2019年05月10日

『万葉集』を訓(よ)む(その1362)

 今回は、1016番歌を訓む。題詞に「春二月諸大夫等集左少辨巨勢宿奈麻呂朝臣家宴歌一首」とあり、これを訓読すると「春(はる)二月(ぐわつ)に、諸(もろもろ)の大夫等(だいぶら)左少辨(させうべん)巨勢宿奈麻呂朝臣(こせのすくなまろのあそみ)の家(いへ)に集(つど)ひて宴(うたげ)する歌(うた)一首(しゆ)」となる。「春(はる)二月(ぐわつ)」は天平九年の二月。「左少辨(させうべん)」は、太政官の左弁官局の官名で、左大弁・左中弁の下位(正五位下相当官)である。左弁官は、中務・式部・治部・民部の四省を管轄する。「巨勢宿奈麻呂朝臣(こせのすくなまろのあそみ)」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「少麻呂とも。神亀五年(七二八)五月、正六位下から外従五位下。天平元年(七二九)二月当時、少納言、長屋王謀反の罪を糾問する。同三月、外従五位下から従五位下に。同五年三月、従五位上。当該歌で、天平九年二月に左少弁であったことが知られる。歌は別に、一首(8・一六四五)。」と述べている。
 本歌は、蓬莱山の仙女の立場で歌われていることが左注に記されている。歌の内容は、仙女が風流な男子に惹かれて、海上をはるばる逢いに来たというものだが、この趣向は、『丹後国風土記逸文』の「筒川の嶼子(水江の浦の嶼子)」伝説にもある。本歌の作者は明らかではないが、主人の巨勢宿奈麻呂でもあろうか。参考までに、左注の原文・訓読文・口訳を、阿蘇『萬葉集全歌講義』から引用しておこう。

[原文] 右一首、書白紙懸著屋壁也。題云、蓬莱仙媛所化嚢蘰、為風流秀才之士矣。斯凡客不所望見哉。

[訓読文] 右(みぎ)の一首(しゆ)は、白(しろ)き紙(かみ)に書(か)きて屋(や)の壁(かべ)に懸(か)けたり。題(だい)して曰(い)はく、蓬莱(ほうらい)の仙媛(やまひめ)の化(な)れる嚢蘰(ふくろかづら)は、風流(ふうりう)秀才(しうさい)の士(をのこ)の為(ため)なり。こは凡客(ぼんかく)の望(のぞ)み見(み)る所(ところ)にあらずあらむかといへり。

[口訳] 右の一首は、白紙に書いて部屋の壁に懸けた。それに題して、「蓬莱山の仙女がその身を嚢蘰に変えたのは、風流な秀才たちの為である。並々の人は仰ぎ見ることができないだろう」と、記した。

「蓬莱(ほうらい)の仙媛(やまひめ)」とは「蓬莱山に住む仙女」のことで、「蓬莱山」は「神仙思想で仙人が住んでいるという島」をいう。「嚢蘰(ふくろかづら)」については、阿蘇『萬葉集全歌講義』の注が詳しいのでそれを見ておこう。

 嚢蘰 葛で編んだ嚢とも、袋状の縵(かづら)とも、袋と縵の二つとも考えられる。「かづら」は、葛や柳の枝などを輪にして頭髪の上に置くもので、風流な男子の遊宴で遊び用いるものであった。袋も官人が出仕の際に身に帯びるべきものと衣服令に定められていた。嚢蘰という語の構成からいえば、袋状のかづらということになるが、その形態が明らかでないことからすれば、葛で編んだ袋とする見解も捨てがたい。

 本歌の写本に異同はなく、原文は次の通り。

  海原之 遠渡乎
  遊士之 遊乎将見登
  莫津左比曽来之

 1句「海原之」は「海原(うなはら)の」と訓む。「海原(うなはら)」は、2番歌に既出で、「ひろびろとした海。広大な海面。」をいう。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 2句「遠渡乎」は「遠(とほ)き渡(わた)りを」と訓む。「遠」はク活用形容詞「とほし」の連体形「遠(とほ)き」。「とほし」は、「空間・距離のへだたりが大きい。はるかに離れている。」ことをいう。「渡」は動詞「わたる」の連用形の名詞化の「渡(わた)り」で、「船などで、川や海を渡ること」をいう。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。
 3句「遊士之」は「遊士(みやびを)の」と訓む。「遊士」は126・127番歌に既出で、「みやびを」と訓み、「風雅の遊びを楽しむことができる人」をいう。「之」は1句にも既出だが、ここは格助詞「の」。
 4句「遊乎将見登」は「遊(あそ)ぶを見(み)むと」と訓む。「遊」はバ行四段活用の自動詞「あそぶ」の連体形「遊(あそ)ぶ」。「あそぶ」は「思うことをして心を慰める。遊戯、酒宴、舟遊びなどをする。」ことをいう。「乎」は2句に同じ。「将見」(991番歌他に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+意思・意向の助動詞「む」(漢文の助字「将」で表記)で、「見(み)む」。「登」はト(乙類)音の常用音仮名で、接続助詞「と」。
 5句「莫津左比曽来之」は「なづさひそ来(こ)し」と訓む。「莫」は「な」の訓仮名、「津」は「つ」の常用訓仮名だがここは「づ」に流用。「左」「比」は、サ音・ヒ(甲類)音の常用音仮名で、「左」は平仮名の字源、「比」は片仮名・平仮名の字源。「莫津左比」で以って、ハ行四段活用の自動詞「なづさふ」の連用形「なづさひ」を表す。443番歌の36句に「名津匝」の表記で既出。「なづさふ」は、「難儀をしながら海や川を越える」ことをいう。「曽」はソ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「そ」。「来」はカ行変格活用の自動詞「く」の未然形「来(こ)」。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、回想の助動詞「き」の連体形「し」(上の「そ」の係り結び)。回想の助動詞「き」は、普通、連用形接続であるが、「カ変・サ変の動詞につく場合には、接続上特殊な変化があり、カ変は『こし』『こしか』『きし』『きしか』、サ変は『せし』『せしか』『しき』となる。」と『岩波古語辞典』にある。
 1016番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  海原(うなはら)の 遠(とほ)き渡(わた)りを
  遊士(みやびを)の 遊(あそ)ぶを見(み)むと
  なづさひそ来(こ)し

  海原の 遠い舟路を
  風流な方々が 遊ぶさまを見ようと
  難儀をしながらやってきました
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 10:00| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする