2012年08月27日

『万葉集』を訓(よ)む(その147)

今回は、第86番歌を訓む。「磐姫皇后思天皇御作歌四首」の二首目である。写本の異同としては最後の一字「呼」を「乎」とする諸本が多いが、ここは金沢本に従って「呼」を採る。原文は次の通り。

 如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物<呼>

 1句「如此許」は「如此(かく)許(ばか)り」と訓む。「如此」はコノゴトクの義で、副詞「かく」に用いたもの。「かく」は、「事態を、話し手が自分の立場から現実的、限定的にとらえて、それを指示する。このように。」の意。「許」は「ゆるす」が原義であるが、「計」と通じ、「ばかり、ほど。」の意を持つ。「ばかり」は、上代では副詞的な要素に下接した「かくばかり」「いかばかり」の形が過半を占め、語源である名詞「はかり」の意そのままに「おおよそ…ぐらい」の意を表わしており、多く疑問・推量・仮定などの不確実な意味の表現において用いられる。
 2句「戀乍不有者」は「戀(こ)ひつつ有(あ)らずは」と訓む。「戀」はハ行上二段活用の他動詞「戀ふ」の連用形で「戀(こ)ひ」と訓む。「戀ふ」は、上代では、「時間的、空間的、心理的に、離れている物事を慕い、会えずに嘆く気持を表わす」のに用いられる。「乍」は今まで「乍(つつ)」と漢字として扱ってきたが、現代では助詞を漢字で表記することはほとんどない(「乍(なが)ら」などの例はある)ことを踏まえ、「つつ」と平仮名表記に代えて訓むこととする。ここの接続助詞「つつ」は動作の継続を表わし、「〜し続けて」の意。「不」は既出で、否定を表わす漢文の助字。「不有」は「不」の下にレ点を付けて「有(あ)らず」と訓む。「者」は、清音の「は」を表わす訓仮名。「有らず」の「ず」は打消しの助動詞の連用形で、下の強調の係助詞「は」と付いて連語「ずは」を作る。「ずは」について『古典基礎語辞典』の解説を引用しておく。
 
 打消の助動詞ズの連用形に、係助詞ハを軽く添えたもので歌によく使われる。ズハがくると、その終末部は推量の助動詞マシ・ム・ナム・ベシで終わるものがほとんどである。ズシテに近く、ズハの上の部分が現実の事柄を示し、後半の推量の部分が事実に反する事柄を述べるという構造になっていることが多い。なお、この形については、意味的に、もし…でないならばという意の仮定条件を表わすところから、ズの未然形に接続助詞バが付いたとする説がある。しかし、中世末期までズハと清音である。中世に、ズハを強調するためにズとハの間に撥音ンが入ってバが濁音化し、ズンバの形が生じた。このズンバ・ズバは、現在でも漢文訓読語として用いられている。

3句「高山之」は「高山(たかやま)の」と訓む。14番歌1句の「高山」は「かぐやま[香具山]」と訓んだが、ここは普通名詞の「高山(たかやま)」と訓み、文字通り「高い山」の意。「之」は格助詞の「の」を表わす訓仮名。
4句「磐根四巻手」は「磐根(いはね)しまきて」と訓む。「磐根」は、「いはね」と訓み、「ね」は接尾語で「大きな岩」の意。「磐」一字でも「いはお」と訓んで「大きな岩」の意味をもつ。「いはお」は高くそびえ立つ大きな岩をいい、「いはね」はどっしりと安定した大きな岩をいう。「四」はシ音を表わす音仮名で、強調の副助詞「し」。「巻」は借訓字で、カ行四段活用の他動詞「ま[枕]く」の連用形「まき」と訓む。「ま[枕]く」は「巻く」と同語源で、「枕にする。枕にして寝る。」の意。同じ意の「まくらく」は、66番歌に既出。「手」は「て」の常用訓仮名で、接続助詞の「て」。
5句「死奈麻死物呼」は「死(し)なまし物(もの)を」と訓む。「死」はナ行変格活用の自動詞「死ぬ」。その未然形「死な」を表わすため、活用語尾「な」に「奈」を用いている。「奈」はナ音の常用音仮名で、片仮名・平仮名の字源。「麻」はマ音の常用音仮名、「死」はシ音の音仮名。「麻死」でもって「まし」を表わす。「まし」は、非現実的な事態についての推量、あるいは、非現実的事態を述べて後悔・希望・意志などの意を表わす助動詞。ここは後者で希望を表わす。「物」は、他の語句を受けて、それを一つの概念として体言化する形式名詞。直接には用言の連体形を受けて用いる。「呼」は、ヲ音の音仮名で、間投助詞「を」。「ものを」を一語と考えて詠嘆を表わす終助詞とみることもできるが、活用語の連体形を受けた「もの」によって全体が体言化し、それに「を」が付いて詠嘆表現となったもので、古くは二語と考えるべきものである。
 第86番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

 如此(かく)許(ばか)り 戀(こ)ひつつ有(あ)らずは
 高山(たかやま)の 磐根(いはね)しまきて
 死(し)なまし物(もの)を

 これほどに 恋しつづけていないで
 高山の 大きな岩を枕にして
 死んでしまいたい(ほど恋しい)ものを
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 09:11| Comment(3) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。半導体の技術者でしたが退職後に高校時代から興味があった上代の日本語の研究を始めました。けして素人の趣味でなく、かつて物理の学術誌に発表していたのと同じ気持ちで取り組んでいます。

上代語の「ずは」には二種類あるとされ、一つは否定の仮定条件を表わすもの、一つはそれでは解釈できないものと分類されてきました。後者は、特殊な「ずは」とも呼ばれています。

本居宣長はそのような「ずは」を一律に「んよりは」と読むことを提案しました。橋本進吉は特殊な「ずは」を「ずして」の意味に解釈しました。

「ずは」はすべて同じ意味であると私は考えました。その代わりに従来願望の意味と解釈されてきた「まし」を反実仮想の意味と仮定しました。そのようにして宣長のあげた特殊な「ずは」を再検討しました。

論文は「その1」から「その8」までブログに連載しました。この歌の解釈は次のようなものです。

これほど恋していないならば(今頃は)高い山の岩を枕にして死んでいることでしょうに

磐姫の言いたかったことを想像するにブログ記事から引用します。

解釈6-1c あなたは私を散々辛い目に逢わせました。普通なら悲観して死んでいるところです。私が高い山の岩場に葬られている姿を想像してください。しかし私はあなたをこれほど強く慕っています。だから堪えていられるのです。酷い目に遭っても死んでいないということはそれだけ愛情が強いからです。あなたに相応しい女は私しかいません。

解釈6-1cが成立するとすれば、相手の行動を非難して反省を促し、同時に自らの強い愛情を示して恋敵を退けるという複雑な内容を三十一文字で巧みに表現したものと言えます。だからこそ巻二の巻頭の四首の中に置かれ、「かくばかり恋ひつつあらずは」で始まる多数の類歌を生んだのかもしれません。解釈6-1cはやや深読みすぎるかもしれませんが、参考のために記しました。

Posted by 上代語法序説 at 2017年02月16日 22:06
コメントをいただきありがとうございます。
「ずは」のご研究、拝読させていただきました。「けして素人の趣味でなく」と言われているように、本格的な研究をされていることに感服いたしました。「ずは」については、私の『万葉集』を訓(よ)む(その523)の338番歌の所で、大野晋の「万葉集ズハの解釈」を紹介していますが、大野晋は「ずは」の『万葉集』の用例を3つの解釈に分類をしています。大野晋は、この86番歌を@分類、すなわち「その行為・状態が既に成立していて、作者にとって苦しく耐え難くなっている場合』に属するものとしていますが、江部忠行さんの解釈では、作者の磐姫はその耐え難さをも克服して自己主張ができる強い女性とされているところが、面白いと思いました。
 河童老
Posted by 河原清 at 2017年02月17日 10:11
拙稿を読んでいただきましてありがとうございます。

旧帝大の国文科を卒業して高校で古文を教えていた知人がいます。ク語法やミ語法の論文とともにズハの語法の原稿を見せたところ、良い感想と悪い感想を頂戴しました。良い感想は論文として水準が高いこと。悪い感想は、従来説を覆す論文を外部の人間が書いたので、国語学の学会は徹底して無視するだろう、投稿しても掲載されないだろうという予想です。後者の理由は別途例を挙げてもらいました。なるほどと感じました。事実、後者は一つ当たりました。ク語法の論文が不掲載になったのでブログに公開しました。

大野晋氏の説については当該のページに回答させていただきます。
Posted by 上代語法序説 at 2017年02月18日 20:19
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