2018年05月31日

『万葉集』を訓(よ)む(その1275)

 今回は、941番歌を訓む。前歌に続いて、938番歌の反歌三首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。
 
  明方 潮干乃道乎 
  従明日者 下咲異六 
  家近附者

 1句「明方」は「明方[明石潟]」と訓む。「明」の一字だけで、地名「明石」を表した既出例は、254番歌2句の「明(あかし)[明石]大門(おほと)」、255番歌4句の「明(あかし)[明石]の門(と)」がある。「方」を「潟(かた)」の意に用いた既出例としては、229番歌1句の「難波方(なにはがた)[潟]」がある。「潟(かた)」は「遠浅の海岸で、潮の満干によって隠れたり現われたりする地。」の意。阿蘇『萬葉集全歌講義』に「明石潟 明石川河口より東部の干潟か。当時の畿内は、東は名張の横川(名張川)、南は紀伊の兄山、西は明石の櫛淵(吉田東伍『大日本地名辞書』は、神戸市垂水区塩屋町東境の境川かという)、北は近江のささなみの逢坂山を境とした。」とある。
 2句「潮干乃道乎」は「潮干(しほひ)の道(みち)を」と訓む。「潮干(しほひ)」(918番歌に既出)は、「潮(しほ)干(ふ)」が名詞化した語で、「潮が引くこと。また、潮が引いたあとの浜。」をいう。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「潮干(しほひ)の道(みち)」は、「潮が引いたあとの浜にできた道」の意。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、経由の場所を示す格助詞「を」。この「を」の下に「行きつつ」などの表現が省略されていると見てよい。
 3句「従明日者」は「明日(あす)よりは」と訓む。この句は、165番歌3句と同句。「従」は漢文の助字で、時間・場所の起点を表す格助詞「より」に宛てたもの。漢文の語順表記で前に書かれているが「明日」の後で訓む。「明日(あす)」は「現在を基点として、次の日。」をいう。「者」は漢文の助字でその用法から、係助詞「は」を表すのに用いたもの。
 4句「下咲異六」は「下(した)咲(ゑ)ましけむ」と訓む。ここの「下(した)」は「こころ。心の奥。内心。心中。」の意。「咲異」は、シク活用形容詞「ゑまし」の未然形「咲(ゑ)ましけ」。未然形であることを明示するため活用語尾「け」を「け(甲類)」の常用訓仮名「異」で表記したもの。「ゑまし」は、動詞「えむ(笑)」が形容詞化したもので、「心が和やかになって思わず微笑みを浮かべたくなる気持ちである。ほほえましい。」の意。なお、「咲」の字は『古事記』の使用例では全て「笑ふ」の意に用いられており、「咲」は「笑」の通用文字であったことが知られる。「六」は「む」の常用訓仮名で、推量の助動詞「む」を表す。
 5句「家近附者」は「家(いへ)近附(ちかづ)けば」と訓む。「家(いへ)」は前歌(937番歌)と同じで、「自分の住まい。わが家。故郷の家。」の意。「近附」は、カ行四段活用の自動詞「ちかづく」の已然形「近附(ちかづ)け」。「ちかづく」は、「距離が近くなる。側に寄る。近寄る。」ことをいう。ここの「者」は、既定条件を示す接続助詞「ば」を表すのに用いたもの。
 941番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  あかしがた[明石潟] 潮干(しほひ)の道(みち)を
  明日(あす)よりは 下(した)咲(ゑ)ましけむ
  家(いへ)近附(ちかづ)けば

  明石潟の 潮のひいた道を通って
  明日からは 心中ほほえまれるだろう
  家に近づくので
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 14:01| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: