2018年06月26日

『万葉集』を訓(よ)む(その1282)

 今回は、946番歌を訓む。題詞に「過敏馬浦時山部宿祢赤人作歌一首[并短歌]」とあって、「敏馬(みぬめ)の浦(うら)を過(す)ぐる時(とき)に、山部宿祢赤人(やまべのすくねあかひと)」が作った十五句からなる長歌である。次に反歌一首(947番歌)を伴う。
 写本に異同はなく、原文は次の通り。

  御食向 淡路乃嶋二
  直向 三犬女乃浦能
  奥部庭 深海松採 
  浦廻庭 名告藻苅 
  深見流乃 見巻欲跡
  莫告藻之 己名惜三
  間使裳 不遣而吾者
  生友奈重二

 1句・2句「御食向・淡路乃嶋二」は「御食(みけ)向(むか)ふ・淡路(あはぢ)の嶋(しま)に」と訓む。1句は、196番歌43句と同句。「御食」は「みけ」と訓み、「神や天皇など身分の高い人の食事」の意。「向」はハ行四段活用の自動詞「むかふ」の連体形で「向(むか)ふ」。「むかふ」は「向き合う」が変化してできた語で、ここは、「食膳で種々の食物が向かい合っていること」を言ったもの。「御食(みけ)向(むか)ふ」は、その食膳の向かい合っている種々の食物の名と同音を含む地名にかかる枕詞として用いられた。例えば「葱(き)」・「粟(あは)」は、それぞれ地名「きのへ」・「あはぢ」にかかるなどで、ここは次の「あはぢ」にかかる。「淡路(あはぢ)」(933番歌他に既出)は、南海道六カ国の一つで、瀬戸内海東部にある淡路島全体をいい、古代より荘園が多く置かれた所である。「乃」は、ノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、連体助詞「の」。「嶋」は「島」に同じで、「淡路乃嶋」は、935番歌他に既出の「淡路嶋(あはぢしま)」に同じ。「二」はニ音の音仮名(片仮名の字源)で、目的地を示す格助詞「に」。
 3句・4句「直向・三犬女乃浦能」は「直(ただ)向(むか)ふ・みぬめ[敏馬]の浦(うら)の」と訓む。3句は、509番歌の25句と同句。「直」は副詞の「ただ」で、「間に介在する物事がなく、直接に。」の意。「向」はハ行四段活用の自動詞「むかふ」の連体形「向(むか)ふ」。「三犬女乃浦」は、題詞の「敏馬浦」に同じで、「みぬめ[敏馬]の浦(うら)」と訓む。「三」は「み(甲類)」の常用訓仮名、次の「犬」は「ぬ」を表すための借訓字(「いぬ」の「い」が前の「み」のイ母音で打ち消されて「ぬ」を表す。)、「女」は「め(甲類)」の常用訓仮名。「乃」は2句に既出で、連体助詞「の」。「浦(うら)」は「海、湖などの湾曲して、陸地に入り込んだ所」をいう。「みぬめ[敏馬]の浦(うら)」は、兵庫県神戸市灘区岩屋付近の海岸。岩屋中町四丁目に「式内汶売(敏馬)神社」がある。「能」はノ(乙類)音の常用音仮名で、連体助詞「の」。
 5句・6句「奥部庭・深海松採」は「奥(おき)[沖]へには・深海松(ふかみる)採(と)り」と訓む。5句は、257番歌の9句「奥邊波」及び260番歌の11句「奥邊者」と表記は異なるが同句。オクとオキとは同源で、自己から遠い所を言い、上代では、オキを表す正訓字としては「奥」の字のみを用いている。「部」は「へ(甲類)」の常用訓仮名で、「奥(おき)[沖]へ」は、「沖方」とも書き、「沖のほう。遠くの海上。沖のあたり。」の意。「庭」(573番歌他に既出)は「には」を表すための借訓字。「には」は、格助詞「に」に係助詞「は」の付いたもので、場所・時・対象・比較の基準など、格助詞「に」の意味を強調または取りたてて示す。「深海松(ふかみる)」(135番歌6句に既出)は、海中の深いところに生えているミル。ミルは、海藻の一種で、形は、松葉を寄せ集めたようで房々しており、色は鮮やかな緑色。ミルメともいう。「採」はラ行四段活用の他動詞「とる」の連用形で「採(と)り」。「とる」は「農作物・草木・魚介類などを収穫、採集する。」ことをいう。
 7句・8句「浦廻庭・名告藻苅」は「浦廻(うらみ)には・名告藻(なのりそ)苅(か)る」と訓む。「浦廻(うらみ)」(551番歌他に既出)は、「汀の湾曲したところ」をいう。「庭」は5句に既出で、格助詞「に」に係助詞「は」の付いた「には」。「名告藻(なのりそ)」は、362・363番歌に既出の「名乗藻(なのりそ)」と同じで、海藻「ほんだわら」の古名。古くから食用とされたが、歌では「勿(な)告(の)りそ」(人に告げるな)の掛詞として用いられる。女の名は見知らぬ男に教えてはならないことになっていたわけであるが、ここでは否定の「勿(な)」ではなく「名」として、「名を名告る」意として「名告藻(なのりそ)」と表記したもの。「苅」はラ行四段活用の他動詞「かる」の終止形で「苅(か)る」。「かる」は「草木など、群がって生えているものを短く切りさる。」ことをいう。
 9句以降は、次回に。
posted by 河童老 at 13:57| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: