2018年06月05日

『万葉集』を訓(よ)む(その1276)

 今回は、942番歌を訓む。題詞に「過辛荷嶋時山部宿祢赤人作歌一首[并短歌]」とあって、「山部宿祢赤人」が「辛荷嶋」を「過ぐる時」に詠んだ二十五句からなる長歌であり、後に反歌三首(943〜945番歌)を伴う。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  味澤相 妹目不數見而 
  敷細乃 枕毛不巻 
  櫻皮纒 作流舟二 
  真梶貫 吾榜来者 
  淡路乃 野嶋毛過 
  伊奈美嬬 辛荷乃嶋之 
  嶋際従 吾宅乎見者 
  青山乃 曽許十方不見 
  白雲毛 千重尓成来沼 
  許伎多武流 浦乃盡 
  徃隠 嶋乃埼々 
  隈毛不置 憶曽吾来 
  客乃氣長弥

 1句・2句「味澤相・妹目不數見而」は「あぢさはふ・妹(いも)が目(め)かれて(離れて)」と訓む。1句は、196番歌の47句と同句。「味澤相」は「あぢさはふ」を表すための借訓字。「あぢさはふ」は、『萬葉集』に五例あるが、全て表記は「味澤相」。枕詞として使われたが、語義、かかり方ともに未詳である。阿蘇『萬葉集全歌講義』の注に「あぢさはふ 『目』にかかる枕詞。井出至氏は、目にあじ鴨(ともえ鴨)をとる網の目をかけているとし、サハフをさえぎる意の下二段活用の他動詞サフの未然形サヘが、サハに転じ、それに反復継続の意の接尾語フがついたものとした(「枕詞あぢさふの背後」国語国文 昭三二・七)。」とある。「妹目」は、間に連体助詞「が」を補読して「妹(いも)が目(め)」と訓む。「目」は顔の代表であり、顔を見る、会うことを「目を見る」という。「不數見而」は、旧訓にシバミズテとあったが、それでは一句が九音になるので、賀茂真淵『萬葉考』は「數」を除いてミズテと訓んだ。加藤千蔭『萬葉集略解』に「宣長は不數見而にて、かれてと訓まむといへり」と宣長説を紹介しこれを採用して以後は、これに諸注従っている。「かる(離る)」は、ラ行下二段活用の自動詞で、「空間的、時間的、心理的に対象との間隔が大きくなる。離れる。」ことをいう。「妹(いも)が目(め)かれて」は「妻と離れて」の意。同様の表現の既出例として、300番歌4句の「妹(いも)を目離(めか)れず」がある。
 3句・4句「敷細乃・枕毛不巻」は「敷細(しきたへ)の・枕(まくら)も巻(ま)かず」と訓む。3句は、438番歌3句・633番歌3句の「敷細之」と連体助詞「の」の表記は異なるが同句。「敷細」は「敷栲」「敷妙」と同じく「しきたへ」と訓む。連体助詞「の」はここではノ(乙類)音の常用音仮名で片仮名・平仮名の字源である「乃」で表記。「しきたへの」は、敷栲が寝具の意となるところから、寝具として使われる「床」「枕」「手枕」などにかかる枕詞として用いられた。ここは次の「枕」にかかる。「枕(まくら)」は、633番歌他にも既出で、「寝る時に頭をのせて、頭を支える道具。」をいう。「毛」はモオンの常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「も」。「不巻」は、カ行四段活用の他動詞「まく」の未然形「巻(ま)か」+打消しの助動詞「ず」(連用形。漢文の助字「不」で表記)で。「巻(ま)かず」と訓む。「まく」は「枕にする。枕にして寝る。」意。
 5句・6句「櫻皮纒・作流舟二」は「櫻皮(かには)纒(ま)き・作(つく)れる舟(ふね)に」と訓む。「櫻皮(かには)」は、「植物『うわみずざくら(上溝桜)』の古名。また、その樹皮。」をいう。上代においては、舟に巻いたり、種々の器物に張ったり、曲げ物などを縫い合わせたりするのに用いられた。「纒」はカ行四段活用の他動詞「まく」の連用形「纒(ま)き」。ここの「まく」は、「物の周りにぐるぐると絡ませる。まといつかせる。」意。「作」はラ行四段活用の他動詞「つくる」の已然形「作(つく)れ」。「つくる」は、「新しく物をこしらえる。製造する。製作する。組み立てる。」ことをいう。「流」はル音の常用音仮名(片仮名の字源)で、完了の助動詞「り」の連体形「る」に用いたもの。「舟(ふね)」は「水の上に浮かべ、人や荷物をのせて水上を渡航する交通機関。」をいう。「二」はニ音の音仮名(片仮名の字源)で、格助詞「に」。
 7句・8句「真梶貫・吾榜来者」は「真梶(まかぢ)貫(ぬ)き・吾(わ)が榜(こ)ぎ来(く)れば」と訓む。「真梶(まかぢ)」(366番歌に既出)は、「左右そろった梶」の意。「梶」は、船を漕ぐのにもちいる道具で、「櫓」や「櫂」の総称。「櫓」は、奈良時代に中国から導入され、それまでの「櫂」に代わって広く普及したとされるので、ここの「梶」も「櫓」であったものと思われる。「貫」はカ行四段活用の他動詞「ぬく」の連用形「貫(ぬ)き」。「ぬく」は「突き破ったり、しみ通らせたりして向こう側へ出す。」ことをいう。8句は、220番歌14句と同句。「吾」は格助詞「が」を補読して「吾(わ)が」と訓む。「榜」は、ガ行四段活用の他動詞「こぐ」の連用形で「榜(こ)ぎ」。「こぐ」は「櫓(ろ)や櫂(かい)などを用いて船を進める」ことを言う。なお、現在「こぐ」に普通使われる「漕」の字は『萬葉集』には見られない。「来者」は、カ行変格活用の自動詞「く」の已然形で「来(く)れ」+順接の確定条件を表す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用)=「来(く)れば」。
 9句・10句「淡路乃・野嶋毛過」は「淡路(あはぢ)の・野嶋(のしま)も過(す)ぎ」と訓む。9句は。933番歌の11句と同句。「淡路(あはぢ)」は、南海道六カ国の一つで、瀬戸内海東部にある淡路島全体をいい、古代より荘園が多く置かれた所である。「乃」は、3句に同じで、連体助詞「の」。「野嶋」は、250番歌4句に「野嶋(のしま)の埼(さき)に」として詠まれた所で、現在の兵庫県淡路市野島。淡路島の北端から西側に約四キロの地。「毛」は4句に同じで、係助詞「も」。「過」はガ行上二段活用の自動詞「すぐ」の連用形で「過(す)ぎ」。「すぐ」は「ある場所の近くを通って、そこから離れ去って行く。」ことをいう。
 11句以降は次回に続く。
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 21:48| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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