」は、打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ」+疑問・詠嘆の係助詞「か」+詠嘆の終助詞「も」=「ぬかも」を表す。阿蘇『萬葉集全歌講義』に「ヌカモは、願望を詠嘆をこめて表現したもの。」とある。「還(かへ)り来(こ)ぬかも」は「帰って来ないかなあ」の意。
 1019番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  石上(いそのかみ) 振(ふる)の尊(みこと)[布留の命]は
  弱女(たわやめ)の 或(まと)ひに縁(よ)りて
  馬(うま)じもの 縄(なは)取(と)り附(つ)け
  肉(しし)じもの 弓笶(ゆみや)圍(かく)みて
  王(おほきみ)の 命(みこと)恐(かしこ)み
  天(あま)離(ざか)る 夷(ひな)へに退(まか)る
  古衣(ふるころも) 又打(まつち)[真土]の山(やま)ゆ
  還(かへ)り来(こ)ぬかも

  石上の 布留の君は
  かよわい女の 魅力に迷ったために
  馬であるかのように 縄をかけられ
  鹿や猪のように 弓矢で囲まれて
  大君の ご命令を恐れ慎んで受けて
  (天離る) 田舎へと下って行く
  (古衣) 真土山を通って
  帰って来ないかなあ
ラベル:万葉集
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2019年05月16日

『万葉集』を訓(よ)む(その1364)

 今回は、1018番歌を訓む。題詞に「十年戊寅元興寺之僧自嘆歌一首」とあり、これを訓読すると「十年(ねん)戊寅(つちのえとら)、元興寺(ぐわんごうじ)の僧(ほふし)の自(みづか)ら嘆(なげ)く歌(うた)一首(しゆ)」となる。本歌は、五・七・七・五・七・七の六句からなる旋頭歌である。
 なお、この歌には左注があり、作歌事情についての言い伝えを記しているので、それを見ておこう(現文・訓読文・口訳を阿蘇『萬葉集全歌講義』から引用)。

[原文] 右一首、或云元興寺之僧、獨覺多智、未有顯聞、衆諸狎侮。因此、僧作此歌、自嘆身才也。

[訓読文] 右(みぎ)一首(しゆ)、或(ある)いは云(い)はく、元興寺(ぐわんごうじ)の僧(ほふし)、独(ひと)り覚(さと)りて智(ち)多(おほ)けれども顕聞(あらは)れず、衆諸(もろひと)狎侮(あなづ)る。これに因(よ)りて僧(ほふし)この歌(うた)を作(つく)りて自(みづか)ら身(み)の才(ざえ)を嘆(なげ)く、といへり。

[口訳] 右の一首は、ある伝えによれば、元興寺の僧で、独りで悟りを開き、知識も豊かであった者が、世間に知られず、人々に軽んじ侮られていた。そこで、その僧は、この歌を作って、わが身の才の空しく埋もれていることを嘆いたのである。

 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  白珠者 人尓不所知 
  不知友縦 雖不知 
  吾之知有者 不知友任意

 1句「白珠者」は「白珠(しらたま)は」と訓む。「白珠(しらたま)」は、904番歌に「白玉」の表記により既出で、「白色の美しい玉。真珠。」の意。「者」は漢文の女児で、係助詞「は」。
 2句「人尓不所知」は「人(ひと)に知(し)らえず」と訓む。ここの「人(ひと)」は「世の人々」の意。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。「不所知」は、ラ行四段活用の他動詞「しる」の未然形「知(し)ら」+受身の助動詞「ゆ」の未然形「え」(漢文の助字「所」で表記)+打消の助動詞「ず」(漢文の助字「不」で表記)=「知(し)らえず」。
 3句「不知友縦」は「知(し)らずともよし」と訓む。「不知」は、ラ行四段活用の他動詞「しる」の未然形「知(し)ら」+打消の助動詞「ず」(漢文の助字「不」で表記)=「知(し)らず」。「友」は借訓字で、仮定条件を示す接続助詞「とも」を表す。「縦」は「ゆるめる。ほしいまま」の意を持つことから、149番歌他の既出例では、副詞の「よし」に宛てて用いられていたが、ここはク活用形容詞の「よし」に用いたもの。
 4句「雖不知」は「知(し)らずとも」と訓む。「雖不知」は、3句の「不知友」に同じで、「知(し)らずとも」と訓む。仮定条件を示す接続助詞「とも」の表記をここでは漢文の助字「雖」に変えたもの。
 5句「吾之知有者」は「吾(われ)し知(し)れらば」と訓む。「吾(われ)」は自称で、作者をさす。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、婉曲表現の副助詞「し」。「知有者」は、ラ行四段活用の他動詞「しる」の連用形「知(し)り」+ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「有(あ)ら」+仮定条件を示す接続助詞「ば」(「者(は)」を流用)=「知(し)り有(あ)らば」を表すが、それが約まった「知(し)れらば」と訓む。阿蘇『萬葉集全歌講義』に「シレラは、シレリ(シリアリ)となるので、ここはシレリの未然形。」とある。
 6句「不知友任意」は「知(し)らずともよし」と訓む。この句は、「よし」の表記が異なるが、3句と同句。「任意」は、「縦」と同様の意を持つことから、ク活用形容詞の「よし」に用いたもの。
 1018番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  白珠(しらたま)は 人(ひと)に知(し)らえず
  知(し)らずともよし 知(し)らずとも
  吾(われ)し知(し)れらば 知(し)らずともよし

  白玉は その真価を人に知られない
  知らなくてもよい 人知らずとも
  自分さえ価値を知っていたら 知らなくてもよい
ラベル:万葉集
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2019年05月13日

『万葉集』を訓(よ)む(その1363)

 今回は、1017番歌を訓む。題詞に「夏四月大伴坂上郎女奉拝賀茂神社之時便超相坂山望見近江海而晩頭還来作歌一首」とあり、これを訓読すると「夏(なつ)四月(ぐわつ)に、大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)、賀茂神社(かものやしろ)を拝(をが)み奉(まつ)る時(とき)に、すなはち相坂山(あふさかやま)を超(こ)えて近江(あふみ)の海(うみ)を望(のぞ)み見(み)て、晩頭(ゆふぐれ)に還(かへ)り来(き)たりて作(つく)る歌(うた)一首(しゆ)」となる。「相坂山(あふさかやま)」は、「逢坂山」のことで、京都市と滋賀県大津市との境の山。
 写本の異同は、3句三字目<越>と5句四字目<吾>の二箇所。3句三字目は、『西本願寺本』などが「超」とするが、『元暦校本』『類聚古集』に「越」とあるのを採る。5句四字目は、『西本願寺本』以降の諸本に「子」とあるが、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「吾」とあるのを採る。原文は次の通り。

  木綿疊 手向乃山乎 
  今日<越>而 何野邊尓 
  廬将為<吾>等

 1句「木綿疊」は「木綿(ゆふ)疊(たたみ)」と訓む。この句は、380番歌1句と同句。「木綿(ゆふ)」は、「楮(こうぞ)の樹皮をはぎ、その繊維を蒸して水にさらし、細かにさいて糸としたもの。」をいう。「疊(たたみ)」は、動詞「たたむ」の名詞形で、記紀に八重畳、菅畳の用例があるので上代からあったことが知られるが、「木綿(ゆふ)疊(たたみ)」がどのようなものかは不明。「ゆふだたみ」と連濁して訓まれることもある。『デジタル大辞泉』には「木綿(ゆう)をたたむこと。また、たたんだもの。神事に用いる。」とあり、西宮『萬葉集全注』は「木綿で作った敷物とも、木綿を折りたたんだ幣帛とも言うが、どのようにした形を持つものか不明。」とする。何れにしても神事に用いられたものであるのは間違いない。ここは「木綿(ゆふ)疊(たたみ)」を神に手向ける意で、次の「手向」の枕詞として用いたもの。
 2句「手向乃山乎」は「手向(たむけ)の山(やま)を」と訓む。「手向(たむけ)」は「道の神に旅中の安全を祈るところ。特に、越えて行く山路の登りつめたところ。」をいう。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「手向(たむけ)の山(やま)」は、「道路の神や坂の神などが祭られている山」のことで、もと、一般的な呼び名であったものが、滋賀県の逢坂山や奈良市若草山の西方など、固有名詞となったもので、ここは題詞にある通り、逢坂山をさす。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。
 3句「今日越而」は「今日(けふ)越(こ)えて」と訓む。「今日(けふ)」は「話し手が今身を置いている一日」をいう。「越」はヤ行下二段活用の自動詞「こゆ」の連用形「越(こ)え」。「こゆ」は「山、峠、谷、川、溝、関所など、障害となるものを通り過ぎて向こうへ行く」ことをいう。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。
 4句「何野邊尓」は「何(いづ)れの野邊(のへ)に」と訓む。「何」は『名義抄』に「何 ニナフ・オホセリ・ナニ・ナゾモ・ナゾヤ・ナゾ・イヅクソ・イカニ・イヅレ・コレ・ニハカ・ツクル・カス」と多くの訓を示すが、ここはイヅレ。「何(いづ)れ」は不定称代名詞で、「多くの事物の中から一つを取り出して示す。どれ。」の意。次の「野邊(のへ)」にかかるので、連体助詞「の」を補読する。「野邊」は「野辺」で、「野のほとり。野原。」の意。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 5句「廬将為吾等」は「廬(いほり)為(せ)む吾等(われ)」と訓む。「廬(いほり)」は「旅行中に泊まるために造る粗末な小屋」をいう。「廬将為」は、その「廬(いほり)」にサ行変格活用の他動詞「す」がついて動詞化した「いほりす」の未然形「廬(いほり)為(せ)」+意思・意向の助動詞「む」(漢文の助字「将」で表記)=「廬(いほり)為(せ)む」。「吾等」(250番歌一本に既出 )は、一人称代名詞「われ」(複数)を表したもので、「吾等(われ)」と訓む。
 1017番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  木綿(ゆふ)疊(たたみ) 手向(たむけ)の山(やま)を
  今日(けふ)越(こ)えて 何(いづ)れの野邊(のへ)に
  廬(いほり)為(せ)む吾等(われ)

  (木綿畳) 手向けする逢坂山を
  今日越えて どこの野辺に
  仮寝の廬を結ぼうか 私たちは

[参考]本歌の作歌事情について、阿蘇『萬葉集全歌講義』の【歌意】に次のようにある。

 四月に賀茂神社に参詣に行ったとあるから、四月に行われる賀茂神社の祭りに合わせて参詣に赴いたのであろう。歌はしかし賀茂の神祭とは関わらず、逢坂山を越えて近江の海(琵琶湖)を眺めて帰ってきて後に詠んだものという。帰ってきて後に詠んだとあるが、「いづれの野辺に廬(いほ)りせむわれ」と、今夜の宿泊の場所もきまらぬ旅の不安を詠んでいる。賀茂から足を延ばして歌枕を訪ねたことも、郎女の文芸的志向をうかがわせるが、宿に帰ってきて後に、行方定まらぬ旅の不安を詠んだこの歌は、題詠歌や羇旅歌に関心を寄せ、積極的に主題を求め創作を試みた郎女の姿勢を示す。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 10:58| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする