2013年01月24日

『万葉集』を訓(よ)む(その238)

 今回は、第155番歌の続きで、7句からを訓む。
 7句「夜者毛」は「夜(よる)はも」と訓む。ここの「夜」は「よる」で「日没から日の出までの時間。太陽が没して暗い間。」を言う。「者」は訓仮名で係助詞「は」。「毛」は、モ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞の「も」。係助詞「は」と「も」が複合した連語「はも」は、「特に取り立てて提示しようとするものに、強い執着や深い感慨を持ち続けている場合に使う」と『岩波古語辞典』にある。
 8句「夜之盡」は「夜(よ)の盡(ことごと)」と訓む。ここの「夜」は「よ」。「よる」は「ひる」に対して暗い時間全体をさすのに対して、「よ」はその特定の一部分だけを取り出していう。「之」は格助詞「の」。「盡」(29番歌に既出)は、会意文字で、聿(いつ)+皿+水滴の象。深い器の中を洗うために、細い木の枝のような棒(聿)を入れ、水を加えて器中を洗滌することを示す。『説文解字』に「器中、空しきなり」とあり、器中を洗うことによって全てのものがなくなることを示す。その意から、すべてを傾注する、尽くすの意となる。ここでは「ことごと」と訓み、「残らず、全て」の意。「夜(よ)の盡(ことごと)」は、夜の特定の一部分の残らず全てであるから、「夜通し」の意となる。
 9句「晝者母」は「晝(ひる)はも」と訓む。「晝」(昼の旧字)は「ひる」で「太陽が空にあるあいだ。日の出から日没までの間。」を言う。「者」は訓仮名で係助詞「は」。「母」は、モ音の常用音仮名で、係助詞の「も」。「はも」は7句に同じ。
 10句「日之盡」は「日(ひ)の盡(ことごと)」と訓む。「日」は「ひ」。「よ」が「よる」の特定の一部分をいうのと同じ関係で、「ひ」も「ひる」の特定の一部分を指すものと考えられる。「之」「盡」は8句に同じ。「日(ひ)の盡(ことごと)」は、昼の特定の一部分の残らず全てであるから、「昼中、終日(ひねもす)」の意となる。
 7句・8句と9句・10句は、夜と昼との対によって、夜も昼も止むことのないことを表わす対句となっており、「はも」の繰り返しによって、深い感慨を表現している。なお、この対句の類例は、「昼波毛 日之尽 夜羽毛 夜之尽」(204)、「昼者毛 日之尽 夜者毛 夜之尽」(372)などに見られるが、いずれも「昼は…夜は…」の形で、「夜は…」を先行させた例は他にない。「日没を通用日の始まり」とすることが天智朝以前には行われていたと、南方熊楠は「往古通用日の初め」で推定しているが、天武朝以降「日の出を通用日の始まり」とするという変化に伴って、この対句表現も変わったものと考えられる。とすれば、この対句は額田王によって創始されたものと言えるかも知れない。
 11句「哭耳呼」は「哭(ね)のみを」と訓む。「哭」は「ね」で「泣く」ことの名詞。「い」が「ぬ(ねる)」の名詞で、「寐(い)も宿(ぬ)る」(46番歌)のように用いられたのと同様に、「哭(ね)を泣く」などのように使われた。ここはそれに「のみ」を加えたもので「哭(ね)のみを」として次の「泣く」に続けたもの。「耳」は、限定・強意を表わす漢文の助字で、限定を表わす副助詞「のみ」に宛てたもの。「呼」はヲ音の音仮名で格助詞「を」。なお、「哭」には、「葬に臨んで泣く。泣くように葬歌をうたう。」の意がある。
 12句「泣乍在而哉」は「泣(な)きつつ在(あ)りてや」と訓む。「泣」は、カ行四段活用の自動詞「なく」の連用形で「泣(な)き」。「なく」は、「ね(音)」と同語源の「な」が動詞化したもので、生物が種々の刺激によって声を発することをいう語で、ここは「人が、精神や肉体への刺激にたえかねて、声を出し、また涙を流す。」意で用いられている。勿論この場合「精神や肉体への刺激」というのは天智天皇が崩御されたことをいう。「乍」は、動作の継続を表わす接続助詞「つつ」に宛てたもの。(25・26・54・79・86・120・135・149番歌に既出)。「在」はラ行変格活用の自動詞「あり」の連用形で「在(あ)り」。「而」は、漢文の助字で、接続助詞「て」に宛てたもの。「哉」は、訓仮名で、疑問の係助詞「や」。なお、「哭(ね)のみを泣(な)きつつ」は、陵前で繰り返される発哭・発哀の儀礼も含まれているとする説もある。
 13句「百礒城乃」は「百礒城(ももしき)の」と訓む。「百礒城(ももしき)の」は、29番歌35句に既出、「百の礒で築いた城」ということで「大宮」にかかる枕詞。
 十四句「大宮人者」は「大宮人(おおみやひと)は」と訓む。「大宮人」(30・36・41番歌に既出)は、宮廷に仕える人たちのことで、ここは近江朝の人たち。
 15句「去別南」は「去(ゆ)き別(わか)れなむ」と訓む。「去」はカ行四段活用の自動詞「ゆく」の連用形「去(ゆ)き」と訓む(「去」の字を「ゆく」と訓む例は、69・106番歌に既出)。「別」はラ行下二段活用の自動詞「わかる」の連用形で「別(わか)れ」。「南」は、「なむ」を表わすための借訓字で、完了の助動詞「ぬ」の未然形の「な」と推量の助動詞「む」(上の係助詞「や」の結びで連体形)。
この句は「ちりぢりに別れて行ってしまうのだろうかなあ」という意である。単に題詞と同じ「退(まか)り散(あら)けむ」ではなく「去(ゆ)き別(わか)れなむ」とあることによって、戦いを前に、人々が離散することを予見している表現となっており、そこに作者の深い悲しみが見える。
 155番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

 八隅知(やすみし)し わご大王(おほきみ)の
 恐(かしこ)きや 御陵(みはか)奉仕(つか)ふる
 山科(やましな)の 鏡(かがみ)の山(やま)に
 夜(よる)はも 夜(よ)の盡(ことごと)
 晝(ひる)はも 日(ひ)の盡(ことごと)
 哭(ね)のみを 泣(な)きつつ在(あ)りてや
 百礒城(ももしき)の 大宮人(おおみやひと)は
 去(ゆ)き別(わか)れなむ

 あまねく天下を治めておられた わが大君の
 恐れ多い 御陵の造営に奉仕している
 山科の 鏡の山に
 夜は 夜どおし
 昼は ひねもす
 声をあげて 泣いてばかりいて
 (ももしきの) 大宮人は
 別れて行ってしまうのだろうか

 今回で天智天皇時代の挽歌を訓み終えた。今週はこれで終りとし、次回は来週火曜日から。
 次回からは天武天皇時代の挽歌に進む。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 20:38| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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