2018年04月17日

『万葉集』を訓(よ)む(その1262)

 今回は、931番歌の11句からを訓む。
11句・12句「月二異二・日日雖見」は「月(つき)に異(け)に・日(ひ)に日(ひ)に見(み)とも」と訓む。11句は、698番歌の5句「月二日二異二」の「日二」がない形。「月(つき)」は、時間の単位。「二」はニ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「に」。「異(け)に」は形容動詞「異(け)なり」の連用形。「異(け)なり」は「異なるさま。格別のさま。」をいう。「月(つき)に異(け)に」は、「月毎に変わって。月を追う毎にますます。」の意。「日日」は、副詞の「日(ひ)に日(ひ)に」で、「日ごとに。毎日毎日。」の意。「雖見」は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の連用形「見(み)」+、逆接の仮定条件を示す接続助詞「とも」(漢文の助字「雖」で表記)=「見(み)とも」。「日(ひ)に日(ひ)に見(み)とも」は、「毎日見ても」の意で、14句の「あき[飽き]足(た)らめやも」に続く。
 13句・14句「今耳二・秋足目八方」は「今(いま)のみに・あき[飽き]足(た)らめやも」と訓む。「今(いま)」(790番歌他に既出)は「過去と未来との境になる時。現在。」をいう。「耳二」(372番歌12句に既出)は、限定を表わす副助詞「のみ」(限定・強意を表わす漢文の助字「耳」で表記)+格助詞「に」(11句に既出の「二」で表記)=「のみに」。「秋足」は、ラ行四段活用の自動詞「あきたる」の未然形「あき[飽き]足(た)ら」。「秋」は「あき」を表すための借訓字。「あきたる」は、「十分満たされたという気持ちになる。満足する。」の意。「目八方」(763番歌他に既出)は、推量の助動詞「む」の已然形「め」+反語の意を表す係助詞「や」+詠嘆の終助詞の「も」=「めやも」。「目」「八」は、「め」「や」を表わす常用訓仮名。「方」は「おも」と訓むことから「も」に用いたもので、「跡(あと)」を「と(乙類)」の常用訓仮名として用いたのと同じ。「今(いま)のみに・あき[飽き]足(た)らめやも」は「今見るだけで、満足できようか、いやできない。」の意。
 15句・16句「四良名美乃・五十開廻有」は「しらなみ[白波]の・い開(さ)き[咲き]廻(めぐ)れる」と訓む。「四」はシ音の音仮名、「良」はラ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「名」は「な」の常用訓仮名、「美」はミ(甲類)音の常用音仮名(平仮名の字源)。「四良名美」は、「しらなみ[白波]」で、「白い波、白くくだける波」の意。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、格助詞「の」。「五十」(674番歌他に既出)は、数の五十を「い」と言ったのに基づく借訓仮名で、語調を整える接頭語「い」を表す。「開」は、カ行四段活用の自動詞「さく」の連用形「開(さ)き」。「開」を「さく」と訓む例は、912番歌他に既出。「さく」は「花のつぼみがひらく」ことをいうので「ひらく」の「開」の字があてられたもの。「廻有」は、ラ行四段活用の自動詞「めぐる」の已然形(音韻上は命令形)+完了・存続の助動詞「り」の連体形「る」(「有」で表記)=「廻(めぐ)れる」。「めぐる」は「物の周囲をひとまわりするようにとりかこむ」ことをいう。15句・16句は、白波の白い波頭を花に見立てて、「い咲き廻れる」と詠んだもの。
 余談になるが、15句の「四良名美(しらなみ)」の表記について考えて見たい。『万葉集』には「しらなみ」を詠んだ歌が六十二首あり、その表記を調べて見ると、漢字表記が、「白浪」三十五例と「白波」五例の四十例、漢字仮名交じり表記として「白那弥」の一例があって、残りの二十一例が仮名表記である。その仮名表記の内訳をみると、「之良奈美」十五例、「志良奈美」二例、「思良奈美」二例、「思良名美」一例、「四良名美」一例となっている。以上から、仮名表記では、常用音仮名のみで表記した「之良奈美」が圧倒的であり、訓仮名の「名」を交えたものは、「思良名美」「四良名美」の二例のみであり、これが特殊な表記であることがわかる。「良名美」には、「良い名を持つ美しい」という意味を持たせたものと考えて間違いないのではないだろうか。本歌の場合では「良い名を持つ美しい」が末句の「住吉(すみのえ)の濱(はま)」を修飾しているように思うがどうであろう。また「し」の表記を数字の「四」としたのは、本歌では、「み」に「三」、「に」は「二」を用い、それ以外にも「千」「五百」「八」「五十」など多くの数字を使うなど、数字遊びによる表記をおこなっているためだと思われる。
 17句「住吉能濱」は「住吉(すみのえ)の濱(はま)」と訓む。「住吉」(394番歌他に既出)は、摂津国の古郡名で、平安初期以降「すみよし」と呼称される。歌枕の一つ。「吉」はエともエシとも訓まれたので、日吉神社ももとヒエであったのがヒヨシとなったのと同じで、「住吉」も萬葉の時代には「すみのえ」と訓まれ、後に「すみよし」となったもの。「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で、連体助詞「の」。「濱」(394番歌他に既出)は、「浜」の旧字で、「海や湖の、水ぎわに沿った平地」をいう。
 931番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  鯨魚(いさな)取(と)り 濱邊(はまへ)を清(きよ)み
  打(う)ち靡(なび)き 生(お)ふる玉藻(たまも)に
  朝(あさ)なぎ[凪]に 千重(ちへ)浪(なみ)縁(よ)[寄]せ
  夕(ゆふ)なぎ[凪]に 五百重(いほへ)波(なみ)因(よ)[寄]す
  邊(へ)つ浪(なみ)の 益(いや)しくしくに
  月(つき)に異(け)に 日(ひ)に日(ひ)に見(み)とも
  今(いま)のみに あき[飽き]足(た)らめやも
  しらなみ[白波]の い開(さ)き[咲き]廻(めぐ)れる
  住吉(すみのえ)の濱(はま)

  (鯨魚とり) 浜辺が清らかなので
  ゆらめいて 生い茂っている玉藻に
  朝凪には 千重波が寄せ
  夕凪には 五百重波が寄せる 
  その浜辺の波の あとからあとから寄せてくるように
  月を重ねて 毎日毎日見ていても
  今見ているだけで 満足できようか
  白波が 花のように美しく咲きめぐる
  住吉の浜は 
posted by 河童老 at 21:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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