2018年06月08日

『万葉集』を訓(よ)む(その1277)

 今回は、942番歌の11句からを訓む。
 11句・12句「伊奈美嬬・辛荷乃嶋之」は「いなみ[印南]つま・辛荷(からに)の嶋(しま)の」と訓む。「伊」「奈」「美」は、各々、イ音・ナ音・ミ(甲類)音の常用音仮名で、「伊」は片仮名の、「奈」は片仮名・平仮名の、「美」は平仮名の字源。「伊奈美」で以って、地名「いなみ[印南]を表す。「嬬」は「つま」を表すための借訓字。「いなみ[印南]つま」は、509番歌37句の「稲日(いなび)つま」と同じで、兵庫県高砂市の加古川河口の三角洲上にあった島かという。509番歌のところでも述べたが、『播磨風土記』にはナビツマという形で見え、景行天皇が印南の別嬢(わきいらつめ)に求婚した時に、それを聞いて驚いた別嬢がこの島に逃げ渡って隠れたので、その島を「南毗都麻(なびつま)(隠び妻)」という、との伝説を載せている。「辛荷乃嶋」は、「辛荷(からに)の嶋(しま)」と訓む。「乃」は、3句・10句に同じで、連体助詞「の」。「辛荷」は「唐荷」とも「韓荷」とも書かれる。阿蘇『萬葉集全歌講義』に詳しく注されているので、後に[参考]として引用しておく。「之」は漢文の助字で、連体助詞「の」。
 13句・14句「嶋際従・吾宅乎見者」は「嶋(しま)の際(ま)ゆ・吾宅(わぎへ)を見(み)れば」と訓む。13句は、429番歌1句の「山際従」と同じ表現で、「山」が「嶋」に変わっただけ。「嶋際」は、「嶋(しま)の際(ま)」と訓み、「嶋の間」のこと。「従」は、漢文の助字で「より。… から。」の意の格助詞「ゆ」に用いたもの。「吾宅」は、663番歌2句の「吾家」と同じく、「わがいへ」がつづまった「吾宅(わぎへ)」と訓む。「わぎへ」は「自分の家」の意。「わぎへ」の仮名書きの既出例としては、841番歌4句の「和企弊」・859番歌2句の「和伎覇」がある。「乎」はヲ音の常用音仮名(片仮名の字源)で、動作の対象を示す格助詞「を」。「見者」は、322番歌他に既出、マ行上一段活用の他動詞「見る」の已然形「見れ」+順接の確定条件を表わす接続詞「ば」で、「見(み)れば」。
 15句・16句「青山乃・曽許十方不見」は「青山(あをやま)の・そことも見(み)えず」と訓む。「青山(あをやま)」(377・688番歌に既出)は、「草木が青々と茂っている山」をいう。「青山」を詠み込んだ歌は『万葉集』に七首あるが、本歌が三首目。「乃」は12句と同じく、連体助詞「の」。「曽」はソ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)、「許」はコ(乙類)の常用音仮名。「曽許」で以って、不定の場所をさし示す代名詞「そこ」を表す。「十」は「と(乙類)」の訓仮名で、格助詞「と」。「方」は「も」の訓仮名で、係助詞「も」。「不見」は、ヤ行下二段活用の自動詞「みゆ」の未然形で「見(み)え」+打消しの助動詞「ず」(連用形。漢文の助字「不」で表記)=「見(み)えず」。
 17句・18句「白雲毛・千重尓成来沼」は「白雲(しらくも)も・千重(ちへ)に成(な)り来(き)ぬ」と訓む。17句は、243番歌3句と同句。「白雲(しらくも)」は「白い雲。白く見える雲。」「白」を「しら」と訓む語としては他に「白波」「白露」「白玉」などがあるが、「白栲」は「しろたへ」と訓むので、複合語の場合に「しら」と訓むと言い切ることはできないので、この母音交替は、「露出形」と「被覆形」ということでもないようだ。「毛」は、モ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、係助詞「も」。「千重(ちへ)」(932番歌他に既出)は、「数多くかさなること」をいう。「尓」はニ音の常用音仮名で、動作の状態を示す格助詞「に」。「成」はラ行四段活用の自動詞「なる」の連用形「成(な)り」。「来」はカ行変格活用の自動詞「く」の連用形「来(き)」。「沼」は「ぬ」の常用訓仮名で、完了の助動詞「ぬ」を表す。「千重(ちへ)に成(な)り来(き)ぬ」は、「幾重にもなった」の意。
 19句以降は、次回に続く。

[参考]阿蘇『萬葉集全歌講義』より

[唐荷の島]兵庫県たつの市御津(みつ)町室津(むろつ)の藻振鼻(もぶりはな)の西南二キロメートルの沖に、西より沖の唐荷、中の唐荷、地の唐荷の三島として存在する。無人島である。沖の唐荷と中の唐荷との間には岩礁がつらなり、干潮時に姿を見せる。地の唐荷の東方近くにも暗礁があり、現代でも、ここで難破する船が多いという。なお、唐荷島が一望できる藻振鼻には、犬養孝氏筆の赤人の歌(九四三番歌)の歌碑がある。播磨国風土記揖保郡浦上の里条に、韓人の船が難破して、その漂流物がこの島に着いたという地名起源説話を載せている。左記に示す。

 神島。伊刀島の東にある。神島というわけは、この島の西のあたりに、石でできた神がおいでになる。形が、仏像によく似ている。だから、その神の像によって島の名とした。この神の顔に、五色の玉がある。また、胸に流れ伝う涙がある。この涙も五色に輝いている。涙を流しているわけは、応神天皇のみ世に、新羅から旅人がやってきた。そうしてこの神の立派な様子を見て、すばらしく珍しい玉だと思い、神像の顔面をくじり、その眼球をえぐり取った。神はそれで涙を流した。そして神は、怒るやいなや暴風を起こし、旅人の船を打ち壊した。船は、高島の南の海岸にただよい沈んで、乗っていた人はすべて死んだ。そこでその浜に埋葬した。それで名付けて韓浜(からはま)というのである。今でもそこを通過する者は、心に固くつつしむ気持ちを持ち、決して韓人ということばを口にせず、盲人のことにも関わらないようにする風習がある。
 韓荷(からに)の島。その韓人の壊れた船とただよっていた荷物とが、この島に漂着した。だから、韓荷の島と名付けた。
posted by 河童老 at 15:04| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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