2018年04月07日

『万葉集』を訓(よ)む(その1259)

 今回は、929番歌を訓む。題詞に「反歌二首」とあり、本歌と次の930番歌の二首は、928番歌(以下、「長歌」という)の反歌である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  荒野等丹 里者雖有 
  大王之 敷座時者 
  京師跡成宿

 1句「荒野等丹」は「荒野(あらの)らに」と訓む。「荒野(あらの)」は、47・210・213・227番歌に既出。「荒(あら)」は語素で、主として名詞の上について、これと熟合して用いられ、「人手の加わっていない、自然のままの」の意を表わす。従って「荒野(あらの)」は「自然のままのさびしい野」をいう。ここの「等」は「ら」の常用訓仮名で、語調を整える接尾語「ら」。「丹」は「に」の常用訓仮名で、格助詞「に」。
 2句「里者雖有」は「里(さと)は有(あ)れども」と訓む。「里(さと)」(131番歌他に既出)は、「人家のあつまっている所、人の住んでいる所、村落。」をいう。「者」は係助詞「は」。「雖有」(382番歌他に既出)は、ラ行変格活用の自動詞「あり」の已然形「有(あ)れ」+逆接の確定条件を表す接続助詞「ども」(漢文の助字「雖」で表記)で、「有(あ)れども」。
 1句・2句の「荒野(あらの)らに・里(さと)は有(あ)れども」は、「長歌」の1句〜6句の「おしてる 難波(なには)の國(くに)は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷(さと)と 人皆(ひとみな)の 念(おも)ひ息(やす)みて」と詠ったのを承けたものであるのは明らかであろう。
 3句「大王之」は「大王(おほきみ)の」と訓む。「大王(おほきみ)」は、今は「大君」と表記されるのが一般的で、天皇あるいはその子孫を尊敬して言う。ここは聖武天皇をさす。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 4句「敷座時者」は「敷(し)き座(ま)す時(とき)は」と訓む。「敷座」(460番歌他に既出)は、カ行四段の他動詞「しく」の連用形「敷(し)き」+尊敬の意を添える補助動詞「ます」(サ行四段)の連体形「ます」で「敷(し)きます」と訓む。ここの「時(とき)」は、行為や状態を表わす連体修飾句を受け形式名詞として用いたもので、「そうする場合、そういう状態である場合。」を言い、「敷(し)き座(ま)す時(とき)」は「おいでになる時」という意。「者」は係助詞「は」。
 5句「京師跡成宿」は「京師(みやこ)と成(な)りぬ」と訓む。「京師」(886番歌他に既出)は、漢語で音読みでは「けいし」であるが、字義は和語の「みやこ」なので、訓読みでは「京師(みやこ)」と訓む。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。「成宿」は、ラ行四段活用の自動詞「なる」の連用形「成(な)り」+完了の助動詞「ぬ」(「ぬ」の訓仮名「宿」で表記)=「成(な)りぬ」。「なる」は、「物事ができあがる。やっていたことがしあがる。」の意。この句は、「長歌」19句・20句の「廬(いほり)為(し)て・都(みやこ)成(な)したり」と詠ったのを承けたもので、完了の助動詞「ぬ」の表記に「宿」を用いたのも、ナ行下二段活用の自動詞「ぬ」の「旅寝する」の意を込めた用字で、「廬(いほり)為(し)て」に対応させたものと考えられる。
 929番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  荒野(あらの)らに 里(さと)は有(あ)れども
  大王(おほきみ)の 敷(し)き座(ま)す時(とき)は
  京師(みやこ)と成(な)りぬ

  自然のままのさびしい野で この里はあるけれど
  大君が おいでになる時は
  立派な都となりました
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 21:48| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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