2018年05月04日

『万葉集』を訓(よ)む(その1267)

 今回は、935番歌を訓む。題詞に「三年丙寅秋九月十五日幸於播磨國印南野時笠朝臣金村作歌一首[并短歌]」とあって、本歌は、神亀三年の聖武天皇の印南野行幸の際に笠朝臣金村が作った、十九句からなる長歌であり、後ろに反歌二首(936・937番歌)を伴う。題詞の日付について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は「三年九月十五日 続日本紀によれば、神亀三年十月七日に、播磨国に行幸、十九日に、難波宮に行き、二十九日に還幸したとあり、本歌の題詞と合わない。」と述べている。この題詞との不整合について、吉井『萬葉集全注』は、「この題詞形式の根本は金村歌集、または金村の形式に従っているが、大伴家持の手が加えられている」として、「金村の公的作歌の題詞は精しい年時記述をもつが、日数は記述しない。」ことを指摘し、「日数の記述も後に加えられたのであろう。この印南野行幸は、続紀によれば、九月二十七日に装束司、造頓宮司の任命があり、十月七日出発、十日印南野邑美頓宮到着、十九日に難波宮に帰られている。行幸期日の相違も、題詞に手を加えた段階で生じた可能性があり、金村は先発組に入っており、はじめは九月とのみ記述されていたのかもしれない。」と述べている。
 写本の異同としては、4句二字目<帆>の偏を『西本願寺本』が木偏としていることが挙げられるが、これは明らかに間違いだと思われ、古写本に「帆」とあるのを採る。原文は次の通り。

  名寸隅乃 船瀬従所見
  淡路嶋 松<帆>乃浦尓
  朝名藝尓 玉藻苅管 
  暮菜寸二 藻塩焼乍 
  海末通女 有跡者雖聞 
  見尓将去 餘四能無者 
  大夫之 情者梨荷 
  手弱女乃 念多和美手
  俳徊 吾者衣戀流 
  船梶雄名三

 1句・2句「名寸隅乃・船瀬従所見」は「名寸隅(なきすみ)の・船瀬(ふなせ)ゆ見(み)ゆる」と訓む。「名寸隅」は地名で、「兵庫県明石市魚住町の付近という.淡路島を見渡せる船泊りの地.」(『新日本古典文学大系』地名一覧)をいう。「名」「寸」は、「な」「き(甲類)」の常用訓仮名。井上通泰『萬葉集新考』に「今ウヲズミと唱ふれど、もと魚來住(ナキスミ)など書きしを地名は二字に書くべき制によりて來を省きて魚住と書き初はなほナキスミとよみしを漸く字に從ひてウヲズミといふことゝなれるにこそ」とある。「乃」は、ノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「船瀬(ふなせ)」は、「船舶が、風や波を避けるためにとまる所。船の碇泊所。船どまり。」をいう。阿蘇『萬葉集全歌講義』は「『名寸隅の船瀬』は、明石から加古川河口付近にかけて、海蝕崖(潮流または波浪などによって海岸線が後退してできた崖)や砂浜続きで適当な船がかりがなかったから、聖武天皇の頃に僧行基によって、この地に、船の停泊所が作られたという。」と注している。「従」は漢文の助字で、「より。… から。」の意があり、時間・場所の起点を表わす格助詞「ゆ」に用いたもの。「所見」は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+受身・可能・自発の助動詞「ゆ」の連体形「ゆる」(漢文の助字「所」で表記)で「見(み)ゆる」。
 3句・4句「淡路嶋・松帆乃浦尓」は「淡路嶋(あはぢしま)・松帆(まつほ)の浦(うら)に」と訓む。3句は、388番歌3句と同句。「淡路嶋(あはぢしま)」(「嶋」は「島」に同じ)は、「兵庫県南部、大阪湾と播磨灘の間にある瀬戸内海最大の島。面積は約五九三平方キロメートル。中心地は州本市。大鳴門橋で四国と、明石海峡大橋で本州と結ばれている。」(『日本国語大辞典』)。『日本大百科全書』の「淡路島」の歴史の項には「『古事記』や『日本書紀』は、いずれも淡路島を日本で最初に生まれた島として記述するが、このことは淡路の海人(あま)族が早くから畿内(きない)の朝廷に属していたことを物語っている。淡路とは阿波(あわ)国に渡る道筋の島であり、阿波道(あはぢ)の意からきている。」とある。「松帆乃浦」の「乃」は1句に同じで、連体助詞「の」。「松帆(まつほ)の浦(うら)」は、兵庫県淡路市松帆で、淡路島の北端にあたり、藤原定家の「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身も漕がれつつ」の歌でよく知られている歌枕である。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 5句・6句「朝名藝尓・玉藻苅管」は「朝(あさ)なぎ[凪]に・玉藻(たまも)苅(か)りつつ」と訓む。5句は、509番歌29句・931番歌5句の「朝名寸二」と表記は異なるが同句。「朝名藝」は「朝(あさ)なぎ[凪]」。「名」は「な」の常用訓仮名、「藝」はギ(甲類)音の常用音仮名。「朝凪」は「朝、陸風と海風が吹き変わる時の現象で、海辺の風が一時止まること。」をいう。「尓」は4句に既出で、ここは時間を指定する格助詞「に」。6句は、917番歌12句と同句。「玉藻(たまも)」は「美しい藻」の意で、「たま」は美称。「苅」はラ行四段活用の他動詞「かる」の連用形で「苅(か)り」。「かる」は「むらがって生えているものを短く切り払う」ことをいう。「管」は、活用語の連用形に付いて動作の並行・継続を表わす接続助詞「つつ」に宛てた借訓字。
 7句・8句「暮菜寸二・藻塩焼乍」は「暮(ゆふ)なぎ[凪]に・藻塩(もしほ)焼(や)きつつ」と訓む。7句は、509番歌31句「暮名寸二」および931番歌7句「夕菜寸二」と表記は異なるが同句。「暮菜寸」は「夕(ゆふ)なぎ[凪]」。「菜」は「な」の訓仮名で、「寸」は「き(甲類)」の常用訓仮名だが、ここでは「ぎ」に流用したもの。「夕凪」は「海岸地方で、夕方、海風と陸風と交替するとき、一時海上や沿岸部が無風状態となること。」をいう。「二」はニ音の音仮名(片仮名の字源)で、時間を指定する格助詞「に」。「藻塩(もしほ)」は、「海藻を簀の上に積み、潮水を注ぎかけて塩分を多く含ませ、これを焼いて水に溶かし、その上澄(うわず)みを釜で煮つめて製した塩。」をいう。「焼」はカ行四段活用の他動詞「やく」の連用形「焼(や)き」。「やく」は、「火をつけて燃やす。燃焼させる。」ことをいう。「乍」は借訓字で、同じ動作の反復や継続を表わす接続助詞「つつ」に用いたもの。
 阿蘇『萬葉集全歌講義』は、8句の注として、次のように述べている。

 藻塩(もしほ)焼きつつ 万葉集の時代の「藻塩焼き」の方法について、いくつかの説があるうち、廣山堯道氏が、最も多く採られる説として紹介するのは、「乾燥藻を積み重ね、上から海水を注ぎ鹹水をえてこれを煮つめる」方法で、鎌倉初期の顕昭法橋の「モシホタルトハ、ウシホヲ藻ニシメシテ、コレヲタレテヤクナリ、塩木トテ木ニテヤク也、ソレヲモシホヤクトハ申ナリ」(『拾遺抄注』)や『播州名所巡覧図絵』の「藻をかきあつめて、それに入たる潮を焼たるなり」などが、その方法を示しているとする(『古代日本の塩』広山堯道・広山謙介著)。

 9句以降は、次回に続く。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 13:18| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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