2017年07月26日

『万葉集』を訓(よ)む(その1186)

 今回は889番歌を訓む。886番歌(以下、「長歌」という)の反歌三首目である。
 写本にほぼ異同はなく、原文は次の通り。なお五句に異伝がある。

  家尓阿利弖 波々何刀利美婆
  奈具佐牟流 許々呂波阿良麻志 
  斯奈婆斯農等母  [一云 能知波志奴等母]

  本歌で使われている万葉仮名は次の通り。
 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ナ音の「奈」・ヌ音の「奴」・ラ音の「良」・リ音の「利」・ロ(乙類)音の「呂」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・ム音の「牟」・ル音の「流」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、チ音の「知」・ハ音の「波」・ミ(甲類)音の「美」が使われている。その他の常用音仮名としては、グ音の「具」・コ(乙類)音の「許」・サ音の「佐」・シ音の「斯」と「志」・テ音の「弖」・ト(甲類)音の「刀」・ト(乙類)音の「等」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)音の「能」・バ音の「婆」・マ音の「麻」・モ音の「母」が使われ、音仮名では、ガ音の「何」・ヌ音の「農」が使われている。なお、一句の「家」は正訓字である。

 1句「家尓阿利弖」は「家(いへ)にありて」と訓む。この「家(いへ)」は熊凝(くまごり)の家をいう。「尓」は場所を示す格助詞「に」。「阿利」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」(連用形)を表す。「弖」は接続助詞「て」。
 2句「波々何刀利美婆」は「ははがとりみば」と訓む。「波々」は「はは(母)」で、熊凝(くまごり)のお母さんをいう。「何」は格助詞「が」。「刀利美」は、マ行上一段活用の他動詞「とりみる(取り見る)」の未然形「とりみ」を表す。「とりみる」は「看病する。介抱する。」の意。「婆」は仮定条件を示す接続助詞「ば」。
 この1句・2句は、「長歌」の25句・26句に「家尓阿良婆・母刀利美麻志(家(いへ)にあらば・母(はは)とりみまし)」と詠んだのを承けたもの。
 3句「奈具佐牟流」は「なぐさむる」と訓む。「奈具佐牟流」は、マ行下二段活用の他動詞「なぐさむ(慰む)」の連体形「なぐさむる」。「なぐさむ」は「心をなごやかに静まらせる。心を晴らす。気をまぎらせる。」ことをいう。
 4句「許々呂波阿良麻志」は「こころはあらまし」と訓む。「許々呂」は、「こころ(心)」。「波」は係助詞「は」。「阿良」は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の未然形「あら」を表す。「麻志」は、反実仮想の助動詞「まし」。
 澤潟『萬葉集注釋』は「慰むる心はあらまし − 「なぐさもる心もあらず」(二・一九六)ともあり、そこで述べたやうに、自分を慰む心もあらうものを、の意。」という訓釋を付けている。
 5句「斯奈婆斯農等母」は「しなばしぬとも」と訓む。「斯奈婆」は、ナ行変格活用の自動詞「しぬ(死ぬ)」の未然形「しな」+仮定条件を示す接続助詞「ば」=「しなば」を表し、「斯農」は「しぬ(死ぬ)」を表す。「等母」は、仮定条件を示す接続助詞「とも」。
 異伝 [一云 能知波志奴等母] は[一に云(い)ふ のちはしぬとも] と訓む。「能知」は、「のち(後)」で、時間的に、ある時よりあとをいう。「波」は4句に同じで、係助詞「は」。「のちは」は「ついには。結局は。」の意。「志奴」は、5句の「斯農」と同じく、「しぬ(死ぬ)」。「等母」は5句に同じで、仮定条件を示す接続助詞「とも」。
 889番歌の平仮名文及び漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  いへにありて ははがとりみば
  なぐさむる こころはあらまし 
  しなばしぬとも [のちはしぬとも]

  家にありて 母がとり見ば
  慰むる心は あらまし
  死なば死ぬとも  [後は死ぬとも]

  家にいて 母が看病して下さったら
  自分を慰めることも できたであろうに
  たとえ死ぬにしても [ついには死ぬにしても]
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 18:03| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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