2017年02月20日

『万葉集』を訓(よ)む(その1135)

 今回は、846番歌を訓む。「梅花歌卅二首」の最後の三十二首目。作者は「小野氏淡理(をのしのたもり)」。阿蘇『萬葉集全歌講義』に「小野氏淡理(たもり) 天平十九年正月に、正六位上より従五位下に叙せられ、天平勝宝元年閏五月に大宰少弐に任ぜられ、後、遣新羅大使・遣渤海大使にもなった小野朝臣田守と同一人説(新大系)、同一人か、とする説(全註釈・日本古代人名辞典など)もあるが、明らかでない。」とある。また、伊藤『萬葉集釋注』は、作者と本歌について次のように述べている。
 
 作者小野氏淡理は、いかなる次第で当時大宰府にいたのか、旅人とどういう関係にあったのか、すべて不明である。しかし「淡理」は「田守」の中国式表記で、これは、旅人が「旅人」を「淡等」と書いたのと共通する。時代の風とはいえ、淡理が旅人に心酔し、旅人もまた淡理に信を寄せていた事情が窺えるような気がする。
 淡理は、この日の宴で、総幹事役を仰せつかり、万端の進行係を務めたのではなかろうか。歌は、その立場からなされたもので、一日中かざしにかざしてもますます心引かれてしまう梅の花とは、尽きぬ名残をとどめて一座をしめくくる名言といってよいであろう。

 伊藤はこのように述べて、本歌を「梅花歌卅二首」の締めくくりの歌にふさわしいとして高く評価している。
 写本に異同はなく、 原文は次の通り。

  可須美多都 那我岐波流卑乎 可謝勢例杼 
  伊野那都可子岐 烏梅能波那可毛
                  [小野氏淡理]

 本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名ではモ音の「毛」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、イ音の「伊」・ス音の「須」・タ音の「多」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、そして平仮名の字源となった常用音仮名では、ハ音の「波」・ミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ガ音の「我」・キ(甲類)音の「岐」・セ音の「勢」・ツ音の「都」・ド(乙類)音の「杼」・ナ音の「那」・ノ(乙類)音の「能」が使われ、準常用音仮名ではレ音の「例」が、そして音仮名では、ウ音の「烏」・ザ音の「謝」・シ音の「子」・ヒ(甲類)音の「卑」・メ(乙類)音の「梅」・ヤ音の「野」が使われている。

 1句「可須美多都」は「かすみたつ」と訓む。この句は5番歌1句「霞立」と同句で、その仮名書き。「可須美」は「かすみ(霞)」。「多都」は、タ行四段活用の自動詞「たつ(立つ)」連体形。「霞」は本来「夕やけどきなどに、遠くたなびく霧」のことであるが、「霞が立つ」→「ぼやけてはっきりしなくなる」ことを「かすむ」と言った。「かすみ」はこの動詞「かすむ」の連用形が名詞化したものである。同様に「霧が立つ」→「はっきり見えなくなる」をあらわす「きる」という動詞の連用形が「きり」。古くは「かすみ」と「きり」は同様の現象を表わすものとして、季節にも関係なく用いられたが、『万葉集』では、「かすみ」は春、「きり」は秋のものとする傾向があらわれてくる。そして『古今集』以後は、はっきりと使い分けられるようになる。
 2句「那我岐波流卑乎」は「ながきはるひを」と訓む。この句も5番歌の2句「長春日乃」の類似句で、「那我岐波流卑」は「長春日」の仮名書き。「那我岐」は、ク活用形容詞「ながし(長し)」の連体形「ながき」。「ながし」は「時間について、ある時点から連続している他の時点までのへだたりが、相対的に大きいさま。」をいう。「波流卑」は、「はるひ(春日)」で、文字通り「春の日」。「乎」は格助詞「を」。
 3句「可謝勢例杼」は「かざせれど」と訓む。「可謝勢例」は、サ行四段活用の他動詞「かざす」の已然形(音韻上は命令形)の「かざせ」+完了の助動詞「り」の已然形「れ」=「かざせれ」。「杼」は活用語の已然形について逆接の既定条件を示す接続助詞「ど」。阿蘇『萬葉集全歌講義』に「『かざしあれど』の約。かざしているが、の意。」とあるが、完了の助動詞「り」が四段活用の動詞の連用形と、それを承ける「あり」との音韻融合によって生じたものであることを述べたものと考えられる。
 4句「伊野那都可子岐」は「いやなつかしき」と訓む。「伊野」は、786番歌他に「弥」の表記で既出の副詞「いや」を表す。接頭語「い」に、物事のたくさん重なる意の副詞「や」が付いてできた語で、事柄や状態がだんだんはなはだしくなるさまをいう。「いよいよ。ますます。」の意。「那都可子岐」は、663番歌に「夏可思吉」の表記で既出、シク活用形容詞「なつかし」の連体形「なつかしき」を表す。「なつかし」は、動詞「なつく(懐く)」の形容詞化で、古くは、身近にしたい、馴れ親しみたいの意を表し、後世、多く懐旧の思いをいうようになる。ここでは663番歌と同じく、「心がひかれ、離れたくないさま。愛着を覚えるさま。魅力的だ。慕わしい。」の意で用いられている。
 5句「烏梅能波那可毛」は「うめのはなかも」と訓む。この句は、828番歌の5句「烏梅能波奈加母」及び844番歌の5句「烏梅能波奈可毛」と一部表記は異なるが同句。「烏梅能波那」は、「うめのはな(梅の花)」。「可毛」は、詠嘆の終助詞「かも」。
 846番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  かすみたつ ながきはるひを かざせれど 
  いやなつかしき うめのはなかも

  霞立つ 長き春日を かざせれど
  いやなつかしき 梅の花かも

  霞がかかっている 長い春の日の一日中 髪に挿しているけれど
  ますます慕わしい 梅の花ですよ
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 13:55| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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