2018年06月21日

『万葉集』を訓(よ)む(その1281)

 今回は、945番歌を訓む。前歌に続いて、942番歌の反歌三首目である。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。
 
  風吹者 浪可将立跡
  伺候尓 都太乃細江尓
  浦隠居

 1句「風吹者」は「風(かぜ)吹(ふ)けば」と訓む。この句は、917番歌の9句と同句。「風(かぜ)」は「空気の流れ」をいう。「吹者」は、カ行四段活用の自動詞「ふく」の已然形「吹(ふ)け」+接続助詞「ば」(漢文の助字「者」で表記)=「吹(ふ)けば」。917番歌の場合は、仮定条件を表わす語法で、「風が吹くと」の意であったが、ここは、既定条件を表し、「風が吹くので」の意。
 2句「浪可将立跡」は「浪(なみ)か立(た)たむと」と訓む。「浪(なみ)」(936番歌他に既出)は、「風や震動などによって水の表面に起こる起伏運動。水面のうねり。」をいう。「波浪」という同義の二字熟語があるように、「なみ」の漢字表記には、「波」と「浪」がある。現在では「波」が使われることが多いが、『万葉集』では「浪」の方が多い。「可」はカ音の常用音仮名で、疑問の係助詞「か」。「将立」は、タ行四段活用の自動詞「たつ」の未然形「立(た)た」+推量の助動詞「む」(漢文の助字「将」で表記)=「立(た)たむ」。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名で、格助詞「と」。
 3句「伺候尓」は「伺候(さもらひ)に」と訓む。「伺候」は、ハ行四段活用の他動詞「さもらふ」の連用形が名詞化した「伺候(さもらひ)」と訓む。「さもらふ」(388番歌他に既出)は、接頭語「さ」+ラ行四段活用の他動詞「もる(守)」の未然形「もら」+上代の反復・継続の助動詞「ふ」の付いてできた語で、守り続ける、じっと見守るというのが原義で、そこから次の二つの意で用いられるようになった。
@ 様子をうかがい、時の至るのを待つ。
A 貴人のおそばにいて、その命令を待つ。この意の場合は、自動詞的に、君側に待機するの気持ちで用いる。
『万葉集』でも両方の用例があるが、ここは@の名詞化で「様子を伺うこと」の意。「尓」はニ音の常用音仮名で、目的を示す格助詞「に」。
 4句「都太乃細江尓」は「都太(つだ)の細江(ほそえ)に」と訓む。「都太(つだ)」は地名で、現在の姫路市飾磨(しかま)区に「津田公園」として名が残っている。「乃」はノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「細江(ほそえ)」は、「細長い入江。狭い入江。」の意。阿蘇『萬葉集全歌講義』に「都太(つだ)の細江 姫路市飾磨区の船場川河口の細長い入江。」とある。「尓」は3句にも既出で、ここは場所を示す格助詞「に」。
 5句「浦隠居」は「浦隠り(うらがくり)居(を)り」と訓む。「浦隠」は、ラ行四段活用の自動詞「うらがくる」の連用形で「浦隠り(うらがくり)」。「うらがくる」は「船が風波を避けて入江にはいりこむ」ことをいう。「居」はラ行変格活用の自動詞「をり」の終止形「居(を)り」。「をり」は、ある場所を占めている状態をいい、「そのままの状態でいる。そこにとどまっている。」の意。
 945番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  風(かぜ)吹(ふ)けば 浪(なみ)か立(た)たむと
  伺候(さもらひ)に 都太(つだ)の細江(ほそえ)に
  浦隠り(うらがくり)居(を)り

  風が吹くので 波が立つのではないかと
  様子をうかがって 都太の細江に
  風波を避けてこもっているよ

 以上で、942番歌の反歌三首を読み終えたが、この長歌と反歌三首の関係(特に三首目の945番歌との関係)について、伊藤博『萬葉集釋注』に興味深い論が展開されていたので、それを紹介しておく。

 第三反歌は、忠実に意をとれば、
  風が吹くので、波が高く立ちはせぬかと、様子を見て
  都太(つだ)の細江(ほそえ)の浦深く隠(こも)っている。
   (945)
となる。「都太の細江」は、姫路市の船場川河口の入江をいう。印南都麻と唐荷との中間の地である。唐荷の島を通り過ぎる時の歌が、それよりずっと被害の都太の細江に現在隠っている歌で終わるのは、不自然というほかはない。
 それで、「歌の順序はたがへり」(『新考』)とか、「過辛荷島歌の反歌としては適切でないが云々」(金子『評釈』)とか、長歌とは「直接のつながりのないものであり、したがってなきを妨げぬものであるが云々」(窪田『評釈』)とか、「九四二〜四は都太待避中に行く先の心情をもこめて作った作で、それに現在の消息を伝えるこの歌を添えて都に送ったものか」(『古典集成』)とか、種々意見が出されている。
『古典集成』の説は、著者一同の討論の末、離れた土地「印南都麻」と「唐荷の島」とを一所にあるかのようにまとめてしまっている長歌の唐突な表現を根拠にした見解であったと記憶する。しかし、一群が唐荷の島を現在点としていることは、やはり動かないだろう。集団の旅における代表的感動の歌と見られることからは、「都に送った」という推測も、少し任意にすぎたかと反省されなくはない。
 そこで、第一反歌が唐荷の島を現在点とし、第二反歌が唐荷の島までの体験を通しての感慨を述べていることを思い起こしてみよう。すると、第三反歌は、中途のことを述べる第二反歌を承けて、その中途の具体的な土地「都太の細江」での体験を描くことで海路の恐ろしさを述べたことになり、時の流れとしては、長歌の「思ひぞ我が来る」に至る時間を、逆に順序よくさかのぼる図となる。
 そういう、時の逆流のなかでは、第二反歌は、すいすいと都に向けて漕いで行く熊野産の良船に対し、西下せねばならぬわが船の難渋を配することで旅の苦難を示し、郷愁の念を強化した歌とうけとることができる。この説明に対して、第三反歌を順調に位置づけるとすれば、その下二句の現代語訳は、
  都太の細江の浦辺深くに隠っている、そんな辛いことを
  味わったりして。
とでもなろう。
 この感慨は、長歌の「旅の日(け)長み」という述懐と響きあう。加えて「浦隠り居り」という第三反歌の結びは、その主格が一行の船でもある以上、長歌の「漕ぎたむる浦のことごと 行き隠る島の崎々」とも縁が深いことが知られる。
 第三反歌の位置づけはたしかに難解で、なお後考を俟たなければならない。けれども、諸本すべて配列に異状はなく、したがって、伝えられる形が赤人の意図を投影するものと見られるのであって、この一首のみが、長歌に対し背を向けることはありえないと考えられる。
posted by 河童老 at 08:49| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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