2017年12月22日

『万葉集』を訓(よ)む(その1227)

 今回は904番歌の50句から66句を訓む。ここで使われている万葉仮名について、まず見ておこう。

 片仮名・平仮名の字源となった常用音仮名では、ウ音の「宇」・ク音の「久」・シ音の「之」・ナ音の「奈」・ヌ音の「奴」・ネ音の「祢」・ノ(乙類)の「乃」・ホ音の「保」・モ音の「毛」・リ音の「利」・レ音の「礼」が使われている。片仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「阿」・イ音の「伊」・ス音の「須」・タ音の「多」・ル音の「流」・ヲ音の「乎」が、平仮名の字源となった常用音仮名では、ア音の「安」・チ音の「知」・ハ音の「波」・ミ(甲類)音の「美」・ム音の「武」が使われている。その他の常用音仮名としては、カ音の「可」・ガ音の「我」・ケ(甲類)音の「家」・コ(甲類)音の「古」・コ(乙類)音の「許」・サ音の「佐」・ザ音の「射」・ツ音の「都」・ト(乙類)音の「登」と「等」・ド(乙類)音の「杼」・ニ音の「尓」・ノ(乙類)の「能」・バ音の「婆」・フ音の「布」・メ(乙類)音の「米」・ヤ音の「夜」・エ音の「延」・ヨ(乙類)音の「余」・リ音の「里」が使われ、準常用音仮名では、ビ(甲類)の「婢」・レ音の「例」が、音仮名では、キ(甲類)音の「吉」・ゲ(乙類)音の「氣」・ド(乙類)音の「登」が使われている。

 50句・51句「立阿射里・我例乞能米登」は「立(た)ちあざり・我(わ)れ乞(こ)ひのめど」と訓む。「立」はタ行四段活用の自動詞「たつ」の連用形「立(た)ち」。ここの「たつ」は補助動詞で、他の動詞の連用形に付いて、「さかんに…する。すっかり…する。」の意。「阿射里」は、ラ行四段活用の自動詞「あざる」の連用形「あざり」を表すと思われるが、「あざる」の語義は未詳である。ラ行下二段活用の自動詞「あざる(戯る)」との関係から、「取り乱し騒ぐ」の意か、と見られる。一説には、「あ(足)」「さる(移動する)」で、「うろうろ歩きまわる」意か、とも言われるが、ここは「すっかり取り乱して」の意としておく。「我例」は、自称「我(わ)れ」。「乞能米」は、44句に既出のマ行四段活用の他動詞「こひのむ」の已然形「乞(こ)ひのめ」。「こひのむ」は、「神に請い祈る。請願する。祈願する。」ことをいう。「登」はト(乙類)音の常用音仮名であるが、ここはド(乙類)音の音仮名に用いたもので、逆接の既定条件を示す接続助詞「ど」を表す。
 52句・53句「須臾毛・余家久波奈之尓」は「しましくも・よけくはなしに」と訓む。52句「須臾毛」は、119番歌3句と同句で「しましくも」と訓む。「しまし」は「しばし」の古形で、限定された少時間内の意を表わす語。「わずかの間。少時。当分。」の意。それに副詞語尾「く」が付いたのが「しましく」で多く下に助詞「も」を伴って用いられる。「須臾(しゅゆ)」は、「暫くの間」を意味する仏教語で、その意から「しましく」に充てられたもの。「毛」は係助詞の「も」。「余家久」は、30句の「与家久」と同じく、ク活用形容詞「よし(良し)」のク語法「よけく」を表し、「良いこと」の意。「波」は係助詞「は」。「奈之尓」は、形容詞の終止形「なし」に助詞の「に」の付いた連語で、「無くて。あらずに。無いのに。」の意。
 54句・55句「漸々・可多知都久保里」は「漸々(やくやく)に・かたちつくほり」と訓む。「漸々」は、「ようやく」の古形の「漸々(やくやく)」に「に」を添えて「漸々(やくやく)に」と訓み、「次第次第に」の意。「可多知」は、「かたち(形)」で、「容姿」の意。次の「都久保里」が難解で、通説では「久都保里」の誤写として「崩(くづ)ホリ」と訓んでいるが如何なものであろうか。井村『萬葉集全注』はこの句について、次のように注している。

○形つくほり(可多知都久保里) 形は容姿。ツクホリが難解とされる。古日を病が冒すところとなって、その容姿が日々に衰えてゆくありさまを言うらしいが、明解を得ない。今、『日本国語大辞典』(小学館)、『全国方言辞典』(東京堂)を検索すると、方言にツクボルの項があり、しゃがむ、うずくまる等の意として、伊勢、京都、大阪、奈良その他の地方に分布するようである。同源の語として、ツクモル、ツクバル、ツクマル、ツクマウ、ツクバウ、ツクバム、ツクナル、ツクネル、ツグナム、ツクナウ等の語も各地に分布するようである。身を折り屈する状態を言うのであろう。もしこれらと、問題の都久保里(つくほり)とを同源の語と見做すことができるなら、「漸(やく)々に  形つくほり」は「だんだんとその身が縮みかがまり」という意味と解される。これはあるいは病衰の容態をいたいたしく表現したものとして、通説の「崩(くづ)ホリ」説よりも輪郭のはっきりしたイメージとなるのではあるまいか。すくなくとも「都久」二文字の転倒とする仮定は排除できる。(後略)

 この句についての訓釈については、通説よりも井村説を支持したい。 
 56句・57句「朝々・伊布許等夜美」は「朝(あさ)な朝(あさ)な・いふことやみ」と訓む。「朝々」は、「朝(あさ)な朝(あさ)な」と訓み、「朝ごとに。毎朝。」の意。「伊布許等」は、「いふこと(言ふこと)」。「夜美」は、マ行四段活用の自動詞「やむ(止む)」の連用形「やみ」。「朝(あさ)な朝(あさ)ないふことやみ」は、「朝ごとに言う言葉もなくなってきて」の意。
 58句・59句「霊剋・伊乃知多延奴礼」は「たまきはる・いのちたえぬれ」と訓む。58句「霊剋」は、678番歌3句・897番歌1句と同句で「たまきはる」と訓む。四番歌1句の「玉尅春」とも表記は異なるが同句。「霊」は「たま、たましい」の意。「剋」は「尅」と同じで、「刻む、切る」の意。「たまきはる」は枕詞で、語義及びかかり方は未詳だが、次のような言葉にかかる。
 ⑴「内」にかかる。4番歌と897番歌はこの例。
 ⑵「命(いのち)」にかかる。678番歌と本歌はこの例。
 ⑶「磯(いそ)」「幾世(いくよ)」にかかる。4003番歌に「いくよ」にかかる例がある。
 ⑷「世(よ)」「憂(う)き世」にかかる。2398番歌に「世」にかかる例がある。 
 ⑸「吾が」「立ち帰る」「心」などにかかる。1912番歌に「吾が」にかかる例がある。
「伊乃知」は「いのち(命)」。「多延奴礼」は、ヤ行下二段活用の自動詞「たゆ(絶ゆ)」の連用形「たえ」+完了の助動詞「ぬ」の已然形「ぬれ」=「たえぬれ」を表す。「たゆ(絶ゆ)」は、「命がなくなる。息が泊まる。」意。「たえぬれ」は、「たえぬれば」と同じで既定条件を示す。
 60句・61句「立乎杼利・足須里佐家婢」は「立(た)ちをどり・足(あし)すりさけび」と訓む。「立乎杼利」は、ラ行四段活用の自動詞「たちをどる」の連用形「立(た)ちをどり」。「たちをどる」は「悲しさ、口惜しさのあまり足をあげて、踊るようにする。立ってはね回る。」ことをいう。「足須里」は、ラ行四段活用の自動詞「あしする」の連用形「足(あし)すり」。「あしする」は「足を地にすりつけるようにしてばたばたする。じだんだを踏む。」意で、嘆きや怒りのはげしい時にする動作。「佐家婢」は、バ行四段活用の自動詞「さけぶ(叫ぶ)」の連用形「さけび」。「さけぶ」は「大声で言う。大きな声を発する。」意で、特に、助けを求めたり、何かを訴えたりする場合についていう。
 62句・63句「伏仰・武祢宇知奈氣吉」は「伏(ふ)し仰(あふ)ぎ・むねうちなげき」と訓む。「伏仰」は、ガ行四段活用の自動詞「ふしあふぐ」の連用形「伏(ふ)し仰(あふ)ぎ」。「ふしあふぐ」は「うつぶせになったり、上を仰いだりする。また、身を伏せて上をあおぐ。」ことをいう。「武祢」は「むね(胸)」。「宇知奈氣吉」は、カ行四段活用の自動詞「うちなげく(打ち嘆く)」の連用形「うちなげき」。「うちなげく」は「ため息をつく。嘆息する。悲しみ泣く。」意。
 64句・65句「手尓持流・安我古登婆之都」は「手(て)に持(も)てる・あがことばしつ」と訓む。「手尓持流」は、名詞「手(て)」+タ行四段活用の他動詞「もつ」の已然形(音韻上は命令形)の「持(も)て」+完了・存続の助動詞「り」の連体形「る」=「手(て)に持(も)てる」。「手に持つ」は「所有する」意。井村『萬葉集全注』に「子をわがもの、わが宝と執着する愛見を表現している。」とある。「安我古」は、「あがこ(吾が子)」で、九句に「吾(あ)が子(こ)古日(ふるひ)は」とあった「古日(ふるひ)」をさす。「登婆之都」は、サ行四段活用の他動詞「とばす(飛ばす)」の連用形「とばし」+完了の助動詞「つ」=「とばしつ」。「とばす」の意について、『日本国語大辞典』は、本歌を用例として挙げて「魂などを空にとび去らせる本歌を。死なせる。」意としている。『新日本古典文学大系』の脚注には、「○我が子飛ばしつ 横風のために飛ばしてしまったの意か。あるいは、霊魂を天高く飛ばしてしまったの意か。諸説あって決まらない。」とある。井村『萬葉集全注』は、「○飛ばしつ 世間の理法の前には一切の所有が風に吹き飛ばされる浮塵のようなものだという表現。(後略)」として、「横風(よこしまかぜ)」の縁での表現であるとしている。末句との繋がりからも井村の言うのが当たっているように思われる。
66句「世間之道」は「世間(よのなか)の道(みち)」と訓む。この句は、「貧窮問答歌 」(892番歌)の末句「世間乃道」と「の」の表記が異なるだけで同句。「世間」は、「この世。世の中。」の意で「世間(よのなか)」と訓む。連体助詞「の」の表記に、ここでは漢文の助字「之」を用いている。「道(みち)」は「道理。あり方。」の意。
 904番歌のまとめは、次回に 。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 13:27| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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