2018年04月14日

『万葉集』を訓(よ)む(その1261)

 今回は、931番歌を訓む。題詞に「車持朝臣千年作歌一首[并短歌]」とあり、931番歌は、車持(くるまもち)の朝臣(あそみ)千年(ちとせ)が作った十七句からなる長歌で、次に反歌一首(932番歌)を伴う。車持(くるまもち)の朝臣(あそみ)千年(ちとせ)については、913番歌のところで述べたのでここでは省略する。
 写本の異同としては、8句四字目<波>を『西本願寺本』は「浪」としていることが挙げられるが、『元暦校本』『紀州本』に「波」とあるのを採る。『西本願寺本』は6句の「千重浪」に合わせて「五百重浪」としたものと思われる。原文は次の通り。

  鯨魚取 濱邊乎清三 
  打靡 生玉藻尓 
  朝名寸二 千重浪縁 
  夕菜寸二 五百重<波>因
  邊津浪之 益敷布尓 
  月二異二 日日雖見 
  今耳二 秋足目八方 
  四良名美乃 五十開廻有
  住吉能濱

 1句・2句「鯨魚取・濱邊乎清三」は「鯨魚(いさな)取(と)り・濱邊(はまへ)を清(きよ)み」と訓む。1句の「鯨魚取」は、131番歌11句・153番歌1句・220番歌21句と同句。「鯨魚」は「鯨魚(いさな)」と訓む。「いさな」には二通りの違った意味がある。いずれも「な」は魚のことであるが、「いさ」に「小さな」という意と「鯨」の意があるため、「小さな魚」と「いさ(鯨)という魚」という大きさの対照的な魚を意味することになる。ここは勿論「くじら(鯨)」の異名である「いさな」。「取」はラ行四段活用の他動詞「とる」の連用形で「取(と)り」。上代では「鯨魚(いさな)取(と)り」の形で枕詞として用いられ、鯨を取る所の意で、海、浜、灘(なだ)など海に関する語にかかる。ここも次の「濱(浜)」にかかる。「濱邊」(566番歌他に既出)は、「濱邊(はまへ)」と訓む。「濱」は「浜」、「邊」は「辺」の旧字で、「濱邊」は「浜辺」に同じ。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「を」。「清三」は、ク活用形容詞「きよし」の語幹に原因・理由を示す接続助詞「み」(甲類の常用訓仮名「三」で表記)の付いた「清(きよ)み」。「濱邊(はまへ)を清(きよ)み」は、「浜辺が清らかなので」の意。
 3句・4句「打靡・生玉藻尓」は「打(う)ち靡(なび)き・生(お)ふる玉藻(たまも)に」と訓む。3句の「打靡」には、46・87・260・433・475・505・509番歌に同句があり、カ行四段活用の自動詞「うちなびく」を表すが、この二字だけの表記では、連用形にも連体形にも訓める。既出例では46・505・509番歌は「打(う)ち靡(なび)き」と連用形に、87・260・433・475番歌は「打(う)ち靡(なび)く」と連体形に訓んだ。ここは、連用形に訓んで4句に続く。「うちなびく」は「草木、髪などがさっと横に伏せる。」ことをいう。「生玉藻」は、194番歌の4句に既出。「生」はハ行上二段活用の自動詞「おふ」の連体形で「生(お)ふる」。「おふ」は「(草木・毛などが)はえる。生じる。」ことをいう。「玉藻(たまも)」は「美しい藻」の意で、「玉」は美称。「尓」はニ音の常用音仮名で、格助詞「に」。
 5句・6句「朝名寸二・千重浪縁」は「朝(あさ)なぎ[凪]に・千重(ちへ)浪(なみ)縁(よ)[寄]せ」と訓む。5句は、509番歌の29句と同句。「朝名寸」は「朝(あさ)なぎ[凪]」。「名」「寸」は、「な」「き(甲類)」の常用訓仮名。ここでは「寸」を「ぎ」に流用したもの。「朝凪」は「朝、陸風と海風が吹き変わる時の現象で、海辺の風が一時止まること。」をいう。「二」はニ音の音仮名(片仮名の字源)で、時間を指定する格助詞「に」。「千重(ちへ)浪(なみ)」(409番歌2句に既出)は、「幾重にも重なって寄せてくる波」をいう。「浪(なみ)」は「風や震動などによって水の表面に起こる起伏運動。水面のうねり。」をいう。「波浪」という同義の二字熟語があるように、「なみ」は「波」とも「浪」とも書かれるが、『万葉集』では、「波」はハ音の常用音仮名として用いられる事が多く、「なみ」の表記には「浪」の字を用いる事が多い。「縁」はサ行下二段活用の自動詞「よす」の連用形で「縁(よ)[寄]せ」。「よす」は「波が岸などに迫り近づく。打ち寄せる。」ことをいう。
 7句・8句「夕菜寸二・五百重波因」は「夕(ゆふ)なぎ[凪]に・五百重(いほへ)波(なみ)因(よ)[寄]す」と訓む。7句は、509番歌の31句「暮名寸二」と表記は異なるが同句。「夕菜寸」は「夕(ゆふ)なぎ[凪]」。「菜」は「な」の訓仮名で、「寸」は5句に同じく「ぎ」に流用したもの。「夕凪」は「海岸地方で、夕方、海風と陸風と交替するとき、一時海上や沿岸部が無風状態となること。」をいう。「二」も5句に同じで、時間を指定する格助詞「に」。「五百重(いほへ)波(なみ)」(568番歌3句に「五百重浪」の表記で既出)は、6句の「千重(ちへ)浪(なみ)」と同じく「幾重にも重なって寄せてくる波」をいう。「因」は、6句の「縁」と同じくサ行下二段活用の自動詞「よす」で、ここは終止形で「因(よ)[寄]す」。
 5句〜8句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は、「朝凪に千重波寄せ 夕凪に五百重波寄す 二句と二句の対句。朝凪と夕凪、千重波と五百重波が対偶語としておかれている。」と注している。
 9句・10句「邊津浪之・益敷布尓」は「邊(へ)つ浪(なみ)の・益(いや)しくしくに」と訓む。「邊(へ)」は、「沖」に対して「岸辺。浜辺。」を意味する。「津」は「つ」の常用訓仮名で、連体修飾の格助詞「つ」。「浪(なみ)」は6句「千重(ちへ)浪(なみ)」で既出。「之」は漢文の助字で、格助詞「の」。10句は、923番歌の14句「弥益々尓」と表記は異なるが同句で、「益(いや)しくしくに」。「益」(214番歌他に既出)は、「ますます」の字義から、同じ意の副詞「いや」と訓む。「敷布尓」は、206番歌3句に既出で、「敷」「布」ともに「しく」を表すのに用いた借訓字。「しくしく」は、動詞「しく(頻)」を重ねてできた語で、物事があとからあとから重なり起こるさまをいう。「あとからあとから。しきりに。たえまなく。」「に」「も」「と」を伴って用いることもあり、ここは「に」(ニ音の常用音仮名「尓」で表記)を伴った例で「しくしくに」。
 11句以降は、次回に続く。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 21:57| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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