2017年02月22日

『万葉集』を訓(よ)む ー閑話休題(その36の1)ー 

 前回まで、「梅花歌卅二首」を訓んできたが、今回は閑話休題として、この歌群に関する研究論文についての紹介を行うとともに、万葉仮名の用字に関わる問題として「筆録者の問題」について述べてみたい。
 まず、伊藤博『萬葉集釋注』が、この歌群についてのまとめとして述べている部分を見てみよう。

 余韻をとどめて、園梅の集いは終わった。宴終わって、三々五々散っていく人びとの、感慨ひとしおの表情が見えるような気がする。何とも高雅な、それでいてうちとけて楽しい集いであったことか。現代の読者も、古代万葉の世に、このように心の行きとどいた歌の会があったことに、とくと目を注ぐべきである。
 横にいる人、前にいる人の歌詠に気を配ることは、日本の短歌が民謡として起こったそもそものしきたりであったらしい。それが順次洗練されて、天平大宰府の集宴では、三二首もの緊密なまとまりとなって花を開いた。一首一首には、取り立てて季吟とすべき作は少ない。けれども“園梅の賦”という課題のもとでは、どれもそれぞれ位置を占め、互いは互いの関連において呼吸し、そして輝いている。これまた、集団の中から任意に一首を取り出して行う鑑賞法が、『万葉集』の本来の姿にとっていかに危険であるかを端的に教える一例といえよう。
 三二首に序文をつけて紙上にまとめる時、ある歌々について手が加えられなかったという保証はない。しかし、実際の詠歌活動において呼応連鎖の関係がないものについて、結果としてこれだけの響き合いを脚色することはできないはずだ。
 三二首は、天平二年(七三〇)正月十三日、大宰府旅人宅において、本質的に、見られるとおりの風雅を達成したと考えてよい。三十二人が相継いで詠をなして、乱れぬ体系を完結した。これは驚くべき営みである。万葉歌はここまで発達しており、それは、人間が集団として生きる場合の、生きざまの貴重な模範ともなるであろう。
 以上、梅花の歌三二首に対する考察は、拙稿「園梅の賦」(『万葉集の歌人と作品』下第八章第四節)に基づいて展開されたものである。が、この考察について同調しながらも、別途の見解を繰り広げるものに、大久保広行「梅花の宴歌群考」(都留文科大学研究紀要9)、同「わが園に梅の花散るー発想の重層性をめぐってー」(都留文科大学国文学論考10)、同「梅の花今盛りなり」(都留文科大学紀要10)、山崎良平「『梅花の歌32首』の構成について」(高知女子大学保育短期大学紀要1)、後藤和彦「梅花の歌三十二首の構成」(『万葉集を学ぶ』第四集)などの論がある。一方、筆者などの考察に基本的に賛成しない論に、植垣節也「梅花の歌三十二首考」(兵庫教育大学研究紀要1)がある。なお、三二首の筆録についても、橋本達雄「万葉集巻五の筆録者について」(『万葉集の作品と歌風』)、稲岡耕二「巻五の論」(『万葉表記論』)、原田貞義「梅花歌三十二首の成立事情」(万葉第五十七号)などに考察があって、それぞれ主張を異にしている。 

以上、引用した中で、前半のところで、伊藤が、「集団の中から任意に一首を取り出して行う鑑賞法が、『万葉集』の本来の姿にとっていかに危険であるか」ということを指摘しているが、確かに「梅花歌卅二首」は、一首だけを取り出して鑑賞するのではなく、序文を含め三二首を一つの作品として鑑賞して初めて、その文学的価値を認識できるものだと思う。
 引用の後半では、この歌群を考察した論文が紹介されているが、そこでは、歌の配列と当日の宴会の「座」の関係などを論じたものに加えて、三二首の筆録についての論文も紹介されている。その中で、万葉仮名の用字に関わる問題として「筆録者の問題」を取り上げている、稲岡耕二「巻五の論」の第一章序論・三「梅花歌の筆録」が興味深いので紹介しておきたい。

 単独の筆録者を想定しうるか、それとも、個々の作品がそれぞれの作者の文字遣いを残すものであると考えうるか、といった二者択一の課題は、梅花歌の用字の帰趨にも象徴的に現われているようにみえる。といっても私は、巻五全体についての用字継続の問題(本章冒頭から用いているように、誰の文字遣いを残すかをいう)と、梅花歌三十二首のそれとが本質的に全く等しい性格の課題だと考えているわけではない。梅花歌は、三十二首が一群をなす、いわば大宰府圏歌人群の共作ともいうべき歌群である。その成立、言い換えれば文字化が、いかなる経緯を持つものかについては、独自の成立論的な問題性をはらんでもいよう。各人が吟誦する歌を特定の筆録者が記録することにより、文字文学として定着をみたものとすれば、用字論の射程内に各作者の介入する可能性は全くないことになる。編者の書き改めとは次元の異なる問題が、そこには考えられるのである。
 右のような相違を無視し、単独の筆録者を想定しうるか、あるいは作品個々の文字遣いを作者に属せしめうるかの問題として、共通の問題性をあえて指摘するのは、係属決定の論理過程において、従来の論の不備を等しく認めるからにほかならない。もちろん、私の旧稿を含めてのことである。
 ある作品の文字遣いが作者個人に属するものであることを保証する論理とは、いかなるものか、について最も先鋭な解答を要求されるところが、梅花歌三十二首であるといってもよい。あるいは逆に、一連三十二首が単独の筆になることを証する論理を要求されると言いなおしても、右の裏返しにすぎない。
 (中略)
 従来、この歌群の用字について、(1)各歌別すなわち各作者の文字遣いが残されている、と判断する説と、(2)統一的な筆録者を想定しうる、とする説とが対立してきたのは、そのいずれにも明確な論証の欠けていたことを示しもする。稲岡旧稿(国語と国文学昭和三十五年六月・七月)に「この三十二首は、用字上特殊な文字(例えば汗、義、遇、素など)もあり、しかもモの表記もまちまちである点からも、一人の用字を示すものでなく、各個人の用字を示すものと思われる」とのみ記すのは、難問の論理的処理を避けているといわれても仕方のないものである。土居光知氏が『歌に用いられた文字は各人によって相違している』ことを理由に、単独の記録者を否定されたのも、漠然としていて説得的ではない。当然反論が予想しうる。

 以上のように述べた後、橋本達夫「万葉集巻五の筆録者について」が、「梅花歌群における『特殊用字』の散在を、各作者の用字上の趣向とせず、『最初から或一人が筆録した』結果である」としていることを紹介し、それは「土居・稲岡両論と、ほぼ等しい字母に注目しながら逆の推論を導いたものである。」として。続けて次のように述べている。

 梅花歌三十二首の表記に動員された仮名字母は百三十種にのぼり、憶良の神亀五年の長歌四首、短歌八首の仮名百十九種を超える。それだけ多彩な仮名表記が梅花歌では示されているといえる。原田貞義氏が「旅人・憶良両者の用字を加えたものより更に広きにわたっている」と言われるのも(「梅花歌三十二首の 成立事情」万葉五十七号)この歌群の仮名の多様さに注目してのことである。
 等しく特殊な態様に注目しながら、態様の解釈において反対の結論が導かれるのは、先にも言ったように、用字の係属決定の論理的不備によるであろう。木下正俊氏も言われるように「わずか数首の歌を材料として、そこに見えるxならxという仮名が、ある歌人の専用仮名だと言いきれる場合はめったにない」(古典文学全集万葉集二の補論)のであり、その意味で「特殊な文字」とは何か、およびそれが表記者決定の条件となりうるか否か、が精密に測定されねばならない。従来の梅花歌に関する論議は、必ずしもそうした検討に十分堪えうるものとはいえないであろう。自戒をこめて記しておきたい。

 以上のように、従来の論議についての概括と反省の弁を述べた後、梅花歌の表記の、注目すべき徴証をあげて論を展開していくのだが、それについては次回に紹介することとする。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 21:21| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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