2015年05月15日

『万葉集』を訓(よ)む(その786)

 今回は、537番歌を訓む。題詞に「高田女王贈今城王歌六首」とあり、本歌〜542番歌までの六首は、高田女王(たかだのおほきみ)が今城王(いまきのおほきみ)に贈った歌である。高田女王は、高安王(たかやすのおほきみ)の娘で、長皇子の曾孫。高安王は、前歌(536番歌)の作者の門部王(かどべのおほきみ)の弟である。今城王は、519番歌の題詞の下注に既出で、母の大伴郎女いついては諸説があるが、岸本由豆流の『攷證』に、大伴坂上郎女ではないか、父親は穂積皇子であろう、とするのが最も当を得ているように思われる。そうだとすると、今城王は坂上大嬢の異父兄で、家持とはいとこ同士の関係にあたり、巻二十の歌(4515番歌など)に見える家持との親密な関係も自然と理解される。
 写本の異同はないが、5句の三字目について、写本には「取」とあるが、<敢>の誤字であるとするのが通説となっているのでそれに従う。原文は次の通り。

  事清 甚毛莫言 一日太尓 君伊之哭者 痛寸<敢>物

 1句「事清」は「事(こと)清(きよ)く」と訓む。ここの「事(こと)」は「言(こと)」の意。「清」はク活用形容詞「きよし」の連用形(副詞法)で「清(きよ)く」。『萬葉集全注』に「言清クは、言葉さわやかに、淡々と物を言うさまをいうのであろう。」とあるのが当たっていると思う。
 2句「甚毛莫言」は「甚(いた)もな言(い)ひそ」と訓む。「甚毛」は、456番歌2句「痛毛」と同じく、ク活用形容詞「いたし」の語幹「甚(いた)」に係助詞「も」(モ音の常用音仮名〈片仮名・平仮名の字源〉「毛」で表記)がついて出来た副詞「甚(いた)も」で、「程度のはなはだしいさまを表わす語。とても。非常に。」の意。「莫」(529番歌他に既出)は、漢文の助字であるが、ここは「な」の訓仮名として、禁止の意を表す副詞「な」に用いたもの。「言」は、ハ行四段活用の連用形「言ひ」。「莫言」は、「そ」を補読して「な言(い)ひそ」と訓む。「な……そ」の形は、活用語の連用形(カ変・サ変は未然形)をはさんで、その動作を禁止する働きをするが、「……な」という禁止表現とは違って、懇願する意になる。
 3句「一日太尓」は「一日(ひとひ)だに」と訓む。「一日」(484番歌他に既出)は、「ひとひ」と訓み、「いちにち。また、いちにちの間。」の意。「太」「尓」はダ音・ニ音の常用音仮名で、「太尓」(489番歌他に既出)は、副助詞「だに」を表わす。「一日(ひとひ)だに」は「一日でも」の意。
 4句「君伊之哭者」は「君(きみ)いしなくは」と訓む。「君(きみ)」は「今城王」をさす。「伊」はイ音の常用音仮名(片仮名の字源)、上代に使われた格助詞「い」に用いたもので、主格の下に付いて強めを表す。「之」はシ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で副助詞「し」。「し」を強意とするものもあるが、次の「なくは」という仮定条件と一体の表現で、話し手の遠慮の気持ちを表したもの。「哭」はク活用形容詞「なし」の連用形「なく」を表すための借訓字。「者」は「は」の訓仮名で、係助詞「は」。「君(きみ)いしなくは」は「あなたという人がいらっしゃらないと」の意。
 5句「痛寸敢物」は「痛(あへかた)きかも」と訓む。「痛寸」は、ク活用形容詞「あへかたし」の連体形で「痛(あへかた)き」と訓む。「あへかたし」は後の「たへがたし」に同じで、「つらいこと、いやなことをがまんすることがむずかしい。こらえがたい。」ことをいう。「痛」は『名義抄』に「痛 イタム・イタシ・タヘガタシ・ハナハダ」とあり、タヘガタシの訓が見えるが、上代語では「堪」はアフと訓まれて、タフと訓むべき確例はないので「あへかたし」と訓んだもの。「寸」は「き(甲類)」の常用訓仮名で、活用語尾「き」を表したもの。「敢」「物」は、カ音・モ音の音仮名で、「敢物」は詠嘆の終助詞「かも」を表す。
 なお、5句の訓みについては、『萬葉集全注』の解説によったので、後ろに参考として引用しておく。
 537番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  事(こと)清(きよ)く 甚(いた)もな言(い)ひそ
  一日(ひとひ)だに 君(きみ)いしなくは
  痛(あへかた)きかも

  そんなにあっさりと ひどいことをおっしゃらないでください
  一日でも あなたという人がいらっしゃらないと
  堪え難い思いなのです

[参考]『萬葉集全注』「堪(あ)へかたきかも」の注として次のように述べている。 

 原文には「痛寸取物」とあり、古点はイタキトリモノ、仙覚本の紺青訓はイタキヽスソモで、仙覺抄には「痛キ傷ナンドアラムヤウニ悲シカルベシ」と解した。「取」が「敢」の誤字ではないかとする説は、既に古義の「偲不敢物(シヌヒアヘヌモノ)」、新考の「有不敢物(アリアヘヌモノ)」などあるが、「取」だけを改め、「痛寸」をタヘガタキ、「敢物」を音仮名として、全体をタヘガタカモと読む菊沢季生氏の説が最も優れている。塙本などにおいて、これによりつつアヘカタキとしたのは、上代語には「堪」をタフと読むべき確例がないからである。菊沢氏が「痛寸」をタヘガタカモと読んだのは、名義抄に「痛、タヘカタシ」とあるによったものである。(後略)
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 16:03| Comment(1) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
仰る通り、今城王の母は大伴坂上郎女、父は穂積皇子ですね。ややこしいですがそれ以外ありません。
大伴坂上郎女は穂積皇子と結婚して凄く愛されていたらしく、穂積皇子は天武天皇の息子ですから今城王は、天武天皇の孫で「王」と名乗れる5親等以内の皇族です。
Posted by 知ったかぶり at 2018年12月10日 16:35
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