2018年06月19日

『万葉集』を訓(よ)む(その1280)

 今回は、944番歌を訓む。前歌に続いて、942番歌(以下、「長歌」という)の反歌二首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  嶋隠 吾榜来者
  乏毳 倭邊上
  真熊野之船

 1句「嶋隠」は「嶋隠(しまがく)り」と訓む。「嶋隠」は、ラ行四段活用の自動詞「しまがくる」の連用形で「嶋隠(しまがく)り」。「しまがくる」は「島かげに隠れる」ことをいう。
 2句「吾榜来者」は「吾(わ)が榜(こ)ぎ来(く)れば」と訓む。この句は、「長歌」の8句と同句。「吾」は格助詞「が」を補読して「吾(わ)が」と訓む。「榜」は、ガ行四段活用の他動詞「こぐ」の連用形で「榜(こ)ぎ」。「こぐ」は「櫓(ろ)や櫂(かい)などを用いて船を進める」ことをいう。「来者」は、カ行変格活用の自動詞「く」の已然形で「来(く)れ」+順接の確定条件を表す接続助詞「ば」(「は」の訓仮名「者」を流用)=「来(く)れば」。
 3句「乏毳」は「乏(とも)しかも」と訓む。「乏」は、920番歌他に既出で、シク活用の形容詞「ともし」の終止形「乏(とも)し」。「ともし」は「物事が不足している。財物が少ない。自分にはないものを持っている人などをうらやましく思う。」などの意があるが、ここは「羨ましい」の意。「毳」(682番歌他に既出)は、詠歎の終助詞「かも」を表すための借訓字。
 4句「倭邊上」は「倭(やまと)へ上(のぼ)る」と訓む。「倭」(894番歌他に既出)は、わが国の古名として中国の史書に見え、それをそのまま「やまと」の表記に用いていたが、天平宝字元年(七五七)以降は「大和」と書かれるようになったもので、大和国(奈良県)を中心とする地域をいう。ここは「奈良の都」をさす。「邊」はヘ(甲類)音の音仮名で、格助詞「へ」に用いたもの。格助詞「へ」について、『岩波古語辞典』の基本助詞解説には次のようにある。

 へ 名詞「辺(へ)」から転成した助詞と考えられる。「へ」は、「奥」「沖」の対語で、「沖つ波・辺(へ)つ波」「沖つ藻・辺つ藻」「沖方(おきへ)・辺つ方(へ)」「奥つ櫂・辺つ櫂」などと使う言葉である。沖(おき)と奥(おく)は語源を同じくする語で、奥は入口から深く入った場所であり、容易に他人の立ち入ることを得ない所である。沖もまた浜から最も遠い、海の奥深い所をいい、古代人の思考では海神の住む場所である。「へ」は、畳などの「縁(ヘリ)」の「へ」と語源が同じで、物の中心からはずれた、はしの所をいう。岸辺や浜辺も、海を中心にして考えれば、奥深い所ではなく、はし・末端の意である。「へ」は本来こうした意味の語であったから、それが助詞に用いられた時も、はじめは、現在地から遠方の、関係のうすい所に向かって移行する場合に使われた。これは、空間の一点を明確に指定する「に」が、動作の帰着点を表現するのと明らかに相違していた。また、「へ」が方角に使われる場合も、遠い、不確実な方向を意味した。
 しかし、「へ」は、平安中期以後になると、「此方(こなた)へ来る」という使い方を生じる。遠方へ行く気持ちが失せて、到着点を示すように変って来た結果である。以後次第に帰着点や方向・場所を示すようになって来た。(後略)
 
「上」はラ行四段活用の自動詞「のぼる」の連体形で「上(のぼ)る」。「のぼる」は「地方から都へ向かって行く」ことをいう。
 5句「真熊野之船」は「真(ま)熊野(くまの)の船(ふね)」と訓む。「真(ま)」は接頭語で、名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞などの上に付いて、完全である、真実である、すぐれているなどの意を加え、また、ほめことばとしても用いる。「熊野(くまの)」は、紀伊半島の南部、熊野川流域と熊野灘に面する一帯の地域名。古代からの霊験の地で熊野三社や那智滝など名勝が多い。「之」は漢文の助字で連体助詞「の」。「真(ま)熊野(くまの)の船(ふね)」は、「熊野で造られた船」の意。この句について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は、次のように注している。

 真熊野の船 「真」は、美称の接頭語。熊野は伊豆、松浦などと並んで、早くから海運が盛んで、造船の技術にも長じていたようで、本歌のほかにも、(6・一〇三三、12・三一七二)に見え、「熊野諸手船」(神代紀下)の例もある。形も独特で、熊野の船であることが、すぐにわかったらしい。ここは、東方に向かう船に羨望の思いをかき立てられているところ。
 
 944番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  嶋隠(しまがく)り 吾(わ)が榜(こ)ぎ来(く)れば
  乏(とも)しかも 倭(やまと)へ上(のぼ)る
  ま熊野(くまの)の船(ふね)

  島がくれに 私が漕いでくると
  羨ましいなあ 大和へ上る
  熊野の船だ
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 13:00| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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