2018年05月25日

『万葉集』を訓(よ)む(その1273)

 今回は、939番歌を訓む。題詞に「反歌三首」とあって、本歌から941番歌までの三首は、938番歌(以下、「長歌」という)の反歌である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。
 
  奥浪 邊波安美 
  射去為登 藤江乃浦尓 
  船曽動流

 1句「奥浪」は「奥(おき)[沖]つ浪(なみ)」と訓む。この句は、247番歌1句と同句。「奥浪」は、間に連体修飾の格助詞「つ」を読み添えて「奥(おき)[沖]つ浪(なみ)」と訓む。連体修飾の格助詞「つ」は、主として体言と体言との関係づけを行い、位置や場所について言うものが多い。また、「天つ神」と「国つ神」、「沖つ波」と「辺つ波」、「海(わた)つ霊(み)」と「山つ霊」、「上つ瀬」と「下つ瀬」など、対になって使われるものが多数を占める。
 2句「邊波安美」は「邊波(へなみ)安(しづけ)み」と訓む。「邊波(へなみ)」も247番歌2句に既出で、「海辺に寄せる波。岸辺にうち寄せる波。へつなみ。」の意。「邊」は「辺」の旧字。「安美」は、ク活用形容詞「しづけし」の語幹「安(しづけ)」+理由・原因を示す接続助詞「み」=「しづけみ」。「しづけし」は、「静かである。穏やかである。」ことをいい、「しづけみ」は、いわゆるミ語法で「静かなので」の意。「安」は会意文字で、『字通』に「宀(べん)+女。〔説文〕七下に「靜かなり」とあり、宀に従うのは廟中の儀礼である。宀は家廟(かびょう)。新しく嫁する女は、廟中で灌鬯(かんちょう)(清め)の儀礼をし、祖霊に対して受霊の儀礼をする。卜文に水滴を垂らす字、金文に下に衣をそえる字形があるのは、その安寧の儀礼を示す。里帰りすることを帰寧(きねい)という。」とある。また『名義抄』には「安 ヤスシ・イヅクゾ・シヅカナリ・ヒロシ・イカゾ・スウ・ヤウヤク・ヨシ・トドム・シタガフ・オク」とあり、シヅカナリの訓が見える。「美」はミ(甲類)音の常用音仮名で、平仮名の字源。
 3句「射去為登」は「いさり[漁り]為(す)と」と訓む。「射去」は、「いさり[漁り]」を表す。「射」は「い」の訓仮名で、「去」は「さり」を表すための借訓字。「いさり[漁り]は、「魚貝をとること。漁をすること。」をいう。『日本国語大辞典』は、「いさり」の「語誌」で次のように述べている。

 磯や潟で貝を採る「あさり」に対して、舟で沖に出てする漁。「月傾けば伊射里(イザリ)する海人のともし火」〔万葉‐一五・三六二三〕のように夜、篝火(かがりび)をともしての漁を詠むことが多く、平安以降は「いざり火の」「いざり舟」が「火(ほ)」と掛けられた「ほのか」を導き出すことばとして夜中に燃え盛る恋情を表出するようになった。

 「為」は「長歌」14句に同じで、サ行変格活用の他動詞「す」の終止形「為(す)」。「登」はト(乙類)音の常用音仮名で、接続助詞「と」で、5句に続く。
 4句「藤江乃浦尓」は「藤江(ふぢえ)の浦(うら)に」と訓む。この句は「長歌」8句の「藤井乃浦尓」と同意。「藤江乃浦」は、「藤江(ふぢえ)の浦(うら)」と訓み、「藤井の浦」と同じ所で、「明石市藤江付近の浦」をいう。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名で、片仮名・平仮名の字源。「尓」はニ音の常用音仮名で、場所を示す格助詞「に」。
 5句「船曽動流」は「船(ふね)そ動(さわ)ける」と訓む。この句は、「長歌」10句の「海人船(あまぶね)散動(さわ)き」を承けている。「船(ふね)」は「海人船(あまぶね)」をさす。「曽」はソ(乙類)音の常用音仮名で、強意の係助詞「そ」。「動流」は、カ行四段活用の自動詞「さわく」の已然形「動(さわ)け」+完了・存続の助動詞「り」の連体形「る」=「動(さわ)ける」。「さわく」は「騒ぐ」のことで、上代では「さわく」と清音であった。「動」一字で「さわく」と訓む例は、1238番歌にも見える。「流」はル音の常用音仮名(片仮名の字源)。助動詞「り」が連体形「る」となっているのは、上の係助詞「そ」の係結び。
 939番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  奥(おき)[沖]つ浪(なみ) 邊波(へなみ)安(しづけ)み
  いさり[漁り]為(す)と 藤江(ふぢえ)の浦(うら)に
  船(ふね)そ動(さわ)ける

  沖の波も 浜辺の波も穏やかなので
  漁をしようとして 藤江の浦に
  船がひしめき合って騒いでいる
posted by 河童老 at 17:08| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: