2019年07月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1385)

 今回は、1039番歌を訓む。前回に続き、「高丘河内連(たかをかのかふちのむらじ)歌二首」の二首目。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  吾背子與 二人之居者 
  山高 里尓者月波 
  不曜十方余思

 1句「吾背子與」は「吾(わ)が背子(せこ)と」と訓む。「吾」は自称「わ」に連体修飾の格助詞「が」を補読して「吾(わ)が」。「背子(せこ)」は、広く男性を親しんでいう語で、主として女性が用いるが、男性が他の親しい男性に対して用いる場合もあり、ここはその例。前歌(1038番歌)で、「念(おも)ひそ吾(わ)がせし」と詠った相手である同僚・友人をさす。「與」は「と(乙類)」の訓仮名で、格助詞「と」。
 2句「二人之居者」は「二人(ふたり)し居(を)れば」と訓む。「二人(ふたり)」(1000番歌他に既出)は、作者とその背子(=友人)をさす。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、副助詞「し」。「居者」(769番歌他に既出)は、ラ行変格活用の自動詞「をり」の已然形「居(を)れ」+接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用)で「居(を)れば」。「をる」は「そのままの状態でいる。そこにとどまっている。居を定める。」ことをいう。なお、「居者」を「居(を)らば」と訓む説もあり、『萬葉集全注』には、「実際に二人でいることを仮定条件であらわしたもの(木下正俊「条件法に関する訓釈」『万葉集語法の研究』)。」とある。
 3句「山高」は「山(やま)高(たか)み」と訓む。この句は、909番歌1句の「山高三」と、「三」の表記はないが、同句。ここの「山(やま)」は、前歌の「一重山」すなわち、恭仁京と奈良との間にある奈良山をさすと思われる。「高」はク活用形容詞「たかし」の語幹「高(たか)」+原因・理由を示す接続助詞「み」(無表記だが補足して)=「高(たか)み」と訓む。「山(やま)高(たか)み」は「山が高くて」の意。
 4句「里尓者月波」は「里(さと)には月(つき)は」と訓む。ここの「里(さと)」は作者のいる恭仁京をさす。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。「者」は漢文の助字から訓仮名「は」となったもので、係助詞「は」。「には」は、場所・時・対象・比較の基準など、格助詞「に」の意味を強調または取り立てて示すのに用いられた。「月(つき)」は「天体の月」。「波」はハ音の常用音仮名(平仮名の字源)で、係助詞「は」。
 5句「不曜十方余思」は「曜(て)[照]らずともよし」と訓む。「不曜」は、ラ行四段活用の自動詞「てる」の未然形「曜(て)[照]ら」+打消の助動詞「ず」(漢文の助字「不」で表記)=「曜(て)[照]らず」。「曜」は『名義抄』に「曜 カガヤク・テラス・ノボル・ヒカル」とある。「十」は「と(乙類)」の訓仮名、「方」は「も」の訓仮名で、「十方」で以って、仮定条件を示す接続助詞「とも」を表す。「余」はヨ(乙類)音の常用音仮名、「思」はシ音の音仮名で、「余思」は、ク活用形容詞「よし」を表す。「よし」は、「物事の本性、状態などが好ましく、満足すべきさまである。」ことをいう。
 1039番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  吾(わ)が背子(せこ)と 二人(ふたり)し居(を)れば
  山(やま)高(たか)み 里(さと)には月(つき)は
  曜(て)[照]らずともよし

  あなたと こうして二人でいたら
  山が高くて 里には月が
  たとい照らなくてもかまわない

 なお、「高丘河内連(たかをかのかふちのむらじ)歌二首」の解釈については、阿蘇『萬葉集全歌講義』の【歌意】を参考にしたので、それを引用しておく。

… 一〇三八は、一見、妻への思いを詠んだようであるが、一〇三九と同時の作とすると、相手は男性ということになり、旧都奈良にいた男性が、久迩京に来たのを迎えて歓迎の気持ちをこの二首の歌であらわしたのだと受け取られる。上司・部下の間で互いに「我が背子」と呼び合い、しばしの別れを惜しみ「恋しけむ」と言い合った例は、越中国守時代の家持周辺に多く見られる。
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2019年07月26日

『万葉集』を訓(よ)む(その1384)

 今回は、1038番歌を訓む。題詞に「高丘河内連歌二首」とあって、本歌と次歌(1039番歌)の二首は、「高丘河内連(たかをかのかふちのむらじ)」の詠歌である。『日本古典文学全集』の人名一覧には、「高丘連(たかをかのむらじ)河内(かふち)」として次のように記されている。

高丘連(たかをかのむらじ)河内(かふち) もと楽浪(ささなみ)河内といい、養老五(七二一)年佐為王や山上憶良らと東宮(後の聖武天皇)に侍した。神亀元(七二四)年高丘連の姓を賜わり、天平三(七三一)年外従五位下。同十四年には紫香楽の離宮の造営輔に任ぜられ、十八年五月従五位下。天平勝宝六(七五四)年正五位下に進んだ。伯耆守、大学頭にもなったことがある。

 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  故郷者 遠毛不有
  一重山 越我可良尓 
  念曽吾世思

 1句「故郷者」は「故郷(ふるさと)は」と訓む。「故郷」は、333・775番歌の例では「故(ふ)[古]りにし郷(さと)[里]」と訓んだが、ここは609番歌の例と同じく「ふるさと」と訓む。「久迩京」への遷都により、旧都となった「平城京」をさす。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 2句「遠毛不有」は「遠(とほ)くも有(あ)らず」と訓む。「遠」はク活用形容詞「とほし」の連用形で「遠(とほ)く」。「とほし」は、「空間・距離のへだたりが大きい。はるかに離れている。へだたっている。」ことをいう。「毛」はモ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「も」。「不有」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「有(あ)ら」+打消しの助動詞「ず」(漢文の助字「不」で表記)で、「有(あ)らず」。
 3句「一重山」は「一重山(ひとへやま)」と訓む。この句は765番歌1句の「一隔山」と「へ」の表記が異なるだけで、同句。「一重」は、「一隔」と同じく「ひとへ」と訓み、「そのものだけで、重なっていないこと。また、そのもの。ひとひら。一枚。」の意。「一重山(ひとへやま)」は、固有名詞ではなく、「一重の山。重なっていない一つの山。」をいう。恭仁京と奈良との間は、直線距離にして約十キロメートルで、その間に低い奈良山が横たわっているだけである。
 4句「越我可良尓」は「越(こ)ゆるがからに」と訓む。「越」はヤ行下二段活用の自動詞「こゆ」の連体形で「越(こ)ゆる」。「我」はガ音の常用音仮名で、連体助詞「が」。「可」「良」「尓」は、各々、カ音・ラ音・ニ音の常用音仮名で、「良」は片仮名・平仮名の字源。「可良尓」(638番歌に既出)は、原因、理由を意味する格助詞の「から」に格助詞「に」が付いた「からに」を表す。吉井『萬葉集全注』に「カラニは『活用語の連体形、あるいは連体助詞ガ・ノに接する。偶然の、あるいは些細な事柄が、他の一つの事柄の契機となる関係を示す。』という(時代別)。越えるというだけのために。」とある。
 5句「念曽吾世思」は「念(おも)ひそ吾(わ)がせし」と訓む。「念」は「念(おも)ひ」で、動詞「おもふ」の連用形の名詞化したもの。「曽」は、ソ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、強く指示・指定する意を表わす係助詞「そ」(平安以降は「ぞ」となる)。「吾」は、自称「わ」(「あ」とするものもある)に主格の格助詞「が」を補読して「吾(わ)が」と訓む。「世」はセ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、サ行変格活用の他動詞「す」の未然形「せ」を表す。「思」はシ音の音仮名で、回想の助動詞「き」の連体形「し」を表す。連体形となっているのは、上の係助詞「そ」の結び。
 1038番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  故郷(ふるさと)は 遠(とほ)くも有(あ)らず
  一重山(ひとへやま) 越(こ)ゆるがからに
  念(おも)ひそ吾(わ)がせし 

  故郷(奈良の旧都)は 遠くもありません
  一重の山を 越えるだけなのに
  恋しい思いを私はしたことです
ラベル:万葉集
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2019年07月24日

『万葉集』を訓(よ)む(その1383)

 今回は、1037番歌を訓む。題詞に「十五年癸未秋八月十六日内舎人大伴宿祢家持讃久迩京作歌一首」とある。これを訓読すると、「十五年癸未(きび)秋(あき)八月十六日に、内舎人(うどねり)大伴宿祢家持(おほとものすくねやかもち)の、久迩(くに)の京(みやこ)を讃(ほ)めて作る歌一首」となる。「十五年癸未(きび)」は、天平十五年(七四三)。
 写本の異同は、2句二字目<迩>を『西本願寺本』に「尓」としていることが挙げられるが、『元暦校本』『類聚古集』『紀州本』に「迩」とあるのを採る。原文は次の通り。

  今造 久<迩>乃王都者
  山河之 清見者
  宇倍所知良之

 1句「今造」は「今(いま)造(つく)る」と訓む。「今(いま)」(931番歌他に既出)は、「過去と未来との境になる時。現在。」をいう語であるが、時間の幅があり、@ただいま。現在の瞬間。A現在の時点に少し幅を持たせた時間。「今は無理だが、半年後なら引き受けよう」B「昔」に対して、@を含んだある期間を表す。「現代。今の時代。現今。今日(こんにち)。」などを意味する。ここはB。「造」はラ行四段活用の他動詞「つくる」の連体形「造(つく)る」。「つくる」は、「新しくものをこしらえる。」ことをいう。
 2句「久迩乃王都者」は「久迩(くに)の王都(みやこ)は」と訓む。この句は、475番歌10句「久迩乃京者」と「みやこ」の表記が異なるだけで、同句。「久迩乃王都」は「久迩(くに)の王都(みやこ)」と訓み、「恭仁京」のことで、奈良時代、聖武天皇が一時都とした地である。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 3句「山河之」は「山河(やまかは)の」と訓む。「山河」(1006番歌他に既出)は、漢語では「さんが」、和語では「やまかは」で、「山と川」の意。「之」は漢文の助字で、格助詞「の」。
 4句「清見者」は「清(さや)けき見(み)れば」と訓む。「清」はク活用形容詞「さやけし」の連体形「清(さや)けき」。「さやけし」は、清く澄んでいるさまをいい、視覚的にも聴覚的にもくっきりはっきりした意で使われる。清らかなさま、はっきりしているさまを表わす副詞「さや」にク活用の形容詞を作る接尾語の「けし」が付いてできた語。「見者」(1005番歌他に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「見る」の已然形「見れ」+順接の確定条件を表わす接続詞「ば」で、「見(み)れば」。
 5句「宇倍所知良之」は「うべ知(し)らすらし」と訓む。「宇」はウ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「倍」はベ(乙類)音の常用音仮名。「宇倍」で以て、副詞「うべ」を表す。「うべ」は、平安以降には普通「むべ」と表記される語で、あとに述べる事柄を当然だと肯定したり、満足して得心したりする意を表わす。「なるほど。まことに。もっともなことに。本当に。」の意。「所知」(768番歌他に既出)は、ラ行四段活用の他動詞「しる」の未然形「知(し)ら」に尊敬の助動詞の「す」(連体形)が付いた「知(し)らす」と訓む。ここの「しる」は、「知る」と書かれているが、『古典基礎語辞典』に「しる【領る】」として別項目を立てている語である。768番歌のところで引用した『古典基礎語辞典』の解説を次に再掲しておく。

 従来、シル(知る)と関連づけて考えられてきたのは、アクセントのうえからは区別がつけ難いからである。しかし、意味的には隔たりがあるので、別語として扱う。シル(領る)は場所や土地などを自分のものとして所有するときに、占有する・領有するの意で用い、支配する・統一するの意をも表す。人を対象にすると、自分のものにし、責任をもって扱うことから、世話をする・面倒を見るの意にまで発展する。

「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)。「良之」で以って、推量の助動詞「らし」を表わす。
 1037番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  今(いま)造(つく)る 久迩(くに)の王都(みやこ)は
  山河(やまかは)の 清(さや)けき見(み)れば
  うべ知(し)らすらし

  今造っている 久迩の都は
  山川の 清(すが)々しいのを見ると
  なるほど都とされたのももっともだと思われる
posted by 河童老 at 20:58| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする