2019年06月28日

『万葉集』を訓(よ)む(その1376)

 今回は、1030番歌を訓む。題詞に「天皇御製歌一首」とあって、聖武天皇の御製歌である。本歌には左注があるので、それを見ておこう(阿蘇『萬葉集全歌講義』による)。

[原文] 右一首、今案、吾松原在三重郡。相去河口行宮遠矣。若疑御在朝明行宮之時、所製御歌、傳者誤之歟。
[訓読文] 右(みぎ)の一首(しゆ)は、今(いま)案(かむが)ふるに、吾(あが)の松原(まつばら)は三重郡(みへのこほり)にあり。河口(かはぐち)の行宮(かりみや)を相去(あひさ)ること遠(とほ)し。けだし朝明(あさけ)の行宮(かりみや)におはしましし時(とき)に作(つく)りましし御歌(みうた)にして伝(つた)ふる者(もの)誤(あやま)れるか。

 この左注は、前の1029番歌の題詞全部がこの歌にも及ぶと誤解したことから書かれたものである。吉井『萬葉集全注』は、1029番歌の題詞について、「題詞は三行にわかれるのが原形である。第一行は一〇三六までの八首にかかり、第二行も同様と考えてよいが、あるいは一〇三三までの四首にかかるか、とも考えられる。第三行は次の一〇二九、一首だけにかかる。」と述べ、この1030番歌の左注については、次のように述べている。

 河口行宮から吾の松原までは四十キロメートル以上の距離があるという(古典全集)。従って、この御製歌を河口行宮での作とすれば、疑問は当然のことといえよう。しかし、一〇二九〔考〕で述べたように、そこの題詞の河口行宮は、一〇三〇にはかからない。同じ地で作られたものであれば、御製歌を先に掲げるほどのことはおこなったであろう。左注筆者は、一〇二九題詞の河口行宮をこの御製歌にまで関係させてしまったために、疑問を生じたのである。とすれば、伊勢行幸に関連する作を集め並べ、これらに題詞を付した人(巻六の編者)とは関連なく、他の人が後にこの左注を付したものと考えなければならない。

 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  妹尓戀 吾乃松原 
  見渡者 潮干乃滷尓 
  多頭鳴渡

 1句「妹尓戀」は「妹(いも)に戀(こ)ひ」と訓む。「妹(いも)」は「愛しい人。妻。」をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、動作の対象を示す格助詞「に」。「戀」はハ行上二段活用の他動詞「こふ」の連用形で「戀(こ)ひ」。「こふ」は「特別の愛情を感じて思い慕う」ことをいう。阿蘇『萬葉集全歌講義』は、この句について、「『吾の松原』の枕詞。『あが待つ』と懸詞でかける。枕詞ととらず、『妻を恋うて』ととる説(大系ほか)もある。」と注している。
 2句「吾乃松原」は「吾(あが)の松原(まつばら)」と訓む。左注に「吾(あが)の松原(まつばら)は三重郡(みへのこほり)にあり。」とあることから、地名であることは疑いないが、定かではなく、四日市付近の海岸の何処かであろうと思われる。
 3句「見渡者」は「見渡(みわた)せば」と訓む。この句は、283番歌3句及び326・951番歌の1句と同句。「見渡者」は、サ行四段活用の他動詞「みわたす」の已然形「見渡(みわた)せ」+順接の確定条件を表す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用して表記)=「見渡(みわた)せば」。「みわたす」は「こちらからかなたをはるかに見やる。」ことをいう。
 4句「潮干乃滷尓」は「潮干(しほひ)の滷(かた)に」と訓む。「潮干(しほひ)」(976番歌他に既出)は、「潮が引くこと。ひき潮。潮がれ。また、潮が引いたあとの浜。干潟になった海岸。」をいう。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「滷」は、人麻呂「石見相聞歌」の131・138番歌及び919番歌に既出で、「潟」と同じく「かた」と訓み、「遠浅の海岸で、潮の満干によって隠れたり現われたりする地。」をいう。「尓」は1句に既出で、ここは場所を示す格助詞「に」。
 5句「多頭鳴渡」は「たづ[鶴]鳴(な)き渡(わた)る」と訓む。この句は、919番歌5句と同句で、271番歌2句「鶴鳴渡」とも「たづ」の表記は違うが同句。「多頭」は、「たづ[鶴]」を表す。鳥の「鶴(つる)」は、『万葉集』では全て「たづ」と詠まれている。「多」はタ音の常用音仮名(片仮名の字源)、「頭」はヅ音の音仮名。「多頭」という用字は、群れをなす鶴の「多くの頭」を連想させる。「鳴」は、カ行四段活用の自動詞「なく」の連用形で「鳴(な)き」。「渡」はラ行四段活用の自動詞「わたる」の終止形で「渡(わた)る」。「わたる」は「鳥が空中を飛んで行く」の意。
 1030番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  妹(いも)に戀(こ)ひ 吾(あが)の松原(まつばら)
  見渡(みわた)せば 潮干(しほひ)の滷(かた)に
  たづ[鶴]鳴(な)き渡(わた)る

  (妻を恋しく思い我が待つ) あがの松原を
  見渡すと 潮の引いた干潟に
  鶴の群れが鳴きつつ飛んでゆくよ
ラベル:万葉集
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2019年06月25日

『万葉集』を訓(よ)む(その1375)

 今回は、1029番歌を訓む。題詞に「十二年庚辰冬十月、依大宰少貳藤原朝臣廣嗣謀反發軍、幸于伊勢國之時、河口行宮内舎人大伴宿祢家持作歌一首」とあり、これを訓読すると、「十二年庚辰(かうしん)の冬十月(ぐわつ)、大宰少貳(だざいのせうに) 藤原朝臣廣嗣(ふぢはらのあそみひろつぐ)の謀反(みかどかたぶ)けむとして軍(いくさ)を發(おこ)せるに依(よ)りて、伊勢國(いせのくに)に幸(いでま)す時に、河口(かはぐち)の行宮(かりみや)にして内舎人(うどねり)大伴宿祢家持(おほとものすくねやかもち)の作る歌一首」となる。題詞にある通り、本歌は、天平十二年(740年)の冬十月(九月)に起こった藤原広嗣の乱に端を発した聖武天皇の行幸の途中、河口の行宮において、当時内舎人であった大伴宿祢家持が詠んだ歌である。本歌に続く1036番歌までの八首が、この時の行幸の際に詠まれたもので、うち五首が家持の歌である。なお、広嗣の乱は、早々に平定され、一行が河口の行宮に到着した翌日には、広嗣を捕らえたとの報告を受けており、河口行宮の滞在中(十日間)に広嗣を斬刑に処した旨の報告が入っている。本歌以下の歌が、通常の行幸の時とかわりない旅情が中心となっているのは、乱平定後の作品であるためであろう。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  河口之 野邊尓廬而 
  夜乃歴者 妹之手本師 
  所念鴨

 1句「河口之」は「河口(かはぐち)の」と訓む。「河口(かはぐち)」は、現在の三重県津市白山町川口。題詞に「河口行宮」とあるのは、この地に「仮に設けられた天皇の住まい」をいう。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 2句「野邊尓廬而」は「野邊(のへ)に廬(いほ)りて」と訓む。「野邊(のへ)」は、「野のほとり。野原。」の意。「邊」は「辺」の旧字。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。「廬」はラ行四段活用の自動詞「いほる」の連用形「廬(いほ)り」。「いほる」は、「廬をつくって住む。仮小屋に泊まる。仮に宿りをする。」ことをいう。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。
 3句「夜乃歴者」は「夜(よ)の歴(ふ)れば」と訓む。「夜(よ)」は「日没から日の出までの間。」をいう。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、格助詞「の」。「歴者」は、ハ行下二段活用の自動詞「ふ」の已然形「歴(ふ)れ」+既定条件を示す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用して表記。)=「歴(ふ)れば」。「ふ(歴)」は「時が来てまた、去っていく。時間が過ぎていく。経過する。」ことをいう。「夜(よ)の歴(ふ)れば」は、「幾晩も経たので」の意。河口の行宮には十日間滞在しているので、この歌は、滞在の後半に詠まれたものと思われる。
 4句「妹之手本師」は「妹(いも)が手本(たもと)し」と訓む。「妹之手本」は、784番歌に既出。「妹(いも)」は、「愛しい人。妻。」をいう。「之」は漢文の助字で、連体助詞「が」。「手本(たもと)」には、@「手の肱(ひじ)から肩までの部分。二の腕。」、A「着物の、袖口の下の袋のようになった部分。そで。」の意とがあるが、ここは、784番歌と同じく@の意。伊藤博『萬葉集釋注』は「『妹が手本』はむろん作者家持にとっては妻大伴坂上大嬢の手枕である。ただし、内舎人などの一行を前に詠まれたとすれば、『妹』はそれぞれの妻や愛人となりうるのであって、結局、普遍の望郷歌として機能した歌であったということも考えられる。」と述べている。「師」はシ音音仮名で、副助詞「し」。
 5句「所念鴨」は「念(おも)ほゆるかも」と訓む。この句は、569・594番歌の5句及び787番歌2句と同句。「所念」は、ハ行四段活用の他動詞「おもふ」の未然形「念(おも)は」+自発の助動詞「ゆ」の連体形「ゆる」 (漢文の助字「所」で表記)で、「念(おも)はゆる」だが、オモハユのハが前の母音に引かれてホに転じて、「念(おも)ほゆる」と訓むようになったもの。「鴨」は、詠嘆の終助詞「かも」を表すための借訓字。
 1029番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  河口(かはぐち)の 野邊(のへ)に廬(いほ)りて
  夜(よ)の歴(ふ)れば 妹(いも)が手本(たもと)し
  念(おも)ほゆるかも

  河口の 野辺に仮のやどりをして
  もう幾晩にもなるので いとしい人の手枕が
  恋しく思われてくるよ
ラベル:万葉集
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2019年06月21日

『万葉集』を訓(よ)む(その1374)

 今回は、1028番歌を訓む。題詞に「十一年己卯、天皇遊猟高圓野之時小獣泄走都里之中。於是適値勇士生而見獲。即以此獣獻上御在所副歌一首 [獣名俗曰牟射佐妣]」とあり、また左注に「右一首、大伴坂上郎女作之也。但未逕奏而小獣死斃。因此獻歌停之。」とある。これらを訓読すると、

[題詞] 十一年己卯(きぼう)、天皇(すめらみこと)、高圓(たかまと)の野に遊猟(みかり)したまふ時に、小(ちひ)さき獣(けもの)都里(みやこ)の中(うち)に泄走(せつそう)す。ここに適(たまさか)に勇士(たけきをのこ)に値(あ)ひ、生きながらにして獲(と)られぬ。即(すなは)ちこの獣を以(もち)て御在所(おましところ)に獻上(たてまつ)るに副(そ)ふる歌一首 [獣の名は、俗(ぞく)に「むざさび」といふ]

[左注] 右の一首は、大伴坂上郎女(おほとものさかのうへのいらつめ)の作なり。ただし、未(いま)だ奏(そう)を逕(へ)ずして、小(ちひ)さき獣(けもの)死(し)に斃(たふ)れぬ。これに因(よ)りて歌を獻(たてまつ)ることを停(や)む。

 以上の題詞と左注によれば、本歌は、天平十一年に(聖武)天皇が、高円の野で狩をなさった時に、たまたま逃げ込んだムササビを勇士が生け捕りにしたので、それを天皇にたてまつる際に添える歌として大伴坂上郎女が詠んだ歌であるが、たてまつる前にムササビが死んでしまったので、奏上はしなかったという。

 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  大夫之 高圓山尓 
  迫有者 里尓下来流 
  牟射佐毗曽此

 1句「大夫之」は「大夫(ますらを)の」と訓む。この句は、989番歌3句他と同句。「大夫(ますらを)」は、「益荒男」とも書き、「立派な男子。強く勇ましい男子。」を意味するが、宮廷人であることを誇る意識を背景に使われることが多かったことから、官位の呼称である「大夫」が用いられるようになったもの。ここは題詞にある「勇士」をさす。「之」は一句に既出の漢文の助字で、格助詞「の」。
 2句「高圓山尓」は「高圓山(たかまとやま)に」と訓む。この句は、230番歌6句と同句。「高圓山(たかまとやま)」は、奈良市白毫寺町にある、春日山の南に峠道を隔てて続く、標高462メートルの山。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 3句「迫有者」は「迫(せ)めたれば」と訓む。「迫」はマ行下二段活用の他動詞「せむ」の連用形「迫(せ)め」。「せむ」は「追いかける。追いつめる。」ことをいう。「有」は完了の助動詞「たり」の已然形「たれ」を表す。完了の助動詞「たり」は、「て有り」の音韻融合により生じた語であることから「有」で表記されている。「者」は漢文の助字から係助詞「は」に用いられたことから、「は」の訓仮名となったものだが、ここでは既定条件を示す接続助詞「ば」に流用したもの。
 4句「里尓下来流」は「里(さと)に下(お)り来(け)る」と訓む。「里(さと)」(986番歌他に既出)は、「人家のあつまっている所。人の住んでいる所。村落。」をいう。「尓」は二句に同じ。「下」はラ行上二段活用の自動詞「おる」の連用形「下(お)り」。「おる」は「高い所から低い所へ移り動く。くだる。」ことをいう。「来流」は、カ行変格活用の自動詞「く」の連用形「来(き)」にラ行変格活用の自動詞「あり」の連体形「ある」が付いた「来(き)ある」の約で「来(け)る」。活用語尾「る」をル音の常用音仮名で片仮名の字源である「流」で表記している。
 5句「牟射佐毗曽此」は「むざさびそ此(これ)」と訓む。「牟」はム音の常用音仮名(片仮名の字源)、「射」「佐」「毗」は、各々、ザ音・サ音・ビ(甲類)音の常用音仮名。「牟射佐毗(むざさび)」は、267番歌に「牟佐〻婢」の表記で既出の小動物「むささび」に同じで、「リス科の哺乳類。体長約三〇〜五〇センチメートル。外形はリスに似ているがやや大きい。手足間の体側に皮膜がよく発達し、これを広げて枝から枝へ飛び、一〇〇メートル以上も滑空できる。尾は円筒状で、太くて長い。背面は灰褐色、赤褐色などで下面は白く、ほおに白斑がある。昼は樹木の空洞などで眠り、夜活動して果実や木の実、葉などを食べる。日本では本州以南の各地の森林に分布。類似種にモモンガがある」と『日本国語大辞典』にある。「曽」はソ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、強い指示を示す係助詞の「そ」を表す。「此(これ)」は、代名詞で、ここは話題の事物「むささび」をさす。
 1028番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  大夫(ますらを)の 高圓山(たかまとやま)に
  迫(せ)めたれば 里(さと)に下(お)り来(け)る 
  むざさびそ此(これ)

  ますらをが 高円山に
  追いつめたので 里におりてきた
  むささびでございます これは
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 17:59| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする