2018年06月29日

『万葉集』を訓(よ)む(その1283)

 今回は、946番歌の9句からを訓む。
 9句・10句「深見流乃・見巻欲跡」は「深(ふか)みる[深海松]の・見(み)まく欲(ほ)しけど」と訓む。「深見流」は、6句の「深海松」と同じで、海中の深いところに生えている海藻のミル。六句ではミルを「海松」と漢字表記をしていたが、ここでは「見流」と仮名表記にしている。「見」は「み(甲類)」の準常用訓仮名で、「流」はル音の常用音仮名(片仮名の字源)。「見」の用字は、次句の動詞「みる(見る)」を意識してのことかと思われる。「乃」は、ノ(乙類)音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、格助詞「の」。「見巻」(580番歌に既出)は、マ行上一段活用の他動詞「みる」の未然形「見(み)」+意志・意向の助動詞「む」の連体形に形式体言「あく」が付いた「むあく」の約まった「まく」(いわゆるク語法。借訓字「巻」で表記)で、「見(み)まく」。「欲」はシク活用形容詞「ほし」の已然形で「欲(ほ)しけ」。「跡」は「と(乙類)」の常用訓仮名であるが、ここは、逆接の既定条件を示す接続助詞「ど」に流用したもの。
 11句・12句「莫告藻之・己名惜三」は「な告(の)りその・己(おの)が名(な)惜(を)しみ」と訓む。「莫告藻」は、8句の「名告藻」と同じく、海藻「ほんだわら」の古名の「なのりそ」を表すが、ここでは「な告(の)りそ」(人に告げるな)の掛詞として用いられる。「莫」(509番歌他に既出)は、「勿」と同じく否定・禁止に用いる漢文の助字で、和語の禁止を表す副詞「な」に用いたもの。副詞「な」は下に「動詞の連用形+そ」を伴って用いられることが多いが、ここもその例。「告」はラ行四段活用の他動詞「のる」の連用形「告(の)り」。「藻」は終助詞「そ」を表す。「之」は漢文の助字で、格助詞「の」。「己名」は、間に連体助詞「が」を補読して「己(おの)が名(な)」と訓み、「自分の名前」の意。「惜三」は、マ行四段活用の他動詞「をしむ」の連用形で「惜(を)しみ」。連用形であることを明示するために、活用語尾の「み」を「み(甲類)」の常用訓仮名「三」で表記しているが、わざわざ数字でもある「三」を用いているのは、数字遊びと考えられ、2句の格助詞「に」に数字の「二」を用いたことから始まり、4句では、地名「みぬめ」を数字の「三」を使って「三犬女」と表記するという流れを受けたものといえよう。「をしむ」は、「大切なものに思う。大事にする。尊重する。」の意。
 13句・14句「間使裳・不遣而吾者」は「間使(まつかひ)も・遣(や)らずて吾(われ)は」と訓む。「間使(まつかひ)」は、「人と人との間をゆきかう使い。消息を持って往来する使い。」をいう。「裳」は「も」の常用訓仮名で、係助詞「も」。「不遣」は、ラ行四段活用の他動詞「やる」の未然形「遣(や)ら」+打消の助動詞「ず」(連用形。漢文の助字「不」で表記)=「遣(や)らず」。「やる」は「人の命じて行かせる。人を送り出す。派遣する。」ことをいう。「而」は漢文の助字で、接続助詞「て」。打消の助動詞「ず」に接続助詞「て」の付いた「ずて」は、「…ないで」の意。中古以後は、和歌などを除いてはあまり用いられていない。「吾」は自称で「われ」と訓み、作者の赤人をさす。「者」は漢文の助字で、係助詞「は」。
 15句「生友奈重二」は「生(い)けりともなし」と訓む。この句は、212番歌5句の「生跡毛無」と表記は異なるが同句。「生」は、カ行四段動詞の自動詞「いく」の連用形「生(い)き」+ラ行変格活用の自動詞「あり」(「有」の表記は省略されているが)の「生(い)きあり」が約まったもので、「生(い)けり」と訓み、「生きている」の意。「友」は格助詞「と」+係助詞「も」=「とも」を表す借訓字。「奈重二」は、ク活用形容詞「なし」を表す。「奈」はナ音の常用音仮名(片仮名・平仮名の字源)で、「重二」は、907番歌8句の「二二」を「し」と訓んだのと同じで、「二」×「二」=「四」ということで「し」を表すための数字を用いた戯書的な表記。この歌の用字には、数字的遊びが見られることは先に述べたが、その流れを受けたもの。「生(い)けりともなし」は「生きている心地もしない」の意。
 946番歌の漢字仮名交じり文と口訳を示すと、次の通り。

  御食(みけ)向(むか)ふ 淡路(あはぢ)の嶋(しま)に
  直(ただ)向(むか)ふ みぬめ[敏馬]の浦(うら)の
  奥(おき)[沖]へには 深海松(ふかみる)採(と)り
  浦廻(うらみ)には 名告藻(なのりそ)苅(か)る
  深(ふか)みる[深海松]の 見(み)まく欲(ほ)しけど
  な告(の)りその 己(おの)が名(な)惜(を)しみ
  間使(まつかひ)も 遣(や)らずて吾(われ)は
  生(い)けりともなし

  (御食むかふ) 淡路の島に
  まっすぐ向きあっている 敏馬の浦の
  沖の方では 深海松(ふかみる)を採り
  入江のまわりでは 名告藻(なのりそ)を苅る
  深海松のミルというように 見たいと思うけれど
  なのりそ(人に告げるな)というように わたしの名が惜しいので
  使いの者も やらないでわたしは
  生きている心地もしない
ラベル:万葉集
posted by 河童老 at 13:56| Comment(0) | 小説/文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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